第八章 魔神の神殿~ 永遠の命と裏切りの末路(1)

 決戦へと臨む新しい朝がやってきた。

 青空に昇る太陽の輝きは、正義の戦士たちの旅立ちを祝福しているのか、それとも?

 吹き荒ぶ風がぶつかる断崖絶壁の岩肌。その頂の上で、シルクとクレオート、そして、ワンコーとクックルーの面々は、朝日に照らされてもなお不気味に佇む魔神の神殿を見渡していた。

「みんな、いよいよね」

 シルクはいつになく凛々しい表情で魔城を見据えている。

 闇の支配者である魔神との戦い、それはきっと、これまでにない厳しいものになるだろう。勝って兜の緒を締めよ、という言葉ではないが、彼女は気持ちを引き締めて、メンバーである仲間たちに奮起を促した。

 後戻りなどしない、前へ進むしかないのだ。ワンコーとクックルーにもう迷いなどなく、それぞれの種族の支配者としての意地と誇りのために覚悟を決める。

 クレオートの顔に映る感情も、穏やかさや優しさといったものではなく、勇ましさと逞しさ。彼は大剣に右手を宛がい、最終決戦とも言える激戦を前に士気を高めていた。

「さぁ、行きましょうか!」

 武闘着に付着した砂を払い、空っ風で乱れた髪の毛を整えるシルク。名剣を従えて勇敢に旅立つ彼女でも、身だしなみを気にする、麗しい十五歳の少女であることに変わりはない。

 それは、全面的にサポートしてくれる信頼のおけるパートナーがいるから。誉れ高き紳士であり、凛々しくて端正な顔立ちをした素敵なクレオートが、すぐ隣にいてくれるからであろう。

 どんな試練と困難が待ち受けていても、彼女にもう怖いものなどなかった。そう、彼がいつまでも守ってくれるのだから。


 断崖絶壁の険しい大地を越えていくシルクたち。

 いびつな岩だらけの丘、雑草が鬱蒼と生い茂る樹林、そして、なだらかな平坦な道を歩き続けた末に、彼女たちは鋼鉄製の頑丈そうな橋へと辿り着いた。

 その大きな橋の先で待ち構えるのは、妖しき気配が立ち込める神殿の城門。この橋を渡り切った時こそ、魔神との交戦のプレリュードを奏でる。

 仲間たちと相槌で合図をした彼女は、おっかなびっくり、大きな鉄橋の上にその第一歩を乗せてみる。これまで、さまざまな仕掛けの橋を渡ってきただけに、慎重かつ警戒感を抱くのも無理はない。

「うん、何も仕掛けはなさそう。よかったわ」

 先陣を切ったシルクの後に続いて、クレオートとスーパーアニマルたちも第一歩を踏み出した。

 鋼鉄の橋桁を一歩、また一歩と踏み締めるたびに、高らかな靴音が森閑なる空間の中に響いていく。

 十数歩ほど歩き切った頃か、彼女の横目に不思議な光景が飛び込んできた。彼女はふと立ち止まると、方向を変えて、鉄橋の端っこの方へ近寄ってみる。

 ひんやりとした欄干に両手を付き、橋の下を覗いてみた彼女は、予想外の光景にゴクッと息を呑み込んだ。

「こ、これはどういうこと……?」

 驚愕の声を漏らしたシルクと一緒になって、橋の真下を見下ろしてみた仲間たち。彼らもまた、信じ難い光景に目を疑ってしまった。

「あそこに見えるのって、悲劇の村にあった悲劇の塔だワン。……あ、他にも、歓喜の都の大きな市街地も見えるワン」

「おいおい、そればかりじゃないコケ。これまで、オレたちが立ち寄ってきた街や村がすべて見えるコケ。何だこりゃ……」

 そこは、一言で例えるなら宇宙空間のようだった。

 真四角に切り取られた、これまでに通り過ぎてきた街や村の遠景が、橋の下の暗黒空間の中で惑星のように浮遊している。そればかりではなく、シルクが目にしたことのない街の風景もいくつか存在した。

