第六章 狂信の村~ 地獄から蘇る恐るべき神(5)
狂信の村の地下に隠されていた、目に眩しい白亜の洞窟。
水音がかすかに耳を打つその最奥の地には、大教会よりもはるかに厳かな、まだ見ぬ救世主を祭る祭壇が建立されていた。
その祭壇の真正面に鎮座しているもの、それは、大教会にあったものよりも質感が良く、よりリアルな躍動を感じさせる、ゲルドラと思われる鉛色のブロンズ像であった。
大教会からはるばるここまでやってきた司祭。耳まで裂けるほど口角を吊り上げて、彼は何やら怪しげな文言を呟いている。
「いよいよ、この時が……。クックック。ゲルドラさえ復活させることができれば、俺様も魔神を打ち負かし、この世界を支配できるというもの」
魔族の王として闇魔界を支配しているという魔神――。
その支配者を討伐し、魔族の王へ君臨しようと企む司祭の言葉には、果たしてどのような意味が隠されているのであろうか?
司祭は足元のすぐ近くに円形の魔法陣を描くと、復活の祈りなのか、意味不明な用語の混ざった呪文を唱え始める。
しばらくすると、魔法陣の上に黒ずんだ影がぼんやりと浮かび出す。
「ゲルドラよ、今こそここに蘇れ。俺様とともに、この世界を我が物にしようではないか!」
魔法陣全体が不気味な邪気に覆われていく中、祈りを捧げる司祭の邪魔をする足音、そして、彼の名前を張り上げる大声。
彼は気配を感じ取り、確信した。この祭壇へやってきた命知らずの愚か者が、先ほどの少女たちだということを。
「こんなところにいたのね。もう逃げられないわよ、覚悟しなさい!」
シルクたちはついに追いついた。怪しい宗教を振りまいて、村人たちを殺人者にマインドコントロールした悪の権化を、この最奥の地の果てでついに追い詰めることができた。
「クックック。魔物が生息するこの洞窟を越えて、ここまで辿り着けるとは、おまえたちの能力は相当なものだな」
司祭は嘲るようにせせら笑い、追跡者たちの勇気と功績を褒め称えた。しかしその直後、彼の表情が狡猾なほどおぞましい顔つきに変貌する。
「おまえたちは幸運だ。破壊神ゲルドラの一番最初の餌食になれるのだからな」
右手を高々と振り上げて、司祭がこれ見よがしに見せ示したものこそ、救世主ではなく破壊神と銘打たれたゲルドラの奇怪な銅像だった。
復活を心待ちにしているのだろうか、ブロンズ製のはずのゲルドラの目が、一瞬不気味な光を放ったように感じた。いや、神経の一部に魂が宿り、本当に光っていたのかも知れない。
ゲルドラが破壊神――! シルクは驚愕と動揺が入り交じり、絶句したように声を失った。悪い予感が現実のものとなり、今にも動き出しそうなブロンズ像をただ見上げるしかなかった。
「もうまもなく、ゲルドラがこの世界に降臨する。おまえたちは、黙ってそこで見ているがいい」
「ゲルドラが救世主ではなく破壊神って、いったいどういうこと! 破壊神を復活させて何をしようとしているの? 目的は何なの?」
魔族が蔓延る闇魔界に救世主などいるものか! 戸惑いを浮かべるシルクに対し、司祭は嘲笑しながらそう吐き捨てる。
破壊神ゲルドラとは、かつて闇魔界を影で支配していた魔王的存在。しかし、勇敢なる人間たちの知恵と団結力により、現在は、地底の奥深くに封印されているのだという。
破壊神をこの地に復活させる目的、それはただ一つ。殺戮と破壊を繰り返し、今の闇魔界を無に還した新たなる世界を創造する。言い換えるなら、魔神を亡き者とし、自らが王に取って代わろうとする野望と言えなくもなかった。
正気の沙汰とは思えない。司祭の醜悪な思惑を目の当りにし、シルクは背筋が凍りつく思いに囚われる。込み上げてくる憤りの衝動を、喉元で堪えるのが精一杯だった。
「あなたの目的はわかったわ。でも、どうしてゲルドラを救世主と偽ってまで、村の人たちに信仰させる必要があったの?」
「クックック。これを見てみるがいい」
司祭は自分自身が作り出した魔法陣を指差した。
