第21話 稲荷葉竹は海でも紅葉限のことを好きすぎる(上)

「おはよう紅葉」

「おはようございます……」

 体育祭の翌日。競技こそ一つしか出ていないが、一日中外に出ていたことから疲労はあった。

 バイトもないことだしゆっくり寝ていようと思っていた紅葉限のアパートの部屋に稲荷葉竹は何の躊躇もなく上がり込んだ。

「さあ河豚を捕りに行くわよ!」

「……河豚って川魚? 海魚?」

「日本だとだいたい海ね」

「そうなんだ……どうして河豚を……?」

「決まっているでしょう」

 稲荷葉竹は生き生きとした顔をしていた。

 水を得た魚。そんな言葉が紅葉限の頭をよぎる。

「あなたを殺すためよ。毒で」

「もっと楽なやり方はないのかもう一度考えよう?」

「嫌よ……もう釣り道具一式買っちゃったし……」

「君は少しは後先を考えよう?」

「さあ! 本日は釣りデートよ!」

「デートに分類されるのかこれは……」

「釣りと言ったらデートの定番でしょう!?」

「死を求めて釣りに行くデートとかないだろう……」

「さあいいからこれを持ちなさい運びなさい丁重に扱いなさい」

「はい」

 紅葉は稲荷が買った釣り道具一式を持たされた。

「……このクーラーボックス新品?」

「ええ? どうして?」

「いや別に……」

 赤倉小町が見かけた買い物をする稲荷と筮は釣り用具を買いに行っていたのだろう。クーラーボックスは釣りのためだったというわけだ。

「釣りなんて私も筮も両親もしないから道具選びには苦労したわ。よりにもよってかさばるクーラーボックスだけ釣り専門店じゃないところで買っちゃったの。これ持ったまま商店街をうろついたのよ、筮が」

「筮……」

 荷物持ちをさせられた筮の苦労を少しだけ思いやりながら、紅葉は稲荷に引っ張られるように外出した。


 ボロアパートからバスに乗り到着した最寄り駅から電車に乗り、車両に揺られること2時間、紅葉限と稲荷葉竹はその海岸にたどり着いた。

 潮騒の音が絶えず耳に届く。

「海とか何年振りだよ……」

 大量の荷物を運んだことですでに疲れながら紅葉は呟いた。

 紅葉にも釣りの趣味はない。

 海に来る機会などほとんどなかった。

 おそらく小学生の校外学習以来ではないだろうか。

「広大ね」

「そうだな」

 綺麗だなとは、お世辞にもあまり言えない。地元の海はそういう感じの海だった。

「6月の初めってまだ海に来るような時期じゃないよな……」

「釣り人に季節はあまり関係ないわ」

「それにしても河豚で人を殺すとか急にどこで着想を得たんだ」

「あなたはもう少しニュースを見なさい」

「はい」

 紅葉家にはいちおうテレビはあるがあまりつけない。新聞は取っていない。ネットニュースも興味がないのでそうチェックしていない。

「何かここで釣りをしてた人が河豚を釣り上げて危うく食べるところだったらしいわ。ニュースになってたの。海なら他にはクラゲに刺されるとかもありね……食べ物で殺すならキノコとかもありなんだけどあれシーズンは秋だものね」

「河豚のシーズンって冬じゃないっけ?」

「それは春に毒性が強くなるかららしいわ。4月が一番毒が強いからその前に食っちゃえってことみたい。つまり6月になろうとしている今はぎりぎり毒シーズン」

「ぎりぎり毒シーズン」

 ここ以外では一生聞かなそうな言葉である。

「非力な人間が人を殺そうと思ったら毒殺はスタンダード……でも食べ物を粗末にするのは気が引ける……そこで元々毒のものを食えば良いという発想の転換……! 私って天才かしら!」

「その才能は頼むから他のことに生かしてくれよ……」

「あなたに心配されなくてもきちんと生かしているわ。こないだの中間テストはほぼ満点よ」

「そうか……さすがだな……」

「さあちゃきちゃき釣りに励むわよ……紅葉、この餌の虫をここにつけてちょうだい」

「はいはい」

 稲荷葉竹は虫があまり得意ではない。

 河豚を釣るための餌は本当に虫で良いのだろうか。

 疑問に感じながらも紅葉はおとなしく稲荷の釣り竿に餌をつけてやった。


「……」

「……」

「……」

「……」

 釣りを初めて1時間。釣りとは沈黙と流れる時間を楽しむものかもしれない。紅葉限はそう感じ始めていた。

 釣りは初めての経験だったが意外と嫌いではなかった。交通費さえもう少しかからなければ趣味にするのも悪くないのかもしれない。

 これまでの釣果は稚魚が数匹、食べられそうな魚が2匹だった。

 魚の選別は稲荷が行ってくれた。

 どうやら今日のために食べられる魚については暗記してきたらしい。

 テストの直近に何に頭を使っているのだろう。

 紅葉は呆れると同時にその頭の良さを少しだけうらやましく思った。


「……飽きてきたわ」

「そうか……」

 さらに一時間後。紅葉はあと5時間くらいはこのままでいられそうだったが稲荷がそう言うなら仕方ない。

「とりあえずお昼にしましょう」

「はい」

「釣ったお魚はお家に持って帰ってちゃんと火を通すので近所のコンビニで何か買ってきなさい。私なんかとりあえず生クリームが入っているパンが一個あれば良いわ。はいICカード」

「どうも……たまには俺が金を出すこともやぶさかじゃないぞ?」

「駄目よ。あなたはさっさとお金を貯めて借金を返して樟葉葉月と縁を切りなさい」

「はい、分かりました」

 どちらにせよ唯一残った親戚である樟葉葉月とは未成年の間は縁を切ることは出来ないと思うが紅葉はおとなしく頷いた。

 そういえば自分が稲荷に殺されたとき、自分の借金はどうなるのだろう。

 樟葉葉月はどうする気なのだろう。ふと気になった。

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