第7話 稲荷葉竹は休日でも紅葉限のことを好きすぎる(上)
「おはようございます」
土曜日、自分の部屋で目を覚ました紅葉限に稲荷葉竹はそう言った。
「なんでいるの……」
怖いよ?
「鍵開いてたわよ」
「開けてたかな……」
開けてたかもしれない。自分はわりとそういう抜けているところがある。
「さあデートに行くわよ」
「なんで?」
「今日が恋人の日だからよ」
紅葉は新聞のセールスマンが置いていった卓上カレンダーを見る。そんなことは書いていない。
「私が制定した私のカレンダー上の恋人の日よ」
「すごい強引……というか俺たちまず恋人でもないよな」
「気付いてしまったわね」
ちっと稲荷が舌打ちをした。
「まあどうでもいいわ。恋人の日ではなくデートの日にしましょう。デートなら恋人でなくとも行けるし。さあデートに行くから顔を洗いなさい。着替えなさい。身なりを整えなさい。おしゃれをしなさい。髪をまとめなさい。しゃきっとしなさい」
「分かったから外に出てくれ……」
「あなたと私の仲でしょう!?」
「だからだよ!?」
殺そうとしてくる仲のような奴の前で着替えなんて出来るものか。
「……ていうか寝ているところに侵入できるならそこを狙って殺せば良いんじゃないか?」
紅葉はなんとなく疑問に思ったことをそのまま提案してしまった。
「まるで殺されたいかのような口ぶりね」
稲荷はちょっと呆れた顔をした。
「でもね、完全犯罪には準備が必要なのよ。心臓発作に見せかけて殺せるような機材や薬も今日はないし」
「待て、機材や薬がある日はあるってことか?」
あと完全犯罪をもくろんでいたのか?
階段の上から直接に突き落とすようなずさんさで?
「それにあなたの寝顔があんまりにもいとおしくて見とれてしまったの」
稲荷葉竹は珍しく満面の笑顔を照れながら見せてくれた。
ここだけ見れば完璧な美少女の完璧な発言に何故こいつはこのままでいられないのだろうと紅葉限はむなしく悲しんだ。
「……で、どこに行くんだ? 稲荷も知っての通り俺に金はないぞ。公園とかか?」
いったん稲荷を追い出して、言われるがままに身支度を終えて、朝食に買い置きの食パンをそのまま食べながら紅葉は稲荷に聞く。
ちなみに今日の服装は昨日筮にもらったばかりのこじゃれたものだ。
すぐに役に立つ日がくるとは服も筮もよろこんでいるだろう。
稲荷の服装もよく見れば普段より装飾が多い気がした。自分の服装にあまり興味のない紅葉にはもちろん稲荷の服装がどれほどオシャレなのかはよく分からない。
「そうね。公園も悪くないわね。砂場でお城でも建てる?」
いったい何歳児のデートだそれは。
「いや公園でのデートならキャッチボールするとかベンチに座って弁当食うとかだろ……?」
「紅葉は食べることばかり考えているわね……」
「そうでもないよ……というかキャッチボールとも言ったじゃん……」
「昨日からの私たちの会話を思い出すと5割くらいご飯の話してるのよね」
「朝と昼飯時と夕飯時に会うからだろ、それ」
「なるほど盲点だったわ」
「会話を思い出すついでに気付いてくれ」
「まあデート先は決まっているの。映画館よ」
「俺は金がないってば」
「前売券があるのよ」
稲荷が取り出したのはよくCMでやっている恋愛モノの邦画の前売券だった。
紅葉があまり興味のないタイプの映画だった。
稲荷もそこまで恋愛モノに興味はないと思っていたが、高校生にもなれば趣味嗜好も変わるのかもしれない。
「買ったのか?」
「筮にもらったの」
「筮が買ったのか?」
「筮ももらったんだって。なんか前売券についてくる特典目当てに何枚か買ったファンが留学とインターンと学業とバイトが重なってどうしても使いきれないからってお裾分けしてくれたんだって」
「へー」
大学生って忙しいんだな。
筮もそのくらい忙しいのだろうか。
いまいち筮が真面目に大学生をやっている姿が想像できない。
研究室から薬物を盗み出す姿しか想像できない。
「デートと言えば映画ですものね。漫画でよく読むわ」
「漫画って……理想のデートがそれとかでもないんだな……」
「当たり前でしょう」
稲荷は何故か胸を張った。
「私、デートなんて初めてだし」
「奇遇だな、俺もだよ」
紅葉と稲荷のアパートからバスに揺られて30分の距離にある映画館は休日と言うことで老若男女で賑わっていた。
スクリーンの正面からは外れた通路側の席に稲荷と紅葉は座った。
恋愛映画は意外と見れたものだった。
というか理由はよく分からないのだが爆発シーンとカーチェイスシーンと殺陣のシーンがあった。
テレビのCMを見て普通の恋愛映画だと思っていた紅葉はかなり驚いた。
「……最近の恋愛映画ってこういう感じなのか?」
「さあ……? 私も恋愛映画はあんまり見ないし……」
やっぱり稲荷も興味はなかったらしい。
たまたま前売券が手に入ったからこの映画を選択しただけのようだった。
「ところで紅葉ポップコーン食べる?」
「食べ終わらなかったのか?」
「こんなに多いとは思わなかったの。映画館に来るのも久しぶりだったからなんか音が出るものを食べるのも気が引けて進まなかったし……」
「そうか」
ロビーの長いすに稲荷と並んで座りながら紅葉はポップコーンを受け取る。
目の前を家族、友人、恋人。いろいろな関係の人々が通っていく。
しかしこの中に自分たちのような関係のものはいないだろうそう思いながら紅葉はポップコーンをいちいち警戒しながら口に運ぶ。
稲荷も横からポップコーンをつまむが紅葉よりテンポは遅い。
こうしていればふたりはただのカップルに見えるだろう。
実態は稲荷葉竹の片思いで、付き合っているどころか紅葉限は殺されようとしているのだが。
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