第七章 真実の館~ 支配者の呪われし宿命(3)

 太陽が地に沈み、時は夜の来訪を告げる。

 ここは真実の館の片隅に備わる、ランプの灯りが優しく照らす別室。

 オレンジ色のしゃれた絨毯の上に横になり、お腹の辺りに毛布を掛けているシルク。そんな彼女の視線は、薄明かりの洋風建築の天井へと向けられていた。

 闇魔界に纏わるいくつかの謎を知り、願いが叶ったはずの彼女だが、その表情には憂いばかりが浮かんでいる。

 人間であるがために死を恐れて、魔族に成り果てて、闇の支配者という立場に生まれ変わった魔神――。

 そして、彼と同じ神通力を持ち合わせ、支配者となるために生まれてきた自分自身の運命――。

 未来そのものに迷いが生じた彼女は、眠りに付きたくても、悪夢に苛まれる恐怖心から目を閉じることができなかった。

「姫、眠れないのかワン?」

 シルクのことを気遣うワンコーは、四つん這いのままムクッと顔を持ち上げた。

 それにつられたのか、クックルーも寝かせていた首を真っ直ぐに伸ばした。

「そりゃ、いきなりのことだ、仕方がないコケ」

 どうやら、ワンコーとクックルーの二匹も興奮で目が冴えていたようだ。

 ここにいる彼ら動物たちも、魔法を司り、さらに人間の言葉を理解できる、それぞれの種族における支配者なのだ。嬉しくないと言ったら嘘になるが、やはり、動揺の方が大きいと言えなくもなかった。

 支配者という存在、その印象はきっと人それぞれ違うだろう。

 世界を制圧するために破壊と殺戮を繰り返し、鬼神に成り果ててしまう者もいれば、平穏平和を提唱し、未来永劫、人類から崇められし神の立場になる者もいる。

 だが、そのどれもが十五歳の少女には荷が重すぎる。支配すべき時がはるか未来であっても、パール城という温室で育ったお姫様には、現実から乖離した夢物語に過ぎない。

「あたしは、どうしたらいいのかな……」

 シルクは天井を見上げながら、問いかけるようにそう呟く。

 両親やお城の従者たちとも離ればなれ。お供である最愛の仲間がそばにいても、相談できる人がいないこの寂しさに、彼女は心細くなってしまい胸苦しさを感じていた。

 せめてクレオートさえいてくれたら……。彼女はおぼろげな視界の中で、真紅の鎧を纏った逞しい剣士の姿を思い浮かべていた。

「姫、そんなに気に病むことはないワン。姫の進むべき道は、姫自身が決めることだワン」

「支配者だろうが救世主だろうが、シルクがやりたいようにやればいいんじゃないかコケ」

 真実を伝えてくれたエルドーヌの言葉を借りて、ワンコーはご主人様のことを精一杯励まそうとする。

 クックルーも柄ではないと内心思いつつも、照れくさそうな顔をして彼女のことを元気付けた。

「ありがとう、ワンコー、クックルー」

 クスッとはにかんだシルク。同じ宿命を背負った仲間たちがそばにいてくれる。彼女はそれだけでも心が休まる思いがした。

 ここで、クレオートが合流してくれていたら鬼に金棒。彼女にとってはベストパーティーなのだが、彼はまだ、この真実の館の門を潜っている様子はなかった。

「姫、どうするワン? クレオートのことを待つのかワン?」

「できることならそうしたいわ。彼にもすべてを話して、これからの先のことを考えたいし」

 闇の中から脱し、人々を救い出すことを望むシルク、そんな彼女にとって、闇の支配者である魔神の存在は避けては通れない障壁だ。

 しかも、その魔神が神通力を操る支配者(ルーラー)である以上、そう易々と乗り越えられる壁とは思えない。そのためにも、クレオートという屈強な味方が何よりも必要というわけだ。