魔法陣の上に浮かび上がる黒ずんだ影。それは少しずつだが、破壊神ゲルドラの奇怪な風貌を象っていた。
よく目を凝らしてみると、どこからともなく漂ってくる塵のようなものが、その破壊神の幻影に吸い込まれていることに気付く。
「ゲルドラを復活させるには、人間の欲望や邪念といったエネルギーが必要だ。それを効率よく手に入れるために、ゲルドラ教という宗教を利用させてもらったのだ」
未来も希望もないこの地に閉じ込められた村人、誰もが命を尊く思い、誰よりも生き長らえたいと真に願う。そういった人間本来の欲望こそが、破壊神の魂を蘇らせる糧になるのだという。
絶望の淵に追い込まれた人間たちは、救世主の再来を望み、願い、そして祈る。救われたいがために、狂ったように信仰した醜い邪念が小さな塵となり、この魔法陣の黒ずんだエネルギーへと形を変えていたのだ。
司祭は肩を揺らして陰湿に微笑む。目論見が想像以上の成果を招き、喜びを隠し切れない様子だ。
「クックック、それにしてもバカな人間どもだ。救われようと復活させた神が、実際は自分たちを滅ぼす神になるのだからな!」
シルクの顔がみるみる紅潮していく。小刻みに震える両拳を、出血するほど強く握り締める。
その意思表示は、一人でも多くの人間を救いたいと願う、彼女の激怒を示すサインでもあった。
「人の生きようとする気持ちを弄び、それを邪悪な者のために捧げるなんて。あなたのしていること、あたしは絶対に許さない!」
その低俗なる野望、ここで絶つ! シルクは憤怒に満ちた表情で、名剣スウォード・パールを引き抜いた。
彼女に続くように、クレオートも大剣を抜き、そして、スーパーアニマルたちも臨戦態勢を整えた。
しかし、司祭は動じることもなく一人高笑いする。無駄な足掻きは止めるのだと、彼は魔法陣にさらなる呪いのような言葉を投げかけた。
「さぁ、いでよゲルドラ! この俺様と手を組み、闇魔界を根絶やしにし、新たな支配者に君臨しようではないかー!」
司祭の悪意の雄叫びが轟くと、その直後、魔法陣から放たれた幻影が黒い霧へと姿を変える。
視界を遮るほど洞窟内を覆い尽くしていく濃霧。それは流れるような軌跡を残しながら、シルクたちの肌を撫でるように掠めていく。
胸苦しさのあまり吐き気を催してしまう彼女。それほどまでに、人間たちから滲み出た邪念はおぞましく、邪悪に染まっていたのだ。
黒い霧はやがて、破壊神ゲルドラを模したブロンズ像へと吸い込まれていく。
眼に生気が宿り、体の表面から銅の色が剥がれていくと、悪魔のような全貌がついに明らかとなる。
魔王の王冠を被り、長いひげを揺らめかす殺戮と破壊の神が、今ここに、大地を揺るがす轟音とともに復活を遂げた。
「こ、これが、破壊神、ゲルドラ!」
シルクは恐怖を感じて身震いした。
魔王という地位、さらに破壊神と呼ばれるその威厳は、人間のレベルをはるかに超越した、まさに神と崇められてもおかしくない存在感である。
全長こそ巨大ではないものの、放出する禍々しきオーラは凄まじく、彼女は名剣を構えたまま後ずさりしてしまう。それは、あのクレオートでさえも、さらにスーパーアニマル二匹も同様であった。
虎の威を借る狐とはこのことか。復活したばかりの破壊神を味方に据えた司祭は、まず手始めに、目の前にいる邪魔者から始末するよう命令を下す。
「ゲルドラよ。ここにいる愚かな下等生物たちに、おまえの破壊力をとくと見せ付けてやるのだ!」
ゲルドラはゆっくりとした動きで、ミイラのような骨っぽい両手を天井に向ける。
すると、何やら途切れ途切れの耳障りな声が聴こえてきた。それはゲルドラの肉声なのだろうか、しかし、ひげで覆い隠された彼の口はピクリとも動いてはいない。
(我……。スベテヲ滅ボス者。……我ハ、破壊の神。邪魔者ハ、滅ボスノミ……)
それは意思伝達というやつか。破壊神から送られた恐るべきメッセージが、シルクの頭の中に爪痕を残しながら伝播していく。
破壊神の魔性の眼がギラリと光り輝いた瞬間だった!
