第七章 真実の館~ 支配者の呪われし宿命(4)
「うーっ、さ、寒いわね!」
「地面が完全に凍結しているワン!」
「コケ~、オレは寒いのは大の苦手なんだコケ~!」
真実の館から少し進んだ先、そこでは、気温一桁を下回るであろう極寒の地が待っていた。
足元にはガラスのように磨かれた氷が広がり、吐く息すらも靄みたいな真っ白い気体に昇華していく。
両腕を組んで寒さを凌ごうとするシルク。通気性に優れたピンク色の武闘着のせいで、漂う冷気が凶器と化して肌を突き刺してくる。
ワンコーはブルブルと震えてしまい足取りもおぼつかない。クックルーも自慢の小言がすっかり失せてしまい、クチバシをカチカチと鳴らしている。
そこは太陽の光も届かない、草木も草花も死滅してしまう永久凍土の世界。見渡す限りのこの透明色な大地を、彼女たちは踏ん張りながら歩き続けた。
「みんな、が、が、がんばってね!」
シルクの励ましの声も震えて凍えている。その声には、先の見えない不安が混じっていた。
それもそのはずで、ジグザグに曲がりくねっているこの道は、そびえ立つ氷の壁で視界も阻まれており、思いのほか見通しが悪い。
しかも、寒冷な空気で蓋をされたような圧迫感と、全身が凍りつくほどの厳しい寒さ。これでは、彼女たちの歩くペースがみるみる落ちてしまうのも無理はないだろう。
「うっ、寒い――!」
突如、これまでに感じたことのない冷感に、シルクは思わず立ち止まり表情を歪める。
ワンコーとクックルーも突然の肌寒さに身震いし、彼女の後ろへと避難してしまった。
彼女たちを震え上がらせた原因とは、進行方向から襲い掛かってきた吹雪だった。しかも、その吹き込む風の勢いは強烈で、このまま立ち止まっていたら凍結してしまいそうだ。
彼女たちの行く手を阻むこの吹雪の正体は、自然現象なのか、それとも!?
「あ、向こうに誰かいるワン!」
シルクの横から顔を覗かせたワンコーが、下がった目尻を上げて大きな声で叫んだ。
吹雪という視界不良の中で彼女が見たものとは、氷上に紛れる真っ白な毛を全身に生やした獣人。それは誰の目から見ても、人間ではない魔物の姿をしていた。
それはまるで、雪山に生息するという伝説の雪男イエティ。のそのそと直立歩行しながら、不気味に光る眼で彼女たちのことを睨みつけていた。
「魔物だわ、こっちに近づいてくるわよ!」
名剣スウォード・パールに手を置き、神経を研ぎ澄ますシルク。
すると、雪男イエティは両手を前方へ突き出した。その直後、また視界が白くなって、どこからともなく猛吹雪が押し寄せてきた。どうやら先ほどの吹雪も、この魔物の繰り出す魔法の一つだったようだ。
風を切る音を鳴り響かせて、凍てつく猛吹雪が容赦なく迫ってくる。氷の壁と氷の大地に覆われたこの状況で、彼女たちに逃げ通せるスペースなど見当たらない。
「オイラに任せるワン!」
ワンコーが果敢にも先頭に躍り出ると、青白い光のオーラを纏い、防御壁を作り出す補助魔法を唱えた。
光のバリケードと厳寒の猛吹雪が、轟音とともに激しく衝突する。
一進一退の鍔迫り合いが続き、互角と思われていたこの勝負。しかし、わずかに吹雪のパワーが勝っていたのか、ワンコーたちは防御壁ごと後方へ吹き飛ばされてしまった。
足場である大地は、それこそつるつる滑るアイスリンク。滑りながら転がるシルクたちは、氷の壁という行き止まりにぶつかりようやくその動きを止めた。
「ケホ、ケホ……!」
シルクは背中を強打してしまい、苦しそうに咳き込んでいる。武闘着の下の肌が凍えていたせいもあり、それはもう痛みの感じ方も半端ではなかった。
まさか防御魔法が弾き返されるとは――。唖然としているワンコーは、体を痛打したことよりも、得意技が通用しなかったショックの方が大きかったようだ。
人間を苛めるのが楽しいのか、嬉しそうに怒り肩を揺らしているイエティ。さらに追い込んでやろうと、またしても、雪殺魔法の吹雪を解き放つ体勢に入った。
「向こうが雪で来るなら、こっちは炎で対抗してやるコケー!」
比較的ダメージの少なかったクックルーが、真っ赤な羽根を羽ばたかせて魔法を放つ姿勢に入る。
