第四章 悲劇の街~ 純真に思いを馳せる魔女(5)
悲劇の塔――。欄干のない石段で築かれた階段が、苔むした壁沿いに蜷局を巻くように伸びる建造物。
カビ臭くてひんやりとした塔の最上階には、人間に裏切られて、人間不信に陥った美しき魔女が潜んでいるという。
地上一階に充満している不穏なる空気。その邪気をはらんだ気配は、どうやら、遠くに見据える最上階から下りてきているようだ。
壁がくり抜かれた数少ない窓の光を頼りに、シルクたちは最上階に向けてその第一歩を踏み出した。
地上一階から二階へ、そして、二階から三階へと、彼女たちは休む間もなく階段を上っていく。上階に行けば行くほど、魔族が解き放つ狂気のようなものが肌をピリピリと突いてくる。
「姫」
丁度、地上五階に差し掛かった時、先頭を歩いていたクレオートの足が止まった。
いつになく険しい彼の顔つき、それはただならぬ気配を感じ取ったことを物語っていた。
「どうかしたの、クレオート?」
「すぐそこの踊り場に、魔族が待ち構えています」
「――え!」
クレオートが示したその踊り場では、ダンビラの刀剣を握り締める、二本の脚で起立したトカゲの姿をした魔族が佇んでいた。
来たるお客様を心待ちにしている魔物。鱗が浮き出た緑色の胸に鎧を纏ったその容姿は、威風を放つ剣士のようでもあった。
「こいつは、楽しくなってきたぜ。久しぶりの人間のご登場だもんな」
爬虫類特有の眼を鈍く光らせて、幅の広い刀剣を長い舌でペロリと舐めるトカゲの魔族。高貴であることを自慢するように、彼は自らの正体をリザード剣士と名乗った。
それは計り知れないほどの気迫。踊り場までやってきたシルクは、リザード剣士の全身から滲み出る悪意に戦慄を覚えた。
不本意にも足が竦んでしまった彼女、そしてスーパーアニマルの二匹。そんな彼女たちの前で盾となるのは、ストーム・ブレードを両手で握り締めるクレオートだ。
「ここは剣士同士、わたしが相手をしよう。姫は上階へお進みください」
「え? で、でもクレオート、あなた一人では危ないわ」
「わたしは心配いりません。さあ、早く!」
シルクは渋々ながらも了承すると、この場はクレオートに任せて、魔女のいる最上階を目指すことにした。もちろん、ワンコーもクックルーも彼女の後ろに付いていく。
そう簡単に先へ行かせるほど、魔族の性格は甘くはない。リザード剣士はダンビラの刀剣を勢いよく振り回し、彼女たちの行く手を阻まんと襲い掛かる。
次の瞬間、塔全体にこだまする、鼓膜を打ち付けるような衝撃音。リザード剣士の刀剣を、姫君のために身を挺したクレオートが大剣でしっかりとガードしていた。
「さあ、姫。今のうちに!」
「ありがとう、クレオート。ここをお願いね!」
シルクたちはこの機会に乗じて、リザード剣士の脇をすり抜けて階段を駆け上がっていった。
「キサマの相手はこのわたしだ」
「ケッ、おもしろい、実力を見せてもらおうか」
クレオートの大剣とリザード剣士の刀剣が激しくぶつかり合う。磨き抜かれた刃が重なるたびに、目に眩しいほどの火花が宙を舞う。
まさに熾烈なる攻防を繰り広げる、人間の剣士と魔族の剣士の戦い。お互いに決定打に欠ける点からして、剣捌きではほぼ互角といったところか。
「おのれ、こうなったら俺の必殺技、リザード乱れ切りをお見舞いしてやるわ!」
リザード剣士は刀剣を高速で回転させて、空気を切り裂く無数もの真空の刃を放った。
そんな空気の刃に怯むこともなく、クレオートは大剣を持ったまま身構えるだけだ。それもそのはずで、彼の身に着ける赤い鎧は、その程度の攻撃では傷一つ負うことはないのだ。
「わたしもそこまで暇ではない。そろそろ勝負を決める!」
クレオートはストーム・ブレードを構えるなり、打倒すべき強敵目掛けて疾走していく。
真紅の鎧を攻略できないリザード剣士に、もうなす術はない……と思いきや、高貴の身分である彼の能力は剣術だけではなかった。
「バカめぇ、これでも食らえっ!」
「な、何だと!?」
その時、リザード剣士の眼がギロリを不気味に開眼した。
彼の左の手のひらから放たれた魔法光線により、クレオートの真紅の全身が悪しき灰色に染まっていく。
そのわずかな一瞬を突かれたクレオート。リザード剣士の怒涛のタックルを受けて、彼は苔だらけの石の壁へ激突してしまった。
「うぐっ! い、今の魔法、軟体波だったのか……」
「ガッハッハ、ご名答。俺が魔法まで使えるとは思ってなかったようだな」
防御力を低下させる魔法、軟体波により、クレオートの鎧は致命的なダメージを受けてしまった。
硬い壁に背中を強打してしまい、彼は息苦しさに苦痛の表情を浮かべることしかできない。
過信と油断により形勢逆転されて、不利な体勢に陥ってしまったクレオートに、果たして、リザード剣士という高貴の魔族を倒すことができるのだろうか?
