てっくんはおじいちゃんの軽トラックに乗って、ぐねぐねの山道を登っていきます。途中木々の間からチラチラと青い海が見えました。てっくんは軽トラックの窓ガラスに頬っぺたを押しつけて、外の景色を眺めます。
「どうせなら、後ろに乗りたかったなあ」
てっくんは唇を尖らせて、恨めしそうに呟きます。荷台に乗りたいと、ねだったですが、おじいちゃんに直ぐに却下されてしまいました。
「荷台は人が乗るところじゃないからなあ」
「そっかあ」
てっくんは不満を吐き出すように窓ガラスに息を吹きかけ、白くなったところを上から指でなぞりました。
おじいちゃんの家に着くと、てっくんは軽トラックから飛び降りて、開いていた縁側から侵入しました。おじいちゃんの家は平屋の日本家屋で、部屋には畳の上にい草ラグが敷いてあります。てっくんがラグの上に寝転がって天井の奇妙な木目を観察していると、視界におじいちゃんが現れました。
「てつ。靴はどうした?」
「靴?」
てっくんは振り上げた自分の足を見ました。薄汚れた小さな足は靴下さえ履いていません。
「あれ? いつから履いてなかったんだろ。どこかで、なくしちゃったのかな?」
「そうか。ならてつ、お腹空いていないか? 一人でここまで来たんだろう」
「ううん。今なんだかとてもお腹いっぱいなんだ」
「そうか」
おじいちゃんはそれだけ呟いて、てっくんの隣で、あぐらをかきました。
「てつ。相談は何だ?」
「あ、えと、あのね。お母さんが、前から帰って来なくなっちゃったんだ。たぶんてっくんが悪いことをしたから。だからね、どうやったら帰って来てくれるか、教えてほしくって」
「おじいちゃんはてつが悪いことをしたからって、お母さんはいなくなったりしないと思うぞ」
「うーん、だけど、牛乳こぼしちゃったし。その前だって、お皿割っちゃったし、保育園からダンゴムシを持って帰って来たときだって、お母さん黙ってごみ箱に捨てちゃったんだもん。きっと、今までのことでてっくんのこと嫌いになっちゃったんだよ」
「てつ…………本当にそんな風に思ってるのか?」
「え?」
「お母さんは大人なんだぞ。そんなことで嫌いになったりしないさ。ただ仕事で疲れてしまうことがあるだけで、本当はてつのことを愛してるよ」
「そしたら、どうして帰って来ないの? てっくんのこと、嫌いになったからじゃないの?」
「いいや、お母さんは……お母さんは今少し遠いところにお仕事に行ってるんだ。あまりに急用でてっくんを迎えにいく時間がなかっただけだ」
「本当に? 本当に!」
「ああ、そうだとも」
「そっか、よかった」
てっくんは胸を撫で下ろして、切れ長の瞳がたれ目になるほど微笑みました。
それから少しゴロゴロ転がって遊んだてっくんは庭に出ました。おじいちゃんの家の周りには、他に家はありません。小さな畑と昔、犬が住んでいたであろう犬小屋がぽつんと置いてあるだけです。てっくんは裸足のまま畑にかけよりました。
「おじいちゃん! おじいちゃん! とまと!」
てっくんはキラキラと太陽の光を反射して輝く赤い宝石を指差しました。おじいちゃんも後ろからついてきてくれています。
「収穫してみるか?」
「うん!」
手のひらよりも大きく、酷く赤いトマトです。おじいちゃんが、切り落としたトマトを受け取ろうとします。しかし、トマトが手に触れた瞬間、殴られたような激痛が走って、トマトを落としてしまいました。そのまま踞ってしまいます。痛くなったのは、背中や頬なので、触れたトマトは関係ないようでした。心配そうにおじいちゃんが背中を撫でてきます。
「どうした、てつ」
「痛い。すごく痛い」
しばらくすると、痛みは引いていきました。ついには、さっきの痛みが嘘のように消えてしまいました。てっくんは深呼吸をして立ちあがります。
「もうなんともないのか?」
「うん。ごめんなさい。とまと落としちゃった」
てっくんは落としたトマトに視線を落とします。トマトに土がついてしまいました。
「なに、気にすることない。洗えば、綺麗になる」
おじいちゃんは落ちたトマトを拾ってくれます。
「てつ、今日はもう休んだほうがいいんじゃないか? きっと少し疲れたんだ」
「うん、じゃあそうする」
てっくんはとぼとぼと家に向かって歩いていきます。
「てっくん」
おじいちゃんに呼び止められて、振り向くとおじいちゃんはホースを持って立っていました。
「畑に入ったんだから足を洗わなきゃな」
てっくんの足は泥だらけです。畑の土はおじいちゃんが水をやったのか、湿気っていました。
「わかったー」
てっくんは縁側に腰かけて、おじいちゃんに足を差し出します。その足に水をかけておじいちゃんが洗ってくれます。しかし、また直ぐに異変が起こりました。喉が焼けるように渇き、体が蒸されたように暑くなりました。肺まで苦しくなってきます。肩で息をし始めたてっくんの異変に気づいたおじいちゃんが、直ぐさま水をかけるのをやめました。
「てつ! 大丈夫か?」
おじいちゃんはてっくんの肩を揺さぶりました。時間が経つと、てっくんまた苦痛から解放されます。何が何だか判らずてっくんは混乱しました。恐ろしささえ感じました。それはもがき続けても永久に脱け出せない苦しみに追われるような恐怖です。
「おじいちゃん、怖いよ。なんにもしてないのに、苦しくなる」
てっくんは泣きたくなりました。これまでお母さんを気遣って泣き言を言ったり、泣いたことはありませんでした。沢山辛いことがあっても我慢してきました。でも、限界でした。
「…………てっくん」
おじいちゃんも顔を歪ませて、苦しそうな表情を作ります。そして、何か言いたげに口を開いて、閉じてしまいます。おじいちゃんは何かを言い淀んでいるようでした。するとおじいちゃんはまた、口を開きました。
「ごめんな、てつ。何もしてあげられなくて」
てっくんはその言葉を聞いて、ハッとしました。おじいちゃんを心配させてしまったのです。おじいちゃんは何も悪くありません。それにお医者さんでもないおじいちゃんがどうにかできるはずもないのです。てっくんは無茶なことを言ったと、反省しました。
「おじいちゃん……もう大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい」
そう言っておじいちゃんに微笑みかけました。安心させてあげようと言った言葉のはずでしたが、おじいちゃんはいっそう苦しそうな表情になってしまいました。
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