ライト・マイ・ファイア 4

 やる気を出した途端、幼いころを思い出して、彼はさらにやる気がでていた。幼いころに見たあの母親の嬉しそうな顔をまた見ることが出来るかもしれない。

「よし」

 彼はそう言って、家を出た。彼を照らす日差しは橙色をしていた。


 同じころ、章は怪しさを感じていた。朱羽の様子がどこかおかしい。何がおかしいのかと聞かれても、説明はできない。彼が友人だからなのか、それともそんなことは関係ないのか、それすらもよくわからない。とにかく、彼の様子がおかしく、彼の力のことも知っているで彼と別れた後、一度家に帰って服を着替えてから出かけた。彼は朱羽が夕方の空を見上げていた印象があったので、何かするなら夕方ではないかと予想したが、それより早く彼が家から出てこないか、見張れるような場所に陣取って見張っていた。


 朱羽は深森高校へと向かった。この時間で終わる部活がほとんどで、このタイミングなら多くの人にやる気を出させることが出来るだろう。それに結果がわかりやすい。まずは一つずつ埋めて、結果を待つことにしよう。

 校門の近くで、誰かを待っているかのように立って、周りを見た。運動部の人たちはわかりやすく、部活道具の入った大きなリュックやバッグを持っていることがほとんどだ。その人たちに気づかれないように、種を放って埋めていく。発火するのはいつなのかわからないが、きっと明日には埋めたほとんどの人が火達磨になって、やる気を出しているだろう。


 章はその様子を遠くから見つめていた。彼が通りかかる人に種を投げているのを監視している。

(やっぱり、何かしようとしてる。今、止めるべきか。何をしようとしているかわかれば、俺もどうするか決められるんだが)

 彼はどうするか、未だに迷っていた。それに彼は朱羽を止めるような術を持っていない。もし、あの種が自分に作用した時に彼を止めることが出来なくなるかもしれない。あの種の力を把握しているわけではない。ただ、火が出るということしか知らないのだ。

「あなた、彼を止めたいの」

 急に彼に声をかけるものがいた。彼がその場所を監視場所にしたのには理由としては、周りに誰もいなかったし、誰も寄り付かなさそうであったからである。しかし、その場所に何かが現れた。彼はその声の主を探し当てるべく周りを見渡すが、誰もいないようにしか感じない。

「どこを見ているのかしら。目の前にいるのに」

 その声と共に、目の前に延びる、夕日に照らされた自分の影の先にそれは立っていた。それは少し影がかかっているせいか、全体的に灰色に見えた。背丈は低く、高校生である彼より低い背であり、中学生か、小学生に見られてもおかしくはないくらいだ。しかし、それの纏う雰囲気がそう認識させはしないだろう。彼女の周りには影があり、そこから溶け出てきたような輪郭で、瞳だけが周りの光を反射して光っている。そして、それは場違いにも、全く汚れていない長いスカートの黒いワンピースを着ているのだ。後ろに手をやって、彼を中途半端に笑った表情で見つめている。

「な、なんだ」

 あまりに急で、そんな言葉しか出なかった。

「なんだ、と聞かれても、答えられないわ。私に名前はないもの」

 それは流暢に言葉を話す。

「それより、あなた、あれを止めたいの」

 それは同じ質問を同じ相手にした。表情は全く変わらず、不気味ささえ感じる。しかし、彼はその問いには反応できた。

「あ、ああ。……いや、違う」

「そうね、そうでしょう。あなたは迷っていたものね。彼が何をするのか、それが全く分からないって顔してたもの」

「……あれはね、少なくとも人の世の中にとって、いいことをしようとしているわけではないわ」

 それはようやく表情を変えたが、怒っているような、楽しんでいるような、どうともとれるような表情だった。

「なんで、そんなことがわかるんだ」

 彼を悪く言われることは章にとって我慢できることではなかった。相手は不気味な奴だったが、それでも今はそれは関係ない。

「簡単なこと。私が彼を倒さなくてはいけないからよ」

 そういうと、それは影だけでなく、夕日とも溶け合うようにいなくなった。

 章はそれを見ても、驚くことはなかったが、あれの言っていたことの意味を考えるかのようにうつむいてしまった。


 顔を見て覚えることのできた十人に種を植えて、彼は帰ることにした。種を植える対象を選んでいたせいで、辺りは藍色になっていた。

(目的は果たせた。さっさと帰ろう)

