第七章 真実の館~ 支配者の呪われし宿命(6)

 あれから時が流れて、上空に浮かんでいた太陽も傾き、この闇の世界に宵闇が近づいていた。

 氷に覆われていた極寒の地をどうにか潜り抜けたシルクたち。気力も体力もほとんど使い果たし、精神的にも肉体的にも疲労の色をごまかせない。

 そんな彼女たちが辿り着いた先とは、向かうべき魔神の神殿を一望できる、土色に覆われている断崖絶壁の上であった。

 魔神との決戦を目の前に控えた彼女たちは、気力と体力の回復に努めるために、ごつごつとした岩肌の上に座り小休憩を取っていた。

「あたしはね、人間界を支配するために生まれてきた、伝説の支配者(ルーラー)だったの」

 疲れを癒す休息の最中、シルクの口から何の前触れもなく明かされた一言。

 神聖なる天神の力”神通力”を司り、聖なる裁き”雷撃破”の魔法を操る者は、人間界で神として崇拝されて、人間たちを支配することができる。それが、その能力の持ち主の未来であり、宿命なのだという。

 伝説の登場人物を目の前にしたクレオート、その反応は驚きの様相ではあったが、彼女の神がかりな強さを知る彼にしたら、それも納得し得る事実だったようだ。

「わたしも人間界にいた時、噂では耳にしていました。世界を征服できるほどの能力を持ち、神とも言うべき魔術を使いこなせる伝説の支配者が、実際に存在しているということを」

 真実の館の主人であるエルドーヌも語っていたが、闇魔界にいる人々は、現在、過去、未来、さまざまな時代から鬼門を越えてやってきている。

 実際のところ、ここにいるシルクとクレオートの二人も、別々の国というよりも、別々の時代からこの地へ誘い込まれている者同士だった。

「まさか、そのような方が目の前におられると思うと、恐縮の限りです」

「やだ、やめてクレオート。あたしとあなたは、あくまでも冒険のパートナー同士なんだから」

 時空を超えて、闇魔界という異空間で偶然に巡り合った二人は、何かしら運命のようなものを感じていた。

 こんな地獄と呼ばれる暗黒空間ではなく、人間が暮らす平穏平和の世界で出会っていたら……。彼女たちの気持ちの奥には、そんな叶わぬ願いが見え隠れしていた。

 さらに彼女は、もう一つの隠されていた真実を告白する。

 ここから見渡せる神殿に身を寄せている魔神、その闇の支配者の正体こそ、自分と同じく、この闇魔界に誘い込まれた人間であり、神通力なる力を持ち合わせる支配者(ルーラー)だったのだ、と。

 これには、冷静沈着なクレオートでも驚きを隠せない様子だった。人間という立場を放棄し、悪魔に寝返ってしまった魔神に対し、悔しさとやり切れなさをあらわにしていた。

「つまり、わたしたちがこれから戦う敵は、それだけ偉大な魔族、というわけですね」

 クレオートはおもむろに立ち上がると、魔神の神殿が見渡せる崖の先端へと足を運んだ。

 彼の背中を追いかけようとするシルクも、無言のまま立ち上がり、そっと彼の隣に寄り添った。

「ええ、これまでにない強敵であることに間違いはないでしょうね」

 いつの間にか、魔神の神殿は夜の暗闇に包まれつつあった。

 おぼろげな月の明かりに照らされる悪魔の巣窟。そのシルエットから漂う邪悪なる雰囲気とともに、そこで待ち構える闇の支配者の脅威すらも映し出していた。

「あたしは、こんな大きな宿命を背負って生きていけるのかな?」

 それは、些細なことのように呟かれた弱音。それこそが、シルクの今の心境そのものだった。

 彼女は極度の不安で身震いしてしまう。まだ十五という年齢を迎えたばかりの少女にとって、魔神との交戦、さらに、支配者として生を享けた自らの宿命は、胸を締め付けるほどの重責のはずだ。

