第8話 稲荷葉竹は休日でも紅葉限のことを好きすぎる(中)
紅葉限の警戒もむなしくポップコーンには何も仕込まれていなかった。
そのまま昼食にはファストフード店に向かった。ポップコーンを食べたばかりで腹のふくれている稲荷葉竹はデザートだけをつまんだ。紅葉は一番大きいハンバーガーを食べた。
「紅葉って漢字は紅茶の葉っぱを略したみたいに見えることない?」
「自分の名字にそんなことを感じたことはない。というか君は俺の名字をそんな風に思ってたのか……」
稲荷は肩をすくめた。ただ言ってみただけのようだった。
「映画を見て昼食を食べた。これでデートは解散か?」
「午前だけで解散なんて倦怠期のカップルみたいなこと言うわね」
稲荷はお代わりのコーヒーを啜りながらむくれた。
「つまりまだプランがあると」
「ええ、カラオケに行くわ」
「デートの鉄板だな」
もちろんデートの初心者である紅葉はデートの鉄板なんぞ紅葉は知らないのだが。
「ちゃんと割引券を用意してるからお金は心配しなくていいわ。なんと合計で普段のヒトカラよりは安く済むから私が全額出すし」
「稲荷、ヒトカラとかするんだ?」
そしてヒトカラとはそれほどお金がかかるのか。
「ヒトカラにどれくらいの別料金を課しているかはカラオケ店の立地にもよるわね。そしてヒトカラはあなたがバイトの休日はだいたいしてるの」
「へー」
「そうでもして暇をつぶさないとあなたを殺しに行きかねないから……」
「お気遣いどうも……?」
これは自分がお礼をしなければいけないことだろうかと疑問に思いながら紅葉はなんとなくそう言った。
カラオケ店に入るやいなや稲荷はバリバリのロックを大音量でかけた。
しかし歌うこともなく鞄の中からチラシを取りだして折りだした。
紅葉は別に歌いたい歌もなかったのでよく知らないロックに耳が痛いなと思いながら稲荷を見守った。
稲荷がチラシで折ったのは包丁の形だった。
やたらカラフルなことに目をつぶればなかなか造形がこっている。
芸術で美術を選択しているだけのことはある。
「……それを俺に突きたてた瞬間に本物の包丁になるとかそういう手品か?」
「今日は銃刀法を犯してはいないわ」
「今日はって何」
いつなら犯しているのだ。そしてそれは刀だけで済むのか? 銃まで持っていたりしないだろうな。
「私は映画館で映画もそっちのけで刺殺計画を練っていたのだけど……」
「映画に集中しろ。作ってる人に失礼だとは思わないのか」
「紅葉は変なところで律儀ね……」
稲荷は呆れた。呆れたいのはこちらの方である。
「ほら仮に正面から切りかかったとしても非力な私ではあなたに力で押し負けるでしょう?」
言いながら稲荷はチラシの包丁をゆっくりと紅葉に振りかざした。
紅葉は少し困ったがその腕を掴み抵抗する。
「このように非力で可哀想な私はなすすべもない」
「非力は百も承知だが可哀想とはいったい……?」
「かといって後ろから切りかかるのも抵抗の際のリスクが増し、こちらも怪我をしかねない……いえ、もちろん殺せるなら多少の怪我はいいのだけど殺せなかったのに怪我をするパターンは最悪だからね……紅葉は正面からの刃物への抵抗なら私に怪我をさせないように最善の注意を払うでしょうし」
「……」
本当に稲荷の自信というか紅葉への信頼はどこから出るのだろうか。
「というわけで映画館という闇に紛れた刺殺計画よ」
「完全犯罪をもくろんでるって言ったよな? 横から刺されてたら普通に隣のやつが疑われるだろう」
「そうね。でも完全犯罪はあくまでオマケだから」
稲荷は涼しい顔で言った。
「あなたを殺せるなら疑われるリスクは犯すわ」
「……で、刺殺計画を映画館で映画も見ずに練ってみた手応えはどうだったんだ?」
「映画館って意外と明るい」
稲荷は顔をしかめた。
「スクリーンの光が絶えずこちらに降り注ぎ不審な動きをしたらすぐあなたに気付かれると思う。ならホラー映画みたいな画面が暗い映画にすれば良いかとも思うけどそれはそれでシーンを選ばないと物音で気付かれそう」
「残念だったな」
「ええ残念」
と稲荷がため息をついたところでカラオケの小部屋のドアがノックされた。
「失礼いたします。ご注文のドリンクを……お持ちしました……」
店員がチラシの包丁を振り上げる稲荷とその腕を掴む紅葉を見て固まった。
百戦錬磨のベテラン店員もこの事態は初めて見たようで非常に困惑した顔をしたが、包丁が紙であることを確認できたのかすぐに表情をフラットに戻した。
「失礼いたしましたー」
ドリンクを手早く設置し紋切り型の台詞とともにそそくさと店員は部屋を去って行った。
「……新種のいちゃいちゃだと思われたかしら?」
「小学生並みの馬鹿だと思われたんじゃないか?」
「私は真剣だというのにね……ところで包丁に真剣って言葉は使えるのかしら?」
「どうだろうな。切れない包丁って存在意義ないしなあ……」
「私のお手製の紅葉殺したい
「そんなに愛着あったのそのチラシ包丁に!?」
そして何だその凄い名前は。
「殺したいという願いをその名に込められながら自分では決して紅葉を殺すことが出来ない創造主の願いに応えられない悲しき包丁よ」
「何やら壮大な物語が展開されている……?」
「そして来週には廃品回収に出される悲しき定め……」
「名前までつけておいて結局捨てるのか……」
もちろん取っておいてもしょうがないだろうけれども。
「と見せかけて中に刃物を仕込んでいるかもしれないわ」
「なんでそれをバラすんだ」
黙ってやれば良い奇襲になっただろうに。
「せいぜい夜道には気をつけることね!」
「昨夜、俺を夜道の護衛代わりにしていた人間の言うことか?」
どちらかというと稲荷の方が夜道には気をつけた方が良い、紅葉はそう思った。
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