 狂信の村へ忘れ物を取りに戻ったきりの彼。往路や帰路の道半ばで、魔族に打ち負かされる弱者ではないはずだが、それにしてはあまりにも帰ってくるのが遅すぎる。

「でも、クレオートはどうしちゃったのかしら……」

「通路の途中で別れてから随分時間が経ったワン。そろそろ、ここへ着いてもいい頃だワン」

 シルクとワンコーの表情から笑みが消えて、焦りと不安ばかりが浮かび上がる。

 そんな落胆する彼女たちを見るに見兼ねてか、その心配は無用だと、クックルーがクチバシを大きく開きケタケタと笑い飛ばした。

「あのクレオートがやられるわけないコケ。もう夜になったんだし、どこかで仮眠でも取ってるんだろうコケ」

 それは楽観視と言えなくもないが、クックルーの言う通り、この闇魔界を渡り歩ける経験豊富の猛者のことだ、きっとどこかで無事でいるに決まっている。

 クックルーらしい、あっけらかんとした振る舞いが、シルクとワンコーの表情にほのかなゆとりを与えてくれたようだ。

「朝までには、ここへ来るかも知れないし。あたしたちも明日に備えて休みましょうか」

 絨毯の上にもう一度寝直し、シルクはゆっくりと瞳を閉じる。

 ワンコーとクックルーも、彼女に寄り添いながら就寝の時につく。

 彼女たちは思い思いの夢の中を過ごしながら、真実の館で迎える長い夜を越えていった。


* ◇ *


 煮えたぎる憎悪。

 込み上げてくる怨念。

 そして、永遠に拭い去ることのできない敵愾心。

 漆黒の闇の中でまどろむ魔族は、果てしなく長い年月、己の欲望と野望を夢見てきた。

 艶やかな赤色の鎧に身を包んだ邪剣士は、ある闇の空間から身を乗り出し、真実の館に辿り着いたシルクの動向を見守っていた。

(シルク、ついに支配者(ルーラー)である自らの能力に気付いたようだな)

 もうまもなくだ……。邪剣士は耳まで裂けんばかりに口角を吊り上げる。その不気味な微笑みが意味するものとは果たして?

「これはこれは、邪剣士殿。こちらにおいででしたか」

「ガゼルか。ここへ何をしに来た?」

 濃厚な青色の法衣を纏った奇術師ガゼル。影のようにふらりと動き出した彼は、卑下た笑みを零しつつ、邪剣士の隣へと近寄っていく。

「高見の見物……とでも申しましょうか。ククク、邪剣士殿と同じでございますよ」

 ガゼルの細める目には、真実の館で休息の時を過ごす少女の姿が映っていた。

 かつて、困惑の村で激闘を演じたこの二人。魔力こそ、持ち味を生かし優勢に立っていた彼であったが、彼女の封印されし神聖なる天神の力を呼び覚ますきっかけを作った挙句、敗走という苦汁をなめる結果となってしまった。

 まだ当時は、神通力をコントロールできなかった彼女、しかし今は、天神の力である雷撃をほぼ自在に操るまでに成長しつつあった。

 その進化の過程を目の当りにしたガゼルは、表情こそ余裕を見せていても、心の中の戦慄を消し去ることができなかった。

 それとは対照的に、邪剣士の方はますます意気揚々とし、急成長を遂げた彼女の真の力を歓迎した。もっともっと、さらに強くなれと、そんな激励を声高らかに上げていた。

「ハッハッハ! 魔神の巣食う神殿はもう目の前だ! もうすぐだ、もうすぐ、この闇魔界は我が物となる!」

 邪剣士は狂ったように笑い続ける。黒ずんだ瞳の先に開けた、支配者となるべく欲望と野望を見据えながら。

 無論、その邪悪に満ちた咆哮は、真実の館にいるシルクの耳に届くはずもなかった。


* ◇ *


 そして朝がやってきた。シルクたちにとって長いようで短い夜が明けた。

 わずかな日の出の光が別室に注がれる。その木漏れ日のような眩しさで、彼女は一時の眠りから目を覚ました。

 ゆっくりと頭をもたげて、室内を見渡してみる彼女。

 薄ぼけた視界の中にあるものは、白黒のタイル壁の落ち着いた色合いと、仲間であるワンコーとクックルーの寝ている姿だけ。やはり、クレオートはまだ到着していないようだ。

(クレオート、いったいどこにいるの――?)

