第五章 歓喜の都~ 未来を拓く革命の果て(6)

 人間界という故郷を捨てて、快楽という名の平穏平和にすがりつく者が住まう街、歓喜の都――。

 その幸せはまやかしであったのかも知れない。そうとわかっていても、人間たちはそれを望み、それを生きる糧としてきた。

 そして今、心の拠り所であったはずの幸福が、儚くも崩壊しようとしていた。


 家々から火の手が上がり、至るところから爆発音がこだまする。

 泣き叫ぶような悲鳴、そして、断末魔の叫び声を上げる人間たち。

 歓喜に包まれていたはずの都は、地下街から襲撃してきた革命戦士たちと、それを迎え撃つ自警団との戦闘に巻き込まれ、見るも無残な醜態を晒していた。

 真っ赤な業火、真っ赤な鮮血を流す戦士たち。まるで地獄絵図のような空間の中で、剣と剣をぶつけ合う、人間対人間の取り留めのない戦闘が繰り広げられていた。

「討つべき敵は都長ただ一人。皆の者、ワシに続けぇ!」

 地下街王は一部の兵士を従えて、都長が君臨しているであろう屋敷へと舵を取った。

 それを迎撃しようと、一心不乱に突進してくる自警団の面々。両陣営の軍勢が市街地のど真ん中で激しく衝突する。

 太陽の紋章のバッジも月の紋章の兜も傷つき、砂まみれになって、志半ばで力尽きて倒れていく戦士たち。無念を嘆くような叫び声が、市街地の隅々から虚しく鳴り響いていった。

 同志たちを失いながらも、怒涛のごとく攻撃してくる敵をねじ伏せて、地下街王はついに都長の屋敷へと辿り着く。

「いよいよ決着をつける時が来た。待っていろ、都長!」

 この決戦のために磨き上げた刀を掲げて、屋敷の中へと突入していく地下街王。屋敷の門番、さらに屋敷内で警備に当たっていた自警団も粉砕し、彼はひっそりと静まり返っている奥座敷の扉をこじ開けた。

 奥座敷のさらなる奥に佇む上座。そこで一人胡坐をかいている都長は、サーベル状に尖った洋風の剣を握り締めて、瞑想に耽るように静かに瞳を閉じていた。

「とうとう現れおったか、軍曹よ。いや、今では地下街王と呼ばれているのだったな」

 都長はニヤリと口角を上げる。ゆっくりと開かれた瞳は、数年間いがみ合ってきた宿敵を見据える鋭い眼光を放っていた。

「都長よ。ワシがここへ来たからには、もう逃げることもできないと思うんだな」

「フン! この期に及んで、わたしは逃げも隠れもせん。見くびるな」

 サーベル状の剣先を杖にして、どっかり据えた腰を持ち上げる都長。

 くり抜かれた窓のような穴から、混乱に陥った市街地の荒れ果てていく様子が映る。このまま混乱が続けば、都そのものが破滅してしまうだろう。しかし、彼らの鋭利に尖った視線には、敵対する互いの姿しか映っていなかったようだ。

「我々はやはり、戦わねばならぬ宿命だったようだ。おまえのような武術に長ける者を、こんな形で失いたくはなかったが、やむを得ない」

「まったくワシも残念でならん。だが、我ら二人は陰と陽。所詮、お互いがともに存在してはならぬ、儚き運命だったのだ」

 それは些細とも言える意見の違い。双方が歩み寄れぬままに仲違いし、殺し合いの一歩手前で睨み合う二人。

 指導者の一人として、信頼を寄せて従ってくれる民衆のために、彼らはもう、後戻りできないところまで行き着いてしまったのだろうか。

 街の発展のために尽力したこの二人、迷いも躊躇いも断ち切り、真剣勝負を演じるかのごとく、お互いの剣先を向け合うのだった。



 その一方、地下街から都まで一気に駆け上がってきたシルクたちは、市街地の凄惨たる光景を目の当たりにし、声を失ったように絶句してしまった。

 しかし、今は悲嘆に暮れている時ではない。一刻も早く、こんな無意味な争いを止めなければいけない。

 シルクは他のメンバーたちを引き連れて、首謀者である地下街王の行方を追う。

 汗ばむほどに熱を帯びた繁華街を走り抜ける彼女たち。その行先はただ一つ、地下街王と一触即発の間合いで対峙している都長の屋敷であった。

(お願い、どちらも無事でいて――!)

