第四章 悲劇の街~ 純真に思いを馳せる魔女(4)

 悲劇の村――。これまでと同じく、荒んだ家並みが点在している、静かでのどかな風景ばかりの過疎な集落。

 歩いている人はほとんどおらず、聞こえてくるのは、取ってつけたような植樹の葉っぱが、風でカサカサと擦れる微音ばかりだ。

 ただ一つだけ、この村にしか存在しないものがある。それは、村の大きな特徴とも言える、青い空に向けてそびえる背の高い塔。

 そんな寂れかけた悲劇の村に到達したシルクたち。久しぶりの明るさに薄目になった視界に映ったものこそ、遠くからでも望めるそのシンボルタワーなのであった。

「ねぇ、あれを見て。この悲劇の村には、あんなに大きな塔があるんだね」

「本当だワン。随分のっぽだけど、何階建てぐらいなんだワン」

「あの高さだと、十階ぐらいはあるんじゃないかコケ?」

 シルクたちはシンボルタワーを見上げながら思わず息を呑む。

 ただでさえ、豪華絢爛なお城や高級感のある住居のない世界だけに、数十メートルの高さであろうその塔は異様なほどに目立つはず。

 苔の生い茂った石畳に張り巡らされて、数少ない穴のような窓から光を取り込んでいる塔。それをじーっと眺めていた彼女たちに、クレオートがぽつりと博識ぶりを披露する。

「あの塔は、この村の名前にちなんで悲劇の塔と呼ばれています。噂によれば、あの塔の最上階には、美しき魔女が住んでいると言われています」

 魔女――!? その奇々怪々な名称にびっくりし、シルクは戸惑いの顔でクレオートを見つめる。

「魔女ということは、あの塔のてっぺんに魔族の一味が隠れているというの?」

「いえ、残念ながらそこまでは。ただ、わたしたちがさらなる先を目指すならば、あの塔を無視するわけにはいかないでしょうね」

 クレオートが険しい顔つきで結んだ台詞は、少しばかり思わせぶりな言い回しだった。

 この時のシルクには、彼が濁し気味に囁いた台詞の意味を理解することはできなかった。

 いつまでも悲劇の塔を見上げていても仕方がない。彼女たちは声を掛け合って、悲劇の村の家並みの方へと足を向けることにした。

 まばらに植えてある大木を抜けていくと、木材や煉瓦で建造された住居がぽつぽつと姿を見せ始める。

 住居の方に近づいてみると、壁の至るところが壊れていて、地面のあちこちに砕けた瓦礫が放置されている。その様相からして、人の手によって破壊された感じが否めなかった。

「どのお家もボロボロだね。どうかしたのかな?」

 廃れた住居のそばでは、わずかながらも、数人の村人の姿を発見することができた。

 ところが、シルクが声を掛けようとするなり、一風変わった面子のせいもあるのか、村人たちは皆、憂い顔を浮かべて無視を決め込むばかりで、さらには家の中へ消えてしまう始末だった。

 絶望と失望しか生まないこの世界だから、笑顔が消えるのはやむを得ないのだろうが、それにしては、やけによそよそしくて冷淡な態度が印象に残った。

「う~ん、みんな、オイラたちに冷たいワン」

「何だか、感じの悪い人間ばかりだコケ」

 無礼なまでの素っ気なさに、ワンコーとクックルーが苛立つのも無理はない。

 何か悩み事でも抱えているのだろうか? それとも、ただ外部の者と関わりたくたいだけなのだろうか?

 事情はどうあれ、悲劇の村で暮らす人々の心の中には、この穴だらけの住居のように、冷たい隙間風が吹いていたのかも知れない。


 村人との会話もないまま、住宅地周辺を当てもなく歩き続けていたシルクたち。

 ふと、一軒だけ隔離されたような住居が見えてくると、そこから突然、尖り切った複数の怒声が彼女たちの耳に飛び込んだ。それは声ばかりではなく、物を叩くような騒音もかすかに聞こえてくる。