「さーて、そのオンボロになった鎧ごと、キサマの体を真っ二つに切り裂いてやるぜ」
ダンビラの刀剣に魔の力を注ぎ込み、これ見よがしに渾身の力を込めるリザード剣士。
これで終わりだ! 彼は雄叫びを上げながら、蹲ったままのクレオートにトドメの一撃を仕掛ける。
だがこの時、勝利を確信していた魔族は気付かなかった。
紋章を象った兜で隠れていた目が、眩しいほどに強く、不気味なほどに妖しく光ったことを――。
◇
足場の悪さを物ともせず、息せき切って階段を駆け上がるシルクたち。
五階の踊り場にクレオートを一人残してきた不安からか、彼女の表情にはどこか憂慮が映っている。
(クレオート、大丈夫かしら……)
戻りたい衝動に駆られるシルクだったが、本来の目的はあくまでも魔女ルシーダとの謁見。身を挺してくれたクレオートのためにも、最上階まで辿り着く必要があるのだ。
――建前はそうであっても、彼女の本音を覗いてみると、誇り高き紳士の凛々しき顔が、頭の中に浮かんだり消えたりしていたことは言うまでもない。
悲劇の塔も地上八階に差し掛かり、彼女たちはいったん逸る足を休ませる。最上階まであと残りわずかとなったこともあり、少しばかり休憩しようと、彼女がそう提案しての小休止であった。
「いやー、疲れた、あともう少しだコケ」
「最上階まで、あと二階ぐらいの高さだワン」
ワンコーとクックルーのコンビは、ぜーぜー息を吐きながら、踊り場から最上階らしき天井を見上げた。
最上階を目指しているにも関わらず、彼らとはまったく反対方向の、下の階を見下ろしているシルク。そんな彼女の横顔には、気が気でない動揺がくっきりと浮かび上がっている。
不安げな顔をしている彼女のそばに、ワンコーとクックルーは苦笑しながら歩み寄った。
「クレオートほどの剣士なら大丈夫だワン。姫はちょっと心配性だワン」
「まったく、女ってヤツは、ちょっと相手が男前だと、これだから困るコケ」
シルクはプクッと赤らんだ頬を膨らませる。さらに、クックルーにだけ、ゲンコツという鉄槌のおまけまでお見舞いした。
「うるさいわね! 別にそんなんじゃないわよ。大切な仲間のことを心配しない方がおかしいでしょ?」
苛立ちをごまかせないシルクの横で、頭を羽根で押さえて痛がるクックルー、そして、それを見ながら微笑んでいるワンコー。
少しばかり緊張が和らいだこの地上八階の踊り場。ところが、そこへ突如と現れた迫りくる脅威。
それは紛れもなく、彼女たちの姿をロックオンしている、奇怪な眼を光らせた魔族の存在であった。
「ひ、姫! 上を見るワン」
「えっ!?」
踊り場の上を見上げるシルクの目に、輪を描いて空中を飛行している魔物が映り込んだ。
コウモリのような翼を広げて、長い耳を折り曲げた醜い顔はまさに悪魔そのもの。踊り場で立ち尽くす彼女たちを見下ろし、彼は甲高い声でせせら笑っていた。
「ケケケ、人間がやってきたよー。さーて、ショータイムの始まりだ」
飛行しているデーモンは、バックリと口を大きく開けるなり、真っ赤に燃え上がる炎を落としてきた。
落下してくる炎のボールが、踊り場にいるシルクたちに襲い掛かってくる。
危ない、逃げて! 声を掛け合って踊り場の壁沿いに避難したのはいいが、落下時のショックで弾け飛んだ熱線が、逃げ場のない彼女たちに次なる攻撃を仕掛けてきた。
「キャッ!」
ジャンプ一番で熱線を避け切ったワンコーとクックルー。ところが、わずかの差で避け切れなかったシルクだけは、熱線をその身に浴びてしまい、石の壁を背にしたまま蹲ってしまった。
