マッシュアップ 2

 廃墟に入った章はそのまま、ガラスや何かの破片を踏みながら、一本になっている通路を進む。設置されているドアは取れかかっていたり、穴が開いていたりして、ドアの役割を失っていた。ある程度進むと右側に階段が見えたので、二階に上がることにした。彼女の話を信じるわけではないが、彼も朱羽がもしここにいるなら二階にいるだろうと考えていたのである。

 階段は木製で、上る度にぎぃぎぃと不安な音を鳴らしていた。もしかすると木が腐っているのかもしれない。そう思って、気を付けながら階段を上がっていく。一階から中二階を通って、二階へと上がる。その階段は先ほどより大きな音がして、今にも穴が開くだろうというような音だった。そして、いくら気を付けていても、起こることは起こるのだ。彼の右足が次の段を踏もうと足をついて体重をかけた瞬間に、その階段は大きな音を立てて壊れた。彼の足元から階段が崩れていく。彼にはその様子がスローモーションで映っていた。階段の壊れていない場所を掴むように手を伸ばすが、届かない。意識だけがいつもと変わらない速さで動いているのに、体はその何十倍も重く、動作が遅い。

(二階から落ちても死なないだろ)

 それは彼の願い事のようなものだった。まさか、彼が殺されないように止めようとしていたのに、その途中で自分がこんな場所で死んでしまうのは悔しかった。


 朱羽は章が入ってきたのを確認していた。彼と薄雪が話しているのも聞いていた。彼の動きも床の隙間から覗き見ることが出来、その動きを確認してはいたのだが、二階への階段を上るところを見る穴はなかった。また、彼は入り口を監視することを考えすぎて、二階への階段から近い場所にいた。この屋敷の二階に来るための階段は二つあるが片方は崩れて上ることが出来なくなっているため、そこに隠れることが出来ればよかったのだが、そこからでは玄関を見ることが出来なかったので登れる階段の近くに隠れるしかなかったのだ。

 ミシミシと階段を上ってくる音がする。ベタなホラー映画の展開だが、相手がわかっているので怖くもない。しかし、見つかると面倒なのは薄雪とは変わらない。相手が過ぎ去るまでどうにか死角を移動するしかない。幸い、彼はすでに化け物なので音を出さずにこの屋敷から出ることができるのだ。

 彼はこの屋敷から出るためのルートを頭の中で考えている途中で屋敷の一部が崩れる音を聞いた。それもすぐ近くである。思い当たる節は一つだけ。彼はすぐそこの階段まで急いで見に行く。素早く動いたお陰で階段は崩れ始めたところだった。その中心に章がいる。その風景はゆったりとし、彼がゆっくりと落ちて行くのがわかる。朱羽はすぐに彼へと駆けた。階段から彼まで距離が無くとも落下する速度は速い。化け物の脚力でも間に合うかは分からなかった。そして、彼は床を蹴った。走るよりも速いと判断し、さらに手を伸ばす。目の前の章も何かを掴もうと手を上に伸ばしている。しかし、このまま真っ直ぐ伸ばすだけでは、その手に届かない。そこで彼は勢いを殺さずに床を滑った。床に転がっているいくつもの瓦礫が体に刺さる。そのいくつかが彼の体の下に入り、彼を運ぶ。がらがらと音を立てて床を滑っていく。そして、階段が完全に崩れ、章の上に伸ばされた手だけが彼には見えていた。自分の手を限界以上に伸ばして、彼の手を掴もうとする。その手は腕を掴むことは出来なかったが、手を掴むことはできた。しかし、掴んだところまでは良かったのだが、その手が滑る。ゆっくりと章が重力に引かれていく。


 目を瞑って重力に引かれるまま何もできずにいた彼は急に止まった。目をゆっくりと開けると地面が見えた。このまま足から着地できれば怪我することは無さそうだった。それから、上を見た。誰かが彼の手を握って引き留めてくれていた。それが誰なのかはわかった。

「朱羽、離してくれ。ちゃんと着地出来そうだ」

 相手が離すべきか迷っているのか、すぐに手を離してはくれなかった。しかし、迷っている間にも手は滑っている。その限界が来て、彼は一階へと落ちた。多少高かったせいか、足がじんとしたが何処にも怪我はなかった。