 彼女はこの時、実感することができた。苦労を重ねて乗り越えてきた道のりが、夢ではなく、また人間界でもなく、暗黒の中に浮かんでいる闇の世界だということを。

「どうやら、あたしたちは、街や村をワープしながら進んでいったみたいね」

「そうですね。つまり、わたしたちは今、すべての空間を見渡せる位置まで到着したわけです」

 闇魔界にあらゆる疑似空間を作り、そこで人間たちを踊らせて楽しんでいたであろう魔神。

 人々の苦しみと悲しみを眼下に眺めながら、陰湿な悦びに満たされていたであろう魔神。

 その闇の支配者と同じ位置に立ち、闇の世界の最高峰とも言うべき神殿まで辿り着けたことによる達成感、クレオートの言葉にはそんな背景が見え隠れしていた。

 しかし、ここまで到達できたとはいえ、まだ魔神の足元にいるようなもの。のんびりしてはいられないシルクたちは、神殿の城門へ針路を取り、再び力強く歩き始める。

「あれ、何だか、風が強くなってきたわ」

 橋の真ん中辺りに差し掛かった頃か、シルクたちの行く手を阻む不穏な風。風上と風下が判別できないような、縦横無尽な強風がうねりを上げて迫ってくる。

 ボブヘアの髪の毛がバサバサと乱れてしまい、彼女は視界すら危うくなってその場に立ち止まる。

 ワンコーとクックルーは吹き飛ばされてしまいそうで、彼女の武闘着の裾に噛み付いて、それはもう必死の形相で堪えている。

 片膝を落として上体を低くしたクレオートは、どこからともなく襲ってくるこの強風の根源を探した。

「姫、上空を見てください!」

 クレオートは上空で原因となる何かを見つけたようだ。

 彼が人差し指で示した青空を見上げるシルク。すると、風が吹き荒れる視界の中に、羽ばたいている二匹の魔物が宙を舞う姿が映った。

 魔物の存在を突き止めたのも束の間、強風の煽りに耐え切れなかった彼女たちは、橋桁の上に転倒するばかりか、橋のスタート地点付近まで戻されてしまう。

「みんな、大丈夫!?」

 シルクが無事かどうか確認すると、クレオートもスーパーアニマルたちも声を張り上げて、無事であることをすぐに伝えた。

 その直後、どういうわけか風が止んだ――。

 無重力空間のごとく、水を打ったような沈静に埋め尽くされる彼女たち。聴こえてくるのは、緊張のせいで脈打つ己の心音だけだ。

 ゆっくりと、上空に視点を移してみるシルク。太陽の眩しさに目を覆ったと思いきや、その光源が日光でないと気付き、彼女は慌てて大声で危険信号を発した。

「危ない、早く橋から離れてっ!」

 シルクたちが大急ぎで橋の上から逃げ出した直後、まるで隕石のような勢いで、真っ赤に燃え上がる火の玉が降ってきた。

 落下した時の威力は凄まじく、響き渡る爆音、そして激しい爆風を凌ごうと、地面に突っ伏して頭を両手で抱える彼女たち。

 黒煙がもくもくと立ち上る鉄橋へ、翼を羽ばたかせて滑空してくる二体の魔物。

 彼らの容姿はまさにドラゴンそのものであり、炎をイメージする紅色の地肌を持つ者と、氷をイメージする蒼色の地肌を持つ者だ。

 硬質な翼を折り畳み、鱗に覆われた長い尻尾を仕舞う翼竜たちは、進行を妨害するかのように、鉄橋の上に敢然と立ちはだかる。

『我こそは炎龍、魔神橋を守護する者。この橋を越えた先に、魔神殿がおられる』

『我こそは氷龍、魔神橋を守護する者。この橋を越えたくば、我らを倒していけ』

 紅い皮膚の炎龍、さらに、蒼い皮膚の氷龍。彼らは野太い声でそう言い放ち、侵入者であるシルクたちのことを奇怪な眼光で睨みつけていた。

 ドラゴンという高貴あるモンスターが醸し出すオーラ、威風堂々としたその存在感は、魔神の神殿への入口を守るだけの実力と底力を感じさせる。

 二体のドラゴンに睨まれて萎縮してしまっているシルク。だが、彼女だって幾多の死闘を勝ち抜いてきた勇者の一人。相手が凄かろうと強かろうと、及び腰になっているわけにはいかない。