彼らはすぐさま、ダメージを受けた彼女のそばへと駆けつける。どうやら、深手とはいかなかったものの、手足のあちこちに火傷を負ってしまったようだ。
「だ、大丈夫。掠った程度だから」
シルクの怪我を手厚く回復するワンコーは、上空を優雅に飛んでいる強敵に警戒感を示した。
「あの魔物、火殺魔法の炎玉を使ってきたワン。敵が空中にいるとなると、オイラたちの方が圧倒的に不利だワン」
頭上で高笑いしている悪魔を見上げたシルクは、痛みと悔しさのあまり唇を噛み締めた。
目には目を、歯には歯を、いや火殺魔法には火殺魔法だ。負けず嫌いのクックルーは、気合いとともに羽根を真っ赤に染め上げて、火の玉乱れ撃ちの体勢に入っていた。
「バカやろう、不利も有利も関係ねーコケ。どっちの魔法が強いか勝負してやるコケ!」
怒鳴り声を張り上げながら、いくつもの火の玉を撃ち放ったクックルー。
火の玉の弾丸がうねりを上げて、宙を舞っているデーモン目掛けて突き進んでいく。どんなに素早く動けたとしても、彼にそのすべての弾丸を避けることは不可能であろう。
ところが……。彼は大きな翼を羽ばたかせて、その火の玉のすべてを跳ね返してしまったのだ。
「そ、そんなバカなコケッ!?」
打ち返された火の玉の一つ一つが、さらに勢いを増してクックルーの足元へ降り注いできた。
床に叩きつけられた火の爆風により、彼の小さな体は石の壁まで吹き飛ばされてしまう。
大きな翼を広げて、高みの見物を極め込んでいるデーモン。その余裕に満ちた微笑みは、人間を弄ぶ狡猾さを感じさせるものだった。
「ケケケ、残念だったねー。ボクには火の魔法なんて無意味ってヤツさ」
治癒の魔法により歩けるまで回復したシルクは、壁に激突してノックダウンしてしまったクックルーのもとへ詰め寄る。
「クックルー、しっかりして!」
「う~、あ、あのやろう~。オ、オレの火の玉をぉ」
自慢のスウォード・パールを振りかざしたくても、敵がはるか上空を飛んでいたのでは届くわけもない。
唯一の飛び道具であるクックルーの魔法攻撃も、先ほどのように跳ね返されて通用しないだろう。
焦れるあまり、気持ちばかりが先走ってしまうシルク。超音波の騒音にしか聞こえない魔族の笑い声に、彼女は不快感たっぷりに地団駄を踏むしかなかった。
彼女たちが何もできないことをいいことに、飛行するデーモンはまた口を開けて、真っ赤な炎玉を落下させようとしていた。
「ち、ちくしょー。アイツ、また炎玉を落としてくるコケ」
「どうしよう、何とかしなきゃ!」
兎にも角にも、まずは安全領域へ避難すべき。そう判断したシルクは周囲をクルクルと見渡してみた。
しかし、ここは隠れるスペースなどない単なる踊り場。苔むした壁にピタッと張り付き、彼女とクックルーは事の成り行きを見届けるしかない。
その時、視界に真っ白な光が射し込んできて、眩しさのあまり思わず目を瞑ってしまう彼女。
薄目で見つめるその視界の中にあったものとは、聖なる補助魔法のオーラに包まれているワンコーの勇ましい容姿であった。
「ワンコー、あなた何してるの! 危ないから早くこっちに来なさい!」
「姫。ここはオイラが活路を見出してみせるワン!」
ワンコーは念じるように難しい呪文を唱える。すると、全身を包んでいた光の束が、頭上へ突き出した彼の両前足へとみるみる集まっていく。
そうしているうちにも、上空にいるデーモンの口の中から、燃え上がる炎玉が今にも溢れ出してきそうだ。
魔族が解き放つ火殺魔法が先か、はたまた、ワンコーが解き放つ補助魔法が先か。いったい、どちらに軍配が上がるのか?
