第三章 困惑の村~ 誘惑と迫りくる術士の驚異(1)
闇魔界という、混沌と戦慄が支配する暗黒に君臨する者、”魔族”――。
不思議な力を持つシルクをこの地に誘い込んだ者は、不敵な笑みを浮かべて、身に着ける鎧のように血の色をした美酒を口に含んでいる。
闇に中でも妖しく光る彼の目には、苦悩の街を離れようしている彼女の勇姿が映っていた。
「クックック。さすがだな、シルクよ。魔物だけではなく、人間すらも説き伏せるその才能、惚れ惚れするほど素晴らしい」
不気味なほどに狡猾な笑みを零す赤い鎧の男。彼の背後から、薄気味悪い奇怪な声が聞こえてくる。
その正体こそ、赤い鎧の男の参謀的役割を担う、青く染まった法衣を着た悪魔であった。
「ククク、さすがは邪剣士殿。あの小娘の生まれ持っての能力を見抜いただけありますな」
青い法衣の男は卑しくせせら笑う。
しかし彼は、獄門鬼が待ち構えるこの先が難関でしょう?と、邪剣士と呼ばれた赤い鎧の男へ質問を投げかける。
そのぶしつけな問いに口角を上げて失笑し、自信ありげに余裕の表情を見せる邪剣士。
「獄門鬼の強さはまだ三合目、そんな小兵などに苦杯をなめるシルクではないだろう」
敵が強ければ強いほど、シルクという少女はどんどん力を増していく。
それが彼女の秘められた能力であり、この地で生き延びることのできる才能でもあるのだ。
邪剣士はまるで、彼女のことをすべて知り尽くしているかのような口振りだった。だからこそ彼は、パール城地下のあかずの間に鬼門を出現させて、彼女をこの世界へ連れ込んだのだろう。
「それよりも、例の作戦は首尾よく進んでいるのか?」
「それについては順調です。あとは、あの小娘が困惑の村と呼ばれる地に辿り着くのを待つばかり。辿り着けるかどうか、じっくり観察させてもらいますよ、ククク……」
邪剣士はいきなり態度を豹変させて、含み笑いを浮かべる青い法衣の男のことを叱りつける。
「シルクのことを見くびるな。警戒を怠ってはならん、いいな」
凄むように睨んだ邪剣士の眼光で、過信も遊び心も吹き飛んでしまった青い法衣の男は、すぐに襟を正して、全身をくの字に曲げて陳謝を示した。
「これは失礼いたしました。それでは、わたしは、そろそろ残りの準備に取り掛かる故」
青い法衣の男は決まりが悪そうに、邪剣士のそばから影のようにふらっと消えていった。
邪悪なる魔族たちが口にした、シルクに立ちはだかる獄門鬼の正体とは?
そして、彼女を待ち受ける例の作戦とはいったい?