イエティが雪殺魔法を放ったのを見計らい、それに応戦しようと、クックルーも火殺魔法を放った。真っ白な吹雪と真っ赤な火柱が、クリスタルのように煌めく凍土の大地で激突する。
吹雪の結晶が炎に融かされて水滴となり、その水滴がさらなる高温で熱されて、まるで雲のような水蒸気の束を発生させる。
そんな化学反応が起こる中、ここでもやはり、魔物の魔法力の方が一枚上手らしく、クックルーの火柱はみるみる熱を奪われてしまい、炎の威力も小さくなっていった。
「く、くそ~、この吹雪、とんでもない威力だコケ~!」
このままでは炎がかき消されて、クックルーが氷の壁に吹き飛ばされてしまう。それを危惧したシルクが、魔法を解除していったん退くよう指示するも、なぜか、ワンコーだけはそれに反対した。
「クックルー! もっと踏ん張って火柱の威力をより大きくするんだワン!」
「ちょ、ちょっとワンコー。あなた、何を言い出すのよ!?」
当然ながら、シルクにはその策が理解できなかった。
彼女は慌ててワンコーのことを咎めるが、彼は曲がりくねった道に退路を見出してから、一つだけお願いがあると、両前足で合掌のポーズをして見せた。
「姫、オイラが合図したら、その剣をクックルーの火柱の中へ投げ込んでほしいワン」
「はぁ!?」
シルクの頭はますますこんがらがる。しかし、ワンコーは必死の形相で懇願した。これこそが、雪男の魔物に近づけるただ一つの秘策なのだ、と。
ワンコーの秘策に難色を示した彼女だったが、他に思いつく案もなく、さらにクックルーの救出を考慮しなければならないため、ここは決死の覚悟で彼の指示に従うことにした。
「よし、わかったわ!」
力強く頭を頷かせたシルクは、名剣スウォード・パールを颯爽と引き抜いた。
クックルーも準備万端とばかりに、顔を鶏冠よりも赤く染め上げて、火柱に渾身のパワーを送る。すると、消えかかっていた炎が息を吹き返して、氷の壁すら融かしてしまうほどに燃え上がった。
雪や氷がどんどん気化していき、視界が薄らぐほどの蒸気が辺り一面に充満していく。この蒸気が飽和した今こそが、ワンコー発案の秘策の発射タイミングであった。
「姫! 剣を炎に向かって投げるワン!」
シルクは目一杯振りかぶって、名剣スウォード・パールを放り投げる。
もくもくと立ち込める蒸気の中を突き抜ける名剣は、狙い澄ました通り、煌々と燃えさかる火柱の中へ突入した。
「姫もクックルーも、早くこっちの方へ避難するんだワン!」
ワンコーの張り上げた大声に従い、シルクとクックルーは横っ飛びして、氷の大地を滑りながら退路となる曲がり角へと逃げ込んだ。
最大限の魔法パワーをもらって、まさに灼熱の炎と化した火柱。その烈火の中で、名剣の光り輝く刀身は赤々と熱を帯びて膨張していく。
それは作為的に起こした化学反応だった。熱膨張した名剣は氷から気化した水分を大量に含み、小規模な水蒸気爆発を起こしたのだ。
冷気という蓋で覆われた凍土の地に鳴り響く轟音。気密性が高かったせいもあり、爆音も爆風も想像を絶するエネルギーであった。
あまりの衝撃の大きさに、目を瞑り、耳を塞ぎ、縮こまりながら身を寄せ合っていたシルクたち。
そして数秒後、そっと目を開けて、両手を耳から外し、静かに動き出した彼女は、曲がり角の隅っこから爆発現場を覗き見してみた。
「あっ!」
白色の靄が漂う空間の下で、雪男イエティは仰向けになって倒れていた。
だが、さすがは強靭な肉体を持つ魔物だけに、彼は絶命してはいないようだ。ブルッ、ブルッと体を揺さぶって、ショックを起こしているように見えなくもない。
これこそ、値千金のチャンスであろう。ワンコーの秘策が功を奏し、シルクにとって剣術攻撃のまたとない機会がやってきた。
曲がり角から颯爽と飛び出した彼女は、氷の上をスライディングしながら、爆発の火種になった名剣を拾い上げる。
「す、すごい。剣が燃えているわ」
火殺魔法の力がまだ宿っているのだろう、燃えたぎる炎を纏う名剣、それはまさに紅蓮の剣と呼ぶに相応しい。