 この歓喜の都には、行政と防衛という二本柱が必要不可欠だ。それを確信していたシルクは、都長と地下街王の無事を心から祈るしかなかった。

 逃げ惑う住民たちとすれ違い、負傷してもなお戦い続ける兵士たちを横目に、彼女たちは苦痛と慟哭の街と化した都の中心街を越えていく。

「見て、都長のお屋敷が見えてきたわ!」

 都長の屋敷の周りには、革命の夜明けを見ぬまま朽ちていった者、そして、街の警護の使命のもとに倒れていった者の亡骸が散乱していた。

 目を覆いたくなるような惨状が、シルクの逸る気持ちをより強く締め付ける。

 彼女ばかりではない。クレオートも、ワンコーもクックルーも命ある者として、まだ残されている命を救うために、その急ぎ足を止めようとはしなかった。

 屋敷の中へと突き進み、都長と地下街王のもとへひた走る彼女たち。

 静まり返る屋敷内、人の温もりを失った冷たい廊下、開かれた奥座敷の先で見えた光景こそ、己の剣を振り下ろさんばかりに構える、指導者二人の緊張感に囚われた姿であった。

「ゆくぞ!」

「かかってこい!」

 都長と地下街王の剣筋が空を切り裂いた瞬間、刃が激しく弾け合う、耳を塞ぎたくなるほどの大きな金属音が轟いた。

 ここで彼ら二人は目を疑うことになる。それはなぜか?

「お、おまえは!」

 都長の刀身と地下街王の剣の隙間に、美しいほどに煌めく名剣が差し込まれていた。

 それは語るまでもなく、名剣スウォード・パールの持ち主であるシルクの一瞬の剣捌きだった。

 彼女は渾身の力を込めて、重なり合う二つの剣を弾き飛ばす。それに弾かれるように、彼ら二人も間合いを取ろうと後方へ数歩下がった。

「ど、どうしてここへ来たのだ!? なぜ、我らの邪魔をする?」

 地下街王と都長は表情を険しくし、動揺をはらんだ震える声でいきり立つ。

 邪魔はしても、戦うためにここへやってきたわけではない。シルクは名剣を鞘の中に収めた。

「どうしてそんなに愚か者なの? どれだけ罪深いことをしているのか、あなたたちにはそれがわからないの?」

 革命と銘打った不毛なる戦闘、それをただ虚しく儚く思い、シルクは声を荒げて悲痛を訴える。

 愚か者呼ばわりされて黙っていられるかと、地下街王はますます激高し、彼女に向かって日本刀の剣先を突き立てた。

「おまえのような小娘に何がわかる? この革命の成功こそが、都の繁栄へと繋がる。都長の生温い政策のままでは、街はいずれ崩壊の道を辿る定めなのだ!」

「ふざけないで!」

 シルクの心の叫びは、ここにいる誰もの鼓膜に響かんばかりの怒号であった。

 憤りと悔しさ、もどかしさと遣る瀬無さが入り交じり、彼女の瞳には薄っすらと涙が滲んでいた。

「あなたの言っている都の繁栄が、あの燃えさかる市街地の姿だと言うの!? その淀み切った汚らわしい目で外の景色をご覧なさい!」

 革命軍と自警団の激闘により、歓喜の都はもう喜びに沸く声など届かない、苦痛と絶望にあえぐ悲鳴だけが響き渡る戦場へと変貌を遂げていた。

 惨たらしく真っ赤に染まった市街地で、戦い破れて絶命していった若者たち。失われてしまった命、名誉ある戦士たちの魂は弔われることなく、この都の黒ずんだ礎と成り果てるだけ。

 平穏政治と富国強兵、共存できずに袂を分かった指導者二人の、身勝手でエゴイズムな思考がいったいどれだけの犠牲を生んだのかと、シルクは涙ながらに怒鳴り散らした。

「うぐっ……」

 地下街王は忸怩たる思いに唇を噛んだ。唇を噛み切ってしまうほど、激しく、力強く。

 彼とて、同志とも言える若者たちを犠牲にしてまで、革命へと突き進むことを望んでいたわけではない。歴史を塗り替えるためには、少なからず尊い犠牲を伴うもの。今はただ、そう自分自身に言い聞かせるしかなかった。

 息詰まる重々しい空気が充満していく中、焦りの色を浮かべつつも冷静なる声を漏らしたのは、この都の発展に寄与してきたと自負する都長であった。

「我々は元より太陽と月。行政という陽の光と、軍部という月夜の影は、所詮、共存などできない運命であったのだ。我々のどちらかが撤退するまで、この戦いに終わりなどあり得ん」

 太陽の紋章を胸に飾る都長、そして、月の紋章を頭に掲げる地下街王。対極の立場にあるこの二人は、命果てるまで戦う宿命なのか? どちらかが敗走するまで争いは続くのだろうか?