 彼女は不穏な空気を察知し、他のメンバーたちと息を潜めて、その騒動の成り行きを大木の幹の陰から覗き見してみることにした。

 この村ではほとんど見掛けない、黒ずんだ藍色の煉瓦で覆われている住居。

 ここもやはり、煉瓦の至る箇所が壊されており、唯一の木製の入口扉も、原型を留めないほどに粉砕されてしまっていた。

 破壊を実行した張本人であろうか、人相の悪い数人の男性たちが、その藍色の住居の中からぞろぞろと姿を現した。

「ちくしょー! やっぱりガンツのやろう、家の中にはいやがらねぇ」

「あのやろう、どこに隠れやがった。見つけ次第、こてんぱんにのしてやる!」

「アイツのせいで、俺たちみんな、都に行けなくなっちまったんだ。ヤツをとっ捕まえて、魔女に許してもらうしか手はねぇ!」

 余程虫の居所が悪いのか、ごろつきのような男性たちは怒り心頭の様子だった。

 ”ガンツ”? ”都”? 初めて耳にする固有名詞、さらに、魔女までが絡んでいるとわかり、シルクは不審げにつぶらな目を細める。

 これから向かうべき道のヒントが、そこに隠されているのではないか? そう思い立った彼女は、クレオートの制止すら振り切って、その無法者たちの方へ駆け出していった。

「すみません、少しだけお話を聞かせてください」

 頭を振り向かせる男性たちは、声を掛けてきたのが幼い少女とわかった途端、クククと卑しく鼻で笑った。

 お嬢ちゃん、何か御用? シルクの周りを取り囲んできた彼らの言動は、明らかに彼女のことを蔑視した口振りだ。

 蔑まれることはもう慣れっこなはずのシルク。毅然と振る舞いつつも、知りたいことだけを選りすぐって、彼女は震えそうな口で質問を続ける。

「あの……。ガンツという人のこと、あと、都とおっしゃってましたけど、詳しく教えていただけませんか?」

「ん~。おい、お嬢ちゃんよ。そんなこと聞いて、どうする気だ?」

 シルクのことを見下しているのだろう、男性たちはせせら笑って取りつく島もなさそうだ。

 この世界から脱出すべく行動している、そんな夢物語を生真面目に語っても、所詮は指を刺されて大笑いされるのが関の山。

 そういう結論に行き着いた彼女、歯がゆそうに拳を握り締めて、囁くようにたった一言、深い意味はありませんと答えるしかなかった。

「まあ、教えてやってもいいけどよ、ちょっとだけ俺たちと遊ばねーか? どうだ、お嬢ちゃん」

 とうとう欲求を我慢できなくなったのか、その無法者の一人が下劣なにやけ顔をしながら、シルクのふんわりとなびく髪の毛を撫でるように触れてきた。

 これには、澄まし顔だった彼女も柔和ではいられなくなり、触らないで!と、失礼極まりないならず者の手をビシッと払い除ける。

 突如、男性たちの顔つきが仏頂面に一変する。彼女を包み込む空気に、ただならぬ緊迫感が走った――。

 まさに一触即発のこの窮地、それを即座に感じ取ったクレオートが、姫君を救おうと果敢に飛び出していく。

「そこまでだ!」

 光り輝く大剣の剣先を突き出し、無法者たちに警告を発したクレオート。

 この景色に奇怪なほど映える真っ赤な鎧の威圧感、そして、鋭くした貫禄のある瞳に睨まれてしまっては、男性たちも腰を抜かして白旗を振るように降参するしかなかった。

 クレオートのみならず、威嚇しているスーパーアニマルにも囲まれてしまった男性たち。これにはさすがに分が悪いと思ったらしく、彼らは渋々ながらも、憤怒していたその背景について話し始めるのだった。

「ここから、さらに奥の方へ進むと、歓喜の都っていう名の、この世界でただ一箇所の歓楽街があるんだ。俺たちはそこへ行くつもりなのさ」

「ところがな。歓喜の都へと繋がる道は今、結界が張られていて出入りができねーのよ。これもすべて、ガンツのやろうのせいなんだ!」

 男性たちは拳を大地に落として、落胆と悲観の混じった怒気を撒き散らした。

 この地獄に唯一という歓楽街。そこへの道のりに結界が張り巡らされたきっかけを作った、そのガンツという人物はいったい何者なのだろうか?