彼のかざした両手の上に突如現れた光の玉が、まるで彗星のごとく、シルクたち目掛けて降り注いできたのだ。
「みんな、危ない! 逃げてっ!」
光の玉は超速度で落下し大爆発を起こした。その爆風に巻き込まれたシルクたちは、洞窟の外壁の方へ吹き飛ばされてしまった。
爆風だけでも想像を絶する破壊力を持つ、破壊神ゲルドラの一撃。もし直撃していたら、いくら百戦錬磨の彼女たちでも一溜まりもなかったであろう。
大船にでも乗っている気分なのだろう。高みの見物とばかりに、破壊神の殺戮ショーを愉快に楽しんでいる司祭。
「どうだ、ゲルドラの力を思い知ったか! ここまでやってきたことを後悔させるやるぞ。ハッハッハ」
腹を抱えて大笑いする司祭の声が、シルクの神経をますます逆撫でる。
立ちはだかる脅威がたとえ神でも、魔族の一味であることに違いはない。未来と希望を拓くという使命感だけが、彼女の闘志を奮い起こし、勇敢にも戦いの場に立ち上がらせる。
名剣スウォード・パールを握り締めて、彼女は血気盛んに駆け出した。クレオートの制止する声を振り切りながら。
「そう簡単にやられる、あたしじゃないわよ!」
シルクは踏ん張る右足で床を思い切り蹴り上げた。そして、恵まれた身体能力を生かし、彼女はゲルドラの頭上へと舞い上がる。
これまでの戦歴で幾多にも繰り出してきた、彼女のとっておきの必殺技が炸裂した。
名剣の眩い剣筋がゲルドラの体を一刀両断し、致命傷に値するダメージを与えた、はずだったのだが――。
「どういうこと!? まるで手応えがないわ!」
それはあたかも、スクリーンに映し出された映像のようだった。
切り裂かれたはずのゲルドラの全身が、どういう仕組みなのか、二次元という歪んだ空間の中で幻のように揺らめいていた。
その歪んでいた空間がピッタリ重なると同時に、破壊神の真っ二つの体も元通りになってしまった。この魔術のような現象こそが、シルクの必殺技など通用しないことを意味していた。
「そ、そんな。実体を持たない敵と、どう戦えというの!?」
ゲルドラの驚異に恐れをなし、戦意を喪失してしまうシルク。そんな彼女をガードしようと、果敢に駆け付けてくるクレオート。
「姫、ここはいったん離れましょう。このまま戦っても、影を相手にするようなもの。とても勝てる敵ではありません!」
「それじゃあ、あたしたちはどうしたらいいの? 逃げるだけじゃ、何も始まらないじゃない!」
切羽詰まった事態に焦りが募り、無意識のうちに語気を荒げてしまう二人。言い争っていてもいいアイデアなど思いつくわけでもなく、かけがえのない仲間同士の不調和音が続く。
こじれていく人間たちを哀れに思い、クククと笑って口元を緩める司祭は、畳みかけるようにゲルドラに次なる指示を下した。
「よし、ゲルドラよ! ここで一気にトドメを刺してやれ。おまえの必殺技を見せてやるのだ」
司祭はすでに、天上から下界を見下ろす神にでもなったつもりだろう。
眠りから覚めたばかりの破壊の神を顎で使い、まるで手駒のように扱う大盤振る舞い。しかも、その破壊の神が無敵を誇るモンスターだから尚更だ。
封印を解いてくれた司祭の言うがままに従うゲルドラ。そこには感情や葛藤というものはなく、ただ機械仕掛けのように、コマンド入力されるがまま攻撃を発動するだけ。
煌々と真っ赤に染まっていくゲルドラの両手から、燃えさかる炎のカーテンが振り下ろされた。
それはまさしく究極とも言える火殺魔法。危険極まりないその脅威をいち早く察知したワンコーが、シルクとクレオートに向かって声を張り上げる。
「わー、あれは火殺魔法の大火炎だワン! 姫たち、そこにいたら丸焦げになってしまうワン!」
地面すらも真っ黒に焦土してしまうほどの火力。シルクとクレオートは素早い身のこなしで、灼熱の海と化した大地から瞬時に飛び退けた。しかし、壮絶なる熱気を浴びて、火傷という軽傷だけは防ぎ切れなかった。
魔法の威力も超一流、さらに攻撃すらも受け流してしまう実体のない幻影。全知全能の神の前では打つ手もなく、茫然自失とするしかない彼女たち。
「あれこそ、殺戮と破壊のために生まれた存在……。あたしたちには、司祭の野望を阻止することはできないのかしら」
「姫、まだ諦めないでください。破壊神といえど、どこかに弱点や、倒す方法があるはずです。今は冷静さを失わないことです」
シルクの顔色に焦燥と落胆という影が落ちる。これまでの戦闘で諦めたことがなかった彼女だけに、そのもどかしさは、過去に経験したことがないほど計り知れないものだった。
