第四章 悲劇の街~ 純真に思いを馳せる魔女(3)

「なるほど。踏み台と橋の稼働に、こういう仕掛けがあったのね」

 クレオートの先導により、いくつもある敷地を順調に越えていったシルクたち。

 敷地の隅っこにある踏み台、そして、敷地同士に架かる朱色の橋を交互に見て、彼女は納得したように頭を頷かせた。

 沈み込ませた踏み台が元の位置に浮き上がるまでに、架かった橋を一気に走り抜けること。これこそが、この冥界橋の重要な攻略ポイントなのであった。

 ただ、それを知っていたとしても、そう簡単に突破させてはくれないのがこのカラクリの難しさ。

 辿り着いた敷地によっては、踏み台が複数設置されており、それを順序良く踏み込まなければ、架かった橋を渡り切ることができなくなるのだ。

「このように、正しい順序で踏んでいかないと、橋が元の位置へ上昇する順番も狂ってしまい、敷地へ辿り着くことができず、橋の上で立ち往生する羽目となってしまうのです」

 そんな結末となったら、それこそ魔族たちの思う壺。行き場を失った者を襲おうと、一斉に攻撃を仕掛けてくるでしょうと、クレオートは踏み台を踏みしめながらそう説明した。

 先ほど、上昇してしまった橋の上で独りぼっちを経験したばかりのシルク。

 その時の恐怖感と孤独感を思い起こした彼女は、戦慄のあまりブルッと身震いしてしまった。

 しかし、今の彼女は安堵感に胸を撫で下ろしていた。すぐ傍らに、希望の道へエスコートしてくれる、頼もしくて格好いい騎士がいてくれるのだから。

「でも本当に助かったわ。クレオートがいてくれたおかげで、どうにか冥界橋を越えられそうだもの」

 心にゆとりが生まれて、余裕の笑みすら零しているシルクだが、その一方で、クレオートは真面目な性格だからか、険しい顔つきのままで周囲の警戒を怠ろうとはしない。

 それもそのはずで、出口間近となった今でも、彼女たちを取り囲む殺気だけは消えることはなかった。それこそが、禍々しき魔族が息を潜めていることを証明していた。

「姫、決して油断なさらぬよう。魔族はいつ、どんな時を狙って現れるかわかりませんから」

 クレオートに言われるがまま、シルクは左右背後を見渡し、怪しい気配を察知しようと神経を尖らせる。

 そんな彼女に言われるがまま、ワンコーとクックルーも、クルクル首を動かして周辺を見回していた。

 ここまでの戦闘で培ってきた察知能力の賜物か、肌を突くようなわずかな殺気を感じる彼女たち。次第に大きくなっていくその気配に緊張し、ゴクリと大きな唾を呑み込んだ。

 すっかり背後に気を取られてしまっていた彼女は、その直後、ゴツンと何かに頭をぶつけてしまった。

 その何かとは何を隠そう、暗闇の中でも目立つほどに映える、戦闘態勢に入ったクレオートの真紅の鎧であった。

「いたた……。ど、どうしたの、クレオート?」

「姫、とうとうやってきましたよ。この冥界橋を越えるための、最大の試練が」

 鞘から抜いた大剣を突き出した先には、邪悪に満ちた妖しい魔族の影がうごめいていた。

 邪鬼のごとく、頭から二本の角を生やした強面の魔物。大きい図体をのっそりのっそりと動かして、しゃがれた声で不気味に笑っている。

 しかも、シルクたちを待ち構えていたのは、この邪鬼だけではなかった。

 彼の背後から、人間の上半身と馬の下半身を持った魔族が姿を見せる。弓矢を手にしたその容姿は、あたかも、神話に登場するケンタウルスのようだった。

「魔物が現れたのね!」

 シルクも戦闘の準備を整えようと、素早く名剣スウォード・パールを引き抜いた。

 ワンコーとクックルーも威嚇のポーズを取って、魔法を放てる体勢を敷いた。

