異世界再会物語 ――俺と彼女と彼女の姉妹――
烏川 ハル
第一部 異世界再会その初日
第一話 赤い靴はいてた女の子
「あら、マサハル。帰ってきたのね」
大学一年目の夏休み。
帰省した俺を出迎えた母は、久しぶりとは思えない対応を見せていた。まるで、実家から通う学生が、普通に学校が終わって帰ってきたかのような雰囲気だ。
「ただいま、母さん……」
むしろ俺の方が、少しぎこちない。一人暮らしをしていると『ただいま』なんて台詞を口にする機会もないからだ。
そんな俺の様子を見て、母は何気ない口調で提案してきた。
「とりあえず荷物だけ置いたら、お隣に挨拶に行ってきたら?
隣の
小さい頃はよく一緒に遊んだし、中学・高校になって少し距離を置くようになってからも、俺には「慕われている」という自覚があるくらいだった。
当然、隣には顔を出すつもりで、京都土産も用意してきている。
「じゃあ、これ。うち用に」
二つある土産菓子のうち一つを、実家用ということで母に渡してから。
俺は、もう一つの包みを持って、お隣さんへ向かった。
美絹家では、土産を渡すことは出来たが、香織には会えなかった。
まだ学校から帰っていないのだという。
特に部活に入っているわけでもないから、おそらく、どこかで寄り道をしているのだろう。
そんな美絹のおばさんの説明に対して、
「わかりました。一体どこで……」
俺も、そう対応しておく。
本当は二人とも、香織の居場所の見当はついているくせに。
美絹家をお
まだ
無理してでも清々しい気持ちになりながら、川原の土手道を歩く。
少し湿った、川辺に特有の風が、まるで俺の心を洗うかのように吹いていた。
そして。
大きな橋のかかっている地点から、わずかに下流。予想通りの場所で、俺は香織を見つけた。
背の高い草の陰へ隠れるようにして、コンクリートで舗装された岸辺に直接、腰を下ろしている。いわゆる体育座りの格好だ。
川原の緑が風で揺れるのにあわせて。
彼女の青みがかった艶やかな黒髪も、まるで自然の風景に溶け込むかのように、一緒になって風になびいていた。長くて美しい黒髪は、俺がよく知る香織の特徴そのものだ。
だが、高校の制服に包まれた彼女を見るのは、これが初めてだった。
茶色のブレザーは、しっとりとした雰囲気で、香織には良く似合っている、と感じられた。そのせいだろうか、今の彼女の横顔は、俺の記憶と比べて少し大人びて見える。
そうして、じっと凝視しながら近づいていくと……。
「あっ、マサハルお兄ちゃん! 帰って来てたのですね!」
視線なのか、足音なのか、気配なのか。とにかく俺に気づいた香織は、表情を崩した。一瞬のうちに、女子高生の顔から、見慣れた顔に――甘えた感じの笑顔に――変わったのだ。
ああ、やっぱり彼女は、俺の『妹』である香織だ。
気持ちも表情も緩んだ俺は、その瞬間。
香織が手にしていたものに気づいて、ハッと硬直する。
「香織ちゃん、もしかして……」
彼女は、学校の帰りに、この場所に立ち寄ったのだ。
ということは、つまり。
「……今日一日、それを持ち歩いてたの?」
久しぶりの挨拶も忘れて、俺は、思わず尋ねてしまう。
「だって……。今日は、
小さな赤い靴を握りしめたまま、香織は、少し照れたような口調だった。
真理お姉ちゃんの日……。
そう、ちょうど十年前の今日だ。
俺と香織と、香織の双子の姉である真理。川原で遊んでいた三人のうち、真理一人が、片方の靴だけを残して消えてしまったのは。
「川に吸い込まれたの!」
香織の証言があったから、大人たちは、真理が川に落ちたと思った。真理は溺れたのだと判断して、皆が懸命に捜索した。
だが、真理の姿は――溺死体すら――発見できなかった。
「違うの! 流されたんじゃないの! 吸い込まれたの!」
香織は必死になって訴えたが、大人たちには通じなかった。
俺も香織の肩を持ったが、大人たちを説得することは出来なかった。
いくら説明しても、小さな子供の
だから。
真相を知っているのは、俺と香織の二人だけだ。
本当は。
真理は溺れたのではない。神隠しにあったのだ。
「あの日も、こんな感じで、空は晴れていて……」
遠い日に想いを馳せる香織を見ていると、当時の光景が、俺の目にも浮かんでくる。
「でも、もっと赤かったな。
示し合わせたかのように、二人揃って、
当たり前のように、川の
あの時。
水面だけでなく、その上にある空間までもが、同じように歪んでいたのだ。
そして、子供らしい好奇心から「えっ、何これ?」と手を伸ばした真理が。
歪んだ空間に吸い込まれて、消えてしまったのだ!