そんな彼女を必死に励まそうとするクレオートも、強大なる敵を目の前にして戦慄と悪寒を覚えていた。勝機を見出そうとしても、震える心を落ち着かせるのが精一杯だった。
お遊びはここまでにしよう。司祭は含み笑いを浮かべて、ゲルドラに第三の攻撃命令、いわゆる破滅のシグナルを送った。
「いよいよ、おまえたちを本当の地獄へ誘う時が来たらしい。この破壊神が繰り出す最強最悪の魔法、暗黒魔法でな!」
「暗黒魔法――!」
シルクの脳裏に浮かび上がる過去、それは、かつて困惑の村で対決した、あの奇術師ガゼルとの死闘であった。
魔族界に身を置く者、その中でもエリートクラスの魔族にしか習得できないと囁かれる、魔法の最高峰と呼び声の高い暗黒魔法。
ありとあらゆる光を飲み込み、生きるすべての者を闇の中へ葬り去るという死の魔法。それが今まさに、ゲルドラという破壊の神の手から解き放たれようとしているのだ。
(グォォォ……)
まただ。ゲルドラの意思伝達と思わしき不気味な声が、シルクの頭の中に深く刻まれる。
ゲルドラの全身が黒煙のようなオーラに包まれていく。暗黒魔法を放つための、凄まじいエネルギーを全身に集めているかのようだ。
彼女の鼓動が激しく高鳴る。怖気づいてしまい、恐怖と絶望で両足が竦んでしまっている。
クレオートも身動きが取れず、グッと唇を噛み締めている。ワンコーとクックルーに至っては、来た道を戻ろうとまでする始末だ。
(……あたしの体に宿る天神よ、お願い、奇跡を起こしたまえ!)
シルクは祈るように、シルバーのイヤリングに語りかけた。だが、時期尚早を告げるかのごとく、封じられし天神の声はここでも届くことはなかった。
真っ黒な暗黒の渦の中に佇んでいる破壊神。いよいよ、エネルギーの充填が頂点に達したようだ。
これが破壊と滅亡の前奏曲なのだろうか。地面が激しく揺れ始めて、ひび割れる轟音とともに洞窟の外壁が軋み出した。
(グオオオ……!)
気合いを意思という形で表現し、ゲルドラは両手を天井に掲げる。すると、漆黒に染まった悪意の渦、禍々しくうごめく暗黒パワーがそこへ吸い寄せられていく。
闇魔界を征服したかのように高笑いする司祭、破滅の道から逃げる術を失い、ただその場に立ち尽くすしなかいシルクたち。それぞれの運命を決める、最強最悪の暗黒魔法がついに放出される!
「ちょ、ちょっと待って。何だか様子がおかしくない?」
破壊と滅亡……のまさに一歩手前、シルクがゲルドラの異変に気付いた。彼女のすぐそばにいたクレオートも、違和感を覚えて呆然としている。
「おかしいですね。何か異常でも起きたんでしょうか?」
それは、誰の目から見ても異変を物語っていた。
ゲルドラの頭部にある王冠の隙間から、何やら真っ白な蒸気のような煙が漏れており、しかも、それはもくもくと立ち上り、暗黒の黒い霧をみるみる白く中和していった。
暗黒パワーが薄らぎ始めて、ゲルドラの眼も輝きが褪せていく。ひげで隠れた口こそ動かぬものの、その意思表示は、悶え苦しむ悲鳴のようでもあった。
(グゥゥ……ア、アツイ。頭がアツイ、モエルヨウダ……)
破壊神は魔法の姿勢を崩し、苦痛にあえぎながら頭を両手で支える。
真っ白く濁った煙に覆われた彼の頭上からは、ほんのわずかに、赤々とした炎が揺らめいていた。
そんなバカなことが――! 司祭は目を剥いて驚愕する。絶対的権力のまさかの異変に、彼の顔色から血の気が引いていく。
「ゲ、ゲルドラ、何をしておる! い、いったい、何がどうなっているのだ!?」
戦意喪失というよりも、己自身の生命の危機。司祭から何を命令されても、ゲルドラは苦しそうに呻くだけだ。
司祭が戸惑って狼狽している間にも、もがき続けた破壊の神は体勢を維持できず、やがて、膝から床の上に崩れていった。
「まさか、完全体ではなかったのか! くそっ、人間どもの欲望や邪念が足りなかったということか……」
立ち込める白い煙の中で、無数に霧散していく黒い塵。破壊神ゲルドラはその威厳と地位を失い、枯れていくかのように消滅していった。
地面の震えも止まり静寂に包まれる洞窟内。ここにいるシルクたちも、さらに司祭すらも、想像もしなかったこの事態に唖然とするばかりであった。
「ゲルドラが消えてしまった……。あたしたちは、やっぱり幻を見ていたというの?」
これは奇跡なのか? それとも、ただの偶然だったのだろうか?
