第一章 パール城~ 運命という名の旅立ち(2)

 その頃、パール城の国王の間には、ただならぬ不穏な空気が張り詰めていた。

 絹のカーテンで光が遮断された国王の間。夕闇のように薄暗く、不気味さが立ち込めるこの雰囲気の中で、パール王国を統治する国王と、彼の内助の功である王妃の姿が浮かび上がる。

 そこにもう一人。国王への謁見で来訪していた、血で染まったような真っ赤な鎧をまとった騎士らしき男性がいた。

 いつも朗らかなはずの国王と王妃の表情がいつになく険しい。

 王族の象徴とも言えるゴールドに煌めく王冠も、シルバーに輝くティアラも、どこか威厳を失っているように見えなくもない。

 そんな国王たちと向き合う男性は、切れ長の目を細めて、にやけながら口角を吊り上げる。端正な顔立ちながらも、その冷笑は邪な狡猾さを滲み出していた。

 いったい、どういうことだ? 口の回りに蓄えたひげと一緒に、その声までも震わせる国王。

「あの禁止区域は、我が城主の先祖代々、”あかずの間”として封印してきたのだ。そんなところへ、なぜ……」

 騎士らしき男性は不敵な笑みを続ける。その異様な妖気が、彼の不気味さにより拍車を掛けていた。

「その理由に答える必要はありません。わたしからのお願いはただ一つ。国王王女であるシルク姫を、あのあかずの間に導いてほしいだけ」

「バカなっ、そんな解釈不能な頼み事、そう易々と聞けるはずもなかろう!」

 ”あかずの間”――。ここパール城の地下奥深くに眠る、誰も近寄ることのない、真っ暗な闇に支配された区画の一室。

 闇に覆われしあかずに間には、いかなることがあろうとも決して入るべからず。この言い伝えとともに、先祖代々の城主から封じ込められている空間だ。

 そんな闇に覆われる危険な地へ、王女であるシルクを誘い込もうとする、この怪しき男性の真の狙いとはいったい――?

「無論、何も見返りもなく、こんなお願い事をするつもりはありません」

 騎士らしき男性が差し出した物、それは、人の頭ほどの大きさの麻袋であった。

 その袋の中に手を忍ばせて、彼はそっと中身を取り出してみる。彼の指に摘まれた貴石は、この薄暗い室内の中でも、魅惑を映し出すように光り輝いていた。

「この袋の中には、これほどの大きさの石がたくさん入っています。どうです? 交渉条件としては不十分と言えないと思いますが」

 握り締めた麻袋がゆさゆさ揺れると、宝石たちが重なる高貴な音が室内に反響した。その男性が告げた通り、袋の中には、相当数の煌めく宝石たちが敷き詰められているようだ。

 高価な宝石を交渉材料にしてきたその行為に、国王は憤慨し眉を吊り上げていきり立つ。

「金品で釣るつもりか、ふざけるのもいい加減にしろ、キサマ!」

 込み上げる怒りを抑え切れず、わなわなと全身を震わせている国王。彼のそばへ歩み寄った王妃も、落ち着かない様子で動揺を隠し切れなかった。

 国王の怒号が轟いた後でも、その男性の顔はにやけたままだ。彼はおもむろに、外の景色が望める窓際に歩を進める。

 彼はカーテンを捲り上げて、締め切っていた窓を開け放つ。すると、小春日和を感じさせる穏やかな涼風が吹き込んで、室内に漂う不穏な空気とぶつかり儚く消えていった。

 騎士らしき男性は外の遠景を眺望していた。そんな彼の視線の先にあるもの、それは、ここパール城と城下町であるプラチナの街とを連絡する、目下工事中の直線道路であった。

 鉄格子のバリケードに張り巡らされた建設中の道路。ところが、聞こえてくるはずの耳障りな機械音も、忙しそうに動く作業員の姿すらもそこにはなく、その工事現場はまるで廃墟の様相を呈していた。

「パール国王。どうやら、城下町へと繋がる道路の建設は暗礁に乗り上げたようですね」

「……何が言いたいのだ?」

 国王は怪訝そうな顔つきで、物言いたげな男性のことを睨みつける。

 騎士らしき男性は含み笑いを零しつつ、苛立っている国王のことを睨み返した。

「わたしは知っているんですよ。投げやりな公共事業ばかりに、民からの税収を投資した結果、この王国の予算がすでに底を突いているということを」

 電流ショックのような緊張が国王の全身を貫いた。

 青ざめる彼の額から、いくつもの冷や汗が滴り落ちてくる。

「キ、キサマ……。いったい何者なのだ?」

 パール王国国王は経済発展強化政策の一環として、プラチナの街の大規模な商業都市化、観光事業、そして、王国周辺の幹線道路の建設を積極的に取り組んできた。

 公共事業への投資は莫大だったが、彼は税収の増税など、国民へ負担を強いることを一切実施しなかった。それは、絶対的な支持と信頼を得ている彼の、最後まで譲ることのできない誇りでもあった。

 始まりから無計画だったことが災いし、その経済政策は時間を追うごとに鈍化していく。足りなくなる資金、なかなか見つからない金策。そしてついに、火の車と化した公共事業のすべてが機能を停止してしまう。

 後悔先に立たず――。ありとあらゆる施策がしわ寄せとなり、パール王国の予算は困窮という由々しき事態に陥ってしまったのだ。

 そのすべてを見透かされていたことに、国王の口は恐怖と絶望でガクガクと震えている。彼を支えてきた王妃も、ショックの大きさに完全に言葉を失ってしまっていた。

「この事実が公になれば、国王、あなたは民からの信頼を失い、やがて失脚という憂い目に遭うでしょう」

 王国予算の枯渇――。それはすなわち、パール王国の経済崩壊を物語っていた。

 その事実が明らかになれば、王国で暮らす民衆たちは路頭に迷い、先の見えない将来に自暴自棄に陥り、やがて醜い揉め事が勃発するだろう。

 そして、紛争の最後に待っているのは、パール王国王家へのシュプレヒコール、つまりクーデターだ。

「だが、それを生かすも殺すも、すべては、ここにある金のなる木ではないでしょうか?」

 騎士らしき男性はもう一度、麻袋から光り輝く宝石を取り出す。

 彼の手の中から漏れる輝きは、絶望の淵に立つ王国国王の脆い心を魅了するように、時には鈍く、時には妖しく瞬いていた。

「ククク。さぞ、頭の切れる国王のこと。最良の選択をしてくれるでしょう。さあ、聞かせていただきましょうか? シルク王女を、あのあかずの間へ導いてくれるか否かを」


* ◇ *


 朝の日課を終えたシルクは、すでに自分の部屋まで帰ってきていた。

 汗ばんだ稽古着を脱ぎ捨てて、煌びやかなピンク色のドレスに袖を通した彼女は、慣れ親しんだお部屋の中で、朝の優雅な一時をのんびりとくつろいでいた。

 ここでくつろいでいたのはシルクだけではない。先ほどまでお供をしていた、彼女の愛犬のワンコーも一緒だ。

 ワンコーはシルクの忠実なる愛犬ではあるが、彼女と一緒に暮らしているわけではない。彼には歴とした自分の部屋、というよりは専用の小屋があるのだ。彼はスーパーアニマルだけに、もう人間とほとんど同じような環境で生活しているのである。

 ではなぜ、ワンコーがシルクの部屋へお邪魔しているのかというと……。

「はい、お菓子よ。これを食べたら、ちゃんとお家へ帰るんだよ」

「わかってるワーン!」

 ご覧の通り、お散歩の後のお楽しみ、そう、おやつが目的だったというわけだ。

 おいしい、おいしいと、息もつかぬ素早さで、与えられたお菓子にむさぼりつくワンコー。そんなせっかちな愛犬を見つめて、シルクは呆れながらもちょっぴり嬉しそうだった。

 ふかふかのベッドに腰を下ろした彼女は、部屋の丸い小窓に映る外の景色に視線を向けた。

 彼女が見つめていたものとは、鉄格子のバリケードに覆われた、どこか殺伐としている幹線道路の建設現場であった。

「そういえば、お城からプラチナの街への道路って、まだ工事終わってないんだよね?」

 シルクはそう呟き、ベッドに座ったまま頬杖をつく。

 ワンコーはお食事を小休止して、彼女の問いかけに答える。

「終わってないワン。しかも、ここ最近、工事がまったく進んでいないワン」

「あの工事って、お父様の指示でやってるのよね?」

「そうだワン。国王様がプラチナの街の商業化のために、いろいろな商売人たちが往来できるようにしようと、大きな道路を作るつもりらしいワン」

 パール王国のたった一つの城下町であるプラチナの街。

 いくら城下町とはいえ、その道中には大河や山間が点在しており、お城からの距離はそれなりのものだ。

 距離を少しでも縮めようとした政策こそが、パール国王が発案したこの幹線道路の建設なのだ。大河を越える大きな橋、山間を突き抜けるトンネル。それがすべて整備された暁には、その距離が大幅に短縮される予定だった。

「ふ~ん。一言で道路を作るっていっても、とっても時間が掛かっちゃうもんなんだね」

 幼いながらも感傷に浸っていたシルクに目も暮れず、ワンコーはすっかりマイペースで、おやつのお菓子をあっという間に平らげてしまっていた。

「おいしかったワン。 姫、おかわりだワン」

「あのねぇ……」

 お菓子が仕舞ってある、金色に縁取られた戸棚を勝手にまさぐり始めるワンコー。愛犬とはいえ、この厚顔無恥ぶりには、さすがのシルクも苦渋の面持ちだ。

 引き出しの中を捜索していた彼は、お菓子とはまったく違う物を発見した。それは、変色しかかった一枚の写真だった。

「姫。この写真は何だワン?」

「え、ちょっと見せて」

 シルクはワンコーが差し出してきた写真を覗き込んだ。

「ああ、懐かしい。これ、あたしが小さい頃の写真だよ」

 色褪せた写真の中には、屈託のない笑顔を浮かべる王国王女のあどけない姿があった。

 その写真はシルクばかりではなく、彼女の両親であるパール国王と王妃の若い頃の姿も写っており、背景に目を凝らしてみると、ここパール城の庭園の噴水前で撮影されたものとわかった。

「おお、姫、とっても小さいワン。国王様も王妃様もとっても若いワン」

「フフフ、当たり前でしょう。それ、十年近く前の写真だもん」

「しかし人間というのは、歳を取ると見た目も印象も、随分変わるもんなんだワン」

「年寄りくさいこと言わないでよ、もう。あたしだって、いつかはお母様と同じ年齢になるんだから」

 じっと写真を眺めていたワンコーは、この写真の中にもう一人だけ、自分の知らない人物がいることに気付く。

「姫、姫! 姫の隣に写ってる、このかわいい女の子は誰なんだワン?」

「やけに食いついてくるわね。この子はね、隣の大陸にある王国、レッド王国のお姫様のコットンちゃんよ」

 ジュエリー大陸から海を挟んだ向こうの大陸にあるレッド王国。

 遠いいにしえの時代より、パール王国とレッド王国は紳士協定を結んでおり、文化の交流や生産物の貿易など積極的なやり取りが行われていた。

 パール国王にとって友好関係にあったレッド国王や王妃、そして親愛なるプリンセスであるコットン王女は、これまでに数回ほど、このパール城を来訪したことがあるのだという。

 シルクとコットンは年代も近かったせいか、一緒に砂遊びをしたり、お馬さんに乗ったり、それと、おしゃまな女の子だけに、いっぱい悪戯をして怒られたりもしたそうだ。

「どうやら、姫の悪戯はその頃からだったみたいだワン」

「うるさいな、もう」

 ワンコーの鼻を指で摘みながら、シルクは幼い頃の記憶にある、かわいかったコットンの面影を振り返る。

(コットンちゃん、今頃どうしているのかなぁ……)

 シルクと同じお姫様として生を受け、王国王女として何不自由なく暮らしてきたであろうコットン。

 あたしより、背は高くなったのかな?

 あたしより、大人っぽくなったのかな?

 あたりより、プリンセスとしての風格は出てきたのかな?

 もうかれこれ十年近くも会っていない、ほとんど便りのなくなった親友を心に思うシルク。

 写真はセピア色に色褪せていても、シルクの記憶と思い出だけは、今でも色褪せることはなかったようだ。

(そういえば、あたしが送ったお手紙……)

 シルクの記憶にふらっと過った一つのエピソード。その時、彼女の表情に心なしか憂慮の色が映った。

 会話がプッツリと途絶えて、ワンコーがコクリと首を捻り、彼女へ声を掛けようとした瞬間。

「そうだわ!」

 いきなりパチンとを両手を叩いて大声を上げたシルク。

 いきなりのことにワンコーは驚いてしまい、ベッドの隅っこに隠れてしまった。

「ど、どうしたんだワン?」

「レッド王国やコットンちゃんのこと、お父様に尋ねてみようと思って。もしかすると、元気かどうか知っているかもしれないし」

 そうと決まれば早速行動よ! シルクはふんわりヘアを揺らしながら、駆け足でパタパタと部屋を飛び出していった。

「ひ、姫、待ってほしいワーン。オイラもお供しますワーン!」

 ワンコーは思い出の写真を片付けるなり、四つん這いで、国王の間へ向かった彼女の後ろを追っていった。



 二階から一階へ、螺旋式の階段を騒がしく駆け下りるシルク。丈長のドレスの裾を持ち上げながら。

 そのお転婆ぶりは、一国一城のお姫様らしからぬ姿である。

 彼女の後ろを追い掛けるワンコーも、今更注意するまでもないだろう……と、すっかり呆れ顔だ。

 シルクたちが目指す国王の間は二階にあるが、彼女の部屋からだと、一度、一階の大広間ロビーを経由しなければ辿り着けない構造となっている。


 シルクたちは脇目も振らずに、一階にある大広間ロビーまでやってきた。

 艶のある真紅の絨毯で彩られたこの大広間、お城に従事する人々や、王国兵士たちが忙しそうに行き交っている。それは、いつもと変わらない日常茶飯事な光景だ。

 ところが、ここでシルクはいつもと違う光景を目にする。

 大広間ロビーの奥、二階へと向かう階段の方から、背筋を伸ばして行進してくる騎士らしき男性。

 身に着けた真っ赤な鎧が、敷き詰められた絨毯の上で同化しているせいか、彼の端正で凛々しい顔立ちがより一層際立って映った。

 国王の間へ向かうシルクたちと、国王の間から去っていくその男性がすれ違う。

「…………」

 シルクは横目に彼を見やり、そして、足を止めてから振り返る。

 彼女の目線は不思議なほど自然に、その男性の姿勢正しい背中を追い続けていた。

 立ち止まったご主人様を訝り、ワンコーは頭を傾げながら声を掛ける。

「姫、どうかしたかワン?」

 ワンコーに呼ばれても、シルクはまだ視線を変えないままだ。

「あの人、素敵な横顔だったわ。どこから来た人かな」

「は?」

 呆けてしまっていた姫君が我に戻ったのは、それから十秒ほど経過した後だった。

「いけない! 早くお父様のところへ行かなくちゃ。ほら、ワンコー、もたもたしてると置いていくよ」

「姫、自分から止まっておいて、それはないワン!」

 気持ちを逸らせること数分後。シルクとワンコーは、城内二階中央に位置する国王の間へと到着した。

 国王の間の鉄扉の両脇には、国王と王妃を護衛する守衛兵士が端然と起立している。彼らはシルクの来訪に顔を綻ばせ、気持ちのこもった挨拶を交わした。

 守衛兵士から誘導されたシルクたちは、父親である国王が執務を行う国王の間へと赴いた。

 赤みを帯びた色調のラグマット、高級感漂うカーテンで囲まれた厳かな室内。何本にも立ち並ぶ大理石の大柱が、見上げてしまうほどに高い天井までスラリと伸びている。

 重職を担う者たちが集うであろう、木目調の会議机と椅子が整然と佇むその奥で、国王と王妃の二人は肘付き王座の上に腰掛けていた。

 シルクはいつも通りに元気よく、両親である国王と王妃に挨拶しようとする。ところが、何やら不穏な空気を感じ取った彼女は、喉の先まで出掛かった挨拶を途中で押し殺してしまう。

(お父様とお母様、何か様子がおかしいわ)

 国王は自己崩壊したかのごとく塞ぎ込んでいた。そんな彼を気遣うように、物思わしげな顔を向けている王妃。二人は失意のあまり、室内に入ってきた最愛の娘の存在に気付いてはいない。

 咄嗟に大理石の柱に身を潜めたシルク。彼女の覗き見るその瞳には、それが明らかなほど不可解に映っていた。

 まるで隠れているような彼女を不審に思い、ワンコーはそっと声を掛けてくる。

「姫、どうかしたかワン?」

「シッ。ちょっと静かにして」

 シルクは潤う唇に人差し指を押し当てると、ワンコーにも足元に隠れるよう促した。

 何やらひそひそ話のような小さな声が、国王の台座の方からかすかに漏れてくる。彼女たちはそれに耳をそばだてる。

「あなた。もう気に病まないでください。仕方がなかったことなのでしょう?」

「……わかっておる。だが、国の民を救うため、いや、己の保身のために、わしはとんでもない過ちを犯してしまったのだ」

「あまりご自分を責めないでください。このような結果になったことは、妻であるわたくしにも責任がありますわ」

「口惜しい。わしはもっと早くに、このような最悪の事態となる前に、気付くべきだったのだ」

 国王は今にも、崩れ落ちてしまうほどに憔悴し切っている。王妃に支えられて、王座に座っていられるのがやっとといった様相だ。

 それが内密な話なのか? それとも、いずれは国民にも知れ渡る話題なのか?

 盗み聞きしていたシルクは、当然ながらそれを知る術もなく、戸惑いの色を隠せない。いずれにせよ、両親にとって不幸な事柄であることだけは容易に察知できた。

 彼女は柱の陰に隠れたまま逡巡としている。平静を装いながらここから出ていくべきか、はたまた、気付かれぬままにここから立ち去るべきか。

(あたしはパール王国王家の一人娘。逃げたりしちゃいけないわ)

 パール王国の王女はそう思い立った。

 人々の嘆きや呻き、人々の悲しみや苦しみに目を背けることのない勇気。信頼なる家族を慕うべく愛情。それこそが、強大な王国を統治する一族として生まれた者の宿命なのだ、と。

 シルクは何かを悟ったように力強く頷き、暗い影を落としている国王の前に飛び出していく。

「お父様、お母様。いったい、どうなされたのですか?」

「シ、シルク――! お、おまえ、いつからそこに?」

 その時の国王と王妃の驚きようは半端ではなかった。

 引きつったように青ざめていくその表情が、シルクの胸騒ぎをより大きくしていく。

 彼女が一言、今しがた来たばかりです、と答えると、国王と王妃はホッとしたのか安堵の吐息をついた。

「ああ、何も心配することはないぞ。ただな、少しばかり考え事をしていたんだよ」

 国王の目に余るほどの白々しさは、内心穏やかではないシルクに疑心を抱かせるものだった。

 肉親の身を案じているのだろう、優れない顔色や落ち着きのない素振りを執拗に追及する彼女。しかし、父親である国王は一貫として問題ではないと主張し、ここ最近の疲れが溜っているだけだと、ひたすら言い逃れに徹するのだった。

「そんなことよりもシルク。あなたはどうかしたの? わたくしたちに何か御用があるの?」

 父親の隠し切れない動揺に助け舟を出したのは、いつもの平然とした表情を取り繕う王妃だ。

 その口調もいつも通り滑らかな母親だったが、瞳の奥に映し出される憂いだけはごまかし切れず、シルクの不信感がますます募っていく。

 苛まれる苦悩を打ち明けてくれない両親を虚しく思い、シルクは居たたまれない失望感に伏し目がちになる。

「……いいえ。たいした用事ではないので。また改めてお話します」

 寂しさを顔色に浮かべたまま、国王と王妃の前から去っていこうするシルク。

 国王の唖然とした声にも振り返ることなく、彼女は広い空間に靴音だけを残して、緊張感に包まれる国王の間から姿を消していった。

 そして、国王と王妃の目前には、彼女のお供のワンコーだけがポツンと佇んでいた。

「ワンコー、何をしてるのです? シルクに付いていきなさい。あなたは、あの子のお供でしょう」

「し、失礼しました。了解ですワン」

 王妃に咎められたワンコーは、礼儀正しくお辞儀をしてから、慌ててその場から駆け出していく。

「待て、ワンコー!」

 国王の大声が室内に鳴り響いて、ワンコーは急ブレーキを掛ける。

 大慌てで振り向く彼に、国王が困惑めいた表情で弱々しく呟く。

「シルクに伝えてほしいことがあるんだ……」

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