 シルクが興味津々にそれを詮索してみると、男性たちは一様に、廃れてしまった黒ずんだ藍色の煉瓦をじっと睨みつける。

「ガンツはあの家に住んでいたんだが、ある事件を起こしてから、どこかへ隠れてしまったのさ」

 その事件こそが、ガンツと魔女を結びつける発端なのだという。

 男性たちの話に寄るところ、詳しくは知らないそうだが、ガンツと魔女の間には、何かしら取り返しのつかないトラブルがあったそうだ。

 それが引き金となって、オーロラのように虹色の結界が発生し、さらに、当事者のガンツも行方不明となってしまった今、歓喜の都への道は固く閉ざされたままなのであった。

「ヤツを匿ってるかどうか、他の住居もしらみ潰しに捜してみたが、どこにもいやしねぇ。早いとこ見つけて、魔女と話し合いをさせねーと、俺たちはいつまでたっても都に行くことができねーんだ!」

 無関係の住居で破壊活動を繰り返した挙句、結局、目的すら果たせなかったそのならず者たちは、焦燥感いっぱいにひたすら咆哮するしかなかった。

 この村で暮らす人々のよそよそしさ、冷淡とも言えるあの態度。

 初めてここへ訪れた時の印象を思い出したシルクは、人間同士がいがみ合った上のこの惨状に、やり切れない胸苦しさを覚えていた。

 知り得るだけの情報を出し切った男性たちは、もう用はないだろ?とふて腐れながら、肩で風を切ってこの場から去っていった。

「どうやら、わたしたちも、そのガンツという男に会ってみる必要がありますね」

 人工的な冷たい風が吹き抜ける中、喧噪が去った後の沈黙を破ったクレオート。

 リーダーシップを取ろうとする彼に対し、シルクはどうしてか、少しばかり不快感を示していた。

「ねぇ、クレオート。さっきはどうして、途中で割り込んできたの?」

 シルクの言う途中とは、つい先ほどの、無法者たちに取り囲まれていたあのシーンのことだ。

 彼女の思うところ、あの口先だけの数人の男性ぐらい一人でも十分に退治できていたはず。つまり、クレオートの救済行動そのものが余計なお世話であって、女子供扱いされてしまったと感じてしまったようだ。

 ご機嫌斜めな彼女がどうにも刺々しくて、彼は言葉に詰まり唖然としてしまった。背伸びしがちな少女の思いに気付けない、ちょっぴり不器用な剣士がここにいたようだ。

「お待ちください、姫。何を怒ってらっしゃるのかわかりませんが、あの時のわたしは、姫を守るために、ただ無我夢中で……」

 クレオートは誠心誠意を込めて、不機嫌なシルクのことを宥めようとした。

 不埒な輩を相手に名剣を抜いて牽制してしまっては、王国王女としての誇りを失う。そういった雑事こそ、主君に仕える騎士の業務であると、彼はそう語りながら平身低頭で許しを請う。

 王国王女の前でひれ伏している彼の姿勢は、とても礼節を重んじており清々しさすら感じさせる。そんな紳士にここまで謝罪されてしまうと、彼女も苛立っていることがだんだん情けなく思えてきた。

(クレオートのことだもの。本当に、あたしのことを心配してくれたんだ)

 シルクは俯きながら心の中で自省する。それこそ、些細なことで苛立つ自分の方が余程子供ではないか、と。

「クレオート、ごめんなさい。もう怒ってないから頭を上げて」

 お姫様のご機嫌もすっかり直り、クレオートは頬を綻ばせてホッと胸を撫で下ろす。

 そんな人間二人のもどかしいやり取りを見て、ワンコーとクックルーは溜め息交じりに苦笑していた。

「ガンツという人のことを知るためにも、お家の中へお邪魔してみようか」

 シルクたちは一呼吸入れた後、ガンツが住んでいたという、藍色の煉瓦で建造された住居までやってきた。

 壊されている出入口から、そっと建物内に足を踏み入れてみると、先ほどの男性たちが言った通り、風の当たる音はあっても、人の気配や物音は当然ながら感じられない。

 もぬけの殻である室内は、異様なほどに殺伐としている。それもそのはずで、テーブルなど家具類はすべて破壊されており、ガラスや陶器類の欠片があちこちに散乱していた。

「これは、ひどい有様だワン」

「これじゃあ、強盗に入られた後みたいだコケ」

 足場がないほど乱雑とした床を歩き続けて、ベッドが置かれた寝室らしき部屋まで到着したシルクたち。

 その寝室の壁もやはり穴だらけで、衣類やらシーツやらで埋め尽くされている床の上は、まるで嵐が去った後のように乱れていた。

 この荒れ果てようでは、ガンツの痕跡すら見つけることはできそうにない。そう判断した彼女が、寝室から立ち去ろうとした瞬間、耳鼻が敏感なワンコーが呼び声を上げる。

「姫、待つワン。この寝室のどこかから、小さな息遣いが聴こえてくるワン」

「ワンコー、それ本当? どこから聴こえるの?」

 耳をアンテナのように動かして、音の出所を瞬時にキャッチしたワンコーは、自慢の鼻をくんくんと利かせて捜索活動を開始する。

 そして十数秒後、彼が辿り着いた先にあるものとは、寝室の中で無造作に置かれていた、どう見ても無人であろう張りぼてのベッドであった。

 半分に折り畳まれる格好で壊されていたそのベッド。誰もいないのにどうして?と訝るシルクに、彼は前足でベッドの真下を指し示した。

「え? 床の下ってこと?」

 シルクとクレオートがゆっくりとベッドを動かし、床を凝視してみるとそこには、刃物で切り取った跡が残る蓋のようなものがはまっていた。

 床と蓋のわずかな隙間に指を差し入れたクレオート。彼女から無言のゴーサインを確認するなり、彼は勢いよくその蓋をこじ開けた。

「なるほど。ここに隠れていたというわけね」

 床下に一人分ぐらいの洞穴を掘り、そこに身を埋めていた一人の男性。

 真っ白だったワイシャツは、周りの土のせいで泥だらけ。そればかりではなく、短髪の髪の毛も至るところが土色に染まっているこの人物こそ、紛れもなくガンツ本人であろう。

 シルクたちの視点の先にいるガンツは、見つかったとわかっていても、身震いしながら蹲ったままだ。

 許してくれ、俺がみんな悪かった――。彼は凍えるようなか細い声でそんな言葉を漏らし、どんなことがあっても、引きずり出されてたまるかと踏ん張っているようにも見える。

「あなたがガンツさんですね? あたしたちは、あなたにひどい目に遭わせる気はありません。だから、出てきてくれませんか?」

 シルクの説得にまったく応じようとしないガンツは、負い目があるのか完全に怯え切っている。

 とうとう煮え切れなくなり、我慢の限界に達した彼女、厳命を授けたクレオートの手により、ガンツは着衣していたシャツの襟根っこを摘まれて、洞穴からいとも容易く引っ張り出されてしまった。

 捕獲者の素性などまったく見向きもせず、ガンツは床に額を押し付けて平謝りしていた。そんな彼の悲痛の叫びは、後悔を懺悔する涙声そのものであった。

 土下座する彼の竦み上がっている肩に、安心してくださいと、シルクはそっと暖かい手を乗せた。

「あたしたちは、あなたと魔女との関係を知りたいんです。そしてもう一つ、歓喜の都への道が閉ざされてしまったわけを」

「な、何だと?」

 温もりある柔らかい手から、敵意ではなく熱意を感じることができたガンツ。

 取り囲んでいる異色のパーティーに内心戸惑ったものの、彼は時間の経過とともに落ち着きを取り戻していく。

 シルクの穏やかな笑みで、不思議と心が救われていく気がした彼は、魔女の存在や、結界のことをすでに知られていることもあり、憔悴し切った表情で洗いざらい告白してしまうのだった。

「もうあんたたちも見ただろうが、ここから数十メートルほど離れたところに、この村のシンボルとも言える悲劇の塔がある。そこの最上階にはな、ルシーダという名の魔女が住んでいるんだ」

 そのルシーダという美しき魔女だが、村に暮らす人間を貶めたりも襲ったりもせず、善良な心を持った友好的な魔族なのだという。

 とはいえ、魔女の方も人間の方も、身分も立場も違うお互いのことを懸念するあまり、お互いが顔を合わせたりすることはなく、それがこの村の暗黙の了解のようなものだったそうだ。

