第24話 稲荷葉竹は昔から紅葉限のことを……

 月曜日は体育祭の振替休日だった。

 紅葉限はバイトに勤しんだ。


 明けて火曜日いつものように稲荷葉竹と登校する。

「……ミステリー小説は役に立ちそうか?」

 日曜日の後で何から話せば良いのか迷い、紅葉はそう尋ねた。

「あれねえ、怨恨殺人とか多くてね。殺し方は何かエグかったりグロかったりするのよね。私グロい死に方をあなたに望んでいるわけではないのよね。変なトラウマになっても嫌だし。アリバイ方面は役に立ちそうではあるけど正直現代社会でアリバイを用意するのがかなり難しいというのが最近のミステリー小説を読むとよく分かるわ」

「そうか……」

 稲荷は生真面目に学習を進めているようだ。

 他にも魚の種類を選別しているなど、いろいろと忙しい女である。

「そういえば今日から徐々にテストの返却ね。確か現国の和田わだ先生は採点がすこぶる遅いから金曜日までもつれ込むかもって筮が言ってたわ」

「へー」

「せいぜいあなたが赤点を取っていないことを祈ってあげるわ」

「そりゃどうも」

「しかし風邪も引かなかったわね紅葉。馬鹿は風邪を引かないって本当なのね」

「いけしゃあしゃあと……」

 人を海に落としておいてよく言えたものである。

「君は愛する人を大切にしようという気持ちにはならないのか……?」

「私は私の愛する人の頑丈さを信じているのよ」

「なんて要らない信用なんだ……」


 本日返却されたテストで紅葉は赤点をすべて回避していた。

 稲荷は高得点を取っていたらしく教師が逐一言及していた。

 しかし百原はそうでもなかったらしい。

「化学が赤点でした」

「どんまい?」

「紅葉、勉強を教えてくれ」

「俺には無理だ……」

 紅葉の得点は稲荷筮の力添えあってのことである。

 地力は何もない。恐らく本来なら百原よりない。

「補習後に追試があるんだよなあ……ちゃんと勉強するしかないか……」

 百原はため息をついた。

「まあなんだがんばれ」

 紅葉限はそう答えるほかなかった。


 昼休み。屋上。稲荷はいつものように手作りのお弁当を食べている。

 紅葉もいつもどおり購買で買ったおにぎりとパンを食べる。

「赤点は免れたのね。さすが筮」

 稲荷は紅葉から得点を聞きそう言った。

「俺を褒めないんだな……」

「あら褒めてほしいの?」

「いいです。けっこうです。後が怖いです」

 稲荷が紅葉を褒めることはレアな事態だ。反動が怖い。

「……そういう稲荷の成績は」

「今のところ100点」

「そうか……」

「あえてレベルを下げた高校に来ているのだもの。そのくらいの点数を取らなければ両親に申し訳ないわ」

「それは俺も申し訳ないな……」

 稲荷葉竹はこの高校を紅葉限でも頑張れば入れるという基準で選んでいる。

 紅葉のために稲荷が何をしようと稲荷の勝手だが、それが両親の心配を招くならそれは稲荷の両親には申し訳ない。


 昼食を終えて階段を下りる。今日の稲荷は何も仕掛けては来なかった。


「お、紅葉、と稲荷さん」

 ふたりは百原と行き会った。

「いっしょだったんだ」

「ええ、たまたま」

 稲荷葉竹はそうごまかした。

 まだ対外的には紅葉との仲をごまかすつもりらしい。

 それが稲荷の殺害計画の要なのかそれとも思春期特有の自己防衛なのか紅葉には掴みきれなかった。

「あー、そうだ。稲荷さんめっちゃ頭良いんだよね?」

「まあまあよ」

 謙遜。それが会話の種のためなのか、面倒くさいだけなのか、紅葉にはやはり分からない。

「……勉強を教えてくれないかな?」

 百原が手を合わせた。

「うーん……」

 稲荷は少し渋ったがそれも少しの間だけだった。

「しょうがないなあ」

「やったあ! 稲荷さんに教われれば百人力だぜ!」

 稲荷葉竹が肩をすくめながら軽い調子でそう言った。

「まったく百原くんは見る目があるねえ」

 その言葉に紅葉限の臓腑がよじれる。

 脂汗が噴き出す。

 頭痛がする。

 思い出す。


「紅葉?」

 百原が紅葉限の顔を覗き込む。

 真っ青になった紅葉の顔を見る。

「……俺、便所」

「お、おお」

 百原の心底心配そうな顔だけを視界に収める。

 稲荷葉竹がどんな顔をしているかなんて見たくなかった。


 取り残された稲荷葉竹はいつも通りの無表情で紅葉限を見送った。

「……」

「……どうする?」

 同じく取り残された百原は困り果ててそこまで親しくもないクラスメイトに声をかけた。

「先に教室に戻りましょう。紅葉限の体長が最悪でも私たちが授業を受けなければいけないのは間違いないのだから。具合が悪すぎて教室に戻れないならその時はその時でしょう」

「うん……あいつ具合が悪かったのかな? 何か悪いものでも食ったかな?」

「蟹が当たったのかもね」

 それは嘘だ。

 蟹を食べたのはずいぶんと前の話だ。蟹が原因として考えられる食中毒の潜伏期間からしてこんなに遅れて症状が出るわけがない。稲荷はそれを知っている。

 思わずの口から出任せだった。

 稲荷葉竹は紅葉限の体調不良の原因を知っていた。

「紅葉、蟹を食べたのか。いいなあ美味しいよね……稲荷さんは大丈夫?」

「腹痛はないわ」

「そうじゃなくて……表情が硬いよ?」

「ええ、そうでしょうね」

 稲荷葉竹は苦笑いの顔になった。

「大丈夫。これが私らしい私よ……紅葉限が嫌わない私」

「?」

 百原は稲荷の言葉を理解しなかった。

 稲荷にも理解させたいという気持ちはなかった。

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