「そういうことなら、勝って先へ進むしかないわ!」

 シルクとクレオートはそれぞれ、名剣と大剣を抜き取り身構える。

 ワンコーとクックルーもそれぞれ、気合いを溜め始めて魔法力を高める。

 そして、炎龍と氷龍もそれを迎え撃とうと、折り畳んでいた翼を大きく翻した。

『さぁ、来るがいい』

 炎龍の空気を震動させる咆哮を皮切りに、いよいよ、魔神橋を舞台にした激しいバトルの幕が開けた。

 まず先制攻撃を仕掛けたのは、名剣スウォード・パールを握ったまま駆け出したシルクだ。そのターゲットは、真っ赤な鋼鉄のような肌を持つ炎龍だった。

 無論、黙ったままの炎龍ではない。迎撃態勢を敷いた彼は、口を開くなり大きな炎玉を吐き出した。

 彼女は持ち前のスピードを駆使して、その炎玉をジャンプ一つで華麗にかわした。

 ところが、もう一方の氷のドラゴンが彼女に狙いを定めて、羽根を目一杯に広げるなり、そこから何本もの氷柱を飛ばしてきた。

「てぁ、たぁ、そりゃぁ!」

 そこへ颯爽とやってきたのは、シルクのナイト役の剣士クレオートだ。

 彼女に向かって飛んできた氷柱を、彼は大剣を振り回してことごとく叩き落としていった。

 ドラゴンの魔法の脅威から逃れることができた彼女、着地するなりすぐさま、魔法を得意とするクックルーへ指示を送った。

「クックルー、あの氷龍の方はあなたに任せるわ!」

 任せておけ!と言わんばかりに、クックルーは両方の羽根を赤色に染め上げていく。ご自慢とも言うべき、火殺魔法の見せどころである。

「ねぇ、クレオート、あなたはクックルーの後方支援をお願い!」

「はい、了解しました」

 シルクの命を受けたクレオートは、クックルーの気合い溜めの邪魔はさせまいと、大剣を構えて敵の正面に毅然と立ち向かう。

「いくぜぇ、オレの必殺技だコケ!」

 クックルーが羽根を振り上げて放った火殺魔法、それは、氷龍の足元から炎が飛び出す火柱だった。

 小さな呻き声を漏らして、数歩後退を余儀なくされた氷龍。氷殺魔法を得意とするドラゴンだけに、炎による攻撃には苦手意識を抱いているようだ。

 後ずさりするその隙にチャンスを見たクレオート。機敏な動作で駆け抜ける彼は、まさに真紅の流れ星。しなやかな流れのままに、彼の大剣が氷龍の胴体に突き刺さった。

 手応えあり! クレオートがそう思った矢先、氷龍は眼光を鈍らせながら、そこから逃げるように上空へ浮遊しようとする。

「くっ、あの頑丈な皮膚のせいか、剣が急所まで届かなかったのか!」

 慌てて大剣を引き抜いたクレオートは、致命傷を与えることができず眉を顰めて悔しがる。

 そんな彼を嘲るように宙へと舞い上がった氷龍。次は我がお返しする番だ! そんな声とともに、彼の凍てついた眼が冷酷に光った。

 突如、上空に出現したいくつもの氷の塊。その一つ一つが氷岩となって、地上にいるクレオート目掛けて急降下を始めた。

「おい、クレオート、危ないコケッ!」

 クックルーのやかましいほどの大声が、クレオートの鼓膜に瞬時に届いた。

 彼は咄嗟に大地を蹴り出して、間一髪、落下してくる氷岩の猛追をかわしていった。ずば抜けた身体能力がなければ、それこそ、先の尖った氷の餌食になっていたことだろう。


 一方その頃、シルクとワンコーはというと、炎龍の解き放つ火殺魔法に苦戦を強いられていた。

 大きな口からどんどん飛び出してくる火の玉、炎玉。その連続攻撃を避けるしかない彼女たちだが、防戦一方ながらも、攻撃に転じる糸口を模索していた。

 炎龍とまともに戦うとしたら、一歩でも二歩でも接近しなければいけない。そう考えついた彼女は、ワンコーに対応策のアドバイスを求めてみたが。

「炎攻撃を避けるのが精一杯で、とても頭が働かないワン!」

「もう! こういう時に限ってダメなのね、あなたは」

 攻撃をかわすだけでも一苦労。悪戦苦闘するシルクたちは、体力がどんどん奪われてしまう。

