第3話 稲荷葉竹は学校では紅葉限のことを好きかは分からない(下)
弁当を片付けながら稲荷は立ち上がった。
「さてそろそろ移動しないと。着替えがあるものね」
「ああ」
ふたりは屋上から下りる階段を紅葉が下に稲荷が上に下り始めた。
「えいっ」
やけに可愛い声を出したと思えば稲荷が後ろから紅葉の背に飛び乗ってきた。
「ぐっ……」
予想はついていたので紅葉は手すりを万力込めて握りしめ踏ん張った。
一歩間違えれば転落して死んでいる。よい子も悪い子も真似してはいけない。
「事故死、本日も失敗」
淡々と実験結果を読み上げる研究者のような冷たい声が耳元でした。くすぐったかったが笑えない状況だった。
「なあ、これ俺の筋力次第で稲荷も死ぬよな?」
「それがどうしたというの」
心底疑問、そういう声がした。
「あなたを殺せるのなら私別に死んでも良いの。どうでもいい人間のために死ぬのはごめんだけどあなたはそうではないのだから。大好きな人なのだから」
「……とりあえず下りろ」
そろそろ階段が階下にたどりつく。
誰かに見られたらどんな噂を立てられるか分からない。
「はいはい。ところで紅葉今から私たちは体育のために着替えに行くわけだけど……女子の着替えを覗いて社会的に死ぬっていうのはどうかしら?」
「そのくらいなら目をつぶすよ……」
「覚悟が強すぎる……」
稲荷が引いた。引くんじゃない。
自分を省みろと紅葉は思った。
本日の体育は体育館で行われていた。体育は毎回、1年3組と1年4組で合同授業。女子はバレー男子はバスケ。体育館の真ん中にはボールを遮るためのネットが張られている。このネットがなければ紅葉は稲荷を警戒してスポーツを楽しむどころではなかっただろう。ネットに感謝である。
紅葉たちの担当体育教師は放任主義の先生で生徒たちは思い思いに球技を楽しんだりサボって歓談したりしていた。
紅葉が競技の合間にちらりと女子の方を見ると稲荷はフロアに体育座りをしながら何やらしげしげとバレーボールのネットを張っている金属の支柱を眺めていた。
鈍器で撲殺。そんな物騒な言葉が一瞬で紅葉の頭をよぎった。
しかしバレーボールの支柱は紅葉も授業で運んだことがあるがあれは女子の中でも平均的な筋力の稲荷がひとりで持てるようなものではない。誰かを巻き込むような殺人計画は稲荷的にはありなのだろうか? それとも何か仕掛けでも仕込むつもりだろうか。
思い悩んでいる紅葉に後方から声をかける男子がいた。
「紅葉、チーム入らない?」
そう誘いを掛けてきたのは同じクラスの
「うーん。入る」
稲荷の挙動は気になったが女子の方をジロジロ見ているのも体裁が悪く紅葉は嫌な予感を振り切るように競技に没頭することにした。
「よしっ。おーい、こっちも5人目ゲットしたぞー。ゲーム始めようぜ」
百原が待機していた体育やる気ある組に声をかける。
紅葉限は体を動かし少しだけ稲荷葉竹のことを忘れた。
事件は体育終了直前、そろそろ片付けに移行しようかというときに起きた。
「危ないよ! 稲荷さん!」
女子の声に紅葉は慌てて振り返った。
稲荷葉竹はひとりでバレーの支柱を持ち上げようとしていた。
何をしている。
稲荷に声をかけたのは名前は知らないが1年3組の女子だった。たしかバレー部に所属しているらしく体育が始まる前にキビキビと準備を率先して行っているのが見えた。
「重いからねこれ!?」
「ごめんなさい。どのくらい重いか興味があって……」
やはり撲殺をもくろんでいるのではないか。殊勝に謝っている稲荷の姿に紅葉は疑惑を深めた。
「どのくらい重いかというと昔先輩がポールを運ぶときに頭をぶつけて脳震盪で救急車を呼んだくらいだよ。一週間謹慎を食らったよ」
ガチの重さのやつだった。
「そう本当に重いのね……ごめんなさい」
「ううん。こっちこそ怒鳴っちゃってごめんね。でも本当に危ないから」
「分かるわ。自分の領域で危ないことをしている人間は放っておけないよね。ありがとう
そう言いながら支柱を見つめる稲荷の目には妙な熱が籠もっていた。
紅葉が6時限目をほぼ寝て過ごし放課後になった。
生徒たちが思い思いに部活に下校にと活動を慌ただしくする中、稲荷も紅葉をゆっくりと荷物をまとめ教室が閑散とした頃に稲荷は紅葉に近付いてきた。
「じゃあ今夜家族総出で待ってるからね」
「ああ」
「バイト気を付けて行ってらっしゃい」
「行ってきます……バイト先には来るなよ?」
稲荷は部活もバイトもしておらず、放課後はフリーなのでその気になればバイト中の紅葉に何か仕掛けてくることもできるはずだ。
「私はそこまで常識知らずじゃないわ」
「どの口が……?」
愛する人を殺そうとしている稲荷葉竹のいう常識とはなんなのか。紅葉限には疑問であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます