10 エドワードとヒューマー

 ヒューマーが住む大陸、ミズガルドには3つの国がある。南の端に位置する常夏の王国ヤフェト。大陸の東側に位置するセム共和国。そして、現在男や碧たちが住むグリョートの麓に広がる巨大都市国家、ノア王国。3国は同盟を結んでおり、人や物品の行き来はほとんど自由だ……ヒューマーであれば、の話だが。


 元々ミズガルドは3大陸の中で魔物が群を抜いて多い。そんなヒューマーにとって危険極まりない大陸で、ヒューマーの国がここまで発展したのをエドワードは昔から奇妙に思っていた。


 公的な記録ではノア王国は元々自警団の集まりから出来た国とされている。魔物から人々を護った、英雄の興した国だと。そしてその英雄の子孫が代々王となり治めてきた国なのだ。


 そんなご立派な王様のパレードを今、エドワードは無感動に眺めていた。男から剣を預かって2日。今日はノア王国建国300年記念のお祭りなのだ。王都ゴフェルにて行われている豪華絢爛なパレードの中心で、うら若き王――ジェイド=ノアが集まった民衆に手を振っている。飴色の髪に薄紫の瞳の精悍な青年だ。その後ろに続く馬車にはノアの紋章とは異なるマークを掲げた旗が掲げられている。


「……来たか」


 群衆の歓声に紛れて呟く。太陽を背に空から舞い降りた人の紋章――バーデン教団の馬車が目の前をゆっくりと通り過ぎていく。王国お抱えの教団だけあってジェイドの馬車に負けないほど派手な装飾だ。


 馬車は大通りを通り過ぎると、噴水広場に停まった。20年程前、『神の子』が落ちてきた神聖なる噴水だ。民衆の移動に沿ってエドワードもそちらへと移動する。そうして少し離れた路地の近くで足を止めた。魔法を使えばここからでも声は十分聞き取れる。それにエドワードはちょっとした個人的な事情があって、可能な限り王族や教徒には近づきたくなかった。今回もパレードを見に来たのは情報収集のためなのだ。


 モリオンについて、何か話が聞けるかもしれない。男の元に剣が届けられたのも、おそらくこのタイミングを狙ったのだろう。男も式典に誘われていたのではないだろうか。ほぼ間違いなくここに来る気はないだろうが。


 と言うか来ないで欲しい。ヒューマーの中でも王族の魔物への侮蔑と嫌悪は特に顕著だ。ここで万が一、いや億が一にもキレ散らかされてはフォローはほぼ不可能と言っていい。ここ数日で男のヒューマーへの怒りは驚くほどに膨れ上がっているのだから。


 いや、膨れ上がっているというよりは無理矢理に抑えこんできたものが溢れ出てきているという感じだろうか。どちらにせよ、爆発してしまえば止められる気はしない。


「――こうして悪しき獣を討伐した初代、アーノルド=ノア様は宣言いたしました『この世に安寧をもたらすべく、子々孫々に至るまで、我は戦い続ける』と!」


 エドワードはそんなことをつらつらと考えながら、宰相が読み上げていくノア王国栄光の歴史を聞き流していた。ちなみにこの時初代が討伐したのはグリョート山脈から迷い出てしまった産まれたての小鹿――もとい、エイクスだった。まだ障壁もろくに張れないよちよち歩きの赤ん坊を捕まえて、悪しき獣とは片腹痛いにもほどがあった。


 から教えてもらった正史を思い起こしつつ、エドワードはどこか遠くを見つめるように目を細めた。思えばいつもそうだった。住処を追われたのは魔物たちの方だ。男も言っていたが、逃げ回るのはいつだって魔物側だ。


 放っておいてくれればいいのだ。分かり合うことが出来ないとだけ理解して、境界線を引いてしまえばいいのに。


「――そうして我々は、長きに渡る魔物の支配から解き放たれるのです! その為の力を、我々は手に入れたのです!」


 ようやく目的の話に入ったらしい。エドワードは耳をそばだてて次の言葉を待つ。が、宰相は後ろへ下がってしまった。そうして入れ替わるように、バーデン教団の司祭が一歩前へと出た。


「誇り高きノア王国の国民たちよ! 神は我々ヒューマーこそを御救いになられた! 20年前には我々に使徒を遣わしてくださった。そして今!」


 司祭は勢いよく両腕を広げた。重たげな袖が羽のように広がる。高揚した表情のまま、その腕をゆっくりと下ろす。それを合図に後ろに控えていた教徒の1人が手に持っていた物を天高く掲げる。


「悪しきものどもを撃ち払う力を我々にお与えくださったのだ!」


 それは、一抱えほどの水晶だった。男に送られた大剣の刀身と同じように、際限なく光を吸い込む黒色をしている。疑いようも無くモリオンの結晶だった。


「この結晶はモリオンと言い、魔物を打ち払う聖なる力を秘めている」


 エドワードは眉をひそめた。モリオンは魔力変換及び増幅装置だった筈だ。確かにそう言った方が民衆への聞こえはいいだろう。実際、広場に集まっている国民たちは歓喜に声を上げていた。


 聖なる……という感じには到底見えない、と思ったのはエドワードだけなのだろう。むしろ邪悪の化身とでも言われた方がまだ納得できた。光を全く反射しない漆黒に、扱い方を一歩間違えれば暴発する危険すらはらむブースト効果。エドワードからすれば凶悪な物資に他ならない。


 ……いっそ、今この場で爆発でもさせてしまおうか。人目を盗んで少し触れてやるだけでいい。そんな暗い考えがエドワードの中で鎌首をもたげた。が、直ぐに頭を振ってその考えを振り払う。


「今はまだ、全国民に行き渡るほどの量も加工技術もない。しかし! 全ヒューマーの英知をもってすれば、近く夢は現実となる!」


 興奮しているのか、口角に溜まった泡を飛ばしながら司祭が叫ぶ。


「魔物も、魔族もいない! ヒューマーだけの平和な世界の実現はもはや、我々の手の届く範囲にある!」


 どくり、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。ヒューマーのそれとは形の違う尖った耳に熱が集まる。


 魔族――それはデミヒューマーの蔑称だ。ヒューマーは数の多さとその統一された見た目から、デミヒューマーのような多様な外見を受け入れられず、排除しようとする傾向がある。この神聖な式典にエルフが混ざり込んでいるなどとバレれば間違いなく袋叩きだろう。もっとも、大人しくそれを受け入れてやる気は全くないが。


 湧き上がる喜色の声に背を向けるように、エドワードは踵を返した。嫌な思いをしただけで収穫らしい収穫は無し。最悪な日だ。大きく溜め息を吐いた、その時だった。


「――ッ!」


 僅かな空気のうねりに反応した身体がその場から大きく飛びずさる。一拍遅れて、黒い剣先が石畳を叩き割った。轟音と衝撃波が弾け、びりびりと空気を震わせる。斬り落とされた髪が一房、宙を舞って地面に落ちた。


 足元に落としていた顔を上げれば、赤髪緑眼の騎士――バイパーと一瞬視線が交差する。憎悪に燃える目がエドワードを射抜いた。


 あぁ、またか。エドワードはぼんやりとそんなことを思う。どうしてどいつもこいつも親の仇でも見るような目を向けてくるのか。


「騎士の挨拶は変わってんな。何も言わずに斬りかかるのか」


 朝の挨拶で半分くらい死にそうだ。皮肉半分にそう言えば、バイパーは勢いよく剣を振り抜いてこちらに向かってくる。言葉を交わす気すらないらしい。


「な、何が起こっているんだ!?」


「ねぇ、見て! あの男、耳の形がおかしいわ!」


「あれは魔族じゃないか! どうしてこんな町中に!?」


 悲鳴と狂騒が広がり始め、髪を切られたことで露になったエドワードの尖った耳を刺激する。幾つもの嫌悪の言葉が洪水のように押し寄せ、エドワードは少しだけ顔をしかめた。そんな彼の顔が一瞬前にあった位置を、剣が通り過ぎていく。


「……流転の精霊よ、加護を受けし者に天翔ける力を」


 エドワードの周りで空気が渦を巻く。重力に逆らうほどの力はエドワードの身体を空中へと浮き上がらせる。三度剣撃は空を斬った。怒りに燃える瞳が見上げてくるのを、エドワードは無感情に見下ろした。


 ずっと考えていた。百年以上、ずっと。どうしてヒューマーは魔物やデミヒューマーを徹底的に排除しようとするのか。遡れる限りの歴史も調べつくした。何か理由があるのだろうと。答えが、どこかにあるのだろうと。


 だが、何も見つけられなかった。


「逃げる気か、卑怯者!」


 眼下でバイパーが何事か騒いでいた。何とも若者だ。遺伝子に刻み込まれている説は案外正しいのではないか、とエドワードは独り自嘲気味の笑みを浮かべた。


「そりゃ、俺には戦う理由が――」


 言葉の途中で背中へと衝撃が走り、エドワードの身体は前へと傾いだ。訳が分からないまま、詰まった息を吐き出す。べちゃ、と粘着質な音を立てて、地面が赤く染まった。


「あ――?」


 焼けるような熱さに襲われ、エドワードの身体が高度を下げた。同時に何かが空を斬る音が背後から空気を伝ってエドワードに迫る。


 あぁ、本当に……今日は最悪な日だ。


 痛みを堪えて素早く振り向けば、筋骨隆々の騎士が剣をふるうのが一瞬だけ見えた。咄嗟に首をかばうように腕を前に突き出す。黒い刀身が何の抵抗も見せずに前腕に食い込み、肉を斬り骨を断ちながら抜けていく。