 しかし、それは当然、攻撃している炎龍も例外ではなく、無限ではない魔法パワーを使い続ければ、おのずと魔法攻撃そのものにムラが生じてくるはず。

 彼女はそのタイミングを狙っていた。わずかにできる隙の一瞬に、ワンコーの補助魔法を浴びせようと企んでいたのだ。

「いい、ワンコー。あたしの合図で魔法を放つのよ」

「わ、わかってるワン」

 そんな策略があることなど露知らず、止め処なく火殺魔法を放出する炎龍。だが、魔法パワーに陰りが見えてきたのか、魔法攻撃の連続性に若干の隙間が発生していた。

 その瞬間を見逃さなかったシルク。ここぞとばかりに、ワンコーに聖なる魔法の発射を命令した。

「ワンコー、今よ!」

「了解だワーン!」

 ほんの数秒の合間に気合いを込めて、ワンコーは両前足から青白い光を解き放った。

 聖なる光が青空の下でシャワーのように霧散し、炎龍の全身に万遍なく降りかかる。

 その魔法こそ、敵の戦意を喪失させる睡眠波だった。あの好戦的な炎のドラゴンが、びっくりするほどおとなしくなってしまった。

 いくら強靭でも睡魔には勝てないらしく、ギラギラしていた眼が虚ろになっていく炎龍。魔法攻撃が停止した今こそ、シルクの剣術殺法の絶好の機会であった。

「いくわよ、たあぁっ!」

 シルクの研ぎ澄まされた一閃が、炎龍の真っ赤な胴体を駆け抜ける。

 大きな手応えを感じ取った彼女、それを証拠に、痛みのせいで目覚めた彼は、苦痛の悲鳴を上げながら翼をばたつかせていた。

 仕留めたかに思えたこの光景だが、硬質の皮膚に守られて一命を取り留めることができた炎龍は、不利な状況から脱却しようと、翼を広げて空中へと浮かび上がる。

「しまった!」

 上空に逃げられたら手も足も出せず、シルクは悔しそうに唇を噛み締めた。

 手負いの魔物ほど復讐に燃えるもの。炎龍は傷口を手で撫でながら、怒りに満ちた表情をあらわにしている。

 火殺魔法が打てなくても、他の攻撃手段がないわけではない。彼は鋭く尖らせた鉤爪を突き出し、翼を折り返しながら滑空を始める。無論、その脅威なる爪は、橋のたもとで立ち尽くす彼女へと向けられていた。

「姫、アイツがもの凄いスピードで降りてくるワン!」

 ワンコーの注意喚起が響き渡ると、シルクはすぐに名剣を構えて応戦しようとした。

 数メートル先の上空から飛行してくる炎龍は、まさに急降下爆弾そのもの。とても名剣では太刀打ちできないと察した彼女は、その場から逃げるように後方へと飛び跳ねた。

 それからわずか数秒後、大きな地響きを轟かせて、ドラゴンの鉤爪がドリルのごとく大地へ突き刺さった。もし避けていなければ、彼女の小さい体など一瞬で押し潰されていたことだろう。


 また、もう一方のクレオートとクックルーも、氷龍が放つ氷岩によって、底知れぬ魔法力を如何なく見せ付けられていた。

 無数に振り落とされる氷の塊に四苦八苦する彼ら。翼を広げて宙を舞う敵が相手では、クレオートの剣術も届かず、クックルーの火殺魔法もかわされてしまう。

 しかも、氷龍の氷殺魔法とクックルーの火殺魔法、お互いが反発し合う属性同士だが、力の差では氷の方が一歩秀でており、クックルーの炎の方が劣勢であると言えなくもなかった。

「ちっくしょ~、あのやろう、余裕かましやがってコケ~」

 すっかり頭に血が上っているクックルー。負けず嫌いの性格が災いし、火の玉乱れ撃ちを無作為に発射するも、次々と出てくる氷岩に阻まれてまるで効果はなし。

 魔法パワーの無駄遣いに懸念を訴えるクレオートなど見向きもせず、クックルーの飽くなき炎の矢は留まるところを知らない。

 ここに来て、ついにクレオートの不安が的中する。魔法力の消耗で息を切らせるクックルーに、動作が止まるほどの無防備な時間が生まれてしまった。

 次の瞬間だった。太陽光を反射する氷岩の輝きが、クックルーの頭上のすぐそこまで迫ってきていた!