シルバーのイヤリングから何も返事がなくても、これも恵まれた武運の一つなのだと、そう感じずにはいられないシルクだった。
「いえ、幻というよりも、生きた存在ではなかったのでしょう。いずれにせよ、今こそが起死回生のチャンスですね」
「そうね。司祭の悪しき野望を打ち砕かなくちゃ!」
シルクは名剣スウォード・パールを強く握り締める。そして、クレオートたち仲間とともに、意気消沈として跪いている司祭の正面までやってきた。
破壊神復活計画が脆くも崩れ去り、小刻みに震えて悔しがる司祭。後ろ盾を失くした彼の俯いた顔に、光り輝く剣先を突き立てる彼女。
もう逃げられないわよ、覚悟しなさい! 彼女が凛とした声でそう張り上げるも、司祭はまだ全身をぶるぶると震わせたままだ。
「……小賢しい人間どもめ。知ったような口を叩きおって。許さん、許さんぞぉ!」
ドスの利いた声までも震わせて、司祭は狂気に満ちた醜悪な顔を持ち上げる。その時の彼の表情は、司祭という名の皮を被った悪魔そのものであった。
狂信の村で邪教の信仰を流布し、教徒たちの生きる希望を踏みにじった張本人こそ、人間になりすましていた魔族の一味だったのである。
魔法を巧みに操るという、狂魔導士と名乗ったその魔族。彼は身に着けていた祭服を切り刻むと、自らの全身を竜巻のような風の束で包み込んだ。
「クックック。破壊神の代わりに、この俺様がおまえたちをあの世に送ってやる」
「そう簡単にはいかないわ。もう、あなたの好き放題になんてさせない」
シルクはダッシュ一番、物怖じすることなく敵に向かって突き進む。
それを迎え撃とうと、魔法を自在に操る狂魔導士は手始めに風殺魔法を繰り出した。
弓なりになって弧を描く斬鉄破が、ダッシュしてくる彼女に襲い掛かる。しかしそんな魔法では、経験値を積んだ彼女の足止めにもならない。
疾風の刃を素早くかわした彼女は、それこそ、空気を裂くほどのスピードで狂魔の懐へと潜り込んだ。
「ハァッ!」
気合いの一声を上げて、シルクは渾身の力で名剣を振り抜く。
名剣が織り成す眩しく光る一閃は、魔族の胸元を確実に捉えた。ところが、彼女は手応えをその手に感じることができなかった。
それもそのはずで、狂魔導士は自ら作り出した竜巻の風力で天井高く舞い上がり、彼女の攻撃を瞬時にかわしていたのだ。
「それでは、この氷殺魔法をかわせるかな?」
狂魔導士は高らかに笑い、空中に浮遊したままいくつもの氷柱を落下させた。
予期せぬ頭上からの攻撃により、逃げ道を失ってしまったシルク。致命傷だけは避けようと、丸まるように身を縮こまらせる。
そこへ駆け付ける勇敢な戦士こそ、赤き鎧を身に纏ったクレオートだ。彼はストーム・ブレードを振り回し、落下してくる氷の塊をことごとく破壊していった。
だがその一瞬、彼はわずかに表情を歪める。彼女を守ることができたものの、砕け散った氷の破片のせいで、赤い鎧の至るところに傷を残してしまったようだ。
「クレオート、大丈夫!?」
「はい、この程度なら心配いりません」
クレオートは鎧に手を宛がい余裕の表情をして見せたが、激痛を映し出すように、彼の鎧にはより濃厚な赤みが増していた。
目には目を、歯には歯を。すなわち、魔法には魔法で対抗するしかない。そういう結論に辿り着いたシルクは、クックルーに火殺魔法発動の指示を送った。
「クックルー、お願い! あなたの魔法で応戦してっ」
「言われなくてもわかってるコケ! このオレの火の玉を食らわせてやるコケ!」
羽根を真っ赤に染め上げるクックルーは、気合いの入れ過ぎで顔中まで真っ赤だ。
そのおかげで気合いも十分、さらにパワーも全開。彼は羽根を大きくはばたかせて、自慢の火殺魔法、燃え上がる火の玉を放出した。
高速回転しながら飛行する火の玉は、周囲の空気を巻き込みながら、風を台座にして空中浮遊している狂魔導士に向かっていく。
「クックック。無駄なことだ」
狂魔導士は動じる様子もなく落ち着き払っている。
胸に手を当てて、何やら呪文を唱え始める彼、すると、その手が青白く光ったかと思うと、雲隠れするかのごとくそこから忽然と姿を消してしまった。
まさかのターゲット消失――。クックルーの渾身の火の玉は虚しくも空を切り、洞窟の外壁にぶつかり儚く散っていった。
「コケケ!? き、消えやがった!」
「クックルー、消えてないワン、あそこにいるワン!」
ワンコーの声に弾かれて、百八十度視界を傾けるクックルー。そこには、風の流れに身を任せている、余裕綽々の狂魔導士の姿があった。
魔法解説者の役目を担うワンコーは見抜いていたのだ。狂魔導士の摩訶不思議な消失トリックが、スピードアップを可能にする俊敏波という補助魔法だったことを。
「ちくしょー! 攻撃魔法だけじゃなく、俊敏波まで使いこなせるのかコケ」
「自分のことを魔導士と呼ぶだけのことはあるワン。アイツはかなりの強敵だワン」
狂魔導士は勝ち誇ったように腕組みをし、下等生物と見くびる動物たちのことを見下ろす。その目つきは冷め切っており、魔法攻撃でちまちまとなぶり殺さんばかりの狡猾さだ。
お遊びのつもりなのだろう、彼は両手ででかまいたちを発生させるたびに、一つ、また一つと、いくつもの斬鉄波を打ち放った。
空気を切り裂く刃が飛んでくるたびに、悲鳴を上げながら逃げ惑うワンコーとクックルー。小さい体格でどうにか避けてはいるが、体力だけはどんどん奪われてしまう。
「くそ~、いつまでも逃げられないワン。こうなったら、オイラの魔法で!」
攻撃魔法を習得していないワンコーは、反撃はできなくても防御のスペシャリストである。
迫りくる無数の斬鉄波をかわしつつ、彼は補助魔法の一つである封印波を強く念じる。
聖なるパワーを生み出し、突き出した両前足に全神経を集中させる彼は、空中でのさばる魔族の口元目掛けて魔法を解き放った、が――。
「クックック、この俺様に魔法なんぞ通用しない」
ワンコーの苦肉の策だった封印波は、クックルーの火殺魔法の時と同じく、俊敏波の術が掛かる狂魔導士にあっという間に避けられてしまう。
そればかりか、狂魔導士はお返しと言わんばかりに、右手の人差し指を青く光らせて、強烈なる魔法攻撃を仕掛けてきた。
「これでも食らえ、氷岩だーっ!」
氷殺魔法の一つ、氷岩がここに発動し、天井から岩のような氷塊が立て続けに降り注ぐ。
逃走を図ろうとしたワンコーたちだったが、四方八方に落下してくる氷の塊に閉じ込められてしまい、ついには身動きすら取れなくなってしまった。
彼らの目の前に立ちはだかるのは、クリスタルのごとく艶やかな冷たい壁。この厚さでは、さすがのクックルーの火殺魔法でも融かしようがなかった。
「クックック。おまえたちはしばらく、そこでじっとしていろ。飼い主たちが地獄に落ちるのを、そこでのんびり眺めるがいい」
狂魔導士の氷のように冷酷な目が、床に膝を落としたシルクとクレオートに向けられる。
標的を的確にロックオンし、彼の人差し指が怪しいほどに青く輝く。それは、威力倍増の氷岩の爆撃を意味していた。
「愚かな人間どもよ、思い知ったか。この狂魔導士様の必殺魔法で、おまえたちを一瞬のうちに片付けてやろう」
シルクたちのはるか頭上に、先が鋭利に尖った巨大な氷塊が浮かんでいる。
ゆっくりと自転しているその氷岩は、狂魔導士からの指示をじっと待ち、無機質な視覚で彼女たちのことを見下ろしていた。
このままでは二人とも圧死してしまう! 彼女は残されたわずかな時間で回避策を練る。
地面を強く蹴って駆け出せば、間一髪でかわすことも可能かも知れない。しかし、怪我を負ってしまったクレオートを連れてとなると、とても逃げ切ることはできないだろう。
だからといって、彼を置き去りにして逃げるなんてまねはできない。彼女はいつまでも答えに辿り着けず、時は刻一刻と死期に近づいていく。
「姫、わたしのことは心配いりません。どうか、姫だけでも、お逃げください!」
「嫌よ! あなたを置いていくなんて、あたしにできるわけがないわ!」
涙を浮かべて首を横に振る少女、その頑固さはわがままなどではなく、最愛なるパートナーと離れたくないという淡い恋心だった。
諦めちゃダメ!と奮起を促し、クレオートを抱きかかようとするシルク。しかし、彼の体は鉛でできているかのように重たくて、女の子一人の力では移動することもままならない。
「死ねぇぇ~!」
狂魔導士のけたたましい叫びとともに、ついに巨大な氷岩が急降下した。
次の瞬間、シルクはいきなり目をキョロキョロさせる。それはなぜか?
(シルクよ。剣を天に差し出し祈るのです。あなたの魂に宿る、天神の力を解放するのです……)
シルクの鼓膜の奥深くに伝わってきた謎の囁き。それはとても優しい女性の声、そう、シルバーのイヤリングで眠りにつく、あの美しき女神のような。
それは無意識とも言える行動だった。彼女は導かれるがままに名剣を天井に突き出し、そして、幼き頃に教えられた、天神の力を呼び起こす言の葉を心の中で紡ぐ。
(ラ・イ・ゲ・キ――!)
突然、シルクの持つスウォード・パールが黄色い光に包まれた。
名剣からほとばしる光はまさに稲妻。雷鳴のような轟音を発しながら、その稲妻は昇り竜のごとく天を目指して飛翔する。
この奇跡こそ、シルクの生まれ持っての潜在能力、シルバーのイヤリングの女神が指南し発動した、神聖なる天神が司る究極魔法、雷撃破であった。
彼女の解放した雷撃破は光線の速度で、落下してくる氷岩を木っ端微塵に粉砕すると、まるで意思を持つかのように、空中浮遊したままの魔族の方へ軌道を変えた。
「雷の魔法!? そ、そんなバカなっ!」
いくら俊敏波の能力があっても、光のスピードからは逃れることができない狂魔導士。
稲妻が繰り出す痛恨の雷撃をまともに食らった彼は、抑揚力を完全に失い、煤だらけの黒煙に包まれながら自然落下していった。
シルクの握り締める名剣から黄金色の輝きが消えた。眠りを覚ました天神がその役目を終えて、再び眠りにつくかのように。
「い、今の魔法って、あたしが唱えたというの……?」
事態がさっぱり把握できないのか、放心状態のシルクはそんな自問自答をしてしまう。
名剣を呆然と見つめている彼女よりも驚きを隠せなかったのは、彼女に命を救ってもらった形の剣士クレオートであった。
彼の脳裏と記憶にくっきり焼き付いた稲妻の残像。それは紛れもなく、神通力といわれる能力を宿した者にしか扱えない究極魔法。彼は衝撃なる事実を目にし、ただただ愕然とするばかりだ。
「姫。わたしは姫とご一緒している時から、神通力と思わしき不思議なオーラを感じ取っていました。やはり、聖なる力をお持ちだったのですね」
「あ、あたしは、あのね……。お父様やお母様からは、小さい頃にそう教えられたことがあったけど、でも、過去にそれを実感することはなかったの」
シルクは声を震わせつつ、耳にぶら下がるリング状のイヤリングをそっと手に取った。
十五歳の誕生日のお祝いに贈られた、王女の証しでもあるそのイヤリング。神聖なる天神から加護を受けるがままに、彼女は幸運と縁起を担ぎ、どんな時でもそれを身に着けて行動してきた。
そのおかげで、死の危機を乗り越えてきたのもまた事実。奇術師ガゼルとの激戦を潜り抜けることができ、そしてまた、雷撃破という魔法により九死に一生を得る機会に巡り合えたのだ。
「天神のためにも、この戦いに決着を付けなくちゃね」
シルクは凛々しい表情で、地面の上で這いつくばっている魔族の哀れな姿を見る。
天神の裁きを受けた狂魔導士は、焼け焦げながらもまだ落命してはいなかった。しかし、彼は戦う意思がないことを示さんばかりにひれ伏している。
もう降参だ、助けてくれ! 彼の許しを請う情けない掠れ声。支配者のごとく、虚勢を張っていたあの姿とはまるで別人であった。
「た、頼む! もう村の人間には手を出さないから、どうか見逃してくれぇぇ!」
慟哭しながら必死になって懇願する狂魔導士。あまりにも惨めで、あまりにも嘆かわしい振る舞いに、シルクは溜め息交じりで呆れ返るしかない。
彼女とて人の子、たとえ相手が魔族の一味であっても、同じく命を授かる者であることに何ら違いはない。情を顔色に映した彼女が、スウォード・パールの剣先を下げようとした矢先、唐突なる出来事が起こった。
(えっ――?)
