第5話 稲荷葉竹は実家でも紅葉限のことを好きなのかよく分からない(中)

 夕食が終わると紅葉は筮に筮の部屋に誘われた。

 筮はよく紅葉に服のお下がりをくれる。

「まあそろそろ紅葉くんに身長は抜かされそうだけどねえ。お父さん似だよね紅葉くんは。すくすく育って。まあお母さんのことはよく知らないけど」

「……ちょっと話いいか?」

 筮がクローゼットから着なくなった服をぽいぽいとベッドに投げるのを床の座布団の上で見ながら紅葉は真剣な顔で訊ねた。

「葉竹ちゃんの体重なら今は50キロないよ。家にいるときは母さんが食べさせすぎてて独り暮らしするようになってからちょっとやせたから」

「それはどうでもいい! 筮は本当にデリカシーないな!?」

「女の子の体重がどうでもいいの? 本当に?」

「お、俺は体重で人を見るタイプではないので……」

「ふーん。まあ可愛い妹の片思いの相手がそういう良い子で筮は嬉しいよ」

「……話をしてもいいか?」

「どうぞどうぞ」

「稲荷はどうしてああなったんだ?」

 稲荷葉竹が外面の良い優等生なのは今に始まったことではない。家での家族に向けた淡々とした彼女も、学校での丁寧で人当たりのいい彼女も、紅葉限が知っている稲荷葉竹だ。

 しかし昔の稲荷は紅葉を殺そうとしてはいなかった。

「俺のことが好きだから俺のことを殺す……支離滅裂なことを言い出したのは高校入学後だ。稲荷に春休みの間に何かあったのか?」

「稲荷って言われるとややこしいから葉竹ちゃんと呼んで欲しいところだけどまあいいや。まず四つの可能性について分けて考えるべきだろうね」

「四つ……?」

「一つ、好きというのが本当の場合」

 筮は指を一本立てる。

「二つ、好きというのが嘘の場合」

 二本目の指が経つ。

「三つ、殺すというのが本当の場合」

 三本目。

「四つ、殺すというのが嘘の場合」

 四本目の指を立てて筮はベッドの上に腰掛けた。

「はいここで問題です。この四つの場合の組み合わせで考えられるのはいくつになるでしょうか」

「2かける2で4です、先生」

 稲荷筮は紅葉限の高校受験時の家庭教師だった。自分の勉強にもなるからと無償で引き受けてくれた。その頃の名残でたまにこういう風に問題を出してくる。そうすると紅葉は筮のことを自然と先生と呼んでしまう。

「数学的には正解。でも人間の心情的には外れです」

「引っかけ問題だ……」

「人の心というのは単純に100パーセントでは語れないからね。ほら葉竹ちゃんは大きなニンジンが嫌いだろう? でも細かく刻めば食べられる。ということはニンジンへの嫌いは100パーセントというわけではないんだ。分かる?」

「まあ言いたいことは」

「うんうん。まあでも物事を単純に考えるためにまずは・・・この四つで考えてみようか」

 この講義は長くなりそうだった。

「まず好きというのが本当で殺すというのも本当という場合。これが稲荷ちゃんが僕らに見せている態度」

 筮は再び指を一本立てながらしゃべり出す。

「でも君はこれに納得がいっていない。好きな人間を殺したいという感情が理解できない」

「稲荷はいろいろ言っているけど……人を殺すまでか、とは思う。なんというかそれほどの動機として認めがたい」

「うんうん。それが常識的思考だよね。紅葉くんは常識人だもんね。では二つ目、好きというのが嘘で殺すというのが本当の場合……これはわりと分かりやすいよね」

「嫌いなやつを殺したい……まあちょっと乱暴だけど理解はできなくはない」

 紅葉にだって「こいつ死なないかなあ」と思うくらいにむかついた相手はいる。

「この場合、好きという嘘をついているのはまあ納得できるんじゃない? 相手を油断させようとしているとか。なんだかんだ言って殺されはしないだろうと思わせるとか。好きを理由に接近しようとしてるとか」

「でも油断させたいなら殺すと宣言することがおかしいだろう」

「そうだねえ。じゃあ三つ目、好きというのが本当で殺すというのが嘘の場合……君にとってはいちばん望ましいパターンかな?」

「どうかな……」

 それは紅葉にとっていちばん都合の良いパターンでしかない。紅葉はそう思う。切に思う。

「でも稲荷、俺を殺そうとはしているぞ」

 幸い死には至っていないがまず階段から何度突き落とされそうになったか分からない。一番最初は何の警戒もしていない頃だったので普通に階段から落ちた。ただそのときは稲荷も突き落とすのに慣れていない頃だったので体重が乗っておらずちょっとこけるだけで済んだ。今では稲荷も慣れたもので紅葉が警戒して手すりを掴んでいなければ普通に死ぬだろう。

「ちょっかいをかけているだけかもしれないよ。ほら小学生が好きな子にいたずらしたくなるみたいな」

「いたずらの度合いを軽く超えているような……ところで今朝稲荷が筮に薬物の調達を頼んだって言ってたんだけど……」

「ああうん。致死量相当の某薬物なら管理の甘い研究室からこっそり盗み出したからいつでも使える状態だけど」

「やっぱり殺そうとしているだろう!? 殺人未遂罪が適用されなくとも窃盗罪は適用されるやつだよ! そして筮は手伝うのやめろよな!」

「可愛い妹の頼みを断れるような人間なら稲荷筮はこうして君に服を譲ったりしていないさ」

「それは本当に毎度のことながら感謝はしていますが……」

「それにほら薬物を手に入れてロミオとジュリエットごっこをしたがっているだけかもしれないし。おおロミオどうしてあなたはロミオなの一緒に死にましょう! ってね!」

「その場合でも俺たちを引き裂こうとする意思を持っている人間や状況に心当たりがないのですが」

「稲荷筮とか……」

「なるほど……」

 そうでしたか。そうでしょうね。

 稲荷筮は妹のこととなるといろいろと困った人間になる。

「だいたい研究室に保管されてるガチの薬物なんてなくてもスーパーで適当な洗剤買ってきて混ぜるだけで人は死ぬぜ?」

「それは一回やられました……」

 意識のあるうちに換気をし、稲荷ごと部屋の外に放り出して事なきを得た。その時はとりあえず好奇心旺盛な小学生みたいなことをするなと叱りつけておいた。

 あれが成功していたら稲荷も死んでいた。危なかった。

「そして最後、好きというのが嘘で殺すというのも嘘。これはまあなんとも空しすぎるパターンだね」

「嫌いだけれど殺すほどではない……これも心情は理解はできるが結局そんな嘘をつく理由が分からないパターンだな……」

 別に殺したくもないのにそうまでして嫌いな人間に近付くメリットがあるだろうか。紅葉だったら嫌いな人間はなるべく避ける。

「好きではない人間に軽微な嫌がらせをしたいというだけかもしれないね?」

「軽微とは?」

「ふふふ。さて紅葉くん四つのパターンをとりあえずで総ざらいしてみたけど……どのパターンが好み?」

「好みって……」

「人間というのは都合の良い解釈とともに生きていくことができる生き物だ。君が好みの解釈を選べば稲荷の行動を変えることなく都合の良い解釈と生きていけるんだよ」

「俺の好みは……」

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