「危ない!」

「コケケッ!?」

 クレオートに抱きかかえられて、クックルーは落下してきた氷岩から難を逃れることができた。

 しかし……。クレオートの方は無傷というわけにはいかなかった。透き通るぐらい煌めく氷の破片が、彼の真紅の鎧に突き立っていたのだ。

 彼の苦しみに喘ぐ表情を見るなり、クックルーはその緊急事態を悟った。

「おい、クレオート、大丈夫かコケ?」

「わ、わたしのことはいい。そ、それよりも、起死回生の攻撃を考えねば」

 今こそ冷静になる時。かばってくれたクレオートを助けるためにも、クックルーは一矢報いる秘策をがむしゃらになって思案する。

 そうしている間にも、氷龍の作り出す氷殺魔法が上空に列を成す。彼らに残された時間はあとわずかであった。

(そうだ、オレもシルクと同じ支配者(ルーラー)なんだコケ。このオレにだって、神通力みたいな能力が眠っているはずだコケ)

 その時、不思議なほど頭がクリアになっていくクックルー。みなぎる闘志、はち切れんばかりの躍動が、彼の冷めかけていた心を熱く燃えたぎらせる。

 突如、クックルーの全身が熱を帯び始める。それはまるで、蒸気を噴き上げるボイラーのようだ。

 それは予想をはるかに超える高熱。これにはクレオートもじっとしてはいられなかったようで、痛みを堪えたまま、蒸気機関と化したクックルーのそばから離れてしまった。

「見せてやるコケ~。オレの体内に眠る、炎の力のすべてを出し切ってやるコケ!」

 鶏冠だけではない。顔も、胴体も、羽根も、そして短い尻尾までも、すべてが真っ赤な火炎に包まれるスーパーアニマル。

 クックルーは溢れんばかりの火炎エネルギーを一斉に解き放つ。

 それとほぼ同じタイミングで、空中に浮かぶいくつもの氷岩が次々と落下していった。

 燃えさかる炎はビーム光線となって、昇り竜のごとく空気を切り裂きつつ上空へ突き進んでいく。

 生半可な熱では融解しそうもない氷岩の群れ。果たして、クックルーの炎の昇り竜と、氷龍の氷漬けの岩石、その軍配はいかに?

「突き抜けろコケェ~!」

 ガシャーン、ガシャーン、ガッシャーン!

 不連続に鳴り響く、ガラスが割れるような音。そう、それは、氷岩の一つ一つが砕け散っていく音だ。

 氷岩の群れをかき消していく、クックルーの魂のこもった炎の光線。それがさらに高度を上げて、空中浮遊している氷龍に襲い掛かる。

 迫りくる炎に対抗しようと、両手を突き出して氷の壁を張ったものの、そのバリケードも虚しく砕かれてしまい、氷のドラゴンは真っ赤な業火に焼かれる運命であった。

『グアァァ!』

 蒼色の翼が燃え尽きて、抑揚力を失ってしまった氷龍は、もがき苦しみながら地上へと墜落していく。

 魔神橋の上に叩き付けられた、真っ黒い煙を燻らせる翼竜の残骸。

 とんでもない破壊力だ……。クレオートはそう呟きながら、朽ち果てた亡骸を遠目に見つめていた。

 会心の一撃を披露したクックルーはというと、魔法パワーのすべてを出し切ったせいか、フラフラと千鳥足になって地面の上にへたれ込んでしまう。

「見たか、このやろう、これがニワトリ界の支配者の実力だ、コケ~……」

 クックルーは心地良い疲労感のまま、大の字になって意識を失ってしまうのだった。

 そんな殊勲者のそばへ這っていくクレオートは、真っ白な胸に耳を宛がい安否を確かめる。そして、トク、トクとかすかな鼓動を耳にするなり、ホッと小さな吐息を漏らした。

「そうだ、姫は!?」

 即座に顔を振り向かせるクレオート、その目線の先では、シルクとワンコーのタッグが、炎龍という強敵に怯むことなく立ち向かっていた。

 鉤爪を振りかざして襲ってくる炎のドラゴン、それに応戦しようと名剣で受け流す彼女。爪と剣がぶつかり合う、まさに火花を散らす死闘がなおも続いていた。

「えい! そりゃ!」

『ガァァ!』

 戦況を一言でいうならば、シルクの形勢不利。

 彼女は敵の攻撃を名剣で受け止めるのが精一杯で、攻撃を仕掛けようにも、敵の身軽さに思いのほか苦戦し、なかなか守勢から脱出することができないのだ。

 彼女の顔中に流れてくる目障りな汗。名剣を握り締める両手にも、不快なほどの脂汗が滲んでいる。

 炎龍は見境なく尖った爪を振り下ろす。魔力をほとんど消失していても、その威力だけは尽きる様子もなく計り知れない。

(このままじゃ、いつかはやられてしまうわ。何かいい方法を見つけないと)