 魔族との交戦に関して、メンバーの中で一番秀でているであろうクレオートは、敵の潜在能力を見抜きつつ、彼女たちに油断しないよう注意を喚起した。

「ここは二手に分かれましょう。わたしは、あの大きい方の魔物を相手にします。姫たちは、弓矢を持った魔物の方をお願いします」

「わかったわ! そっちの魔物の方、よろしくお願いするわね」

 大きな図体で迫ってくる邪鬼は、ごつい棍棒を振り上げて悠然と立ちはだかる。せせら笑うその野太い声が、彼の不気味な雰囲気を一層際立たせていた。

「このカラクリだらけの冥界橋、よくここまで辿り着けたな。ガハハ、だが、運の良さもここまで。俺様たちが、キサマたちを本当の冥界へと送ってやろう」

 ケンタウルスの姿をした魔物も、銀色で縁取られた弓矢を掲げてシルクたちを挑発する。弦を目一杯引っ張って、今すぐにでも魔性の矢を放たんばかりだ。

「クックック、そういうことだね。所詮、人間など我が魔族の餌食になる宿命なのさ。まあ、それなりに遊んでから、じっくりとなぶり殺してあげるよ」

 邪鬼が突き出す棘だらけの棍棒と、クレオートが構える大剣”ストーム・ブレード”が向かい合って対峙する。

 スウォード・パールを握り締めるシルク、そして身構えるスーパーアニマルたちと、弓矢で狙いを定めるケンタウルスが激しく睨み合う。

 生死をかけた魔族と人間との激闘が、今まさに、この冥界橋というコロシアムで繰り広げられる。

「さぁぁ、俺様から行くぞぉー!」

 棍棒を大きく振り下ろした邪鬼。その先手の一撃を大剣でしっかりと受け止めるクレオート。

 それのお返しとばかりに、大剣を振り上げるクレオートの攻撃を、今後は魔物が棍棒を左右に振って受け流した。

 一進一退の攻防を展開していた邪鬼とクレオートだったが、時間が過ぎるごとに、わずかながらも実力に差が出始める。

 邪鬼の力任せの攻撃をことごとくかわし、冷静なまでの判断力と洞察力を備えるクレオートは、ほんの一瞬の隙を突いて、研ぎ澄まされた剣捌きで目前の魔物に一撃を食らわせた。

「グォ! キ、キサマ。なかなか、やるではないか」

 切り付けられた胴体に手を宛てて、邪鬼は苦痛のあまり鬼のような表情を歪める。

 重量感たっぷりの大剣を軽々と使いこなすクレオート。そんな彼の繰り出す攻撃は、たとえ屈強な肉体を持ってしても、そのダメージは相当なものであろう。

 勝機ありと見切った彼は、敵が怯んでいるこの瞬間に、大剣を強く握り締めて次なる攻撃を仕掛ける。

「わたしの剣術を、その体をもって知るがいい!」

 クレオートはつま先で床を弾くと、電光石火のごとく、大きな魔物の深い懐中に飛び込んだ。

 その刹那、目にも止まらぬ素早さで駆け抜けた、凄まじいほどの一閃。

「グワァァ!」

 大剣の太刀筋が邪鬼の胴体を横断し、気付いた時には、二つの大きな物体が敷地の床に転がっていた。

 あの巨大な肉体を誇った魔物は儚くも、クレオートの冴え渡る剣術により、いとも容易く真っ二つにされてしまっていた。

 おまえなど敵ではない。彼の身を包む真っ赤な鎧が、邪悪なる魔族の鮮血をすすり、より赤みを増していたかのように見えなくもない。


 一方その頃、シルクたちはケンタウルスの弓矢攻撃に悪戦苦闘を強いられていた。

 銀色の軌道を描きながら飛んでくる無数の矢。その一本一本が魔を纏い、彼女たちの全身を蝕むように掠めていく。

 攻撃に転じたい彼女たちではあるが、飛行してくる矢の正確さに避けるのが精一杯。少しずつ体力を消耗していく中、もどかしくも、この危機的状況を脱することができずにいた。