しかも真理を取り込んだ瞬間、まるで役目を果たしたかのように、あの不思議な空間も消失したのだった。
「俺たちが止める暇もない、一瞬の出来事だった……」
「仕方ないわ、マサハルお兄ちゃん。私たちには、どうすることも出来なかったですもの」
香織は、俺の声に含まれる後悔や反省の念を感じ取ったのだろう。そう言ってくれた。
ありがとう。
心の中で俺が礼を言っている間に、香織は手にした靴へと、あらためて視線を向ける。
「真理お姉ちゃん……。本当に、どこに行ってしまったのか……」
「きっと彼女は、どこかで無事に生きている。俺は、そう信じてるさ」
今度は、俺が香織を慰める番だった。
小さく香織が頷いて、
「ええ。私も、そう思います。そして……。生きているなら、もう一度、会いたい」
と呟いた時。
川の水が流れる音に混じって、ブォーンという異音が聞こえてきた。
どこかで聞き覚えのある音だ。
ハッとした顔で、香織が、
「マサハルお兄ちゃん! あれ!」
俺もそちらに視線を向けると……。
水面ではなく、その上の空間が。
まるで揺らぐ水のように、不可思議に歪んでいた。
そう、十年前の再現だ!
ただし。
今回の『歪み』は、規模が大きかった。
みるみるうちに、川岸まで届くくらいに膨れ上がって……。
「危ない!」
叫ぶことしか出来ず、具体的な対応は間に合わない。
俺と香織の二人は、その空間に取り込まれて、意識を失った。
――――――――――――
「お兄ちゃん! マサハルお兄ちゃん!」
香織に揺り動かされて、俺は目を覚ました。
「よかった、ようやく気づいてくれた……」
まず視界に入ってきたのは、ホッとするような香織の表情。
続いて。
「どこだ、ここは?」
「わかんない。おかしいよね、私たち、さっきまで川原にいたはずですよね?」
そう。
俺たちの居場所は、もう川原ではなかった。
ざっと見たところ、森の中という感じだ。大きな樹々に囲まれているのだが……。
「ここ、ひょっとして外国か?」
「えっ?」
どうやら香織は、そこまで気づいていなかったらしい。
京都で暮らし始めた俺は、大文字山とか吉田山とか、小さな山中の森まで遊びに行く機会もあったから、違和感として認識できたのかもしれないが……。
樹々の緑の葉っぱが、妙に生きが良いのだ。こんなに緑が、枝から広々と青々と生い茂っているのは、おそらく日本の森林ではない。
「違う場所に飛ばされたというなら、日本とは限らないから……」
「そっか! さすがマサハルお兄ちゃん、頭いい!」
と、香織が俺を賞賛してくれた時。
不気味な唸り声と共に、森の奥から、一匹の怪物が現れた!
二足歩行の熊を凶悪に擬人化したら、こんな感じになるのだろうか。
そうとしか表現できない、灰色のモンスターだった。
「きゃあっ!」
しがみついてきた香織を、俺は後ろ手にかばう。
だが正直『かばう』だけであって、武器もない俺には、この怪物に対処する
さて、どうするか……。
気ばかり焦る、その時。
「ハアッ!」
俺たち二人と怪物熊の間を、一陣の赤い風が吹き抜けた。
いや、正確には『風』ではない。風のような速さで、俺たちを助けに来た者がいたのだ。
赤い長髪に、全身の鎧装備も赤で統一。見るからに『戦士』というイメージの若い女性だった。
怪物と対峙した彼女は、俺たち二人に背を向けたまま、ザンッと剣を一振り。凶悪な怪物を、一刀のもとに斬り捨てていた。
「ひっ!」
香織の恐怖の声。
無理もない。いくら怪物とはいえ、命あるものが斬り殺されるのを見たのは、俺も香りも初めてなのだから。
赤い女戦士は、血まみれの剣を手にしたまま、ゆっくりと振り返り……。
「お二人さん、大丈夫だった?」
どこか懐かしい表情で、俺たち二人に声をかけてきた。
そう、彼女の顔に浮かぶのは、どこか懐かしい表情だったのだ。
俺にはその理由が直感的にわかったし、香織も同じだったらしい。
女戦士に対して、香織は、こう叫んだのだから。
「もしかして、真理お姉ちゃん……? 真理お姉ちゃんよね?」
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