第六章 狂信の村~ 地獄から蘇る恐るべき神(4)

 ゲルドラ教の聖地、狂信の村――。その大教会の地下に広がる通路は、水の音がどこからともなく流れてくる、高湿度でぬめりのある洞窟へと繋がっていた。

 洞窟はそれなりに広大なのだろう、ここへ到着したシルクたちの足音が、天井から滴り落ちる水滴と交じって、まるで山のこだまのように反響している。

 天井から壁まで白く輝いているせいで、視界が開けて追走そのものに問題はないが、如何せん、広くて長い空間が続くだけに、いつになったら司祭の居場所を突き止められるのかまったく予測が立たない。

「司祭はどこに行ってしまったのかしら」

 周囲を捜索するように、髪の毛ごと頭を左右に振っているシルク。

 彼女ばかりではなく、クレオートもワンコーもクックルーも、前後左右に全神経を集中させていた。

 こういう時ほど、出会いたくない物の怪に遭遇してしまうもの。

 ここは元より、人間が来訪すべき場所ではない。深い眠りを邪魔されたことに憤慨し、魔族に身を置く生物が彼女たちの前に姿を現した。

「姫、どうやら魔物の登場ですよ。警戒してください」

「ええ、わかってるわ」

 シルクやクレオートの前に立ちはだかるのは、二股に分かれた細長い舌をペロペロと遊ばせている、まだら模様の皮膚を持った巨大な蛇であった。

 焦点の合わない黄色い眼がキョロキョロと動き、ハブのような逆三角形を象った頭が、殺傷能力がある猛毒を持っていることを暗に示していた。

 それを早くも証明せんばかりに、巨大蛇は顔中にあるピット器官から猛毒ガスを噴射してきた。

 洞窟という密閉された空間が黄ばんだ空気に浸透していく。それに息苦しさを察知したクレオートが、シルクたちの盾となって後方へ下がるよう促した。

「これは毒ガスです! みなさん、後ろへ引いてください!」

 このままでは窒息死してしまう! シルクたちは咽返る咳に苦しめられながら、洞窟の後方へ瞬時に飛び退けた。

 巨大蛇は逃してなるものかと、黄ばんだ毒ガスの中を平然と前進してくる。胴体を器用に伸び縮みさせるだけではなく、人間をいたぶるのを楽しむかのごとく、細長い舌までも気味悪げに伸び縮みさせながら。