 待ち人が来ない苛立たしさ、そこに眠りの浅さが輪を掛けて、シルクは沈んだように気が滅入ってしまう。

 彼女は寝ぼけた顔を両手で覆い隠し、溜め息交じりで途方に暮れる。クレオートのことを思えば思うほど、彼女の淡い純真が苦痛という鎖で締め付けられていく。

 それは過去に経験したことのない息苦しさ。居ても立っても居られない感情が、彼女の据えていた腰をすぐさま起き上がらせた。

(どうして! どうして来てくれないの! このあたしを守ってくれるはずじゃなかったの!?)

 シルクは一人別室からロビーへ飛び出すと、出入口のドアを目指して駆け出していった。

 屋外へ出るなり庭先で立ち止まる彼女、朝靄が下りる凛とした朝の景色の中で、右へ左へと隈なく視線を飛ばした。

 クレオートの名を叫んでも、その名前ばかりが虚しくこだまし、返事らしい返事はまったくない。もちろん、彼女の潤みがちの瞳にも人の姿が映ることはなかった。

 表情からも血の気が失せて、庭先の草むらの上でへたれ込むシルク。閉じた瞳から、薄っすらと悲しみの涙が零れ始めていた。

「姫、どうしたんだワン!?」

「おい、シルク、大丈夫かコケ!?」

 シルクのもとへ、目覚めたワンコーとクックルーが駆け寄ってくる。

 彼女の大声を敏感な耳で捉えていたのだろう、彼らは禍々しい魔族でも現れたのかと警戒を強めていた。ところが、意気消沈とした彼女の口から、とんでもない一言を告げられるのだった。

「狂信の村へ戻りましょう。クレオートのことを捜すわ!」

 ワンコーとクックルーはびっくりして目を丸くする。苦労の末に、やっとの思いでここまで辿り着いた彼らにしたら、後戻りすることなど、到底考えたくもない本末転倒な提案だからだ。

