第11話 稲荷葉竹は呪い殺すほど紅葉限のことを好きすぎる(上)
「今日は呪殺を試みます」
週のあけた月曜日、紅葉限のバイトのない放課後。人気の少ない図書館で稲荷葉竹は高らかに宣言した。
「いやテスト勉強をしようよ……」
来週の末にはもう中間テストがある。もう少し高校のランクを上げられたにもかかわらず家の近所だからという理由で進学先を選んだ稲荷にとっては高校のテストも余裕だろうが、紅葉はそうもいかない。
紅葉の成績はよくはない。今の高校は中学3年生の稲荷に「あなたでも必死で勉強すれば入れるレベルの高校を私は志望してあげるからあなたは死ぬ気で勉強しなさい」と言い渡され、筮に家庭教師を頼んで持てる時間すべてを費やして勉強してなんとか入れた高校だ。
当時の稲荷はまだ「紅葉のことを殺す」などと物騒なことは言っていなかった。さらに言うと「紅葉のことを好きだ」とも言っていなかったが。今となっては懐かしい平常だった頃の稲荷だ。
テストの結果が振るわず赤点になると補習が生じる。補習になるとバイト時間が減る。バイト時間が減ると収入が減る。非正規の借金をなかなか不法な金利で負っている紅葉限には時は金なりの言葉が重い。
「親父の墓も作ってやりたいしな……」
葬式代はなんとか樟葉葉月から借りた紅葉だったが、さすがに墓代までは借りられなかった。そのため父の骨壷はまだ押し入れにあるのだ。父と自分とで半分ずつ使っていた押し入れ、その父のスペース側に父の骨壺は安置されている。
「お墓はともかく、あんな書面にも残っていない借金は踏み倒してしまえば良いのよ」
「それはこう……俺の心が許さなくて……」
「相手は樟葉葉月よ。あの男に対して義理もクソもないわ」
「クソって」
もう少し穏当な言葉使いをしてほしい。
「あなたのそれは律儀なんかじゃない。無理矢理悪い方向へ行く癖があるだけだわ。とてもよくない。破滅への道よ。改めた方が良い」
稲荷葉竹は紅葉限を殺そうとしている自分のことを棚に上げて、珍しく真面目にそう言った。
「と言うわけで呪殺をします」
「と言うわけでって何」
「ちなみに呪いは法においては脅迫罪にしかならないという判例があるので呪殺が成功した暁には私は殺人において完全犯罪を成し遂げたと言えるようになります」
「そりゃすごい」
「まずはこれです」
稲荷葉竹が取り出したのは便箋に入ったお手紙だった。
「……不幸の手紙か?」
「読めば分かるわ」
「読まないと言ったら?」
「次の手を繰り出すわ……具体的にはこの五寸釘をあなたの眉間に突き刺す」
「それもう物理!」
呪殺を諦めるのが早すぎる。
そしてそんな危険物を学校に持ってくるな。
「というかその五寸釘、丑の刻参り用だろ。そんな遅い時間に出かけようとするなら声をかけてくれよ、夜道は危険だからな」
「呪う相手といっしょに丑の刻参りに行くとか丑の刻参り史の中でも前代未聞なんじゃないかしら……」
「そんな史は知らんが、前代未聞でも何でもいいから声はかけろよ?」
「別にわざわざ声をかけなくても音で分かるでしょう。壁が薄いんだからあのアパート……」
オンボロアパートでは紅葉の立てる音が稲荷に筒抜けであると同時に、稲荷の立てる音も紅葉には筒抜けだ。どうやら耳を澄ましているらしい稲荷と違って紅葉はなるべく聞かないように努めてはいる。
手紙の中から刃物が飛び出してくるというたぐいのトラップを警戒し紅葉は手紙の重さを確かめるが、その中には紙が一枚入っているだけのようだった。
「……えーと」
文面はとても短かった。
『紫の鏡』
「気が長すぎる」
たしかこれは小学生くらいに流行ったやつだ。この言葉を二十歳になるときまでに覚えていたら死んでしまうとかそういう呪いの言葉だった気がする。
「俺まだ15歳だぞ……」
5年も待つ気か。
「石の上にも三年。桃栗三年柿八年。柿よりは短いわ」
「石と桃と栗よりは長いだろ」
「一年は岩をも通す、よ」
「それ一念だろう……?」
たしか受験の時に筮に習った気がする。
「頼むから、テスト勉強を、させてくれ」
紅葉は渾身の思いで懇願した。
「あなたがそこまで言うならそうね……カンニングをして社会的に抹殺されるというのはどうかしら」
「何がそこまでなのかは分からないが、たぶんだけど学校内テストのカンニングではそこまで致命的な傷は負えないと思う」
そしてカンニングをするくらいならおとなしく補習を受ける。
紅葉はそういうタイプの人間である。
「仕方ないわね……はいどうぞ」
稲荷は鞄から何やらペラ紙を取り出してきた。
「何だこれ」
「稲荷筮謹製。これさえ押さえておけば良い点取れるシート。高校1年1学期中間編。これさえあれば私の暗殺計画に付き合っていてもあなたの頭でも合格点が取れるわ!」
「さっすがー」
きょうだい揃って紅葉を殺すことにぬかりがないというか余念がないというか。
シートについては本当にありがたいのでいただくことにはした。
「筮にはお礼を言っておいてくれ」
「自分で言えば良いのに」
「筮との接触なんて週に一度でお腹いっぱいだよ」
紅葉は金曜日の筮との会話をなんとなく思い出しながらそう言う。
筮は稲荷の現在の心理について複数の仮説を立ててくれた。
しかし紅葉はそれを消化しきれていない。
途中で稲荷の横槍が入ったせいもあるが、あれはおそらく一種の宿題だ。
次に会うまでに深く考えておけ。稲荷筮はそういうやり口をするタイプの教師なのだ。
下校のチャイムが鳴り、稲荷と紅葉は何を言うでもなく持ち物を片付け、図書室を後にした。
階段を下りながら後ろを警戒する紅葉だったが今日の稲荷は何も仕掛けては来なかった。
今は物理ではなく呪殺に集中するつもりなのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます