第二章 苦悩の街~ 不幸の中でこそ望む幸福(4)
未練迷宮を離れること十分少々。町長の屋敷まで帰ってきたシルクたち。
無事に使命を果たし、これで次なる困惑の村への道が開ける。そう喜び勇む彼女たちだったが。
城壁のような外壁を通り抜けて、草花が風で揺れる庭先までやってくると、外にまで聞こえてくる怒鳴り声の応酬。
彼女たちは驚いた顔を向け合い、胸騒ぎがうるさくなる中、早足に町長邸へと入っていった。
「ねぇ、今の声って、やっぱり町長さんとシンディーさんよね?」
「間違いないワン。また親子喧嘩勃発だワン」
シルクとワンコーは小走りで、怒鳴り声が鳴り響くリビングまでやってきた。
そこでは父親の町長と、その娘のシンディーが、顔を真っ赤にしながら口論を繰り広げていた。
そんな興奮状態の二人を宥めようとしているが、仲裁に入るタイミングが計れず、一人右往左往しているジャンクもいる。
「もう、いい加減にしてよっ! お父さんは、どうしていつもそうなのよ?」
「いい加減も何もあるかっ! おまえには結婚など早過ぎるんだ」
「早くなんかないわ! あたしはもう十九歳よ? 結婚してもいい年頃じゃないのよ」
「とにかく、ダメだ、ダメだ、ダメだぁ!」
気が強い者同士の口喧嘩は激しさを極めていた。
これでは、穏やかなジャンクが割って入る隙など見当たらないだろう。
シルクたちはあまりの喧しさに、思わず耳を塞いでしまった。
居てもたっても居られず、彼女がジャンクの代わりに仲裁役を買って出た。
「静かにしてください。いったい、何を言い争っているんですか?」
その透き通る甲高い声で、町長たち親子は言い争いを止める。
少しばかり度が過ぎたことを自省し、二人ともばつが悪そうに顔を伏せていた。
いったん冷静になるよう、シルクは町長たち親子のことを窘めた。そのおかげで、親子二人の顔色がようやく普段の色に戻りつつあった。
場が落ち着いたこのタイミングを見計らい、動揺しているジャンクに声を掛けるシルク。それは、町長へしっかり告白をしてくださいと、暗にお願いしているようでもあった。
ジャンクはさりげなく頷いてから、義理の父親になることを願う町長の前で姿勢を正した。
「……あの、お父さん。お願いです、ぼくとシンディーの結婚のこと、どうか許してください」
「おい、待て。わたしはおまえに”お父さん”と呼ばれる筋合いはないぞ?」
「お父さん! ジャンクの話をちゃんと聞いてよ、もう!」
またしても、口論に陥りそうなこの展開を食い止めようと、シルクがすぐさま会話に割って入る。
「落ち着いてください! あの、町長さん。どうして、お二人のことを許してあげられないんですか? その理由を教えていただけませんか?」
シルクがそう問い詰めても、頑固一徹の町長は根っからの強情ぶりを発揮する。
「理由とかそういう問題ではない。シンディーの結婚については、このわたしが良しとするまで、許すわけにはいかん。ただそれだけだよ」
理由がない拒否権など、身勝手で理不尽極まりない。娘であるシンディーはそう反論するも、父親である町長はさらに声を荒げて激高してしまう。
「いいか、よく聞け、シンディー。ここはわたしたちが本来暮らすべき世界じゃない。こんな暗黒の世界の中で結ばれた仲など、ほんの上辺だけの安っぽい愛しか生まんのだ!」
ここは闇から切り取られた空間、人間界へ帰ることも叶わない人工の街。そこにあるのは、幸福を見ぬままに死を迎える絶望だけだ。
この生き地獄と言うべき世界で、結婚といった恋愛ごっこなど、所詮は一時的な気休めのようなもの。そんな空疎なことのために、最愛の娘を傷物にされたくはない。娘が連れてきたフィアンセを睨みつけて、町長はそう胸のうちを明かした。
その胸を突かれるような指摘に、ジャンクは悔しさのあまりグッと唇を噛み締めた。
先ほどまで喚いていたシンディーも、苦々しく口を噤んでしまい、項垂れるジャンクのことを伏し目がちに見つめるしかない。
「いいか、二人とも。今は自分がここでどう生きるかだけを考えるんだ。一緒になって幸せになろうなんて、そんな甘い考えはもう捨てるんだ!」
町長から忌々しい現実を突きつけられて、皆が一様に押し黙り、このリビングに胸苦しい沈黙が訪れる。
その居たたまれない静けさを破るべく口火を切ったのは、この一件の第三者であるシルクの、嘆かわしくも憤りの混じった一言であった。
「町長さんのおっしゃること、正論かも知れませんが、あたしには、それがすべて正しいとは思えません」
険しい顔つきのまま、シルクのことを凝視する町長。その苛立たしく引きつった口角が、何が言いたいんだ!と、問い返しているように見えなくもない。
「ここは人間界ではありません。だけど、ここにいるすべての人間が、希望や未来を捨てて、幸せを思い描いちゃいけないなんてことはないと思います」
説教っぽいことを始めたシルクに、町長はさらに鋭くした目線をぶつけてきた。
「きみのような年端のいかない女の子に何がわかる? いくら剣術や魔法が使えても、この地獄という世界から脱出することなど皆無に等しい。わたしたちの希望と未来など、所詮は夢の中だけのものだ」
そのぶしつけな言い草が、シルクの感情をますます苛立たせた。
ひ弱な女子供に見られることは、プライドの高い彼女にとって、激しい劣等感と嫌悪感を抱かせるものだ。
彼女は怒気を抑え込みながらも、トーンを落とした声で訴えかける。
「それでは町長さんは、あたしたち人間は非力で、どんなにもがいても、どんなに足掻いても、未来と希望を切り開けない、そうおっしゃるんですね?」
その通りと言わんばかりに、踏ん反り返って頷いた町長。
わずかに訪れる沈黙――。
シルクは口を閉ざしたまま、ゆっくりと歩き出していく。
彼女の辿り着いた先、リビングの壁にくり抜かれた穴から、ここ苦悩の街ののどかな遠景が望める。
「それならどうして、ここが、これほどまでに人が暮らしていける街に発展できたんでしょうか」
シルクの言わんとしていることが腑に落ちず、町長は怪訝な顔つきを浮かべる。しかし、彼女から語られる次の台詞で、彼は目を剥いて愕然とした顔つきに変貌してしまう。
「人間たちの未来も希望もなかったこの空間が、こんな街に生まれ変わることができたのは、町長さん、あなたが指揮してくれたおかげじゃないんですか?」
ここにいる町長が指導者となり、人々と一緒に汗を流して街を開拓し、こんな地獄の中でも生きる道を見出してきた。この風景こそが、皆が手を取り合い、未来と希望を持って取り組んできた証しではないか?
そんな彼が生きる気力を失った途端、人々は街の中で埋もれてしまい、未来と希望どころか、生きる道までもが閉ざされてしまった。
この街へやってきて出会ったあのふくよかな女性と、そして、現場監督を務めたあの男性の虚しさと嘆きを、シルクはそのまま声に乗せたのだった。
「…………」
町長はぐうの音も出ないのか、複雑そうな表情のままガクッと俯いた。
それは反省なのか、それとも後悔なのか。俯いた顔に両手を宛がう彼。まるで、顔に浮かんだ不甲斐なさを隠すかのように。
シルクは遠景から目を逸らし、町長のそばへと舞い戻っていく。
彼女の視線は、こんな世界でも幸せを掴もうとしている男女二人に向けられていた。
「このお二人が隠れていた迷宮の奥には、大きな岩が邪魔していました。それは、町長さんもご存知のはず」
迷宮の通路に居座っていた岩は重たく大きく、町長一人や、シルクやワンコーにも動かすことはできない。
それは当然ながら、シンディー一人でも、ジャンク一人でも不可能だったはずだ。
それでもシンディーとジャンクの二人は、お互いに息を合わせて、協力し合って、その大きな岩を動かして、不可能を可能にしてここまでやってきたのだ。
「あたしも、町長さんも、みんな一人では無力ですけど、シンディーさんたちのように、一人が二人、もちろん大勢の人たちが力を合わせたら、もの凄いパワーを生み出せるはずです」
幸せを願うこの娘たち二人のためにも、ここに住まう人たちのためにも、今こそ立ち上がり奮起することが、父親でもあり町長でもあるあなたの使命では? シルクの責め立てるような声は、彼の心の奥で埋もれていた何かを呼び起こさんとした。
次の瞬間、ジャンクは意を決したように動き出し、町長の正面に回っていきなり土下座した。
「お父さん。この女の子が言った通り、ぼくとシンディーはこれからも、どんな困難にも手を取り合って、協力して乗り越えてみせます。だから、ぼくたちのことを、どうかお許しください!」
ジャンクは床に額を擦りつけて、シンディーのことを幸せにしてみせると、そう力強く嘆願した。
それでも、町長は俯いたまま貝のように口を閉ざしている。まだ踏ん切りがつかないのか、時折、重苦しいほどの溜め息を零すだけだ。
沈黙が流れること数十秒、町長はようやく重たい口を開いた。その時の彼の表情は、気難しいものではなく、どこか清々しさを感じさせるものだった。
「……ジャンク、もう頭を上げてくれ。こんな世界だからこそ、小さい幸せほど、大きく感じることができるのも知れんな」
娘の事をよろしく頼む……。町長のそのさりげない一言は、手塩にかけて育ててきた頑固娘に白旗を振ったことを告げていた。
そんな父親の穏やか顔を見るなり、シンディーは胸を撫で下ろすと同時に、切れ長の瞳に薄っすらと涙を浮かべた。
「お父さん……」
町長は照れ隠しなのか、娘の泣き顔をまともに見ようとしない。どんな世界にいても、父と娘の関係はこんな不器用なものなのかも知れない。
彼は顔を背けたままシンディーの名を叫ぶ。そして言葉を濁しながら、これからはおまえたちの好きにしろと、荒っぽいはなむけのメッセージを紡いだ。
シンディーとジャンクは恥らう微笑を向け合い、お互いの手を取り合って喜びをあらわにしていた。
許しを得た二人はそうと決まればと、慌ただしくリビングから出ていこうとする。
「おい、おまえたち、どこへ行くつもりだ?」
町長が唖然としてそう呼びかけると、シンディーは幸せいっぱいの笑顔で振り返る。
「決まってるじゃない! 小さな教会を作るのよ。これから結婚式を挙げる準備をしなくちゃね!」
ここに住まう人たちみんなに祝福してもらいたい。シンディーとジャンクはそんな願望を話しながら、リビングから走り去っていった。
「まったく……。気の早い二人だな」
苦笑している町長の顔も、娘たちと同じように晴れやかだった。
これでようやく解決かと、安堵の吐息をついたシルクとワンコー。
穏やかな空気が充満するこのリビングで、彼女たちはそれぞれの思いに耽っていた。
「シンディーさんたち、きっと幸せになれますよ。彼女たちの幸せが、この街にいる人たちに希望の光を与えてくれます。そう思いませんか?」
「そうだな。わたしが忘れてしまっていた希望の光。あの二人が、それを思い起こさせてくれたようだ」
この街を築き上げて、人々の生きる糧となって精進してきた町長。しかし、歳を重ねていくうちに、人間界に帰ることのできない現実に悲観し、未来と希望の光を見失っていく。
最愛の娘の独り立ち、未来と希望を諦めない若い者たちに感化された彼は、ここでもう一度、街造りにまい進することを決意した。街にいる人々と手を取り合い、協力し合いながら。
「シルクくん、だったな。本当にありがとう。きみたちのおかげで、娘も無事に戻ってきてくれたし、わたし自身もやり直すことができそうだ。町長という指導者として、もう一踏ん張りしてみるよ」
町長もきちんと約束を果たすため、リビングの戸棚から鉄製の鍵を取り出した。
「さあ、約束の鍵をきみたちに託そう。これを使えば、この屋敷のさらに奥にある、困惑の村へと通じる通路へ辿り着けるはずだ」
この先の長い道のり、どんな困難や試練が待っているかわからない。これ以上のお礼はできないが、ここから武運を祈り続けると、町長はシルクの小さい手に、未来と希望へ繋がる鍵を手渡してくれた。
「正直なところ、是非ともあの二人の挙式に参列してしてほしかったが、きみたちにはそんなヒマなどなかろう? もし帰ってくる機会があれば、気軽にここへ立ち寄ってくれ」
「はい。いろいろお世話になりました」
ちょっぴり後ろ髪を引かれる思いながらも、シルクたちは町長の屋敷に別れを告げる。
彼女たちが勇ましく向かう先は、この街のさらに奥深くにあるという、困惑の村へ行くための通路の入口であった。
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