第4話 稲荷葉竹は実家でも紅葉限のことを好きなのかよく分からない(上)
バイトを終えた
一週間に一回の家族の団らんに乱入するのは気の引けるものがあったが、稲荷の両親には父親の死後たいへんお世話になっていた。食事をいただくのは図々しいと思うが、誘いを断るのも申し訳ない。
稲荷家にはすでに稲荷一家が揃っていた。
紅葉はお客様だからという理由でお誕生日席を用意される。これにはいつも恐縮してしまうのだが稲荷家の人々は元々の定位置があるから気にするなと紅葉に言うのでそれにわざわざ反論することも出来ず紅葉はしぶしぶそこに座る。
紅葉から見て右側には稲荷の父その隣に稲荷の母、紅葉の左側には
稲荷の両親は当然ながら稲荷の紅葉に向けた殺意など知るよしもないので稲荷家での夕飯は警戒せずに食事が出来る機会のひとつだった。
「やあやあ紅葉君久しぶり。また背が伸びた? 育ち盛りでうらやましいね!」
陽気に真っ先に紅葉に声をかけたのは筮だった。すでにビール二本目をあけていた。
このビールは父親亡き後紅葉家に遺されていたもので扱いに困った未成年の紅葉から筮が譲り受けたものである。稲荷の父もビールは飲むが気に入っている銘柄ではなかったし稲荷の母は甘いお酒しか飲まない。稲荷はもちろん未成年なのでお酒は飲まない。
「どうも一週間ぶり」
毎週会っているのに久しぶりもなにもないだろう。言外にそう含みながら紅葉はそう返した。ちなみに背は確かに伸び続けている。父は190センチ近くあったのでなんとかそこまで伸びないか夢を見ている最中の紅葉であった。
稲荷の予想通り稲荷家の今日の晩ご飯はハンバーグだった。
当てずっぽうが当たったのか何か根拠でもあったのか
「葉竹から聞いたわ。この間のグラタンが美味しいって言ってくれたって。今度また作るわね」
稲荷の母は稲荷によく似た顔で、稲荷とはあまり似ていない穏やかな笑顔で紅葉にそう言った。
「ありがとうございます。おねがいします」
「ホワイトソースなら作り置きできるから持って帰らせることもできるんだけどあなたたちの家は冷凍庫ないものねえ」
稲荷の母はそう言ってため息をついた。料理をそれなりにするものにとって冷凍庫の有無はかなり大きいらしいと紅葉は稲荷家で夕食をいただくようになってから知った。
紅葉家の食環境は父親が生きていた頃は学校給食があるのだから栄養なんてなんとでもなるだろうという方針だった。それゆえ週5でスーパーの弁当週の内1日は外食、残りの1日は夏でも鍋という雑な食事をしていたので紅葉にとって料理の話は未知の言語のようなものだった。
「だから私が作るって」
稲荷は言葉少なにそう言った。稲荷は実家だと思春期の娘らしく口数が少なく無愛想になる。学校での優等生ぶりが嘘のような淡泊さだ。自分に向ける愛と殺意といい稲荷にはいくつ顔があるのか。紅葉はいつも分からなくなる。
「そうねえ。それならいいわねえ」
稲荷の母はニコニコと笑うが、紅葉は笑えない。食べ物を粗末にするなと毎度言っているし、結局本格的に粗末にしたことはない稲荷だったが、いつ強硬手段に出てくるか分からない。稲荷の手料理に何が仕込まれるか考えただけでも食欲が失せる。
稲荷は実家に帰ると家事の手伝いを一切しないのでその点でも今食べている夕食は安心である。
「学校の方は?」
言葉少なに稲荷の父が訊ねた。ご飯を食べながら淡々と話すものだから稲荷と紅葉と筮、誰に聞いているのか正直分からない。
しかし筮はビールに夢中で父の声など耳に入らなかったという雰囲気だし、稲荷も無表情で付け合わせのにんじんを細かく刻むのに没頭していた。稲荷は大きなにんじんが苦手でいつも細かくしてから食べている。
仕方ないので紅葉は答えることにした。
「ぼちぼちです」
とても雑な答えになったが稲荷の父は満足した様子でそうか、と言った。
「この時期だと体育はバレーとバスケかな? 体育教師の
聞いていなかったようで聞いていたらしい筮が立て板に水が流れるごとく質問を口にしていく。
「一気に聞かないで」
稲荷が冷たく返す。はたから見ていると家族団らんの雰囲気が悪くなりそうで怖いが稲荷の家族は娘の辛辣さを気にする様子もない。
紅葉は困りながらも筮に答える。
「女子がバレーで男子がバスケ。先生は相変わらず元気で赤ジャー」
「あの先生放任主義なのは良いけど雑だよねー」
「うん」
ふと紅葉はここで稲荷にポールの件を聞いてみるのはどうだろうかと思いついた。
稲荷がもちろんここであなたを殺そうとしていたと正直に答えないだろうが、適当な嘘をついてボロを出す可能性はある。
「……そういえば今日の体育の時間に稲荷はバレーのポールの重さを聞いていたよな」
余計なことをと言わんばかりにジロリと稲荷が紅葉を睨んでくる。
紅葉は目をそらす。
「カーボン製かアルミ製か、それより重い金属製かで全然違うはずだよ。カーボンなら25キロくらいだけど学校にある古い金属製の支柱なら50キロとかいくんじゃないかな」
「あら詳しいのね筮」
稲荷の母が驚いたような感心したような顔をする。
「昔、同級生のバレー部員があれ倒すときに頭ぶつけて救急搬送されてさあ。幸い命に別状はなかったんだけどその時に気になって調べたんだ」
それが古川の言っていた先輩だろうか。思いがけないつながりだった。
「そんな昔のことよく覚えてるのねえ」
稲荷の母はますます感心してみせる。
「昔からどうでも良いことばっかり覚えてるよね筮」
稲荷がとげとげしく言う。それが殺人計画に荷担させようとしているきょうだいへの態度か。
「まあね。で、葉竹ちゃんはなんでそんなことが気になったの? 筋トレでもしたくなった?」
「みんなでがんばって運んでるから私と支柱とどっちが重いか気になっただけ」
「ふーん。でどっちが重いの」
げしっと葉竹が筮の足を蹴った。
「こら葉竹お行儀! 筮もデリカシーのないこと聞かないの!」
稲荷の母がふたりを叱る。
稲荷の身長は160センチいかないくらいだ。人間の体重は雑に計算するなら身長マイナス110くらいが適正キロと聞いたことがある。支柱と同じ50キロあるかないかは微妙な体重ということだろうか。
「紅葉もよけいな計算しないで」
口に出していないはずの思考だったが表情から読み取られたらしい。稲荷がギロリとこちらを睨んだ。
稲荷の父がそんな家族の様子に小さく笑みを漏らした。
幸せそうな一家だと改めて紅葉は思った。
この幸せを壊さないためにも紅葉は稲荷葉竹に殺されるわけにはいかないのだった。
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