 この世に共存できない人間同士などいるはずがない。シルクは毅然と振る舞い、その胸のうちを惜しげもなく口にする。

「そんなことありませんわ」

「な、何だと?」

 都長と地下街王はその意図が読めず一瞬だけ呆気に取られる。

 だが数秒後には、子供のくせに生意気言うな!と怒気を放ち、その真意を問う彼ら二人。太陽と月がともに空に浮かぶことこそ、まやかしのようで不可思議なことだ、と。

「お二人がおっしゃる通り、太陽と月は対極しています。どちらとも同じ空にあったら、それこそ摩訶不思議な世界かも知れません」

 前振りなんぞどうでもよい! 都長と地下街王の表情に苛立ちが募っていく。

 シルクはそれに臆することなく、太陽と月のかけがえのない存在価値を力説していく。

「太陽は朝に陽の光を照らし、月は夜に銀色の瞬きを放ちます。あたしたち人間は一日を通して、その二つの明かりにより生かされている、そう思えませんか?」

 人間が生きていく中で、太陽の眩しさと月の輝きはどちらも必要不可欠。それこそ、太陽と月が昇らなければ、朝も夜も存在しない真っ暗闇となってしまうだろう。

 月のいない朝に太陽のありがたみを感じ、太陽のいない夜に月の優しさで心を癒される。それは、都で暮らす人々にとっても同じことなのではないか?

「街を流れる川のほとりで、創設者であるカザームという方のお話を伺いました。この地に集った人たちと手を取り合い、その創設者は自然と街並みが共存する、こんな立派な都を造成したそうですね」

 歓喜の都がここまで繁栄し、人々が集まる活気溢れる街となれたのも、すべては並々ならぬ統制力を持つ統治者がいたからこそのもの。この都における太陽と月、つまり、都長と地下街王のどちらも欠けてはならないのではないか?

 問いただすような、若干怒気が混じった口調で語り続けるシルク。

 目から鱗が落ちてしまったのか、反論することができず口を噤んでいた彼ら。いつしか、頭に上っていた血がスーッと引いていく感覚を覚えた。

「もう一度手を取り合って、お互いが足りないものを補い合って、この都を本当に歓喜溢れる街にしてください。きっと、慰霊碑の下で眠ってらっしゃるカザームさんもそれを願っているはずですよ」

