第19話 稲荷葉竹は体育祭でも紅葉限のことが好きか分からない(上)

 テストは無事に終了した。

 自己採点などする気はなかったが稲荷葉竹が「使いなさい。確認しなさい」と渡してきた自作の正答一覧とテスト用紙の乱雑なメモ書きを見比べたところおそらくは赤点は免れていた。

 正答一覧を渡すに際し、稲荷葉竹は重要な伝言をもたらした。

「今週は土曜日が体育祭です。その前日と言うことで金曜日の稲荷家での食事はありません」

「はい了解です」

 稲荷筮に中間テストの礼を言うのが先伸ばしになるなと紅葉は少し申し訳なく思った。


 そして百原が待ちに待った体育祭が週の終わりの土曜日開催されることとなった。

 我が校の体育祭は学年問答無用のクラス対抗戦である。

 体育祭のプログラムの順番は大まかに短距離走からの長距離走そして騎馬戦。昼休みを挟んでのスプーンレースやボール運びなどのレクリエーション系からの二人三脚。砲丸投げなど走り以外の陸上競技そして最後に花形のリレーである。

 紅葉の出番は午前で終わり、稲荷の出番も昼食後すぐに終わる。

 百原は出ずっぱりである。


 開会式をユーモラスに3年生が締めるのを見守ってすぐに百原は短距離走の集合場所に、紅葉も長距離走の集合場所に向かった。


「百原はえー」

「すげー」

「つえー」

 周囲のクラスメイトと同時に走った中ではブッチギリだった百原の走りを称えながら紅葉は自分の出番を待つ。

「紅葉も頑張れよー」

「はいはい」

「飛ばし過ぎんなよー」

「はいはい」

「頑張りすぎて死なないようにね、紅葉くん」

「はいは……稲荷……さん……ありがとう」

「どういたしまして」

 クラスメイトの女子数名といっしょに稲荷葉竹が応援に来た。

 紅葉くん。慣れない稲荷からの呼ばれ方にむずがゆいものを感じる。

 それはもちろん稲荷さんと呼んでしまう自分もお互い様なのだろうが。

 それにしても死なないように、とはまた笑えない冗談の上手い女である。

「長距離キツいよねー」

「入学後の体力テスト死ぬかと思ったもん」

「うちマラソン大会はなくてよかったよね」

「そうね」

 女子たちは紅葉を応援に来たというよりお互いに雑談を交わすためにそこにいるという感じだった。

 稲荷葉竹がそこに自然と混じって笑っている姿に紅葉はどうしても違和感を覚えてしまう。


「紅葉ー!」

 短距離走を終えた百原が走り寄ってきた。

 全力疾走後のわりに元気な男である。

「おお百原お疲れー」

「激励に来たぜ!」

「俺に期待されても困るよ」

「いいから俺にあやかれー」

 そう言って百原は何か気でも送り込むように紅葉に手を向けた。

「いらねー」

 紅葉は百原に苦笑いを返す。

 体育祭にはしゃぎすぎて普段よりも百原の精神年齢が下がっている気がする。

「その前に天藤あまふじちゃんが走るわ。ビーム贈ってあげたら? 百原くん」

 稲荷が淡々と口を挟んだ。天藤は短距離走に出場する同じクラスの女子だった。

「あ、本当だ。天藤さーん! がんばれー!」

 百原の大声が耳に届いたらしく天藤がこちらを振り返り、照れ笑いで手を振った。

「がんばれー!」

「天藤ちゃんがんばれー!」

 周囲の男女が口々に天藤にエールを送る。

「……長距離走で死ぬとか許さないわよ?」

「そんなんで死んでたら体育祭が何度中止になってるか分かんねえよ……」

 稲荷が小さく囁いて、紅葉も小さく返答した。

「……俺が死ぬのは許さないんだ?」

「私に殺されるならいいのよ。ただ関係ないところで死ぬのは許さない」

「そう……」

 怖い女だ。何が怖いって周りが明るく賑わっている中でさらっとこんなことを告げてくるのが一番怖い。

「こんなことなら砲丸投げにでもエントリーしておくべきだったかしら……」

「稲荷の能力だとたとえ俺をどこかにくくりつけていたとしても、多分人がいる距離まで飛ばすことも出来ないと思うぞ……」

 入学直後の体育テストを紅葉は思い出す。

 稲荷のハンドボール投げの記録は惨憺たるもので10メートルに届いていなかった。

 稲荷葉竹に体育の才能はない。

 これは殺人計画において圧倒的な不利だった。

 紅葉限にとっては幸いなことであった。


 紅葉限は長距離走で可も不可もない成績を収めた。

 稲荷葉竹はあくまでクラスメイトとしてそれを応援し、健闘を称えた。


「そういえば紅葉っていつも教室で飯食ってないよな」

 騎馬戦の激闘を眺めてからの昼休憩。

 グラウンドに張り巡らされたブルーシートの上でにぎりめしをほおばりながら百原が尋ねてきた。

「ああ、まあ、購買で買ってから食うからな。時間短縮?」

 本当は稲荷とこっそり屋上で昼食をともにしているからだ。

 本日土曜日、購買は休みなので紅葉の食事は前日に買っておいたパンとおにぎりだ。

「百原はいつもドカベンだよな」

「うん。美味いよ。何かオカズ食う?」

「いいのか?」

「いいよ何か母ちゃん張り切って作りすぎてるし」

「マジで」

「いいの」

「やったー」

「いただきまーす」

「お前らには言っていない!?」

 ハイエナの如く百原の弁当にたかるクラスメイトに苦笑しながら、紅葉は自分のパンを食べ終えた。

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