第22話 稲荷葉竹は海でも紅葉限のことを好きすぎる(中)
紅葉限は稲荷葉竹の所望する生クリームの入った甘いパンと自分の食べたいおにぎりと他に適当な食料を買い込んで稲荷の元に戻った。
稲荷葉竹は紅葉の折りたたみ椅子に向かって工具を振り上げていた。
「……」
「……お帰りなさい紅葉。いい生クリームはあった?」
「それでごまかせると思っているのか?」
「なんか椅子の立て付けが悪いかなあって」
「それでごまかせると思っているのか? マジで」
「ええそうよ。あなたが座った瞬間海に落ちる仕掛けを施そうとしたけどなんか帰ってくるのが予想以上に早かったわ! おのれ! 次は見ていろ!」
「そう言いつつ仕掛けた後だったりするんだろう。騙されんぞ」
「じゃあ座ってみれば良いじゃない」
「やだよ怖い。なんかもう君のことだから爆発とかしても驚かないぞ俺は」
紅葉は埠頭に直に座り込んだ。
「ほら甘いパン買ってきたぞ。お昼にするぞ。食うぞ」
「はいはい……」
そう言って稲荷は紅葉の折りたたみ椅子に座った。
特に何も起こらなかった。
紅葉の帰還が早すぎたというのは本当だったらしい。
「ん」
「うん」
無言で手を突き出す稲荷に紅葉は生クリームののったパンを渡しICカードを返した。
「いただきます……美味しいわ良いチョイスね」
「そりゃどうも」
「私の好みをよく分かってるじゃない……筮の次に分かっているわ……」
「筮が分かりすぎてるだけだよな、それ」
稲荷筮は稲荷葉竹のみならず紅葉限の好みも完璧に掌握している。
理解力や観察力がずば抜けているのだ。
「……筮といえばなんであいつ地元の大学に行ったの? 行こうと思えば旧帝大とか余裕で行けただろう?」
「あなたの口から旧帝大なんて言葉が出てきたことに私はまずおののいているわ」
「いやまあ俺にはかなり縁遠い話だけどさ……」
「紅葉まさか旧帝大を目指す気があるの? だったら筮に言ってもっと厳しい授業カリキュラムを組み直してもらうし私も勉強もっと頑張るけど……いくら筮の辣腕でもさすがにあなたには一浪を覚悟してもらうことになるわよ?」
「え? 逆に言えば一浪すれば俺なんかでも旧帝大入れるの? なんなの筮?」
地元の中堅高校ですら赤点が危ぶまれる学生を旧帝大に放り込めるなど、筮は大学生をやっている場合ではない気がする。
「筮が地元の大学に行ったのは筮が家族大好き人間だからよ」
稲荷は紅葉の疑問に答えずに話を本筋に戻した。
「やっぱそっか」
「あたしがお嫁に行って両親が死ぬまで筮は地元を離れないと思うわ。なんなら私がお嫁に行った先についてくる可能性があるわ」
「それは……なんというかお婿さんも大変だな……」
「まあお婿さんはそもそも私がお嫁に行く時点で大変でしょうけどね」
「自覚あるんだな……?」
「私の結婚式の時には筮に紅葉の遺影を持ってもらうから安心してね」
「その絵面は実は三人きょうだいだったみたいになるだろうが。どの面下げて自分が殺した男の遺影を参列させるつもりだ。そして何が安心だ。お婿さんもいろいろ困るだろうが」
「私と結婚するということは紅葉殺しもいっしょに背負ってくれるくらいじゃないと……」
「多分いねーよそんな奴」
稲荷葉竹を無事にお嫁に行かせるためにも殺されるわけにはいかない。
またひとつどうしようもない重荷が増えてしまった。
「……というか稲荷もお嫁に行く気とかあるんだな」
「私の幼稚園の時の将来の夢は可愛いお嫁さんよ」
「そうなんだ……?」
その頃はまだ知り合っていないので嘘か本当かはよく分からない。
ちなみに小学校低学年の頃、知り合った頃の稲荷の夢は確かお花屋さんだった。あの頃の稲荷はごく普通の感性をしていた。
「紅葉の小学校低学年のときの夢は紙飛行機だったわね」
「人のめちゃくちゃ恥ずかしいことを思い出させるのはやめろ」
「本物の飛行機じゃなくて紙飛行機って辺りが奥ゆかしさがあって好きよ」
「好きでも何でもいいから忘れてくれ……」
「じゃあ今の夢は?」
「うーん」
「ないの? 夢」
「……君に殺されないこと?」
「それは努力目標じゃないかしら」
「じゃあ親父の墓を作る」
「それはまた現実的な夢ね……夢なのかしら……?」
「そういう稲荷の夢は?」
「億万長者」
「ええ……」
びっくりするくらい即物的な夢だった。
「稲荷も金に興味とかあったのか……」
「現代人はお金の束縛からは逃げ切れないわ」
「それはまあ身に染みているけど……というか俺を殺すことではないんだな」
「それはそれこそ目標であって夢なんて言葉では片付けられないもの。それに夢というのは叶えた後が肝心なのよ。夢を叶えた時点で燃え尽きてしまう人間はたくさんいるもの。その点、億万長者は財産の維持が乗っかってくるから永遠の夢よ」
「もしや意外と真面目に億万長者について考えていらっしゃる……?」
夢の続き。紅葉限で言えば父の墓を作った後にどうするか。
紅葉の中にその答えはまだ存在しなかった。
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