 彼がそのまま上を見上げると、大きな穴ができていた。さらに、その穴からよく知る顔が覗いていた。

「朱羽」

「大丈夫そうだな」

「ああ、怪我はしてないぜ」

 朱羽は穴から飛んで一階へと降りてきた。それから章をじっと見つめ、怪我がないことを確認する。

「案外、低かったか」

「いや、手を掴まれなかったら怪我はしてただろうな」

 一つひとつの会話に間が空く。どこかぎこちなさが彼らの間にあった。それは二人ともが言いたいことを言おうとしていたからかもしれない。

「なぁ、俺に協力してくれないか」

 先に切り出したのは朱羽だった。章には種を植えていない。だから、彼自身が彼の意思で決めなくてはいけなかった。朱羽も操られた彼に協力してほしいわけではない。

「ごめん。無理だ。朱羽、俺からもお願いだ。これ以上何もしないでくれないか。じゃないと殺されるかもしれない」

 章は彼には死んでほしくなかった。既に殺されかけたところを見てしまった。彼が何をするのかは知らないが、とにかくこのままでは殺されてしまう。それだけは避けたかった。

「悪いが、それは無理だな。これは俺が殺されても成し遂げるべきことなんだ。人はもっとできるはずなんだよ」

 交渉とも呼べない二人の会話。しかし、その短い言葉でも彼らが互いに譲ることはないとわかった。いくら話しても、どちらも説得されることはないと理解した。


 二人はそれ以上言葉を交わさずに離れた。章は屋敷から出ていき、朱羽は屋敷の二階へと移動した。


(朱羽が止められないなら、あれを止めるしかない)

 章は林の中で振り返って屋敷を見た。彼を説得することはできない。このままでは殺される。それを防ぐ方法はあの影の方をどうにかすることだった。


(章、悪い。これだけは譲れない)

 屋敷から章の振り返った姿を見た。

(殺される、か)

 自分と同じような存在がいることを考えなかったわけではないが、どこか自分が特別だと考えていたのかもしれない。しかし、この計画を動かした時点で、彼には決死の覚悟があった。


 夜。日が完全に落ちて、月の明かりが林を照らす。この場所に来たのは薄雪であった。昼間はあっさりと帰ったが、それは章が邪魔だったからだ。予想でしかないが、彼がいることで彼女が知りたいことが全く聞くことができないと考えたのである。また、夜なら誰も来ることはないとも考えた。しかし、予想の中で一番困るのは彼もこの場にいないかもしれないと言うことだった。

 月明かりがほとんど入らないため、廃墟の中は真っ暗だった。林の中とは言え、夜なのでリュックサックに色々なものを詰めてきていた。その中に懐中電灯もある。服装も制服ではなく、山に上るときのような若草色の長袖の上着に、ジーンズパンツを身につけ、靴も安全靴を履いている。念のため、レンチを武器として持ち歩いている。

 懐中電灯で辺りを照らすと昼と変わらず、ガラスや瓦礫が散乱している。昼と違ってかなり見辛いので、慎重に歩く。どこかの床板が腐っていて、穴に嵌まるのだけは避けたかった。

 辺りを照らしながら廊下を奥に進む。誰かがここにいるような気配は感じない。屋敷に響く音も彼女が立てた音だけだった。

(いない……)

 廊下は真っ直ぐで、その先を照らしてみるも、やはり誰も見当たらなかった。その後、階段を二ヶ所見つけたが、どちらも壊れていて登るのは見るからに危険だった。薄雪もそれを気にしないで進もうとはしない。一階を再び見回るも何処にも手がかりらしきものはなかった。


「十人。全部やったぞ」

 真っ暗な中、部屋の中央に設置されたあまり明るくない電球がその部屋を照らしていた。全員の顔が見えるか見えないかくらいの明るさだ。

「次のを頂戴」

 六人は朱羽の方を向いていて、朱羽は彼らを真剣に見ていた。どうやら、役割としては前の三人、協力を得るときに話していた三人が話すことが多いらしい。後ろの三人は話さず、じっと朱羽や前の三人を見ている。

「ああ」

 朱羽はまた全員に種を十個ずつ渡した。受け取った彼らは、屋敷の窓から出ていく。飛び降りた訳ではなく、縄ばしごを利用している。簡単に下ろしたり、引き上げたりできるからである。薄雪がこれを見つけられなかったのは、彼らが朱羽に呼び出されたときだけ設置しており、それ以外では片付けているからだった。

「なぁ、これだけで本当にいいのか」

 筋肉質な男子生徒が彼の肩に手をかけて話しかけた。

「明日の夕方だ。それまで待っていてくれ」

 男子生徒は頷いて彼も縄ばしごから降りていった。


(音がする。誰か来た)

 屋敷の玄関から出ようとしていた薄雪はすぐに玄関の壊れかけの扉に身を隠した。扉も穴だらけで隠れられていないが、この廃墟の暗さの中ではあまり関係なかった。隠れながら、外の様子を伺う。そこにいたのは何人かの生徒。肝試しにでも来たのかと思ったが、楽しそうな、遊んでいるような様子ではなかった。何より、そこでは誰も会話をしていない。

(何しに)

 彼らは屋敷に背を向けて去って行くところだった。彼らが誰なのかはわからない。来ている服も制服などのものであったなら、学校くらいはわかったかもしれないが、私服で誰でもどこでも着ていそうな服装である。

 彼女は彼らのことが気になったので、周りに気を配りながらついていくことにした。暗い林の中であるため、相手からは気づかれにくかったが、彼らを尾行するのも大変だった。特に背を追いかけるだけなのだが、近づきすぎると気づかれるため、ある程度の距離を保たなくてはいけなかった。それにもしかすると彼ら以外にもこの林にいて、その人たちに見つかってトラブルになるのが面倒だった。しかし、暗い中だと周りを注意するにも限界があった。