 瞳を潤ませながら訴える一人の少女の熱意が、強情張りの指導者二人の心を大きく揺れ動かした。

 都を守るために、都に住まう人々を守るために蜂起したことが、大きな間違いであると気付いた彼らに、もう反論できるほどの覇気は残ってはいなかった。

「…………」

 都長と地下街王は項垂れてしまい、全身から闘争心がみるみる薄らいでいく。

 握り締めていた剣と刀も下ろし、物悲しげな表情のまま無機質な天井を仰いだ。

 おお、カザーム殿……。そんな二人の目尻に映る涙は、過ちと後悔という名の苦い涙だったのだろうか。

「我ら二人が慰霊碑の前で誓った言葉……。この都を不幸には絶対にしませんと、そう誓ったあの言葉を、忘れてしまったことをどうかお許しください」

「……いや、もはや許してはもらえまい。我々は己の誇りと自尊心を貫くために、街を火の海にし、人々の生命を奪ってしまったのだからな」

 指導者失格という烙印を押し合う哀れな二人。彼らの震える口元から漏れるものは、悔やんでも悔やみ切れない懺悔の言葉ばかりだ。

 後悔ならいつでもできる、今やるべきことはただ一つと、シルクは憔悴し切ってしまった指導者たちを叱咤激励した。

「この歓喜の都には、人々の生きる希望となるリーダーが必要です。そのリーダーになり得るのは、お二方を除いて他なりません」

 戦火により荒廃した市街地を復興し、身も心も傷ついた人々の道しるべになることが、都長と地下街王のリーダーとしての大切な任務だと説いたシルク。

 彼女から発破を掛けられた指導者二人は、それぞれ真剣な表情を向け合い、そして悟ったかのように大きく頷き合った。

「都長。もう革命などという無益な争いは止めよう。今すぐに!」

「ああ、地下街王、いや、軍曹よ。今は我々にしかできないことをやる時だ!」

 都長と地下街王は深々とお辞儀をすると、終戦を宣言するがために、疲弊した戦士や住民たちのもとへと駆け出していった。

 多少の犠牲はあっても、最悪な結末だけは回避することができた。シルクはホッと胸を撫で下ろし、安堵を示さんばかりに頬を綻ばせる。

「姫。ご苦労さまです。お見事な説得でした」

「さすがは姫だワン」

「やってくれるじゃねーかコケ」

 冒険チームのリーダーを褒め称えて、労をねぎらう親愛なる仲間たち。

 しかし、シルクは鼻を高くしたり、それこそ調子付いたりはしない。彼女の憂いが映った視線は、この屋敷から拝むことができない、都の創設者の慰霊碑の方角へ向けられていた。

