第二章 苦悩の街~ 不幸の中でこそ望む幸福(5)

 町長の屋敷を後にしてから、時間として十数分ほど経過した頃。

 点在していた家並みも姿を消し、緑生い茂る林ばかりが視界に飛び込んでくる中を、シルクとワンコーは立ち止まることなく突き進んでいく。

 足元に絡みつくように生える雑草、それを踏みつけるように行進している彼女たち。ガサガサという耳障りな音だけが、この人気のない空間の中で不調和に反響していた。

「もう随分歩いてきたけど、通路の入口らしきものは見当たらないわね」

「でも、進んでいる方向に間違いはないワン」

 ワンコーは辿ってきた道のりを振り返ってみる。

 掻き分けた雑草が轍となり、その道筋が、遠くに見える町長の屋敷の方まで延びていた。

 きっと、もうすぐ到着するだろう。彼女たちは前向きにそう考えて、真っ直ぐに進路を捉えたまま先へと進んでいった。

 その時、ワンコーの動物的感覚が何かを捉えた。

 進むべき先の方角から、人間の話し声らしきものをキャッチしたようだ。

 シルクたちは念には念を入れて、歩調を忍び足に切り替える。雑草を踏みつける音を極力出さないようにしながら。

「あ、ワンコー、見てみて、ほらあそこ」

「人がいるワン」

 伏せ気味のシルクたちの視界の中に、二人の男性の背中が映った。

 そこは大きな柵で囲まれた牧場のような場所で、目を凝らしてみると、男性たちの近くには、その大きな柵に鎖で足を括り付けられている、一匹の動物らしき風貌も見えていた。

 彼女たちは息を潜めながら、男性二人が立っている柵の付近まで歩み寄っていった。そして、彼らの様子を窺ってみる。

 その男性たちは何と、鎖で繋がれている動物に罵声を浴びせているようだ。しかも動物の正体とは、真っ赤な鶏冠と鋭く尖ったクチバシをしたニワトリであった。

「あの人たち、ニワトリに向かって怒鳴ってるよ。どういうこと?」

「こればかりは、わからないワン」

「見て見ぬ振りして通り過ぎちゃおうか」

「その方がいいワン」

 シルクたちは興味なしといった感じで、大きな柵のそばから離れようとした。

 その一方で、男性たちはまだ、囚われのニワトリに悪態をぶつけている。

「コイツ、ニワトリの分際で生意気な口なんぞ聞きおってからに!」

「おい、コイツ、きっと魔物の一味だ。ぶっ殺して丸焼きにして食っちまおうぜ!」

 通り過ぎていこうとするシルクの耳に、薄汚いほどの罵詈雑言が飛び込んでくる。

 生意気な口を聞く魔物の一味――。その気が気でない印象だけが、彼女の鼓膜の奥に貼り付いていた。

 そしてその直後、足を止めてしまうほどの、驚愕の事実を知ることになる。

「アホめ! スーパーアニマルのオレをぶっ殺せると思ってんのかコケ? ジョーダンは、その薄汚い顔だけにしろコケ!」

 このニワトリの偉ぶった一言に、男性二人組は目を見開いて怒り心頭となった。

 無論、シルクとワンコーは唖然とした顔を突き合わせるなり、すぐさま、そのニワトリの方へ顔を振り向かせた。

「このやろう~、人間様に楯突いたことを思い知らせてやる!」

 シルクたちが後戻りしようした矢先、男性たちは我慢できずに、憎たらしく澄ました顔のニワトリに襲い掛かってしまった。

「ケッ、思い知るのは、おまえらの方だコケ!」

 誰もが思いも寄らぬ摩訶不思議な出来事が起こった。

 ニワトリの翻した白い羽根が赤く燃え上がり、その羽根の一つ一つが火の玉となって、迫ってくる男性たち目掛けて飛び散ったのだ。

 シルクたちがそこへ到着した時には、先ほどの男性二人は衣類に燃え移った火に悶えて、大きな悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。

「こ、これはいったい!?」

 シルクとワンコーは呆気に取られた目線を、メラメラと敵意を剥き出しにしているニワトリに向けた。

 すると、彼女たちの存在に気付いたニワトリは、あからさまに警戒し、羽根を真っ赤にしながら威嚇してくる。

「何だ、おまえたちは? 人間ということは、コイツらの仲間かコケ?」

 人間は人間だが、のた打ち回っている男性たちとはもちろん仲間ではない。

 とはいえ、すっかり呆けてしまい、それをすぐに否定しなかったシルクに、ニワトリは痺れを切らしたのか、威嚇をより強めて攻撃姿勢を敷こうとした。

「黙っていちゃわからん。そういうヤツにはお仕置きだコケ!」

 ニワトリはまたしても真っ白な羽を翻して、渾身とも言える気合いを入れ始める。

 そして、彼が羽根をばたつかせた瞬間、雑草を燃やし尽くすほどの火の柱が放出された。

 足元に襲い掛かってきた真っ赤な火柱。それを持ち前の反射神経でかわしたシルクたち、どうにか火だるまにならずに済んだようだ。

「ねぇ、これって、もしかして魔法よね?」

 こんな緊迫した状況でも、シルクからの質問には、親切丁寧に魔法解説をしてしまうワンコー。

「間違いないワン! これは火殺魔法の一つ、火柱だワン。火の玉より威力があって、地上にいる敵を攻撃する魔法だワン」

 その魔法を解き放ったスーパーアニマルのニワトリ。

 眼前の人間の身軽な動きと冷静な判断力に、少しばかり面を食らったようだ。

「ムッ! おまえら、オレの火柱をよくかわせたコケ」

 内心動揺を隠しつつも、ニワトリは次なる魔法攻撃の態勢を整えようとする。

 彼は魔物なのではなく、スーパーアニマルなのだ――。それならば、ここで戦うべき敵ではない。

 シルクは勇を鼓して、敵意剥き出しのニワトリに大声を投げかける。

「待ちなさい! あなたはスーパーアニマルなのよね? それなら、あたしたちは敵ではないわ」

 敵ではなく、むしろ仲間なのだと、シルクは説得するようにそう訴えた。

 ”仲間”という言葉に、ニワトリの顔つきが強張った。ますます目つきを鋭くして、白い羽根をみるみる朱く染め上げていく。

「オレに人間の仲間なんかいないコケ! オレを安心させて、一気に攻撃するつもりコケ」

 人間など信用できない。ニワトリは人間不信に陥ってしまった事情を明かす。

 彼は人間界にいた頃から、言葉を話せる特異な動物として人間から虐げられてきたという。安住の地を失い、当てもなく放浪していた末、この地に誘い込まれてしまったそうだ。

 闇魔界へ辿り着いても、人間から信用されることもなく、家畜よりもひどい扱いを受けた彼は、こんな人寂しい辺ぴな場所で、鎖に繋がれて放置されてしまったというのだ。

「オレをこんな目に遭わせたおまえらを、オレは許さないコケ!」

「待って! あたしたちはそんなひどいことなんてしないわ。スーパーアニマルの存在を知っているからよ」

 シルクの切なる一言で、ニワトリの怒気が一瞬怯んだ。それでも、攻撃体勢までは解いてはいない。

 まるで出番が来たかのように、颯爽と一歩前に踏み出したもう一匹のスーパーアニマル。彼は誇らしげな顔で、ニワトリに前足を突き出した。

「そうだワン。オイラもスーパーアニマルだワン!」

 スーパーアニマルだと自負する犬を前にしても、初見のニワトリにしたら、当然ながらそれを信じられるはずはないだろう。

 彼女たちが何を言っても、闘争心を緩めようとしないニワトリ。それほどまでに、彼の心は虐待という行為で傷を負っていたのかも知れない。

 これは言葉では通じないだろうと判断し、彼女たちはその証拠を形で示すことにした。

「ワンコー。あの火傷してしまった男の人たちを回復してあげて」

「了解だワン」

 ワンコーが両前足で合掌して祈りのポーズを取ると、彼の全身が白く眩しい光に包まれた。

 その光は聖なる光線となり、彼の突き出した前足を伝わって、地べたで這いつくばっている男性たちに注がれていった。

 それはまさに回復という名の魔法。彼らの痛々しい火傷の痕や、焼け落ちた衣類までもが、まるで何もなかったかのように回復してしまった。

 いったい何が起きたのだろうか? 魔法のオンパレードに戸惑い、男性たちは呆気に取られた顔を突き合わせるしかない。

 そして……。火の魔法を操るスーパーアニマルもそれは例外ではなかった。

「お、おまえら、いったい何者だコケ?」

 ニワトリはその脅威を目の当りにし、戦意喪失してしまったのか、真っ赤な羽根を下ろして攻撃体勢を解いた。

「このワンコーもね、あなたのように、生まれた時から魔法という能力を持っていたの」

 誇らしげに胸を張るワンコーのことを紹介したシルク。さらに彼女は、この地へやってきた経緯や、これから進むべき道についても簡単に触れた。

 その直後、シルクとワンコーは相談するように耳打ちを始める。

 これからの困難と試練の長き道のり、頼れる仲間は多い方がいいだろう。彼女たちは冒険の同行者として、ここにいる凄腕魔法使いを誘ってみようと思い立ったのだ。

「ねぇ、もしよかったら、あなたも、あたしたちと一緒に行かない? あなたの火の魔法が、これからのあたしたちの旅に必要なの」

「い、一緒にコケ?」

 シルクからの唐突なるスカウトに、ニワトリは目を見開いてびっくり仰天する。

 人間の少女一人と犬一匹だけで、闇魔界から脱出するというその命知らずな使命を耳にし、彼はただ呆然とするしかなかった。

 しかし、必要とされていると知った彼は、すぐに頭の中を切り替える。

 このまま街に残っても、所詮は人間に舐められるだけの虚しい人生。それならば、不思議な能力を持ったこの連中と行動を一緒にすれば、きっと自分らしい人生を取り戻せるかも知れない。

 彼は旅立つ決心を固めると、細い足に繋がれた鎖をクチバシで突く。

「オレの力が必要なら、この鎖を壊してくれコケ」

 旅立ちへの交渉成立とばかりに、シルクはスウォード・パールを颯爽と引き抜くなり、ニワトリと柵を繋いでいた鎖を切り離した。

 これで晴れて自由の身となった彼は、仲間となる彼女たちに自己紹介をする。

「オレの名前はクックルーだコケ。これまで天涯孤独で生きてきたけど、まー、よろしく頼むコケ」

 ちょっぴり偉ぶって、張り出した胸に羽根の先を押し当てるクックルーに、シルクたちも順番に自己紹介していく。

「あたしの名前はシルクよ。ここにいるのが、あなたと同じスーパーアニマルのワンコー」

「よろしくだワン」

 不思議な能力を持った者同士、不思議な巡り合わせで出会ったシルクたちとクックルー。

 まるで運命の糸で結ばれていたかのように、さらなる冒険へと突き進む仲間たちがここに集結した。

 果たして、シルクたちの行き着く先には、どんな困難と試練が待ち受けているのだろうか?

 それを知るためにも、彼女たちは後ろに振り向くことなく、次なる目的地となる困惑の村を目指して出発するのであった。

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