 気持ちばかりが先行し、シルクの顔色は焦りの色で支配されつつあった。

 その白熱するバトルシーンを呆然と見守るのは、補助魔法のタイミングを見計らっているワンコーだ。

 彼は明晰な頭脳を巡らせていた。彼女の手助けとなる魔法を放てるのだろうか?と。それは、攻撃魔法を持たない彼なりの悩みの種の一つだった。

 熟考すればするほど、頭の中がパニックに陥ってしまう彼。垂れ下がった目尻と耳が、その遣る瀬無い心情を物語っているようだ。

(く~、オイラにもっと力があれば、姫を助けられるのに……)

 ワンコーが項垂れて自信喪失する間にも、シルクはさらなる危機に直面していた。

 炎龍の鋼のような硬い鉤爪が、彼女の名剣を弾き飛ばし、さらに、彼女さえも吹き飛ばしていたのだ。

 名剣を手放し、地べたに尻餅を付いてしまった彼女。じわりじわりと迫りくる猛威に、ずるずると後ずさりするのがやっとだ。

「ひ、姫!」

 ビクッと全身が震えたワンコーは、極度の緊張感により真っ白な体毛が逆立つ。

 誰よりも慕うシルク、かけがえのないご主人様を守らなければいけない。それは旅立つ前から、パール国王と王妃からの命令でもあり、自分自身の重大なる使命でもあった。

 怖がりで臆病者な性格の彼だが、この時ばかりは不屈の闘志をみなぎらせる。それはやはり、犬の世界における支配者(ルーラー)としての意地と誇りがあったのだろう。

(姫、待っていてくれワン! オイラの未知なる魔法パワーで救って見せるワン)

 ワンコーの真っ白い全身が青白く輝き出した。それこそが、聖なる魔法パワーが溢れている証拠だ。

 いつになく鋭い目つきで炎のドラゴンに狙いを定めた彼は、最大限に蓄積した魔法パワーを一気に放出した。

 すると、炎龍の頭上に波状の歪んだ空間が出現し、その裂け目から、太陽の光を遮るほどの、どす黒く濁った膜のような物が現れた。

 いきなり出現した不穏な物質に唖然としてしまうシルク。当然ながら、それがワンコーが解き放った魔法だと知る由もなかった。

 異変を察知し、炎龍もピタッと動きを止める。だが時すでに遅し、そのどす黒い影がドロッとした液体に変化して、彼の頭にも胴体にも万遍なく降り注いでいった。

『グググ!』

 鉛みたいな黒い液体を全身に浴びた炎龍は、苦しそうな呻き声を上げていた。どういうわけか、彼の動作がぎこちなくなってしまっている。

 ワンコーが繰り出したこの魔法こそ、敵の攻撃を鈍らせる補助魔法の一つ、鈍足波なのであった。しかも、魔法力が高かったせいもあり、その効果はてき面に表れていた。

 強さの象徴とも言える翼も、凶器の爪も、まったく機能していない炎龍。それは魔法攻撃が放てない彼にとって、完全なる無防備状態といっても過言ではなかった。

「姫、今こそ、必殺技でやっつけるんだワン!」

「ありがとう、ワンコー! あたしに任せて」

 このまたとないチャンスを見逃してはいけない、ワンコーのためにも、そして、自分自身のためにも!