「あの人たちを踏み止まらせてくれたのは、あたしみたいなちっぽけな子供じゃない。きっと、カザームさんという偉大なる指導者がいてくれたからよ」

 創設者カザームの容姿を知ることのないシルクだが、この時、彼女の潤みがちの瞳には、彼の優しげな顔がふらっと浮かんできた気がした。

 ――これで安心して、この先もここで眠り続けられる。そんな穏やかな声と一緒に。


* ◇ *


 それから一日が経過した。

 都の市街地の一部は焼け落ちてしまい、美しかった川も野原も濁った灰色に染まっていた。

 家を失った住民たちは、一時的だが地下街へと移り住んだ。もう出入口で入場チェックもなく、皆、地下街の者たちに暖かく迎え入れられた。

 もうこの地に地上も地下もない。人々がいがみ合うこともない。軍隊と自警団が手を組み治安を守る、すべてが新しく始まる歓喜の都であった――。


 さらなる先を目指すことになるシルクたちは、川のほとりに佇む創設者の慰霊碑の前にいた。

 そこには、行政を任された都長、そして、地下街王改め、軍部を率いる軍曹の姿もあった。

「これからも、ともに力を合わせて栄えある都を守り抜きます。どうか安らかにお眠りください」

 指導者二人は墓前で両手を重ね合わせた。

 数十秒という長い黙祷が、彼らの信念と宣誓の力強さを物語っていた。

 焦げ臭い土の上に膝をつく彼らの後ろで、瞳を閉じて祈りを捧げるシルクとクレオート。それは、これからの旅路を見守ってほしいという願いも込められていた。

「キミたちには本当に迷惑を掛けてしまった。我々には何もお礼ができないが、どうかゆっくりしていってほしい」

「お気持ちは頂戴しますが、そうはいきません。あたしたちは人間界へ戻る道を探すために、さらなる奥へ向かいます」

 歓喜の都で暮らす人たちのみならず、この闇魔界で虐げられている人間全員を救いたい。のんびりする間もないままに、シルクは旅立つ決意をみなぎる闘志で表現した。

 彼女の物怖じしない雄々しさ、その勇敢な振る舞いに、都長と軍曹は呆気に取られながらも敬意を表する。

 都のリーダー二人が一人の少女に頭を下ろすのは誠に滑稽に見えるが、それほどまでに、シルクに勇者としての風格と貫禄が備わっていた証しなのであろう。

「そういうことなら、これを持っていくとよい」

 折り目正しい軍服の胸ポケットの中から、銅製の細長い鍵を取り出した軍曹。彼曰く、地下街の屋敷の奥に隠してある、頑丈な扉を開ける鍵なのだという。

 自分にとっては未開の地なのだが……と付け加えつつ、彼はその鍵を託した意図を明かしてくれた。

「その扉の先は洞窟に繋がっておるんだが、そこを越えていくと、狂信の村と呼ばれる閑散とした街があるそうだ」

 この都のはるか先に存在するという狂信の村――。

 都長も軍曹も知り得ない謎めいた地が、シルクたちが突き進む新たなる目的地となる。

 シルクは丁重な謝礼を述べると、人間たちの希望を繋ぐ細長い鍵をしっかりと受け取った。

「それでは、そろそろ行きます。どうかお元気で」

「うむ。キミたちも道中気を付けてくれ。洞窟には魔物が棲んでいるだろうからな」

 歓喜の都の復興を願いつつ、シルクとクレオート、そしてワンコーとクックルーは勇ましく旅立っていく。

 人間の拓けた未来を願うこれからの指導者と、永遠の眠りの中にある先祖代々の指導者たちに暖かく見送られながら。



 かつて地下街王が住んでいた屋敷を目指し、地下街を訪れていたシルクたち。

 忙しそうに大地を闊歩する住民たちの姿。活力を感じさせるその雰囲気は、もう革命前の地下街とは様相が違っていた。

 彼女たちは道行く途中、鎧に身を包んだ男性や制服を着衣した男性とすれ違う。彼らは皆、被災した市街地を少しでも早く再建しようと、日差しのある地上へと上っていった。

「あら?」

 ここで、シルクは一人の女性と遭遇した。

 その人物こそ、地下街王の屋敷の場所を教えてくれたあの女性であった。よく見ると、彼女の回りを数人の子供たちが輪を作って取り囲んでいた。

 晴れ間のような澄み切った微笑みを浮かべる女性は、子供たちを連れ立って、立ち止まるシルクの目の前へと歩み寄ってきた。

「あなたたちのおかげなんですってね。都長たちを仲直りさせたのは。本当にありがとう、心からお礼を言わせて」

 しきりに頭を下げる女性を前にして、シルクは恐縮しながら照れ笑いを返すしかない。

 少しだけ寂しげに目を細めるその女性。虚ろな目線が、彼女を慕うようにくっついて離れない子供たちに向けられる。

「残念ながら、この子たちの父親は昨日の戦いで戦死してしまったわ。でもね、未来を受け継ぐ子供たちは、これからも精一杯生きていかなければいけないの」

 活気を取り戻したのは、何も生き残った男性だけではない。残された母親たちも力を合わせて、希望へと導いてくれるであろう少年少女を育てる使命を背負っている。

 どの時代も、どんな世界でも母は強し。シルクは寂しさを抱きつつも、前進していこうとする女性たちに心が救われた気がした。

 お別れの挨拶を交わし、子供たちと手を握り合って離れていくその女性。そして、彼女とは全く別方向へ歩き始めるシルクたちは、地下街王の屋敷へと先を急ぐのだった。


 それから十数分ほど経ち、ここは、月の紋章を象った旗も下ろされた地下街王の屋敷。

 無人となったはずの屋敷の応接室から、なぜか何者かの声がかすかに漏れてくる。そっと扉を開いたシルクの目に飛び込んだものとは、彼女たちにとって初めてお目にかかる人物だった。

「おお、お待ちしておりました。お話は軍曹殿より伺っておりますぞ」

 シルクのことを待ち受けていたのは、白と青の二色で彩られた、清潔感のある法衣を纏う年老いた神父であった。

 たった一人密室にこもり、テーブルの上に置いた十字架に祈りを捧げていたという彼。この先へ旅立つ彼女たちの無事を祈願していたとのことだ。

「あなた方の向かう先、狂信の村はある尊大なる神を信仰している街です。無闇やたらに近づく旅人は好まれないでしょう。どうか、この十字架をお持ちになってお出掛けください」

 村人たちの誰もが胸にぶら下げているという、信仰者を証明するクロスのペンダント。シルクはその十字架をありがたく頂戴した。

「その十字架を首にかけておけば、狂信の村の人たちに怪しまれることはないでしょう」

「ありがとうございます、神父さん」

「いえいえ。あなた方はこの都の救世主ですからね。どうか、神のご加護を」

 さあ、こちらへどうぞ。この応接室に隠されていた扉まで案内する神父。

 壁にはめられた頑丈そうな扉の鍵穴に鍵を差し込み、魔物が生息している洞窟への入口を解き放つシルク。いよいよ、狂信の村へ旅立つ時が来たようだ。

「さぁ、行きましょうか!」

 シルクは仲間たちと声を掛け合い、高ぶる気持ちそのままに、室内よりもさらに薄暗い僻地へと突き進んでいった。

 猛々しい冒険者たちの後ろ姿を、神父はじっと見据えたままだ。


 その数秒後……。口元をニンマリと緩める神父は、不気味な含み笑いと一緒に、掠れたような声で呟く。

「クックック。さすがは伝説の支配者。ますます、その片鱗が現れてきたようですね……」

 法衣から白色だけが抜け落ちて、身ぐるみが真っ青に染まっていくその姿。

 奇術師と異名を取るその男は、薄気味悪い笑い声を静まり返った屋敷中に響かせていた。

 ”伝説の支配者”とはいったい――?

 彼の口から語られた意味深な言葉の意味など、狂信の村を目指して突き進んでいくシルクに、当然知る由もなかったのである。

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