 そんな関係だったのになぜ、人間同士がいがみ合ってしまうような、結界というバリケードを張ってしまったのか? その背景には、ガンツが数ヶ月前に犯した過ちが隠されていた。

「俺さ、その魔女にどうしても会いたくて、あの塔のてっぺんへ登ってみたんだ」

 魔族でありながら、美しいと謳われる魔女を一度拝んでみたくて、ガンツは半ば興味本位で悲劇の塔へと侵入してしまったとのこと。

 地上十階はあるだろう、塔のてっぺんを目指していった彼は、その最上階で、妖艶なる気品を放ち、魅惑の微笑みを浮かべる絶世の美女と遭遇したという。

「ルシーダがさ、俺のことを勇気ある人間だって褒めてくれてさ。彼女その時、独りぼっちで寂しかったんだと思うんだ」

 意気投合と言うべきか、ガンツとルシーダは身分も立場も忘れて、楽しくも有意義な一時を過ごした。

 その日を境にして、美しき魔女にすっかり惚れ込んでしまった彼。繰り返し出会いを重ねていく二人はいつしか、許されることのない禁断の愛へと発展していってしまう。

 それは自他ともに認める、人間と魔族が交わってはいけない禁忌。それでも彼らは欲望のままに、塔の最上階で密会を繰り返した末に、許されざる愛を育んでいったのだが。

「ところが、俺はとんでもないことをしてしまったんだ。あれだけ、俺のことを愛してくれたルシーダを、俺は裏切ってしまったんだ……」

 正座姿勢だったガンツは、後悔の念を口にしながら、乱雑した床の上に俯せてしまった。

 その裏切り行為こそが、魔女ルシーダが結界を張った直接的な理由なのだろうと、シルクたちにもそれが容易に想像できた。

 いったい、どんな裏切り行為をしてしまったというのか? 瞳に大罪という涙を浮かべて、彼はそれを克明に語っていく。

「今から数ヶ月前、歓喜の都から踊り子たちが村へやってきたんだ。何も娯楽のないこの村の住民たちにとって、その踊り子たちの演舞は、これ以上なく刺激的で快楽そのものだった」

 踊り子たちの誘惑なるダンス、そして、振る舞われたお酒に酔いしれたというガンツ。

 滅多に体感できない快楽に溺れて、本来の思考回路が狂ってしまった彼は、悪意とわかっていても、もう欲情を抑えることができなかった。そう、彼は踊り子に誘われるがままに、その場限りの火遊びに興じてしまったのだ。

 それらしいニュアンスがやんわり伝わると、まだ少女という年代のシルクも、眉を吊り上げてあからさまに嫌悪感を表情に映していた。

「ガンツさん、あなたは最低な人ですね」

「これに関しては、弁解の余地はない。本当に悪いと思っている」

 自らの過ちを猛省し、もう二度とこんな過失を犯さないと頑なに誓うも、そんなガンツのことを、魔女ルシーダが許すはずもなかった。

 その出来事を風の噂で知った彼女は、彼の色欲に溺れた行為を厳しく非難し、さらには、欲情に駆られる人間に対しても不信感を募らせてしまう。

 罪深き人間たちに罰を与えようと、ルシーダは魔法の結界を張り巡らせることで、歓喜の都とこの村の行き来をできなくし、彼を含めて愚かな人間たちに自省を促したというわけだ。

「なるほど、そういう経緯があったんですね」

「ああ。俺が野蛮な連中から狙われているのは、そういうわけさ」

 シルクはすべての真相を知るや否や、呆れるというよりも憤りを感じずにはいられない。

 身から出た錆とはまさにこのことで、この一連のトラブルを解決する術など、当然ながら、彼女たちが持ち合わせるところではなかった。

 今言えることはただ一つ、誠心誠意を込めて魔女に謝罪すること。項垂れているガンツを叱りつける彼女は、そう諭すことぐらいしか思いつかなかった。

「もちろん、彼女に会って何度も謝ったさ! 悪いのは俺だけなんだから結界を解き放ってくれって、何度も頼んだけど、ルシーダはもう、人間など信用できないからって、取り合ってもくれないんだ」