「このままだと、いつまでも攻撃できないわ。ねぇ、クックルー、火殺魔法で反撃してくれない?」

「冗談じゃないコケ! ひっきりなしに飛んでくる矢を避けながら、どうやって気合いを溜めるんだコケ?」

「とにかく何とかするワン! さもないと、オイラたち、いつかこの矢の餌食になってしまうワン」

 逆転の機会を見出すことができず、伏せたり跳んだりと大忙しのシルクたち。

 みっともなく無様な彼女たちが余程おかしいのか、ケンタウルスは高笑いしながら、休む間もなく魔性の矢を放ち続ける。

「ククク、いつまで逃げ切れるかな? ほらほら、どんどん行くぞぉ!」

 放っても放っても、いつの間にか補充されている不思議な矢。さすがは魔族というやつか、ケンタウルスの弓矢攻撃はどうやら無限に続くようだ。

 一度に何本も飛ばしてくる波状攻撃のせいで、シルクたちの防戦一方は変わることがない。このままでは、悪意に満ちた矢に胸を撃ち抜かれてしまうだろう。

 そんな姫君のピンチを救うべく参上したのは、語るまでもなく、彼女に忠義を尽くすことを誓った剣士クレオートだ。

 彼女たちとケンタウルスの間に入るなり、彼は大剣をクルクルと回転させて、飛行してきた矢を一つ残らず弾き飛ばした。

「ク、クレオート!?」

「姫、ここはわたしにお任せください」

 クレオートは大剣を盾にしながら、疾風のごとく駆け出していく。

 待って、危ないわ! シルクの制止する声を振り切って、彼は勇猛果敢に魔族に向かって突進していった。

「人間の分際で生意気だな。これでも食らいやがれっ!」

 魔性の矢が無限に飛び交うも、そのすべてを大剣で払い落としていくクレオート。

 そんなバカな――! ケンタウルスの表情がみるみる青ざめていく。しかも、迫りくる剣士の脅威に慄然とし、焦りを感じて開いた口が塞がらなかった。

 弓矢攻撃は無駄と見限ったケンタウルス。すぐさま弓を投げ捨てた彼は、新たな攻撃を繰り出そうと、両手の人差し指を天井に高々と突き立てる。

「おのれぇ、この俺を甘く見るんじゃない!」

 気合いを込めるその体勢こそ、魔族が最も得意とする魔法攻撃であった。

 彼が念じるように呪文を唱え始めると、二本の人差し指が真っ赤な火の玉に包まれていく。

 それにいち早く反応したのは、火殺魔法を必殺技としているスーパーアニマルのクックルーだった。

「あのやろう、火の玉を撃ってくるつもりだコケ! あの至近距離じゃあ、いくらクレオートの素早さでも、避けることはできないコケ」

「そ、そんな! クレオート、ダメ、止まってぇー!」

 張り裂けんばかりの、悲鳴にも似た声を上げたシルク。

 しかしその叫び声は、クレオートの耳まで届けることはできても、疾走する足まで止めることはできなかった。

 ケンタウルスは容赦なく、クレオートに向かって火の玉を放った。

 それでも、クレオートは怯むことも逃げることもなく、眼前の敵だけを見据えて突進していく。

 人間の頭ほどに大きく膨らんだ火の玉は、揺らめく炎の弾丸と化し、ついに、クレオートの真っ赤な鎧に激しく衝突した。

「クレオート!」

 ショックのあまり、シルクは両手で口を塞ぎながら絶句する。

 その直後、彼女は爆風から襲い掛かる衝撃をまともに受けてしまい、スーパーアニマルたちと一緒に床の上に吹き飛ばされてしまった。

 二つの火の玉の大爆発により、この敷地内を覆い隠すほどの黒煙が立ち込める。

 煙たくなった視界の中、そっと薄目を開けた彼女は、クレオートの真紅の鎧を目で追った。

 彼の勇姿を発見するよりも先に、黒煙の奥の方から、ケンタウルスの勝ち誇るふてぶてしい声が聞こえてきた。