シルクの横を疾風のごとく通り過ぎていった真紅の鎧。
彼女が気付いた時には、彼の突き立てた大剣の剣先が、魔族の体を容赦なく貫いていた。
断末魔の叫び声を上げる狂魔導士。それを見ながら、グイグイと大剣を押し込む彼の表情は、優しさの欠片もない鬼面のような顔つきだった。
「ク、クレオート! 何しているの!?」
頭の中が真っ白になってしまい、パニックに陥るシルク。制止を呼びかける声も虚しく、クレオートの両手の力が緩むことはなかった。
クレオートがなぜ凶行に及んだのか? その原因がわかるはずもない彼女だが、血飛沫を上げながら悶え苦しむ狂魔導士には、薄らぐ意識の中で一つだけ気付いたことがあった、それは。
「お、おまえはまさか――! そ、そうか、そ、そういう、こと、だったのか……」
「狂魔導士、キサマの野望もここまでだ。くたばるがいい」
大剣がさらに深く捻じ込まれると、狂魔導士の血走った目から生気が消え去っていく。
人間の力では、到底、魔神を倒すことなどできん……。そんな捨て台詞と悔いを残して、狂魔導士はついに力尽きて息絶えた。
血まみれの大剣を引き抜いたクレオート。その時の彼の真っ赤な背中からは、誰しも近寄らせないほどの殺気が漂っていた。
「姫。狂魔導士の破壊活動は阻止しました。もう安心です」
クレオートは振り返らないままで報告する。その声はいつもと変わらず、優しく接してくれる時と同じだ。だが、シルクの表情に明るさは戻ってこない。
「ねぇ、クレオート。どうして殺してしまったの? 彼は何も抵抗しようとしていなかったはずよ?」
「魔族に気を許してしまった時点で、わたしたちの敗北です。もし、見逃していたら、わたしたちに必ず復讐してきたでしょう」
シルクから尋問されても、クレオートは抑揚のない淡々とした口調で返答した。
彼が言うことは尤もだった。しかし、彼女はどうにも腑に落ちない点がある。魔族の反意すら確かめる前の行動、そして、まるで口を封じるかのような息の根の止め方も。
シルクとクレオートの隙間に、どこかギスギスとした緊迫感が漂い始める。二人ともこの雰囲気を望んではいないのだろう。お互いが、二の句を探そうと躍起になっていることがわかる。
「……姫、これだけは理解してください」
とうとう耐え兼ねて、そう口火を切ったクレオート。その直後、振り返った彼の表情は、さっきまでの鬼面などではなく、勇敢なる紳士の凛とした顔立ちであった。
「わたしは、姫のことを最後までお守りします。だから、姫を守り抜くためには命を惜しみません」
「クレオート……」
心音がバクバクと高鳴り、シルクの頬が武闘着と同じピンク色に火照る。
あたしのことを最後まで守ってくれる。その愛の告白とも受け取れなくもない最愛の人からの誠意に、彼女は戸惑いも迷いも吹っ切れてしまった。
クレオートの咄嗟の判断、それは、自分のことを守護してくれるからこそのもの。邪悪なる魔族を逃さずに討ち果たすことも、この闇魔界から脱出するためには致し方がないこと。
シルクはそう結論付けると、ようやく安堵の笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、クレオート。やっぱり、あなたの行動は間違いなんかじゃないのよね」
「姫に理解していただけて大変嬉しく思います。どうか、身勝手な行動をお許しください」
ギクシャクとした不和も取り除かれて、シルクとクレオートの二人は親睦を確かめ合う握手を交わす。
そして、彼女たち二人は自慢の剣術を駆使して、氷の壁で閉じ込められていたワンコーとクックルーを無事に救出した。
「とりあえず、ここから脱出しましょう。来た道を戻るしかないのかしら」
「姫、もう少し奥に通路がありますよ。司祭に化けていた魔族の隠し通路かも知れません」
クレオートの先導により、シルクとスーパーアニマル二匹は、さらなる奥の通路へ足を踏み入れた。
ほんの十数秒後、彼が予見した通り、通路の突き当りに縄で造られた梯子が見えてきた。見上げてみると、その梯子ははるか遠くまで続いているようだ。
「とにかく上ってみましょう。きっと、村まで辿り着けるでしょう」
縄の梯子を上り続けること数分ほどで、シルクたちは狂信の村へ辿り着くことができた。
破壊神ゲルドラとの激戦、そして、狂魔導士との死闘を繰り広げた彼女たち。大教会の隣にある小屋へ到着した時には、すでに深くて長い夜が明けた後であった。
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