 そんな彼女の震えた手にそっと触れる、力強くて暖かい男性の手。クレオートはその責務をすべて請け負うかのごとく、姫君の両手を取って強く握り締めた。

「ご安心ください。姫はお独りではありません。このわたし、クレオートがそばにおります」

 クレオートの真っ直ぐを見つめる黒目に、シルクの揺れ惑う瞳が映った。

 彼の記憶に焼き付いたまま離れない忌々しい過去。かつて暮らしていた王国の主権争いに巻き込まれて、うら若き姫を守り通すことができなかった大罪と過失。

 もう二度とあのような悲劇を繰り返してはいけない。彼は誠心誠意を持ってそう宣誓し、シルクという王女を最後まで守り抜くことをここに誓うのだった。

「ありがとう。あたし、あなたさえいてくれらたら、きっと、どんな困難にも立ち向かえる」

 シルクの瞳には薄っすらと嬉し涙が浮かんでいた。

 頼れる両親のいない闇の世界で、信頼のおけるクレオートからの温もりはあまりにも尊く、苦悩も弱気もすべて拭い去ってくれる。

 彼女は勇気を持ってここに誓う。支配者ではなく一人の救世主として、この地で苦しむたくさんの人たちのために、闇の支配者である魔神を倒すことを。

「姫なら、そうおっしゃってくれると思っていました」

「クレオート。これからも一緒よ」

 風の音もなく、静寂に抱かれる月夜の下、手を取り合って見つめ合うシルクとクレオート。

 ワンコーとクックルーは疲れ切ってすっかり眠りこけており、ここはもう、二人だけの世界といっても不思議ではない。

 抑えきれない衝動のままに、彼の胸の中に身を委ねる彼女。

 彼の手がさりげなく、彼女のしなやかな髪の毛を優しく撫でる。

 月明かりに照らされた、桜のようなピンクに染まった彼女の頬。そこに、彼の暖かい手のひらが添えられる。

 静かに瞳を閉じて、麗しい唇をきゅっと締めるシルク。ついに、純真なる一人の少女が、大人の階段を上る時がやってきた――。

「わっほぉぉぉん!!」

 それはあまりにも唐突で、抱き合う二人を飛び上がらせるぐらいに驚かせる音だった。

 持ち前の反射神経を生かし、すぐさま一定の間隔を空けたシルクとクレオート。見開いた目で見つめるその先に映ったものとは、大きなくしゃみをして、深い眠りから覚めてしまったワンコーの寝ぼけ顔であった。

「姫たち、そんなところで何してるワン? 寝ておかないとよくないワン」

「う、うん、わかってるわ。だから、ワンコーは安心して休んで」

 シルクはあたふたしながら、真っ赤な顔を一生懸命にごまかしていた。一方のクレオートもそっぽを向いて、素知らぬ感じでこの場をやり過ごそうとしている。

 そんなことなど構いもしないワンコーは、大きなあくびを一つして、垂れ下がった目をゆっくりと瞑り、もう一度夢の中へ誘われていった。

 勘ぐりされずに済んで、安堵の溜め息を零したシルクとクレオートの二人。照れくさそうな表情を向け合い、黙りこくったまま口元だけを緩めていた。

「……あたしたちも、そろそろ休みましょうか」

「そうですね。できる限り早く、ここを発ちましょう」

 シルクとクレオートも英気を養うため、でこぼことした大地の上に身を横たわらせる。

 この静かな長い夜が明けて、明日を告げる太陽が昇り始める頃、彼女たちはいよいよ、魔神の神殿に向けて旅立つことになる。


 かつて人間としてこの世に誕生し、人間のために尽力した一人の男性。永遠の命に執着するあまり、魔族に魂を売り渡したその男性は、神殿の最奥部で息を潜めながら何を思うのか?

 王国王女として何不自由なく育てられた一人の少女。イヤリングに眠る女神の力を借りて、神聖なる天神の魔術をその手で操る彼女は、夢の中でどんな未来を思い描くのか?

 支配者(ルーラー)の運命を背負った二人が相まみえる時、どのような結末が待っていて、どのような伝説が紡がれるのか、それは、本人たちにも当然知るはずもなかったのである。

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