 彼は何かに見つかるのを恐れるように、しかし、焦らずにその場を去ろうとした。

「こんばんは」

 彼はその声を知っていた。CMで使われている曲のように頭の片隅にその声が残っていた。

「ああ。やはり、来ると思った」

「今度は返事、しっかりしたわね」

 彼の後ろには影の固まりのようなものがあった。それがどういうものかはよくわかっていないが、自分のところに来ることだけは分かっていた。

「俺は、もう、お前を怖いとは思えない」

「そうね」

「俺もお前と同じだ」

「それは少し違うのだけれど。あなたからしたら同じに見えるのかも知れないわね」

 どこかに書かれた台本を読んでいるような抑揚のない言葉で話す。その言葉の発音だけはしっかり聞こえる。どんなに耳が遠くともそれの言っていることを聞き間違えることはないだろう。

「少なくとも人では無いだろ。それは同じだと思うが」

「人かどうかなんてあまり関係ないのよ。ひと同士じゃなくてもわかることはあるもの」

「それとは違う。俺たちはそういうのにすらならない。人からすれば、怖すぎるんだよ」

「そうかしら。皆が皆、怖がるわけではないわよ」

「……いい。これ以上話していても無駄なんだろうな」

 彼らの会話は彼らにしかわからない。彼は何かを振り切るように、首を左右に一往復させた。その掌には既に種がくっついている。それを摘まんで、影に向かって投げた。

(きっと、これは効果なしだろう。俺の力はきっとにこいつには効かない)

 彼の予想通り、その種は影の体に当たったがそのまま弾かれた。

「やっぱりか」

「何も意味がないと知っているのに、なぜかしら」

 彼はそれに返事せず、また掌から種を取る。そして、今度は道端に落ちている捨てられている缶を拾って、種を埋めた。それは一瞬で煙を発し、次の瞬間にはそれは燃え上がった。そして、それを影に投げつけた。

 影はそれを真っ二つにした。燃え上がる炎は消え、溶けかかった缶が地面に落ちて、カラカラと転がる。

 影は手に何か持っている。それは剣のような形をしているが、剣先は尖っておらず真っ平だった。

「いきなり、そんなものを投げるなんて危ないわね」

 声は聞こえたが、その場所にはそれはいなかった。影に気配があるはずもなく、どこにいるかもわからない。彼は周りを見回して、どこにいるのか探すが、それでもどこにいるのかはわからない。

「ふ、ふ、ふ」

 それは彼の真後ろから聞こえた。文字通りの発音で、面白くないのに無理やり笑ったような声に背筋がひやりとした。

 前に飛びながら、空中で今まで後ろだった方に体を向けた。彼の目線の先には影はいない。どこに行ったのかと目線をあらゆるところへ巡らせるが見当たらない。

(どこだ、どこにいる)

「焦ると見えていたものも見えなくなるわね」

 彼が地面に着地した瞬間、影は目の前に現れた。彼の影にくっついているように見えるが、回りの空気にも溶けているように見えた。影は剣を突き立て、彼の腹部を突いた。衝撃が彼を襲うだけで、少しも刺さってはいない。しかし、きっと刺さってしまった方がよかったのかもしれない。刺さることなく、しかし、力は緩められなかった。影は彼の目の前に立ち、その剣をそのまま勢いよく押し出す。

 彼は五メートルほど後ろに吹っ飛ばされた。

「ぐぅ……」

 彼はふらふらになりながらも立ち上がったが、肺から空気が漏れて何度もそんな音を出している。口から血も垂れている。もし、人間だったなら突きの衝撃で内蔵は破裂していたかも知れないが、彼は口から少量の血だけですんでいる。それは彼が人ではなくなった証拠だろう。

「案外、粘るのね。逃げれば良いじゃない」

「逃がしてくれねぇだろ」

 彼は周りを見た。学校の通りは部活を終えた生徒がいなくなると、極端に人通りがなくなる。ここに人がいれば、その人を利用して逃げることもできるだろうが、あいにくと誰一人として通らない。

 影は剣を構えていない。余裕からなのか、他の理由があるのか。


(朱羽が、……殺される)

 彼を監視していた場所から動かずに彼と影の戦いを見つめていた。

(俺が何かできるのか?)

 影から彼を助けると言っても、どんな方法があるのか、また、もしかするとここで倒す方が彼のためになるのかもしれない。そんな考えを行ったり来たりと繰り返して、彼はそこから一つも動くことができないでいる。章の位置からだと、朱羽がボロボロになっていることしかわからない。ただ、このまま戦い続ければ確実に殺されるだろう。

(朱羽がいなくなるのは嫌だ)


 彼がなぜ、付き合いのあまり長くはない朱羽に対してここまでしているのか。いや、付き合いの長さは関係なく、どれだけ長く友人関係であっても、ここまで気にかけていること自体が異常である。例え、少しばかり様子がおかしくても、すぐに声をかけたりする人は珍しい。日本人なら特にそうだろう。相手から相談されるのを待つことが多いはずだ。彼がここまでする理由は彼の事情であった。