「クックック、愚かな人間め。俺の魔法をまともに食らって、無事でいられるはずがない」

 そんなまさか――。シルクは悲劇に嘆き項垂れてしまう。信頼のおける心強いメンバーを失った失望は、それはもう計り知れないだろう。

 彼女が悲嘆に暮れる中、もくもくと立ち上る煙の中から、薄っすらと見えてくる真紅の鎧。煤だらけではあるものの、そこに佇んでいる後ろ姿は朽ちてはおらず、直立不動を示すものであった。

 踏ん張るように両足を開き、その全身をもって火殺魔法を受け止めていた剣士は、次第に晴れていく煙たさの中で、口元をほんのわずかに緩めた。

「残念ながら、このクレオートに、そんな魔法など通用しない」

「な、何だとぉ!?」

 魔族の顔から血の気が引いた、まさにその瞬間、煙の中から飛び出してきた鋭い剣先。

 それはあまりにも突然の出来事で、周囲の誰もがそれに気付いた時には、クレオートが突き出した大剣ストーム・ブレードが、ケンタウルスの胸元を貫いた後だった。

「し、信じられん! キ、キサマ、本当に人間なのか……?」

「これで終わりだ」

 突き刺した大剣を引き抜いたクレオートは、間髪入れずに、魔族の半身半馬の体を一刀両断にした。

 断末魔の叫び声が虚しく轟き、ケンタウルスはもがき苦しみながら絶命した。

 二体の強敵を怒涛の勢いで粉砕してしまったクレオート。姫君を守る任務を終えた彼は、重々しい大剣を鞘の中へと仕舞い込んだ。

 黒煙もすっかり晴れていき、ぼやけていた視界が元通りとなった敷地内に、猛々しくも、凛々しい姿勢で立っている一人の剣士がそこにいた。

 シルクたちは安堵の笑みを零しつつ、頼れる最高のパートナーとも言える彼のもとへと駆け寄っていく。

「クレオート! よかったわ、無事だったのね」

「はい。それよりも、姫の方こそご無事でしょうか?」

「あたしは何とか大丈夫よ。それにしてもすごいわ。あの火の玉をまともに受けたのに、まったくの無傷でいられるなんて」

 目の前のヒーローのことを尊敬するように、憧れの熱視線を送っているシルク。

 ワンコーも目をパチクリさせて驚いていたが、火殺魔法を扱うクックルーの方が、それをはるかに超えてびっくり仰天していた。

 黒い煤を払い落としたクレオートは、美しく艶やかな赤色に染まった鎧にそっと手を触れる。

「この鎧には防御力を高めるために、特殊な魔法が掛けてあります。先ほどの程度の魔法であれば、それほどのダメージを受けることはありません」

 細部について触れはしないが、その魔法が効いている証しこそが、この血のような色合いを生み出していると、クレオートは落ち着き払った表情で淡々と語った。

 ワンコーとクックルーは感心しながら、彼の命を守ってくれたその鎧を好奇の目で眺めていた。魔法を司る者同士、何かしら感じるものがあったのだろう。

 だがシルク一人だけは、いくら魔法の効果とはいえ、まるで生血が宿っているかのようなその生々しさに、ブルッと身の毛がよだってしまう。

「姫、悲劇の村までの道のりはあとわずかです。さあ、参りましょう」

「え、ええ……。わかったわ」

 何があろうとも、クレオートは信頼なる仲間であり、ともに旅を続けるパートナーであることに違いはない。

 シルクは無用な事など一切考えず、彼の背中にぴったりと付いていく。もちろん、お供のスーパーアニマルを引き連れて。

 それから数分ほど歩き続けた彼女たちは、彼が節々に口にしていた通り、新たなる地である”悲劇の村”へと辿り着くのであった。

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