* ◇ *
一方その頃、シルクたちは困惑の村へ通じるという、土管を繋ぎ合わせたトンネルらしき通路を彷徨っていた。
まるでパイプのように伸びるそのトンネルは、ずっしりと重たい冷気を漂わせながら、通り抜けようとする者を拒絶せんばかりの圧迫感を醸していた。
禍々しい気配を感じつつも、長い長い通路を渡り歩いていく彼女たち。
その道中、いつまでも出口に辿り着けないこの状況に痺れを切らしたのは、新しく仲間に加わったクックルーだった。
「おい、おまえら! この先に本当に村があるのかコケ? いつになったら着くんだコケ?」
クックルーは立ち止まるなり地団駄を踏む。憤慨するあまり、鶏冠だけではなく、顔までも真っ赤に染め上げていた。
苦悩の街の町長から、ここが村へと繋がる通路だと聞かされていたシルク。
ここに間違いないと豪語する彼女だったが、その顔色には不安の色が見え隠れしている。
「おいおい、まさかおまえ、その人間に騙されたんじゃないかコケ? まったく、これだから人間なんて信用できないんだコケ」
その捨て台詞に俊敏に反応したのは、シルクの忠実なる愛犬であるワンコーだ。
「おい、クックルー。それは姫に対して無礼だワン! 姫の言う通りにしていれば、すべてが正解なんだワン」
ワンコーは怒りをあらわにし、パール王国王家の愛犬としてのプライドを誇示する。
それが逆に癪に障ったのか、クックルーの悪口はどんどんエスカレートしていく。
「ケッ、何言ってやがるコケ。愛犬だか何だか知らないが、その従順ぶりに反吐が出るコケ!」
そこいらの王国のお姫様なんぞ、ろくに勉強もしていないお転婆なわがまま娘だと、クックルーはトンネル内に反響するほどの大声でそう喚き散らした。
これにはさすがのシルクも苛立ちを覚えた。お転婆で多少のわがままは認めるが、学力がない能無しのように見られることだけはどうにも許せなかった。
ところが、そんな彼女よりも一足先に大噴火したのは、ご主人様の誇りを傷つけられた愛犬の方だった。
「こ、このニワトリの分際でぇ! 姫を侮辱するなんて許さないワン、ここで痛い目に遭わせてやるワン!」
「コケケ~。やれるもんならやってみろコケ! このオレに勝てるとでも思ってるのかコケ?」
今ここに、動物同士の己の威信をかけたいざこざが勃発した。しかも、どちらもスーパーアニマルだけにたちが悪い。
最初こそ感情が高ぶっていたシルクも、この二匹のしがない口喧嘩を見ているうちに、その熱が収縮するように冷めていってしまった。
彼女は呆れるような溜め息を一つ零して、そんな二匹の口論を止めに入ろうとする。
「もうやめなさい。こんなところで仲間割れしても仕方がないでしょう?」
これもすべては、尊敬するご主人様のためなのに。ワンコーは涙目になってシルクにすがりつく。
「姫、それはないワン。アイツの無礼千万は重罪に値するワン」
「もういいわ。ここはあたしたちの王国じゃないのよ。間違いがあれば、それは行動で示すべきよ」
シルクの言う通り、この魔族が支配する世界では、いくらイヤリングを装飾する姫君も、エリートと言うべき動物であっても、皆同じ身分といっても過言ではない。
乱暴に言えば弱肉強食。強い者だけが生き残るままに存在感を示し、弱い者は虐げられるままに儚く散っていくという、悲しき現実でもあった。
彼女たちの会話を耳にしたクックルーは、勝ち誇ったような顔で踏ん反り返る。
「言っておくが、おまえたちはオレの魔法を頼りにしているんだコケ? それなら逆らわずに、オレを怒らせないことだコケ」
クックルーは自分の腕、というより羽根に余程自信があるのだろう。ここまでの非礼を謝るどころか、反省する仕草すら見せない。
これまでの人生において、常に独りぼっちだった彼にしたら、誰かに頼ったり頼られたるすることは皆無だったはず。だから、仲間を思いやり、気持ちを汲んだりする行為に不慣れなのかも知れない。
先へ進もうとするシルクの指示に従わない彼は、反旗を翻すかのように、来た道の方角へと引き返そうとした。
「あ、待ちなさい、クックルー!」
シルクが声を上げた次の瞬間、大きな羽音を立てて、宙を舞いながら迫ってくる影があった。