 また猛毒ガスを噴射されたら逃げ場を失ってしまう。シルクはそうなる前にと、至近距離攻撃よりも、遠距離攻撃が得意なスーパーアニマルたちに指示を出した。

「ワンコーとクックルー。あの魔物と戦うには、あなたたちの魔法に頼るしかなさそうだわ」

 久しぶりの出番に胸が躍ったのは、ワンコーではなくクックルーの方だった。自信家の彼は真っ白い羽根を翻し、お得意の火殺魔法の体勢に入った。

「行くぜ、まずはオレの火の玉攻撃をたっぷり味わえコケ!」

 クックルーは赤色に染め上げた羽根から、燃えさかる火の玉を放り投げた。

 しかも、その火の玉はいきなり分裂し、一つが二つ、さらに二つが四つとネズミ算に倍増し、あっという間に十数個の火の弾丸へとレベルアップしていた。

 ”火の玉空中分裂”と銘打たれたその火殺魔法が、ゆらゆら揺らめきながらも速度を上げて、黄ばんだガスを切り裂きながら突き進んでいく。

 巨体であるが故の悲しい末路か。動作の鈍い蛇の魔物に、無数に飛んでくる火の弾丸のすべてを避けることなど当然できるはずもなく。

 鼓膜を震動させるほどの破裂音とともに、巨大蛇の全身は大爆発を起こした。そして、焼けただれた肉片が辺り一面に飛び散った。

「コケケーッ! どうだ、思い知ったかコケ」

 勝利を確信し、気勢を上げるクックルーだが、油断したのも束の間。

 頭部を残して死骸と化した巨大蛇は、最期の悪あがきとばかりに、ピット器官を最大に開いて大量の猛毒ガスを噴き出したのだ。

 しかも、それは竜巻のように渦を巻き、致死量を超える凶器と呼べるほどの凄まじさであった。

「今度こそ、オイラの出番だワン!」

 誰よりも先頭へ飛び出したワンコーは、前足で合掌しながら呪文を唱える。

 すると、重ね合わせた前足が青白い聖なる光に包まれていく。これこそ、彼ご自慢の補助魔法である。

 彼の両前足から零れた聖なる輝きが、床から天井へ届く大きな光のバリケードを形成した。

 それはまさに間一髪。その防御壁により、襲い掛かってきた猛毒ガスはすべて跳ね返されて、壁の内側のいるシルクたちの命を救うことに成功したのであった。

「お見事よ! さすがは、魔法を司るスーパーアニマルたちね」

 シルクはお供二匹の頭を撫でて、特徴を生かした活躍ぶりを褒め称えた。

 魔物という障壁もなくなり、彼女は仲間たちに声を掛けて、さらなる洞窟の奥へと進んでいくのだった。


 それから十分以上は過ぎたであろうか。シルクはまだ、司祭の姿をその目で捉えることができずにいた。

 そのせいか、焦燥感ばかりが募っていく彼女。脳裏に浮かんでくるのは、司祭が笑いながら語っていた不穏な台詞ばかり。

(これからゲルドラ様の復活の儀式を執り行うから、いつまでもおまえたちと遊んでいる暇などないのでね)

 ゲルドラはこの村では救世主として崇められている。

 しかし、大教会に鎮座しているあの不気味な銅像、そこから漂わせる妖しい気配。あれはどう見ても、村人を救う神の様相とは到底思えない。

 胸騒ぎを拭えないままに、シルクは終わりの見えない洞窟の中をひたすら駆けていく。

 洞窟の奥に進めば進むほど、進行方向の薄明かりから動物のいななきのような鳴き声が聴こえてくる。またしても魔物か――! 彼女はさらなる警戒感を強める。

 開けてくる視界の中に飛び込んできたもの、その正体に目を疑い、驚愕の声を上げてしまうシルク。それはクレオートも、ワンコーとクックルーも例外ではなかった。

「えっ……、も、もしかして、これ」

 ワンコーとクックルーはあんぐりと、だらしなく口を開けっ放しにしている。

 真っ赤な兜の下にある額から一滴の冷や汗を流したクレオート。彼は呆然としたまま、ポツリと独り言のような小声で囁いた。

「これは、恐竜、というやつですね……」

 ズッシーン――。

 それは地響きを起こす重々しい足音。見上げてしまうほどの図体をもっさりと揺らし、シルクたちの方へ顔を向ける生物こそ、人間界では絶命した恐竜、トリケラトプスの面構えをした魔物だ。

 丸太のような肢体、鎧のような硬質な皮膚、そして、十メートルは優に超えているであろう体長。いななきを上げるその恐竜は、機械仕掛けなどではなく、生きている証しをありのままさらけ出していた。

 ここは人間の住む世界ではなく、悪魔が牛耳る闇魔界、こんな怪物が生息していても不思議ではないが、やはりショッキングなのか、彼女はしばらく動くことができなかった。

「ど、どうするの? あんなに大きい魔物となんか戦えるわけないわ」

「わたしのストーム・ブレードでも、さすがに、どう攻め込んだらいいのか見当が付きません」

 それは子供と大人の比ではない体格差。シルクやクレオートの剣術も、さらには、クックルーの魔法すらも跳ね返してしまいそうだ。

 できることなら、ここは戦わずに穏便に済ませたい。それが、彼女たち全員の総意であった。

 トリケラトプスは本来、草食恐竜だ。刺激さえしなければ、人間に襲い掛かってくることはないだろう。そう推測してみたものの、彼女たちのことを見据える恐竜はどこか様子が違う。

「ちょっと待って。あの恐竜、どうみても、あたしたちを狙ってるわよ」

 危険を知らせる赤色の眼。それは先ほどの大蛇にも似た、爬虫類特有の心を持たない冷酷な眼光だ。

 トリケラトプスは狙いを定めてついに動き出す。のっしのっしと、まるで地震のように洞窟の大地を震わせながら。

 どうしたらいいの!? 混乱するあまり右往左往してしまうシルク。

 攻略法すら見つけることができない今、彼女は苛立たしさに唇を噛み締めて、逃げるように後ずさりするしかなかった。

 そんな彼女とは対照的に、単身前進を試みた勇敢なるメンバーが一人。それは何を隠そう、攻撃面で一番能力が劣っているワンコーだった。

「ワ、ワンコー、あなた、何をするつもり? 危ないわよ!」

「姫は下がるワン! 戦えない敵なら、眠ってもらうしかないワン」

 両前足を天井目掛けて突き出し、これまで以上に気合を込めるワンコー。彼は補助魔法でも難易度の高い、催眠波を解き放とうとしているのだ。

 どこからともなく出現した真っ白な光が、彼の全身を覆うように包み込んでいく。

 そうしている間にも、一歩、また一歩と、トリケラトプスは地響きを上げながら近づいてくる。もうあと数歩で、ワンコーは大きな足の下敷きになってしまうだろう。

「おい、ワンコー! もう間に合わねぇ、早く逃げろコケ!」

「そうよ、ワンコー! このままだと踏み潰されてしまうわ!」

 クックルーが制止を求めても、ワンコーはそこから動こうとはしない。

 シルクが退陣命令を発動しても、ワンコーは必死になって魔法の言葉を紡ぐ。

 そうなのだ。攻撃メンバーが行き詰ってしまった今だからこそ、お城に仕える誇りを胸に、彼にしかできない真価を発揮する番なのだ。

「オイラの催眠波、頼むから効いてくれワ~~ン!」

 ワンコーは声を張り上げるなり、光に包まれた両前足を思い切り振り下ろした。

 そこへ迫ってくるトリケラトプスの巨大な前足。今にも彼が踏み潰されようとした瞬間、まるでシャワーのような極め細やかな光が、恐竜の顔に優しく降り注いでいく。

 これで魔法が効かなければ命運も尽きる。恐怖のあまり蹲るワンコー、そして、目を覆ってしまうシルクたち。

 それは短いようで長いほんの数秒間……。

 恐る恐る、瞑っていた瞳を開けてみたシルク。すると、重たい前足を持ち上げたままの恐竜が、攻撃的な赤い眼をとろんとさせて、じっとしたままその場で固まってしまっていた。

 巨大な前足の影の中で蹲るワンコーも、震えながらそっと目を開けて、ゆっくりと頭上を仰いでみた。

「ま、魔法が効いた、ワン?」

 意識を失ってしまったのか、トリケラトプスは白目を剥いて、鋼鉄でできたようなその巨体を横たわらせる。

 埃を上げて地鳴りが響いたかと思うと、それを追いかけて、耳を塞ぎたくなるほどのやかましいいびきが洞窟内に反響した。

 これこそ幸運であり、奇跡。ワンコーが渾身の力で解き放った魔法は、トリケラトプスをものの見事に夢の中へ旅立たせることに成功したのだ。

「た、助かったワン……」

 成功してもなお、ワンコーは口を開けっ放しでまだ放心状態であった。

 そんな彼のもとへ駆け付けてくる仲間たち。労をねぎらうように、みんがみんな、褒めちぎるほどの称賛の声を投げかけていた。

「さぁ、ワンコーの苦労を無駄にしないためにも、先を急ぎましょう!」

 シルクたちは静かな足つきで、すっかり眠りこけている恐竜の横っ腹を乗り越える。

 司祭の野望を必ず阻止してみせる! 彼女は闘志をみなぎらせながらも、逸る思いを表情に映しながら、洞窟のさらなる奥へと突き進んでいった。

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