 彼の家庭は特別お金を持っている訳ではなかったし、明日をも知れぬ貧乏な家庭ではなかった。両親は共働きであったが、休日には両親と共に出かけることも多かった。両親が仕事であるために保育園に預けられていたが、他の子供と喧嘩することなく仲良く過ごしていた。その中でも特に親しくしている人がいた。その人は彼の周りと比べると大人びていて、優しかった。その人とは小学校も同じで、中学校も同じだった。小学生のころは毎日遊んでいたし、中学校に上がってもそれは変わらなかった。

 しかし、中学校のあるころに、その人の様子がおかしくなった。それはきっと毎日その人を見ていた彼だから気づいたのかもしれない。その変化はちょうど、朱羽に起こった変化のようだったが、彼のそれとは少し違って、自分自身の敵を見つけ、それを倒さないといけないような雰囲気を持ち始めたのだ。そして、その人が何をしようとしているのかはわからなかったが、頭のいいその人が何かしてはいけないようなことをやるはずもないと考えて、放っておいてしまったのだ。そして、その変化から一週間経って、彼はあの雰囲気と共にやる気をなくしたようになり、彼のいた学校を転校した。彼はそのときのことを後悔している。あの時、もしその人と少しでも一緒にいてやれれば何か変わっていたのかもしれない。

 彼にはその人と、朱羽の姿が被って見えている。朱羽を助けることで、その人にも何か報いることができると思っている。だからこそ、彼はその人のために、また朱羽のために彼をどうにかして救わなくてはいけないのだ。


(と、とにかく、殺されるのは止めなくちゃ)

 彼はそう考えてその場から動いた。焦って足をもつれさせるも、転ばないようにバランスを取って持ち直す。部活で鍛えた足腰を発揮して、彼は走り出す。


「そろそろ、ね」

「何が、だよ」

 朱羽は既に種を作り出していない。反撃しようにも使えるものがないのだ。逃げるにしても、他の人をけしかけてどうにか逃げ切れるか。地面や建物等の大きなものは簡単には燃やせない。やはり、人が通りかかることを待つしかなかった。

「朱羽!」

 その場に走ってくるのは、章だ。朱羽が彼を見間違えるはずがない。朱羽の頭ではチャンスだと言う自分の嬉々とした声が響いていた。

「朱羽、ぼろぼろ、じゃ、ないか」

 走ってきたせいで、息が上がっている。

「章、来ない方がいい。巻き込まれたら死ぬ」

「お前だって、死にそうだろ! それを使うなよ」

「知って、いたのか。……そうか」

 彼はどこか納得したように言葉を出した。彼も章の異変には気づいていたのだ。朱羽は種を取り出した。

「おい」

 章はそう叫ぶも、彼は次に投げる動作をした。種は小さくとも、投げられたのはわかった。しかし、その先にいるのは章でも、影でもなかった。

 その先にいるのはスポーツバッグを持った少し日焼けした男子生徒だ。校門をちょうど出たところで影を驚いた顔で見ていた。

「戦えっ!」

 朱羽は大声で叫んだ。章にも、影にも聞こえただろう。種の植えられたその生徒にも聞こえたはずだ。そして、その指示はまるで催眠術のように彼の頭に浸透する。体から煙が出て、次に燃え上がる。彼が苦しがることはなく、最初から視界に入っていた影だけを見つめている。何もせずに立っている彼に二つ目の種を投げつけた。それはするりと彼の体の中に入り、彼の纏う炎は大きくなった。

「ぐ、ぐぐぐ」

 闘争のために筋肉に力が入った音が、日焼けした彼の口から漏れでる。彼の戦闘準備は整っている。影は全く動かず、その場で三人を見ていた。

「章、逃げるぞ」

「おい、あいつはどうなるんだよ!」

「知らない。とにかく、逃げるんだ」

 朱羽は章に一度だけ視線をやって、それ以上何も言わずに走り出した。その速さは人では追い付けない。章はそれを見つめ続けることしかできなかった。


「まったく。面倒なことになる前に消さないと行けないわね」

 理性を失った男子生徒を前にしても、一つも怖がることなく、それどころか逃げた彼の方を気にしているのか、じっとその方向を見ている。彼に置いていかれた男はその場にじっとして動かない。

「うぅ、ぐぐ、ぐ」

 歯を剥き出しにして、敵意を露にする種を植えられた男子生徒は、未だに威嚇するだけで攻撃はしてきていない。

「あなた、どうしたのかしら」

 影には分からないことだったが、彼の野性的な勘から、それは襲ってはいけないものであると恐れているだけであった。

 しかし、影は容赦なく、手元に急に現れた刃先の平たい剣を横に振るった。男子生徒の幽かにあった意識はその剣が自分を切る寸前の空気を切る音が聞こえていた。

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