 彼女は勢いよく立ち上がると、置き去りにされたままの名剣スウォード・パールを手に取った。

 疾風の速さで駆け抜ける彼女、炎龍の目の前で大地を蹴り上げるなり、洗練された身のこなしで宙へと舞い上がる。

「絶対に、誰にも、あたしたちの邪魔はさせないわ!」

 その気迫のこもった雄叫びは、ワンコーのみならず、王国王女の雄姿を見守るクレオートの耳にも届くほど明瞭で、意気込みの大きさを感じさせるものだった。

 研ぎ澄まされた剣捌きにより、シルクの空中殺法が炸裂する。振り下ろされた名剣から、切れ味抜群のシャープな線が描かれた。

 炎龍の首筋から胴体へ切り傷が走り、そこから一筋の輝く閃光が零れ出す。そして、その輝きが消えていくと同時に、彼の命の灯火もまた消えるように、膝からゆっくりと崩れ落ちていった。

 地上へ無事に着地した彼女は、辛勝に安堵の息をつき、名剣をそっと鞘の中へ仕舞った。

「ふぅ、危なかったわ」

 魔神橋を守護する二匹のドラゴンは敗者となった。

 氷のドラゴンは息絶えたものの、炎のドラゴンの方は虫の息ではあるが、まだ心臓は動いていた。

『お、おまえの、力……。聖なる力。魔神橋を越える、資格を持つ者……』

 炎龍は掠れがかった声で、そんな途切れ途切れの言葉を口にした。

 それを耳にしたシルクは警戒しつつ、神妙な面持ちで彼のそばへと歩み寄っていく。

『……だが、魔神殿のもとへ、辿り着くには、三つの試練が待って、いる』

「三つの、試練?」

 それはいったいどういうこと? シルクが表情を険しくして問いただすも、炎龍はそれをはぐらかし、細部について語ろうとはしない。

 息継ぎが激しくなっていく彼は、薄らいでいく意識の中で、この神殿に辿り着いた勇者たちへ事実を伝えることに徹するのだった。

『三つの試練を、乗り越えた者の前にだけ、魔神アシュラ殿は、お姿を、お見せになる、だろう……』

 そのメッセージだけを最後に残して、炎龍は静かに事切れた。

 この時、シルクが知り得たことはたった二つ。魔神の神殿では三つの試練が待っていること、そして、魔神自身が”アシュラ”と呼ばれていることだけ。

 いずれにせよ、神殿に繋がる魔神橋の禁門が解かれた。彼女は気を引き締めつつ、闇魔界の最高峰である神殿の頂点を見据えていた。

「あ、それよりも、クレオートとクックルーは!?」

 仲間たちの容体を危惧し、慌てふためいて周囲を見渡したシルク。

 気絶してしまったクックルー、さらに、負傷しているクレオートを発見するなり、彼女はワンコーを引き連れて一目散に駆け寄っていった。

 ワンコーの残された回復魔法により、深手の傷を癒してもらったクレオート。一方のクックルーも、シルクから声を掛けられて、ようやく飛んでいた意識を呼び戻すことができた。

「お、みんな無事だったコケ。ということは、炎龍の方もやっつけたのかコケ?」

「安心して、クックルー。ワンコーのがんばりのおかげで、炎龍も倒すことができたわ」

 シルクはワンコーの頭を優しく撫でている。もちろんそればかりではなく、氷龍を撃破した功労者のクックルーの鶏冠も優しく撫でていた。

 疲労こそ隠し切れないが、この上ないほど嬉しそうな顔をするスーパーアニマルたち。

 支配者(ルーラー)として能力を開花させた、一皮剥けた頼もしい彼らを見て、彼女とクレオートもほっこりと口元を緩めるのだった。

「それより、姫。あの炎龍は、最後に何か言葉を漏らしていましたね?」

 クレオートから問われて、シルクはその背景をつぶさに語った。

 魔神であるアシュラと対峙するためには、三つの試練を乗り越えなくてはいけない。それがどんな困難な障壁となるのか、その詳細は闇の中なのであった。

「魔神と会うまでには、もう一波乱ありそうですね」

「そうね。でも、あたしたちは、魔神の足元よりも、さらに一歩前に近づいたわ」

 ここまで来たら、もう躊躇ってなどいられない。シルクたちはすでに、魔神アシュラに手が届く位置まで達しているのである。

 さぁ、乗り込みましょう! 彼女の威勢のいい掛け声一つで、今一度、魔神橋へ足を一歩踏み出した。

 鉄橋の真ん中を威風堂々と歩いていく彼女たち。いななくような風も止み、神殿までの道のりで行く手を阻むものはもう何もない。

 禍々しい不穏な佇まいで不気味に存在する魔の巣窟。そこで来訪者のことを待ち受けるものこそ、謎に包まれた三つの試練、そして、闇の支配者として君臨する魔神その人なのであった。

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