 ガンツは愚かさと悔しさを吐き出し、苛立ちの両拳を床に叩き落とした。

 愛した者に見放された愚かさと、いつまでも隠れて生きねばならない悔しさが交錯し、さらなる失意のどん底へと突き落とされた彼は、人目も憚らず、ひたすら咽び泣くしかなかった。

 この自業自得な軟弱者に同情の余地はない。だが、歓喜の都が希望に繋がる目的地なのであれば、このまま放置できないものまた現実。

「そういうことでしたら、あたしたちが説得してみます」

「な、何?」

 内心穏やかではないものの、重たい腰を上げる決意を固めたシルク。

 クレオート、そしてスーパーアニマル二匹も、苦笑しつつも同行する意思を表明している。

 そんな彼女の宣言に驚いているのは、本来自らが説得に赴かねばならないガンツ本人だ。

「おいおい、あんたたち、それ本気で言ってるのか?」

「ええ、もちろん。あたしたちも、歓喜の都へ行ってみたいですから」

 冗談じゃない!と、ガンツは上体を起こすなり、青ざめた表情でその宣言を撤回するよう要求した。

 彼が言うには、悲劇の塔は結界が張られてからというもの、邪悪なる魔物が生息し始めたらしく、無闇に立ち入ろうものなら、それこそ血祭りに上げられて命を粗末にするだけだという。

 興味本位で軽はずみな言動を慎むよう忠告されたところで、前言撤回するつもりなどさらさらないシルク。むしろ、魔族退治を名目にして、より一層興味をそそられる始末であった。

「魔族のことは心配いりません。ねぇ、クレオート?」

「はい。何も問題はありません」

 自信満々な笑みを浮かべるシルクとクレオートの二人。腰にぶら下げる剣の装飾が、出番を期待するかのごとく眩しく輝き出す。

 この連中、いったい何者だ? ガンツはゾクッと身が震え上がり、開いた口が塞がらなかった。

 結局、否定的な発言を繰り返すことはなかったガンツ。塔が魔族の棲み処となってしまった以上、誰かに頼らざるを得ないのが本音だったというわけだ。

「それで、あの悲劇の塔の中へ入るにはどうしたら?」

 シルクはそう問いかけると、割れた窓から遠目に見える高い塔を指差した。

 ズボンのポケットをまさぐるガンツは、冷たい感触を手に伝える金属を握り締める。

 これを持っていってくれと、彼女の前に差し出されたものこそ、もう二度と使うことはないだろうと思っていた、悲劇の塔を開放する錆びた鉄製の鍵であった。

 小さく一礼してから、その鍵をしっかりと受け取ったシルク。すると、彼女の手のひらにも、わずかにも冷たい感触が伝わってきた。

「ガンツさん、一つだけ聞かせてもらっていいですか?」

 真剣な眼差しのシルクに見つめられて、また叱られるのでは?と、ドキッと鼓動を震わせるガンツ。

 神妙な面持ちでコクリと頷いた彼は、恋愛経験のない少女から思ってもみない質問をされてしまう。

「あなたは今でも、魔女ルシーダのことを愛していますか?」

「へ?」

 決して答えに詰まったわけではないが、ガンツは思わず呆気に取られたような顔をする。

 その数秒後、彼は戸惑いも迷いもなく口を尖らせる。今でも愛しており、たとえ許される仲ではなくとも、もう一度しっかり向き合って話し合いたい、と。

 彼の切なる想い、さらに頑なな決心を聞き入れた彼女は、クスリと愛らしく微笑した。

「それを伺えて安心しました。それでは、行ってきますね」

 ガンツから頼まれる格好となったシルクたちは、未知なる魔女との謁見のため、そして、張り巡らされた結界を解いてもらうために、魔族が巣食うという悲劇の塔へと向かうことになった。


 気合いとともに、屋外へと一歩足を踏み出したシルクたち。その見上げる視界に、魔女が待ち構えているであろう塔の最上階が映った。

 上空は青空にも関わらず、なぜか、最上階は鉛色の怪しい暗雲に包まれていた。

 吹き下りてくる風の音も、どこか、悲劇に嘆く魔女の心の叫びに聞こえなくもない。

 シルクは頼りになる仲間たちと声を掛け合い、数十メートル先にある、暗黒に染まりゆく悲劇の塔を目指していった。

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