第14話 稲荷葉竹は絵に描いたように紅葉限のことを好きすぎる

 木曜4時限目は美術の時間である。

 学校内の思い思いの場所を描くと言うことで紅葉限はなんとなくピロティを選択した。

 光が差し込むその場所はうたた寝にうってつけだった。

 紅葉限はあまり真面目に絵を描かずにボンヤリしていた。

「知っている?」

 急に後ろから稲荷葉竹に話しかけられた。

 授業中に稲荷が話しかけてくるのは珍しい。というか高校入学以降は初めてのことであった。

 驚きながらも紅葉は作業を継続しつつ問い返す。

「何を?」

「絵の具には有害物質がいっぱい入っているという話」

「なるほど。毒殺の話か」

「そう、毒殺。中毒死。事故死に見せかけるのにうってつけ。ぶっちゃけ入学時に買わされた絵の具を総動員すれば筮に研究室侵入のリスクを冒させるまでもなく毒物は作れる……みたい」

「みたい」

 さすがにまだ実践はしていないらしい。

「だってまだ下書きの段階じゃない。鉛筆しか使ってないのよ私たち。この時点で美術部でもないのに絵の具を消耗していたら何やら怪しまれること間違いなしだわ」

「なるほど」

 紅葉は自分の下書きを見る。雑にアタリを取っただけのこれがピロティかも分からない段階の絵だった。

 絵は苦手だ。人前で歌わされるよりはマシという気持ちで美術は選択した。

 一方、稲荷葉竹はチラシで包丁を作るくらいには手先が器用で美術も好んでいる。

「それとこれは呪いの延長線の話にもなる気がするけれど……絵に死体を描いたらそれは殺したことになるのかしらねえ」

「それで君の気が晴れるならそうすれば良いんじゃないか?」

「晴れる?」

 心底疑問そうな声が返ってきた。

「あらやだ紅葉ったら私があなたを殺したら気分が晴れるとでも思ってたの? まさか気を晴らすためにあなたを殺そうとしているとでも?」

「まあ人を殺したら良い気分になるよりは後味悪くなる方が健全だろうが……」

「まず人を殺した時点で健全ではないわ」

「まあ、うん」

 自分がやろうとしていることだろうが。

 そこまで自覚がしっかりしていてどうして人を殺そうとできるんだ稲荷葉竹。

「好きな人が死んで気分が晴れるほど私の心は歪んでいないわ。たぶんすっごく嫌な気持ちになるだろうし何なら一生の傷として引きずるでしょうね」

「じゃあなんで人を殺そうとしているんだよ……人の嫌がることはやめましょうとはよく言うが自分の嫌がることだってやめるべきだと思うぞ……」

「何度も言っているでしょう? 私はあなたのことが大好きだから、よ」

「……そう」

 その前提を紅葉はまず疑っているのだが。

 筮の出題を思い出す。好きが嘘なのか本当なのか、殺したいが嘘なのか本当なのか。

 都合の良い解釈と据わりの良い解釈。

 紅葉の選んだ据わりの良い解釈と筮が提示した都合の良い解釈。

「それにしても絵に描いた人間が死ぬって見立て殺人みたいよね」

「さてはミステリー小説引きずってるな?」

「わりとハマってしまったわ」

「カラオケでお経を唱え、普段からミステリー小説を愛読する女子高生が同級生を殺害……うん。すごい事件になってしまうなこれ」

 お膳立てがすごすぎて想像するだけでめまいがする。

「それがセンセーショナルに騒ぎ立てられる時にはあなたはもうこの世にいないんだから心配しなくてもよくない?」

「でもそれの被害者になっている没後もけっこう嫌だよ……?」

 紅葉限はどのように報道されるのだろう。

 親のいない高校生。貧乏暮らし。苦労人。バイトに励む勤労学生。「あんなに良い子が殺されてしまうなんて……」という近所のよく知らない人のインタビュー。百原あたりはそれなりに悲しんでくれるだろうか。

 そして唯一の親戚としてインタビューを平気で受けて作り泣きをするのだろう樟葉葉月。想像しただけでむかつきを覚えた。

「しまった。なんか死ねない理由が生えた」

「そう? じゃあやっぱり完全犯罪の方向性で勤しんだ方が良いのかしら」

「被害者としてはすっぱり諦める方向に行って欲しいところだが……」

「それは無理」

「そうですか」

 そうなんでしょうね。

「……進みが悪いわね。そんなんじゃテストの前に美術で居残り喰らうわよ」

 稲荷が紅葉の絵を覗き込んでそう言った。

「話しかけておいて……まあ仕上げでがーっと描くから大丈夫だよ」

「ふーん」

「そういう稲荷はどのくらい進んでいるんだよ?」

「見せられないわ」

「人のを見といて……」

「見せられないと言ったら見せられないしぶっちゃけ没ね、これ。紙もう一枚あったかしら」

「そんなに失敗したのか?」

「見せられないったら」

 稲荷葉竹は紅葉限から絵を隠すためにキャンバスを胸にかき抱いた。

「そんな風に押し当てたら制服が鉛筆で汚れるぞ」

「ああっ!?」

 失念していたらしく稲荷が絵を慌てて離す。

 ずいぶんとかわいらしいところもあるものだ。

 そして絵が見えた。

「……なるほど」

 稲荷葉竹の絵にはピロティの真ん中でうたた寝をする紅葉限の姿が描き込まれていた。

 死体を描くんじゃなかったのかとつっこみたくなるくらい、そこには寝ているにもかかわらず生き生きとした人間が描かれていた。

「……見たわね」

 稲荷は顔を真っ赤にした。

「見えちゃったね」

「紫の鏡……」

「呪殺は諦めるって言っただろう……」

 だいたいそれが効くのは5年後だ。

「鈍器で頭を叩けば記憶が飛ぶついでに死んだりしないかしら……」

「当たり所が悪ければそうなるだろうけどさあ……」

「やっぱりバレーのポールを使って脳震盪を……」

「あれ稲荷がひとりで持ち上げるの無理だろう」

 あのあと試してみたけど紅葉ですらひとりでは無理だった。

「そうなのよね……他人を巻き込むのは本意ではないし……」

 ぶつぶつと稲荷葉竹はそう言った。

 他人の枠に入っていないらしい紅葉限はただため息をついた。

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