「間に合ってくれ、封印波だワァーン!」
ワンコーが掲げた両前足から、聖なる青白い光線が発射された。
それはまさに瞬時のことだった。光の速度で解き放たれた真っ白な光線が、あっという間にデーモンの大きな口の中に突き刺さった。
するとどうだろう。今にも溢れ出してきそうだったあの炎玉が、何もなかったかのようにかき消されてしまっているではないか。
「ゲーッ! キ、キサマ、これは封印波かぁ」
聖なる魔法を受け付けないのだろう、飛行する魔族は不快なほど顔を歪めて、嘔吐しながら何かを吐き出そうとしていた。
一方、封印波の放出にかなりの魔法パワーを消費したであろうワンコーは、危機的状況を回避できたことに喜びつつも、意識が遠のいたように床の上にへたれ込んでしまった。
そんな勇敢なる仲間のもとへ、滑り込みながら集結したシルクとクックルー。
よくやったわね! 功績を称えながら労をねぎらい、彼女は頼れる愛犬の体をそっと抱き寄せる。
ご主人様の暖かい腕に抱かれて、ワンコーは瞑っていた目をゆっくり開ける。
「……姫。あの魔物の魔法を封じたワン。もうアイツは、ここまで降りなければ攻撃できないはずだワン」
「ありがとう、ワンコー。剣術が使えるなら、あたしたちにも十分に勝機があるわ」
たかが下等生物の分際で! 顔つきをより醜く歪めて、激しい憎悪をあらわにするデーモン。
体中を小刻みに震わせる彼は、どす黒い邪悪のオーラを身に纏い、魔法の封印という忌々しき目に遭わせた張本人に焦点を合わせる。
彼は翼の角度を変えるなり、それはもうジェットスピードで、真下にいるシルクたちに向けて急降下した。
「お、おい見ろ、アイツ、こっちに降りてくるコケ!」
真っ黒い弾丸のごとく落下してくる悪魔は、そのまま体当たり攻撃を仕掛けてくるつもりだ。
それにいち早く気付いたシルクは、ワンコーを抱いたまま慌ててジャンプする。もちろん、クックルーも羽根をバタバタさせてそこから脱出した。
急降下してきたデーモンは、床に衝突する後一歩のところで、翼を折り曲げて急ブレーキを掛けた。そして、まだ勝負は終わっていないとばかりに、その身を颯爽と翻した。
「よくもやってくれたね。どうやら、ボクの本当の恐ろしさを見せなきゃいけないようだ」
魔法を封じられたとはいえ、腕力も能力も人並み以上の魔族であることに変わりはない。
顔つきこそにやけていても、その肉体から漂わせる怒りに染まった威圧感が、シルクの心身をブルッと震え上がらせる。
滑らかに翼を動かして、空中というフィールドに浮遊していくデーモン。血走っている気色悪い彼の眼が、パーティーのリーダーである彼女の姿を捉えていた。
「ケケケ、小娘よ、まずはおまえから殺してあげるよ」
「えっ!?」
デーモンはニタリと口角を上げると、翼を広げたままシルクに向かって直滑降を始める。
飛行速度を上げて、まるでハンググライダーのように滑空してくる魔族。その体勢を見る限り、勢いのまま体当たりを敢行して、この踊り場から奈落の底へ突き落とそうとしているようだ。
翼を目一杯広げた全長はあまりにも大きく、右にも左にもに避けることできない彼女は、ワンコーのことをクックルーに任せると、床の上に這いつくばってその攻撃をどうにかかわした。
「いつまでそうやって逃げ切れるかなー? ケケケ!」
百八十度クルリと回転したデーモンは、またしても翼を翻して上空へ浮揚し、シルクだけに焦点を絞って攻撃を繰り出してきた。
そうすればまた、逃げ場のない彼女も身を伏してそれを回避する、こんな感じで、不毛なる攻防を繰り返すばかりであった。
それを傍目から観戦していたクックルーは、あまりにもじれったくなり、こちらも攻撃に転じるよう、クチバシを尖らせて怒鳴り声を上げてしまう。
「おい、シルク! ヤツが突進してくるタイミングを見計らって、必殺技を決めろコケ」
「無茶言わないで! あのスピードで突入されたら、剣を振り切る前に突き飛ばされてしまうわ」
シルクが切実に語る通り、デーモンの飛行速度は思いのほか素早く、彼女は名剣スウォード・パールすら抜けずにいた。
とはいえ、クックルーが苦言を申すのもまた事実で、こんな交戦を続けても体力を消耗するばかりで、いつまでたっても勝機を呼び込めるはずもなかった。
切迫感に囚われる雰囲気の中、この窮地を救おうと発案する者が一匹。魔法パワーの回復に努めていた、メンバー随一の策士であるワンコーだ。
「おい、クックルー、一つ作戦を思いついたワン。耳を貸すワン」