「ッぎ……!」


 上げそうになった悲鳴が喉に満ちた血に溺れる。落ちていった腕は石畳の上で一度だけ跳ねて、静かに横たわった。


「グラン団長!」


 バイパーの上げた声に、ようやく自分の腕を斬り落とした人物を認識できた。短く刈り込んだ銀髪に深いアイスブルーの瞳、岩のような体躯――王国騎士団長、グランだ。エドワードと違い、飛べない彼は丁度着地したところだった。深く腰を落として追撃の体勢を取っている。


「――流転の精霊、よ……加護を、っ受けし者、に、守護の翼を……ッ」


 しつこく喉を塞ごうとする血潮に抗って何とか詠唱を終える。ほぼ同時にグランは魔力を帯びた大剣を大きく横に薙ぐ。大気すら切り裂いたその軌道が質量を持って、エドワードに向かって飛来する。初撃でエドワードの背中を切り裂いたカマイタチだ。


 が、それはエドワード手前で見えない壁にぶつかり、霧散した。その中心で、エドワードがゆるりと残された腕を上げる。


「流転、の精霊よ、加護を受け、し者にっ、天翔ける道、を」


 エドワードの身体を包む風が荒れ狂い、密度を増していく。止まらない血液が大気に溶け、赤い嵐となって吹き荒れる。グランが2度3度とカマイタチを飛ばすが、それらは全てエドワードの遥か手前で解けて消えた。


「何をする気だ……?」


 集まり、渦を巻くばかりの風にグランが眉をひそめる。が、次の瞬間には目を見開いた。


「何だ? 雲が……」


 エドワードを中心に、上空に雲が集まり始めていた。厚く重くなっていく雲は、太陽を覆い隠していく。暗くなる空に、一筋の閃光が走った。


「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、天地を切り裂く刃をここに」


 詠唱と同時に灰色の雲が金色に光る。一瞬の静寂。


「ぐぁああああああッ!!」


 それを切り裂くようにグランが叫んだ。声に被さるように、雷鳴が轟く。空から降りてきた稲光は、グランの持つ剣の刀身を撃っていた。当然それを握っていたグランの身体にも電撃が走り抜けていく。


「ぐ、ぉおおお……っ」


 金属音と共にグランが片膝を着いた。剣にすがるようにして何とか倒れるのを堪えている。が、その剣はグランの手から引き離されるように浮き上がった。


「な、これは……?」


 くるくると木の葉のように舞い上がった大剣が空中でぴたりと動きを止める。エドワードの、目の前で。


「見てろよ」


 エドワードは短くそう言った。聞こえたかどうかは定かではないが、そこにいた人々の視線は宙へと踊り上がったモリオンの大剣に集まっている。その目の前で剣は細かく震えだした。刀身が光を帯び、バチバチと火花を散らす。


「これが、お前らの言う聖なる力だ」


 エドワードがそう言うや否や、光が刀身に収束した。そしてそれは一息に解き放たれ――大爆発を起こす。暴発を起こしたのだ。目が潰れるほどの閃光と、三半規管を揺らす轟音を鳴り響かせ、雲を吹き飛ばす。


 暫くの沈黙の後、人々はゆっくりと目を開いた。そうして一様に息を飲む。


 そこにあったのは、深く丸いクレーターだった。丁度、エドワードの風によって囲まれていた範囲の地面がえぐれ、無くなっている。


 人々と同様に声を無くしたグランの前に、モリオンの大剣が舞い降りてくる。反射的に受け止めようと伸ばした手に触れた瞬間、それは燃えカスのように崩れ落ちた。


「こ、れは……」


 モリオンの大剣はグランの手の中で黒い灰になり、柄だけを残して消え去ってしまったのだ。はっとして上空を見上げる。当然のように、エドワードは姿を消していた。


「い、今のは……?」


「剣が……爆発した、の?」


 ざわざわと混乱と不信が広がっていく。グランは辺りを見渡し、地面以外に被害が無いことを確認すると、指示を出すためにバイパーら分隊長の元へと駆けだした。


 湧き上がった疑問と感情には、取り敢えず蓋をして。

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