どうやら、このトンネル内に飛び交った動物たちの怒号が、ここに巣食う邪悪なる魔物を呼び寄せてしまったようだ。
「何かこっちへ飛んでくるわ!」
「おいおい、あれは何だコケ?」
「お、大きな虫みたいだワン!」
シルクたち目掛けて飛行してきた魔物、それは、昆虫の蜂の形をした魔物の群れであった。
この狭いトンネル内を縦横無尽に飛び込んでくる蜂のような魔物。そのスピードは計り知れず、あっという間に彼女たちの間合いまで近づいていた。
「クックルー、は、早く火の魔法でやっつけろワン!」
「ア、アホ抜かせ! あんなすばしっこいヤツに、オレの魔法が通じるわけないコケ!」
「ここは、いったん引きましょう!」
シルクの冷静な判断で、みんなは一斉に猛ダッシュでそこから逃げ出した。
しかし、蜂のような魔物の滑空速度は半端なものではなかった。
彼女たちの中で一番走る速度が遅いクックルーが、強力な毒針の餌食となってしまった。
「ぐわぁ!? いでででぇ!」
そのあまりにも驚異的な激痛で、転がり回って悶えまくるクックルー。
彼をそのまま放置することができず、シルクとワンコーは床の上で急ブレーキをかける。
「クックルー! だ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫なわけねーだろ、見てわからんのかコケェ~!」
クックルーの具合を危惧しているうちに、シルクたちまで魔物の群れに取り囲まれてしまった。
シルクとワンコーはもう逃げらないと判断し、颯爽と身構えるなり戦闘体勢を整える。
耳障りな羽音を立てて、彼女たちの頭上を飛び回る大きな蜂たち。
シルクは名剣を振り抜き、蜂のような魔物の群れを切り払おうとするものの、敵の予想以上の素早さに、的確となるヒットを与えることができない。
「ワンコー、あなたは早く、クックルーに解毒の魔法を掛けてあげて!」
「了解だワン!」
飛び回る魔物の飛行周期を読み、ワンコーは一瞬のチャンスを窺った。
そのわずかな隙を突き、蜂の毒針攻撃から抜け出すことに成功した彼は、一目散に、通路の床で転がっているクックルーのもとへ急行した。
毒の回りが早いのか、クックルーの顔色が変色し始めている。ただでさえ転げ回っているから尚更だろう。
何とかまだ意識があるうちに、ワンコーはクックルーのもとまで到着することができた。
「待ってろ、クックルー! 今助けてやるワン」
ワンコーは真っ白な光を両前足の指先に導いて、毒に犯されたクックルーに解毒の魔法を掛けてあげた。
すると、クックルーの表情にみるみる血の気が戻っていった。もちろん、刺された傷跡も完全に癒えている。
「はぁはぁ……。ワンコー、すまねぇコケ」
クックルーは無事に息を吹き返したが、その一方、蜂の群れの中に一人残されたシルクはというと、迫りくる毒針攻撃を剣で弾きながら孤軍奮闘していた。
しかし、多勢に無勢というやつか。彼女は体力をどんどん奪われていき、いつ毒針の餌食になってもおかしくない危機的状況に陥ってしまっていた。
(敵が素早過ぎて、まともに戦えないわ)
苦戦を強いられているシルクを見て、クックルーはその場に立ち上がり、真っ白な羽根を羽ばたかせる。それは言うまでもなく、火殺魔法を解き放つポーズであった。
「おい、何する気だワン!?」
「決まってんだろ? あの虫ケラを燃やし尽くしてやるんだコケ!」
そんなことしたら、シルクにまで危害が及んでしまう! ワンコーが慌ててそれを制止しようとしても、クックルーは心配無用と言い張り、広げた羽根を燃えるような赤色に染め上げてしまった。
彼は魔法を発動するその一歩寸前で、シルクに向かって鼓膜を震わせるほどの怒号を発した。
「シルクっ、地べたに伏せろぉ!!」
「えっ!?」
真っ赤に染まったクックルーが視界に映るなり、シルクは条件反射のごとく、床の上に滑り込みながら突っ伏した。
その直後、彼の羽根の一つ一つが無数の火の玉と化し、空中浮遊している蜂のような魔物に標準を合わせて発射された。
魔物たちはそれに気付き、逃げ惑うように空中を彷徨い始める。しかし、無数に放たれた火の玉は乱れた軌道を描きながら、その魔物の群れを真っ直ぐに追撃していく。
それはまるで意思を持った生き物のようだった――。
火の玉の一つ一つが誘導弾となって、大きな蜂一匹一匹を確実に捉えていった。
羽根も胴体も燃やし尽くし、真っ黒な灰となって落下していく魔物たち。気付いた時には、群れのすべてが死滅していたようだ。
「このオレの火の玉乱れ撃ち、恐れ入ったかコケ!」
必殺技を如何なく発揮して、クックルーは胸を張って勝ち名乗りを上げる。
俯せていたシルクの瞳に映った、丸焦げになって散乱している魔物の残骸。それを見た彼女は、驚愕のあまりしばらく動くことができなかった。
そんなご主人様の身を案じて、ワンコーが大急ぎで彼女のそばへ駆け寄ってくる。
無事であること示さんばかりに立ち上がり、彼女は武闘着に付着した汚れを払う。そして、戦闘の終わりを告げるように、スウォード・パールを鞘に収めた。
「それにしても、すごいわ。あっという間にやっつけるなんて」
「クックルーの魔法は、やっぱり強力だワン」
すっかり英雄気取りのクックルーのことを、シルクとワンコーは拍手しながら褒め称えた。
「どうだ、シルク? オレの火の魔法の威力をとくと見たかコケ?」
「ええ。クックルー、助かったわ、どうもありがとう」
「う~、悔しいけど、なかなかカッコよかったワン」
シルクの称賛する声に自惚れ気味だったクックルー、それにちょっぴり嫉妬心を抱くワンコー。
戦勝のきっかけはクックルーの火殺魔法に違いないが、それを実現できたのは、彼女の剣術による踏ん張りと、ワンコーの回復魔法があってこそのものだ。
それはつまり、彼女たちチームの見事なまでの連携プレーによる、パーティーならではの価値ある勝利と言えなくもないだろう。
そのことはもちろん、傷を癒してもらったクックルーも、身に沁みて感じているはずだった。
彼は照れくさそうに顔を背けつつ、シルクとワンコーに対しこれまでの無礼を詫びる。さも、罪滅ぼしと言わんばかりに。
「シルク、あのよ、さっきは言い過ぎたコケ。おまえの剣捌き、かなり様になってたコケ。あとよ、ワンコーも、その、ありがとうコケ」
そのあまりにもギクシャクとしたお礼の言葉。
こういうことに慣れていないのか、クックルーの不器用な感謝の意に、シルクとワンコーは顔を見合わせてクスッと苦笑した。
「さぁ、また魔物が襲ってくる前に、早くここから出ましょう」
シルクの先導により、さらなるトンネルの先へと進もうとした矢先のこと。
彼女は踏み出したその足で、床に落ちていた何かを蹴飛ばしたことに気付く。
床を転がったそれにそっと手を触れてみると、それは、透明感のある水色に澄んだ、手のひらほどの大きさの水晶玉だった。
「綺麗な水晶玉だわ」
その水晶玉の輝きに魅入っているシルク。
しばらくその様子を眺めていたワンコーが、記憶の中にある何かを思い出したようだ。
「姫。それはきっと魔法石だワン。水色ということは氷石だワン」
魔法石? 氷石? シルクの頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
そこはまさにワンコーの独壇場。彼はその魔法石について解説を始める。
「魔法石とは、その名の通り魔法を封じ込めた石のことだワン。この石を投げたり割ったりすると、封印されている魔法が解き放たれる仕組みなんだワン」
その魔法石には、氷の魔法を放つ氷石の他にも、火石や風石といったものも存在し、誰でも手軽に扱うことができるとのこと。
ただ、手軽に魔法を使える便利なものではあるが、使用できる回数は石が砕ける一回のみ。つまり、慎重かつ、ここぞという時まで温存すべきアイテムなのだという。
魔法石の仕組みを聞いたシルクは、手の中にある青白く輝く氷石を見つめる。
「そうかぁ。ということは、魔法が使えないあたしにとって、これは貴重な宝物なのかも知れないね」
いざという時のために……。シルクは魔法石をそっと握り締めて、武闘着のポケットの中に仕舞い込んだ。
そして、彼女は困惑の村を目指して歩き出していく。同じチームを組むスーパーアニマルたちも、勇ましい彼女の後ろにピッタリと付いていくのだった。
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