頭の中に浮かんだ一案を、クックルーにボソボソと耳打ちするワンコー。
その作戦とは、空中殺法を駆使するデーモンの動きを封じるものではあったが、その反面、彼ら二匹に危険なリスクを伴わせるものでもあった。
このまま、シルクを見殺しにするわけにはいかない彼ら。覚悟という名の息を呑み込んで、作戦をいざ決行する瞬間をじっと待つ。
「いいか、ヤツが姫に向かって折り返してきた時を狙うんだワン」
「わかってるコケ」
スーパーアニマルたちの策略も知らず、余裕綽々で突進攻撃を繰り返していたデーモン。そして、その攻撃からひたすら逃げ続けるしかないシルク。
そろそろトドメを刺してやるよ。踊り場の上を我が物顔で飛行していた彼の眼が妖しく光る。
ターゲットである彼女に狙いを定めて、身をくねらせながら折り返してくる、まさにこのタイミングこそ、ワンコーたちが待ちに待った、一発逆転の作戦を決行する瞬間であった。
「クックルー、今だワン!」
ワンコーとクックルーは一心不乱に、滑空してくるデーモンを目標にして走り出した。
小賢しい動物二匹が飛び出してきても、臆することもなく、気に留める様子すら見せないのは、まさに魔族の絶対的自信の成せる業か。彼はそれを見向きもしないまま、鋭利に尖った爪でシルクに襲い掛かろうとする。
四つん這いになって駆け抜けるワンコー、そして、羽根を畳んで二足走行しているクックルー。
彼らは疲労感など微塵にも感じさせず、彼女を救い出すただそれだけのために、がむしゃらになって魔族の大きな翼を目指していった。
邪悪なる爪の脅威から逃れようと、その身を沈ませて這いつくばったシルク。ところが、デーモンもさらに低空飛行して、そんな彼女に魔の手を振りかざそうとした、が――。
「な、何だぁ!?」
突如、全身に衝撃と重量を感知して、デーモンはその攻撃の手を止めてしまった。
彼は予想外のことに、血走った目を見開いて驚愕の声を上げてしまう。それもそのはずで、羽ばたくためのコウモリのような翼の飛膜に、小賢しい動物二匹がしがみついていたからだ。
一方のシルクも、ワンコーたちの無謀な行動を目撃し、言葉を失い唖然とするしかなかった。
「えーい、キサマら、離しやがれ!」
思ってもみない挙動に憤慨し、デーモンは翼をばたつかせてワンコーたちを振り落とそうとした。しかし、どんなに揺すられようとも、口と手足に力を込めて必死に食らいつくスーパーアニマルたち。
彼らの重みのせいで身動きを取ることができず、翼を振り乱してじたばたと暴れ回るデーモン。
ワンコーたちの踏ん張りが功を奏し、じわりじわりと魔族の体が下に沈んでいく。そこはまさに、シルクの剣術の射程範囲といっても過言ではなかった。
「姫、今がチャンスだワン!」
「行け、シルク、おまえの必殺技の出番だコケ!」
呆然としていたシルクは、ワンコーとクックルーの声で我に返った。
彼女は悟ったように力強く頷くなり、仲間たちの決死の努力を無駄にしてはいけないと、光り輝く名剣をその手に握り締める。
床を蹴り上げて、慌てふためく敵の間合いの中へ突入していくシルク。
翼を極められた格好となってしまったデーモンに、彼女の冴え渡る一閃をかわし切れる術などなかった。
「ぎえぇぇぇ~!」
シルクの名剣が織り成す縦断切りを食らったデーモンは、その全身を真っ二つに切り裂かれてしまった。
人間という下等生物を嘲笑し、自信過剰に思い上がっていた魔族の亡骸は、あまりにも惨めで、見るも無残な姿で朽ち果てた。
チームワークで強敵を打ち倒し、シルクとスーパーアニマルたちはホッと安堵の吐息を漏らす。
「姫、さすがだワン」
「よし、邪魔者は消えた、早く上に行くコケ」
ワンコーとクックルーは一息つく間もなく、魔女が待ち受ける最上階へと進もうとする。
ちょっと待って! そんな彼らの逸る後ろ姿を呼び止めたシルク。
「まだクレオートが来てないわ。本当に大丈夫かしら……」
追いつくはずのクレオートの姿は、シルクたちのいるこの地上八階にはまだなかった。
未知なる魔女との接見を前にして、強くて頼りがいのある仲間の不在は、彼女の心に戸惑いと躊躇いを抱かせてしまう。
彼ほどの実力ならきっと大丈夫。ワンコーたちからそう励まされた彼女は、途中で合流してくれることを祈りつつ、ひと足先に最上階へ向かうことを決心した。
後ろ髪を引かれる思いに駆られる彼女、その足取りは重たくても、魔女ルシーダとの対面はすぐそこまで迫っていた。
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