第12話 稲荷葉竹は呪い殺すほど紅葉限のことを好きすぎる(下)

 深夜、丑の刻と呼ばれる時刻。

 紅葉限は隣室のゴソゴソという物音で目を覚ました。

 稲荷葉竹は本当に丑の刻参りやるつもりなのか。

 というかどこまで本気なのだろうか。

 今時、こっくりさんだって学校でも流行らないというのに。


 紅葉限の寝間着はTシャツにジャージ。出かけようと思えばすぐにでも出かけられるかっこうである。

 しばらく耳を澄ましていると稲荷が外に出るためにドアを開ける音がした。

 紅葉が仕方なく布団から出て、外に出るためドアを開けるとそこには白いノースリーブのワンピースを着てポシェットを下げた稲荷葉竹が立っていた。

「うわ!?」

「こんな深夜にご近所迷惑な大声を出すのはやめなさい」

「君こそ深夜に外に出るのをやめろ。世の中は意外と物騒なんだぞ」

「丑の刻参りを深夜以外のいつ行えと言うの」

「というかなんでそこにいる……ビックリ死にでもさせるつもりか?」

「大切なことを忘れていたのよ」

「大切なこと?」

「頭髪を寄越しなさい」

「ああ……」

 たしか藁人形に入れるのに必要なのだったか。

 口で抵抗しても無理矢理むしられそうだったので紅葉はおとなしく頭髪を適当に引っこ抜いた。

「……禿げる心配とかしないのね」

「まあ幸い親父はふさふさのまま死んだから……」

「ふーん? そういえば頭髪の遺伝は母方の祖父からって噂は本当なのかしらね? どちらにしても危機感は大切だと思うけど……しかし短くて取り扱いにくいわね」

「そんな文句を言われても……」

 稲荷は用意していたらしい藁人形に、手間取りながらも紅葉の頭髪を収納した。

 そのままふたりはアパートの外付け階段を下り、夜道に繰り出した。


「なんか丑の刻参りってハチマキにろうそく巻いてるイメージあるんだけどそれはしないのか?」

 なんとなく紅葉は稲荷のかっこうを眺めて気になった点を指摘した。

「だって火事が怖いじゃない」

「そうですか」

 今まで散々危ない橋を渡ってきた人間の言うことか?

「知ってる? あのアパート火災保険にちゃんと入っていないのよ」

「そうなんだ……」

 生まれたときから暮らしてたけど知らなかった。なかなか恐ろしい事実だった。

「つまり放火は考えてないんだ?」

「犯行がばれたときの賠償金が怖すぎるからね……そもそも我が家にはマッチもライターも点火棒もないし……」

「うちの線香用のマッチ貸すか?」

 紅葉家には仏壇がある。こちらは父の死に新調したものではなく代々のものである。狭い部屋をなかなか圧迫している。

「ろうそく用意してないし髪の毛が焼けたら嫌だからいいわ」

「人には髪の毛を引っこ抜かせておいて……」

「髪は女の命よ」

「お父さんのシャンプーで洗っておいて?」

「紅葉……引きずっていたのね……」

「別に引きずってはいない」

 ちょっと衝撃が大きすぎただけだ。

「参考までに聞くけど紅葉は女の髪をどう思っているのかしら」

「参考……? いやまあきれいにしてるに越したことはないだろうけど……それ以外は別に……」

「好みの髪型とかないの? ツインテールとか?」

「仮に稲荷が明日からツインテールで登校を始めたらさすがに今までのイメージ総崩れだと思うぞ」

「似合わないと言いたいのね」

「いやそれに関してはちょっと俺の想像力は著しく欠如しているので本当に分からん」

 ツインテールの稲荷葉竹は本当に想像もつかなかった。

「というかまず女の髪型の種類がよく分からない……ボブってなんだセミロングってどのレベルだ」

「そういう風に改めて聞かれると私もわりと困るわね。ファッションの世界は広大だから……」

 稲荷は腕組みをした。

「分かりました。質問の仕方を変えましょう。長いのと短いのどっちが好き?」

「邪魔にならない程度ならどっちでも」

「巻いているのとストレートどっちが好き?」

「どっちでもいいな」

「髪の色は?」

「うちは染色は校則で禁止だろ」

「人生は長いのよ紅葉限。大学生にでもなったら染め放題よ」

「俺の人生を今すぐか遅くても二十歳には終わらそうとしている人間が言うことか」

「その時には私は大好きなあなたが好きだと言ってくれた髪型で生きていくから……」

「重たいな……」

 そしてその生き方が許されるのは好きな男が病死や不慮の事故で死んだ場合であって自分で殺した場合ではないと思う。


「ついたわ」

 稲荷葉竹に導かれるまま到着したのは近所の公園だった。

「神社とかじゃないんだな……」

「石段を登るのがたるいからね」

 いちばん近所の神社は高台にある。

「丑の刻参りは他人に見られると効力を失うそうだけど呪う対象って他人に入るのかしら……?」

「知らん……」

「まあどうせ帰れって言っても帰らないんでしょ」

「まあ帰らないけど……ろうそくもないし雑だな呪殺」

「ふん」

 稲荷はずんずんと公園を進み一つの大木の前で立ち止まった。

「失礼します」

 稲荷は木に向かって丁寧にそう言って、藁人形と五寸釘そして金槌をポシェットから取り出した。

「うらめしや~」

 呪いの言葉はそれでいいのだろうか。

「……いや別に恨めしいわけではないのよね……」

 ブツブツと口の中で呟きながら稲荷葉竹は藁人形を木に向かって打ち付けていく。

「手……足……心臓……うりゃっ! うりゃっ!」


 紅葉限には丑の刻参りにはもっと鬼気迫る恐ろしい悪夢のようなイメージがあった。

 しかし小学生からの幼馴染みが自分を呪い殺すために汗水垂らして藁人形を打ち付ける姿はあまりに滑稽だった。

 紫の鏡と書かれた紙のどっちが滑稽だろうか、紅葉はそんなことをぼんやりと考えた。

「……」

「うりゃっ! うりゃっ! 痛っ!?」

「大丈夫か!?」

 稲荷が金槌で指を叩いて涙目になった。

「これが……人を呪わば二ツ穴……!」

「そうかな……?」

 ただの事故だよこれは。

「はくしゅん」

 指を叩いたことで集中力が完全に切れたらしい。稲荷は小さくクシャミをした。

 季節は5月。夜はまだまだ冷える。ノースリーブのワンピースが季節でないことくらいはファッションに疎い紅葉にも分かる。

「ほら」

 紅葉は寝間着のジャージを脱いで稲荷に差し出した。

「……」

 稲荷は無言で受け取り、モゾモゾとジャージを羽織った。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 紅葉のジャージは稲荷には大きく、白いワンピースと相まってだいぶ不格好だった。

「紅葉、体調はどうかしら。手足心臓頭に異常とか……」

「頭はちょっと痛い」

 物理的な意味ではなく。慣用句的な意味で。

「功を奏した!」

「いや、奏してはいない」

「じゃあ帰りましょうか」

「うん」

 それがいい。

「星が綺麗ね」

「そうだね」

 それはとても丑の刻参りの帰りとは思えないような会話と景色だった。

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