第13話 稲荷葉竹は勤勉にも紅葉限のことを好きすぎる
紅葉限がアパートの自室から登校のために外出すると目の下に隈ができた稲荷葉竹がそこにはいた。
「おはよう」
「おはようございます」
今朝の稲荷は目に見えて元気がなかった。
「……なあ丑の刻参りって何回やるんだ?」
「1週間やると聞いているわ」
「この生活1週間続けられるのか?」
「……どうかしら……寝て起きて紅葉は体に異変はあった?」
「元気そのものだな」
稲荷葉竹は腕を組んでしばらくうなった。
「……呪殺はやめます」
「賢明だな」
「テスト期間前に始めることではなかったわ」
今夜はゆっくり眠れそうであった。
「今日の放課後はバイトだったわね」
「ああ」
「では今日は次の殺し方について検討する日にしましょう」
「……それ楽しいのか?」
「とても苦痛よ」
「やめよう、今すぐ」
「仕方ないでしょう。あなたのことを好きになってしまったのが私の運の尽きよ」
「そして君に好かれたのが俺の運の尽きだな……」
「いいえ」
稲荷は大真面目な顔をして紅葉の言葉を否定した。
「運ではなくて人生の尽きよ」
「何お前もうテスト勉強しているの?」
2時限目と3時限目の間の休み時間。百原が後ろから紅葉の手元を見て驚いた。
「あー、俺成績あんまり良くないし」
「偉いなあ。俺もちょっとは頑張るか……というか何そのシート」
「ええと……高校受験の時に家庭教師してくれた人が作ったシート」
「へー頑張ったんだ?」
「百原の成績は?」
「俺たぶん普通。高校受験も行けるとこ選んだ感じだし。通学時間はちょっとかかるけど寄り道できるしトータルでまあ良いかって感じ」
「ということは間違いなく俺よりはいいな」
「うちのクラスで頭良いって言ったら稲荷さんかな?」
「……まあそうだろうな」
稲荷葉竹の頭の良さはすでに百原には知れ渡っているらしい。
「稲荷さん中学が二中ってことは近所だよな?」
「ん。それ誰から聞いた?」
「
「ふうん……」
水野
小中学が同じだった人間はこの高校に何人かいるがクラスは同じではない。
何にせよそろそろ稲荷と紅葉の旧交事情を隠すのも限界なのかもしれない。
稲荷は底のところをどう考えているのだろうか。
「紅葉も近所だっけ?」
「うん。中学でいっしょだったよ稲荷葉竹も水野楓も」
水野楓の記憶は転校生だったという以外のことを正直あまり覚えていないが、稲荷葉竹のことはよく覚えている。
今とはまるで違ったと言うことをよく覚えている。
放課後、バイト上がり、紅葉のケイタイに珍しく稲荷からメールが入っていた。
『特売 タマゴ 確保。来い 我が家』
「何故カタコト」
どちらにしても特売品の入手はありがたい。さすがに市販のタマゴに何か仕込むようなことはしないだろう。そう思いたい。
「お邪魔しまーす……うわあ」
稲荷葉竹の家の中には本が山積みになっていた。
読書家ではない紅葉限が読み切ろうと思ったら夏休みいっぱいあっても足りなそうな量の本だった。
「いったい何を……殺人事件?」
手近にある文庫本の物騒なタイトルに紅葉は顔をしかめた。
「古今東西ミステリー小説の名作を集めてみたわ。殺人計画のインスピレーションが湧くことを祈って」
「……殺人計画を実行に移す前にきちんと処分しような? 推理小説に影響された殺人か!? とかなったら小説家の先生方に迷惑がかかるから」
「はいはい」
「参考にはなったのか?」
「微妙ね。ああいや物語は面白いのよ?」
「殺しのために読んでる人間にそんなフォローを入れられても別に小説家の先生たちも嬉しくないだろうけどな……」
「たとえばミステリーの定番で密室殺人ってあるじゃない? でもこれこのアパートじゃ何の意味もないのよね」
そう言いながら稲荷は立ち上がり玄関口に向かう。
紅葉が入った後開けっ放しにしていたアパートのドアの鍵を施錠した後、ドアノブを何度か乱暴に揺さぶった。
ガチャリ、と解錠される音がした。
「このように密室にしようにも簡単に鍵の開け閉めができてしまうのがこのオンボロアパートよ」
「とんでもないセキュリティホールが……」
紅葉にもちょっとした衝撃だった。
ボロいボロいとは思っていたがここまでだったとは。
「私は先日この手口であなたの家に侵入したのだけど……」
「デートの日の朝のあれはそれか!?」
鍵を閉めたか自信はなかったが自分はちゃんと閉めていたらしい。
「防犯を意識するならチェーンはしっかりつけた方が良いわね」
「そうだな参考にするよ……とりあえずタマゴありがとう」
「どういたしまして……それにしてもすごかったわ今日のスーパー」
「へー?」
「ありとあらゆる食品の特売日だったのよ」
稲荷はげっそりとした顔をしていた。
「なんとカートが出払っていたの……」
「怖っ……」
戦場じゃないか。
「子供が泣いていたわ……カートに乗りたいって……私なんかもういたたまれなくて私がカートになりましょうか? って危うく聞くところだったわ……」
「それだけの優しさを何故俺に向けられない……?」
「タマゴを買ってきてあげたでしょ」
「それは本当にありがたいけど……」
「ああ、そうだ今週末の夕飯は蟹よ。お父さんの親戚が贈ってくるらしいわ。あなたにアレルギーでもあれば簡単に殺せるのにねえ」
「花粉症すらないからな俺」
「アレルギーが殺害方法ってミステリーにもけっこうあるのよね。たとえばこの……」
「こらこらネタバレはやめろ」
翌日、稲荷葉竹は学校でもミステリー小説を読んでいた。
これでは稲荷の紅葉への殺人が成功してさらに露見したとき「そんな子だとは思いませんでした……でもそういえば最近ミステリー小説ばかり読んでいたような」みたいな言説が流れてしまうのではないか、紅葉限は気をもんだ。
もちろん紅葉が殺されないように最善の努力を尽くせば良いのだが。
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