「おい」

 彼女の後ろから声がした。低い男性の脅すような声色。彼女はゆっくりと振り返る。

「ここで何してるんだ」

 大きな筋肉質な体、太い腕。ホラー映画に出てくる殺人鬼のような見た目をしていた。

 さすがに彼女もその姿に怯む。彼女は一応、色々な準備をしていたし、色々なことを考えてはいたが、いざそういうものにあった時に彼女の頭の中からはそういうものは全てなくなっていた。彼女は彼の言葉には答えられないまま、その場から走って逃げだした。先ほどは尾行していたために足音を消していたが、今はそんなことを気にしていられない。がさがさと音を立てながら、どっちに何があるかも把握せずに逃げ惑う。

(あれは何。人間だったのかもしれない)

 逃げ惑いながらも、彼女の思考の一部は冷静に今の状況を分析していた。彼らが朱羽の仲間の可能性はある。

 彼女が後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。上がった息を整えるように深呼吸した。三回ほどそうすることでいくらか息も整ってきた。頭も冷え、冷静さを取り戻す。

(彼は仲間が必要なことをしている、ということなの。彼の力で操られている? これ以上に仲間が必要なの)

 彼女は廃墟に戻ろうかどうか迷った。現在地が全く分からないが、走ってきた方向は草がかき分けられ、地面の背の低い草は踏まれているので、それを辿れば戻れるだろう。しかし、戻れば彼らがまだいるかもしれない。あの大きな男に見つかれば問答無用で殺されそうである。一度、殴られるだけで大怪我するだろう。

(戻らないのが、賢明、ね)

 彼女はコンパスを利用して、住宅街の方向へと歩くことにした。周りからは風が木々を揺らす音と虫の鳴き声しか聞こえない。より耳を澄まして、辺りの音を聞く。数十秒じっと耳をそばだてて聞いたが、聞こえる音は変わらない。視界がはっきりしないが、辺りを何度も見回す。それでも何かが動くような気配は感じられなかった。きっと彼は近くにはいないだろうと思ったが、彼女は懐中電灯をつけることなく歩くことにした。

 しばらく歩くと、彼女の前を阻む木々の隙間から、ゆらゆらと揺れるものを見つけた。それは人型をしていて、その揺れているものが衣服だとわかる。彼女はそれが何か、見覚えがあった。その揺れる布切れに警戒しながら近づいていく。

「こんばんは。あなたも来ていたのね」

 それが何か理解できるほどの距離に来ても、それの全貌はわからない。手や、足、髪と見られるそれぞれの端々が夜の暗闇と同化して、はっきりとは捉えることが出来ない。

「ええ。でも、大変な目にあったわ」

「そう。あまり関わらない方がよかったのだけれど、今更ね」

「あなたこそ、こんな場所にいて、何かあるの」

 影は光の無い瞳を彼女に向けた。

「予想より早く動き出そうとしているみたいよ」

「何のはな……」

 彼女は影が何を言ったのか理解した。彼がやろうとしていること、その一歩目が影の予想より早く、計画を実行しようとしているということだ。

「場所は――」

 彼女が訊こうとしたときには、影は既にその場所にはいなかった。


 夜でも駅前の通りは暗くはなかった。この辺りだけは夜でも店が開いていて、その店の灯りが、この通りを照らしていた。その駅前の四階建ての建物の屋上、そこに章はいた。この街は大都市というわけでもないので、四階建ての屋上は高い建物になる。周りに邪魔するものはほとんどなく、この辺りで一番高い建物も、六階建てであり、当たり前だがそちらの方が高い位置に屋上がある。しかし、その建物に入っている店の営業は終わっており、さらに四階から六階までは企業が使っていて、そもそも一般人は屋上に上ることはできないのである。そういう理由で、彼が登れる一番高いところはこの四階建てのこの場所だけであった。その目的はあの影に会うことだった。

「おい、いるんだろ!」

 影には名前がない。呼び出して来るのかもわからない。しかし、彼は何かしていないと気がすまなかった。

「おいって!」

「五月蝿いわ。そう何度も叫ぶ必要はないのに」

 何処にも姿は見えないが、影はその場にいる。影の言葉が彼にだけ聞こえている。

「何か用があるのかしら」

「わかってるだろ。朱羽を殺すのは止めてくれ。頼む!」

「そう言われても、どうしようもないわ。私はそういうものなのよ。規則は変えられない」

「あいつは俺の親友なんだよ。頼むからさ」

 今にも崩れ落ちそうな様子で懇願する。

「そう、ね。あなたの親友。私が消してきたものたちも誰かの大切な人だったのかもしれないわ。彼だけを贔屓することはできないのよ」

 影の言葉は淡々としていて、彼は何か言おうにも言葉が出ず、口を色々な形にしていた。

 彼は最後まで何も言うことができずその場で立ち尽くしていた。

(やっぱり、俺じゃ駄目なのか)

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