てっくんはおもちゃ売り場を離れ、一階に下りてきました。一階は食品売り場とは違うフロアの家電製品売り場となっていました。大型のテレビがいくつも並んでいます。てっくんはその前を素通りして、外に出ようとしますが、いくつかの番組が流れているなかで、一つだけ目にとまりました。
「お母さん?」
見覚えのある顔がテレビに映し出されていました。見間違いかと、一瞬自分の目を疑いましたが、間違いなくお母さんでした。
「お、お母さんだ!」
てっくんは画面にかぶりつきます。お母さんはテレビで出演しているわけではなく、写真で紹介されているようでした。その下に文字で何やら補足されていますが、てっくんには読めません。いったい何なのだろうと、頭を悩ませていると、画面が切り替わり、動物園の映像が流れ始めます。二度とお母さんの写真は映されませんでした。
てっくんはショッピングセンターを諦めて、外に出ました。一人で遠くまで来たことがなかったので、もうくたくたです。日が沈みかけて、空がオレンジ色になっています。暗くなる前に、家に帰らなくては危険だと、てっくんは判断しました。もしかしたら家にお母さんが帰って来ているかもしれないと、淡い期待を抱きながら、てっくんは行きに乗ってきたバスと同じ色のバスに乗り込みます。行きと同じ座席に座ろうとすると、キリンのシートには別の子が座っていました。その隣にはちゃんとその子のお母さんもいます。てっくんはうつむいて、その隣を通りすぎて、一番奥の座席に座ります。そして、小さくため息を一つ。やはりおもちゃ売り場の子もバスの子もお母さんと一緒です。一人なのは自分だけ。一人だけ、取り残されてしまったような孤独を感じます。てっくんはどっぷり背もたれに身を預け、窓の外を見ました。そこには知っているようで、別世界にある町の景色が写っていました。その記憶を最後に、てっくんの意識は遠のいていきました。
ガタンッと、穴にはまったような衝撃を感じて、てっくんは飛び起きました。お家ではありません。バスです。どういうこっちゃあと、目を瞬かせると、昨日のことを思い出しました。うっかりバスの中で眠ってしまったようなのです。窓の外を見ると、てっくんの住んでいた町とは、まるで違う景色が、広がっていました。キラキラと輝く朝の光でいっぱいです。てっくんは放心状態ならずにはいられませんでした。どうやらバスで一夜を明かしてしまったようです。いわゆる “ヤバい” 状況になったと、てっくんの胸は早鐘を打ち、不安を覚えます。このままではお家に帰ることができません。すると、視界の端に青いものが走りました。海です。辺り一面、てっくんの好きな青だらけです。束の間、おぉと感嘆の声をあげ、不安を忘れて見入ります。この景色をどこかで見たことがあったような気がします。てっくんが回想しようとすると、バスが音もなく停車しました。バスの中にてっくん以外、お客さんはいません。乗ってくる人もいません。てっくんは静寂による圧力に負けて、無意識のうちにバスから降りました。バスはてっくんが降りると、ぶおーと音を出して、去っていきました。てっくんは一人取り残されてしまいました。そこは山と海に挟まれている場所でした。海側のガードレールの向こうは断崖絶壁で、岩に波がぶつかって、水しぶきをあげています。反対側は木がたくさん生えていて、それが木陰を作ってくれています。みーんみーんと五月蠅い蝉の声と波の打ち付ける音で周りは決して静かではないのに、てっくんにはここが酷く静かに感じました。
とりあえず、てっくんは歩き始めました。どこに行けばいいのかもわかりませんが、自然と足は歩き始めます。坂道の上へ上へと登っていきます。てっくん進む道のコンクリートは所々割れ、穴が空いているところもありますが、その隙間から草が生えていました。
てっくんの背中を押すように後ろから風が吹いてきます。てっくんの足取りはさらに軽くなります。軽くスキップでも交えて見ようと思ったとき、茶色いふわふわが茂みの中で動いているのを見ました。なんだろうと気になって近づいてみると、それは赤いお尻のお猿さんでした。絵本で、幾度か見たのですが、本物のお猿さんを見たのは始めてでした。てっくんがお猿さんを見つめていると、お猿さんが振り返りました。すると、お猿さんは犬歯と敵意を剝き出しにして、キィーと甲高い声で叫びました。てっくんはびっくりしてお猿さんに背を向けて走りました。振り向くとお猿さんはてっくんを追いかけきていました。てっくんの背筋を戦慄が走りました。何をされるのかはわかりませんが、追いつかれたくありません。てっくんは保育園でかけっこをしたときよりも速く走りましたが、そのせいもあり、躓いて転んでしまいました。
追い付かれると思ったとき、バンッ! と、鉄砲の音がしました。てっくんも驚きましたが、お猿さんはもっと驚きました。お猿さんは赤いお尻を向けて逃げていきます。てっくんは顔を上げました。そこには中年の男の人が爆竹ピストルを持って立っていました。てっくんは思わず顔をほころばせました。
「おじいちゃん!」
てっくんが名前を呼ぶとおじいちゃんは吃驚したように目を見開いて、てっくんを見つめましたが、すぐに視線を逸らしてしまいました。
「これはたまげたな。こんなところにてつがいるはずがないのに……俺も歳をとったか」
おじいちゃんは困ったように手を頭にあてて、顔を歪ませています。
「おじいちゃん、てっくんだよ!」
てっくんはおじいちゃんに飛び付きました。おじいちゃんは少し後ずさって、あ、ああ、と声を漏らすばかりです。てっくんは不思議そうにおじいちゃんを見上げました。様子が変なのです。
「どうしたの? おじいちゃん?」
声をかけると、おじいちゃんが慌てたようにてっくんを見て、てっくんの肩に手を起きました。
「おお、てつ。久しぶりだ。でも、お母さんは? 一人で来たのか?」
「そうだよ。でも、びっくりした。偶然おじいちゃんに会えるなんて! てっくんは運がいいや。……あっそうだ! あのね、おじいちゃんに相談したいことがあるんだ。話してもいい?」
「わかった。おじいちゃんが何でも聞いてやるからな。とりあえず、家に言ってゆっくり話そう」
「りょうかい」
てっくんはおでこの辺り手を添えて、ニッカリ笑いました。
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