不意を突かれたとはいえ、魔族も黙って退治されるわけにはいかない。イエティは朦朧とした意識の中で、両手足を動かして起き上がろうとしている。
このまま立ち上がらせてなるものかと、シルクは猛ダッシュで駆け出した。幸い、強烈な火力のおかげで、足場の氷がほとんど融けていたため、あっという間に魔物の間合いまで詰め寄ることができた。
赤い軌跡を残しながら、研ぎ澄まされた閃光が走る。
シルクが振り放った剣筋が、イエティの胸元を切り裂いた。その瞬間、彼の全身を覆う体毛が、真っ赤な炎に包まれていった。
「やったワン!」
「よくやったコケ!」
起死回生の一撃が見事に炸裂し、ワンコーとクックルーは前足と羽根を叩いて大喜びする。
ところが、喜んだのも束の間、朽ちていく魔物の不可解な行動に異変を感じ取ったワンコー。
「姫、危ないワン!」
死ぬ間際の最後の抵抗というやつか。イエティは業火に焼かれながらも、両手の人差し指を上空へ突き出し、残った魔法パワーをすべて放出したのだ。
彼とシルクの頭上に突如現れた重量感たっぷりの雪の塊。それこそが、魔物が解き放った最高峰の雪殺魔法、雪崩であった。
それは瞬く間の出来事だった。氷の壁に囲まれた狭い道では逃げ場もなく、彼女は魔物ともども、その真っ白な雪崩に踏み潰されてしまった。
「やばい、このままだとオレたちも飲み込まれるコケ!」
雪殺魔法の雪崩はシルクを飲み込んでもなお、狭窄な氷の道を滑りながら、クックルーたちに向かって怒涛の勢いで迫ってきていた。
ジグザグの氷の上を懸命にひた走る彼ら。しかし、つるつると凍った足場のせいか、一向に前に進まない。
結局、逃げる途中ですっ転んでしまい、雪崩の餌食になってしまった彼らだが、不幸中の幸いにも、雪崩の勢いはかなり弱まっており、雪に埋もれてしまったものの、どうにか自力で這い上がることができた。
「おい、ワンコー、大丈夫かコケ?」
「大丈夫だワン、それより姫を捜そうワン!」
ワンコーとクックルーは雪に足を取られつつも、埋もれてしまったシルクの救出に向かう。
姫ー! シルクー! パウダースノーが積もった白銀の世界で、彼ら二匹の叫び声が虚しく鳴り響いた。
さすがに雪男が作り出した魔法だけに、この雪の冷たさは強烈で、彼らの足取りを重たくするばかりか、体中からも体温をどんどん奪っていってしまう。
このままでは力尽きてしまうと、己の無力さを痛感し、心が折れそうになったその瞬間、彼らの視界に飛び込んできたもの、それは。
「クックルー、見るワン!」
「あ、あれは、シルクの剣の先じゃないかコケ!」
ワンコーとクックルーは名剣が突き出た雪山の一角へと急いだ。
名剣の周り半径一メートルほどだけ、なぜか融雪しており窪んでいる。その窪みの中で、名剣を両手でしっかり握り締めたまま、歯を食いしばって瞳を閉じている一人の少女。
彼らはそれを見て悟った。紅蓮の剣から解き放たれた炎の力が、彼女を雪崩による窒息からも、そして凍える寒さからも救ってくれたのだ、と。
「姫、しっかりするワン」
「……あ、ワンコー、それにクックルーも」
仲間たちの暖かい手を借りて、シルクは横たわっていた上体を起こした。
雪崩に巻き込まれた後、記憶が曖昧なままだという彼女、ワンコーたちから事情を聞かされるなり、手の中にある名剣スウォード・パールを見つめる。
名剣は使命を果たしたかのように、刀身から熱い炎が消え失せて、これまで通りの銀色の輝きを取り戻していた。
熱膨張して水蒸気爆発したはずの名剣だが、変形どころか、煤も黒ずみすらも付着していない。こんなところからも、由緒正しきパール王家に伝承された誇りと力強さを感じさせてくれた。
ワンコーから回復魔法を掛けてもらったシルクは、元気よく立ち上がり、名剣スウォード・パールを鞘の中に収める。
「よし、寒さで体がやられちゃう前に先へ急ぎましょう」
「ワン!」
「コケ!」
魔族の脅威を振り払ったシルクたちは、一歩、また一歩と冷たい雪を掻き分けて、銀色に煌めく雪原の大地を越えていくのだった。
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