 案の定、あからさまに嫌そうな顔をするお供の二匹。もし、行き違いになったらどうするんだ?と、難癖付けて、ご主人様の主張に真っ向から反意する。

 それでも、彼女はお姫様らしくわがままを押し通そうとした。ほとんど半狂乱に陥ってしまい、まるで駄々っ子みたいに暴れる始末であった。

「とにかく村へ戻るの!」

「先を目指した方がいいワン!」

「オレは絶対に戻らないコケ!」

 止め処なく続く押し問答。信頼のおけるパーティーであっても、この時ばかりは折衷案が見つからない。

 余程大きな騒ぎだったのだろう、館の主人であるエルドーヌが、呆けた顔をしたままシルクたちのところへ近づいてきた。

 いったい何事ですか? 戸惑いの混じった彼の問いかける声に、彼女は慌てて言い合いを止めて、申し訳なさそうに伏し目がちになる。

「あ、ごめんなさい、エルドーヌさん。つい、我を忘れてしまって」

 もう一人、信頼のおける仲間が到着していないと、シルクは俯きながら不安な思いを吐露した。

 これから魔神の神殿を目指すとなれば、パーティー全員が揃った方がいいのは一目瞭然。敵の根城に旅立つ前に、まずその仲間の捜索に出ようとしたわけだが。

 メンバー全員の意見が真っ二つに分かれてしまい、些細な口論に発展してしまった事の顛末を耳にしたエルドーヌは、事情を察して頬をほのかに緩めていた。

「そういうことでしたら、その方がいらっしゃったら、わたしの方から伝言を申し伝えましょうか?」

 遅れて到着するであろうクレオートのために、エルドーヌはローブ越しの胸に手を宛がい、シルクたちの伝言を承る役目を買って出た。

 それなら安心して旅立てるのでは?と、彼からそう問われた彼女だが、やはり不安を拭い去ることができないのか、答えに詰まって逡巡としてしまう。

 弱々しい小言を呟き、いつまでも煮え切らない彼女。そんなご主人様に呆れ顔のワンコー、そして、表情にますます苛立ちを募らせるクックルー。

「姫、クレオートなら必ず後から追いついてくれるワン。オイラたちは先へ向かうべきだワン」

「シルク、オレはもう待ちぼうけはうんざりだコケ。こうなったら、オレ一匹でも先へいくコケ!」

 ワンコーの泣き落とし、さらにクックルーから脅し文句を浴びせられては、シルクもこのまま自我を貫き通すというわけにもいかない。

 彼らとクレオートを天秤にかけるわけにもいかず、彼女は半ば開き直ったかのように、髪の毛を振り乱して旅立つことをここに宣言するのだった。

「それでは、道案内をいたしましょう」

 エルドーヌに連れられてやってきた場所とは、館の右手側にある窪んだエリア。そこには、ロビーと大広間の間を遮っていた、あの銀色のシャッターと同じ構造のものが配備されていた。

 シャッターの脇にあるスイッチを押した彼。すると、ここでもシャッターは自動的に、かつ滑らかな動作で動き始めた。

 そして――。開かれた扉のはるか先に見えるものこそ、シルクが越えなければならない最後の障壁、魔性のオーラに包まれている魔神の居城であった。

「どうか、道中はお気を付けください。魔神の神殿へ辿り着くには、凍結した凍てつく大地を越えていく必要があります。少なからず魔物もいますから、決して気を緩めぬようお進みください」

 いよいよ出発の時。シルクとワンコー、そしてクックルーは、凛々しい顔を突き合わせて相槌を打った。

 クレオートが到着したら、よろしく伝えてください。彼女はすがるような目でそう訴えると、エルドーヌも任せてほしいと胸を張って頭を頷かせた。

 扉の先へそっと顔を覗かせてみる彼女、すると、エルドーヌが言っていた通り、キラキラと光る凍てつく冷気が、彼女の頬を痛いぐらいに突いてくる。

 エルドーヌにお礼を告げて、魔神の神殿を遠目に見据えながら、扉の先へ一歩足を踏み出す彼女たち。

「エルドーヌさん、本当にいろいろとありがとうございました。では、行ってきます」

「いくら神の力を持つあなた方でも、魔神は計り知れない魔力を備えた存在。どちらの道を選択しようとも、決して侮らぬよう」

 支配者(ルーラー)の宿命を背負ったシルクの選択すべき道。

 闇を牛耳る支配者となるのか、はたまた、闇を消し去る救世主となるのか。どちらを選ぶにせよ、魔神という偉大な支配者(ルーラー)とは戦わねばならぬ運命であった。

 しかし、彼女にもう迷いはなかった。悪に寝返った魔神を天に代わって裁き、人間たちの未来と希望を拓くことこそが、神聖なる天神に加護されし自らの天命なのだ、と。

(クレオート、早く追いついてね……)

 親愛なるクレオートと再会できないまま、シルクは後ろ髪を引かれながら真実の館を後にする。

 口を真一文字に引き締めて、毅然と歩き始めた彼女に、これからどんな試練と困難が待ち構えているのだろうか?

 それは、真実のみ知るエルドーヌにも知り得ぬ未来であり、想像すらできない結末だ。

 だが、この旅路の終着点で目にする出来事は、一人の少女にとって、あまりにも残酷で悲しい定めしか残されてはいなかった。

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