09 おっさんと魔物殺しの剣

 結局碧は涙の理由を話せないまま、泣き疲れて眠ってしまった。男はソファにもたれかかった身体を抱き上げると階段を上った。男の寝室の使っていなかった部屋が、今は碧の部屋になっている。両手が塞がっていたのでドアはチビに開けてもらった。


「いじわるしないし、してないからね?」


 ベリルの誤解はまだ解けていないらしく、碧を運ぶ男を監視するように周りを飛んでいる。ベッドに下ろせば、ベッドヘッドに舞い降りて碧を覗き込んでいた。掛け布団を整えるとベリルを残して部屋を出ていく。が、途中で思いついたようにチビを見下ろした。


「あの剣調べたいからさ、チビもアオイちゃんの傍にいてやって」


 チビはふんふんと頷いて踵を返す。ベッドの空いたスペースに乗り上げたのを見て、男は扉を静かに閉めた。


 階段を降り、リビングへ戻る。大きな木箱が妙な存在感を持ってそこに置いてある。男は再び木箱の蓋を開けた。何の変わりも無く、重い色をした黒剣がビロードの上に横たわっている。色が違う以外は男の持っている大剣とほとんど同じだ。手紙にも男の手に馴染むように彼の剣をモデルに造ったと書いてあった。これほどまでに要らない気遣いはない。


 刀身に手を伸ばして触れる。異様なほど冷たい。触れている内に男の体温を吸収して温くなっていく。いや、吸い込まれていくのは体温だけではない。


「あらゆるエネルギーを魔力に変換する……だっけ?」


 1人碧の言葉を復唱する。刀身が薄く光りを帯び、ばちばちと音を立てた。手を離してしばらくも火花は消えず、男は鬱陶しそうに木箱の蓋を閉めた。が、思いついたように再び剣を取り出して家の裏に回った。


 日が傾き始めて茜の差す庭に乾ききった洗濯物がはためいている。男は碧の寝室の方を振り返った。


 どれ程の間、何を抱えていたのだろうか。言葉に出来ない理由は、何なのだろうか。あって数日とは言え、知らないことは多い。こと、ここに来る前のことについては聞いていいものか考えあぐねていたので触れたことは無かった。一度話題に出してみようかとそんなことを考えながら男はモリオンの剣を適当な木に無造作に立てかけた。


「…………」


 静かに目を閉じて息を吸い、吐く。重心を落とし、自分の剣に手をかけた。そうして男が目を開けた瞬間、空気が揺れた。


 はたから見ていれば瞬きの間の出来事だっただろう――男の目の前の木が音も無く倒れたのは。根本の辺りからすっぱりと両断された木が轟音を上げて地面に横たわる。


「無傷……か」


 切り株の根元には、変わらず黒い刀身が鎮座していた。拾い上げて調べていると2階の窓が勢いよく開いた。


「ありゃ、起こしちゃったか」


 顔を覗かせていたのは碧だ。窓から顔を出してきょろきょろしていた視線が、ややあって倒れている大木と男を捕らえる。


「おじさん……?」


「ごめん、ちょっと試し切り? しててさ」


 思ったより丈夫だわこれ、とモリオンの大剣を掲げて見せる。すると碧の顔色から赤みが消えていった。口元を押さえるとそのままへたり込んでしまったのか、姿が見えなくなる。


「え、アオイちゃん!?」


 男は慌てて家に入ると木箱にモリオンの剣を適当に投げ入れ、階段を駆け上がった。碧の寝室の扉を勢いよく開ければ、目に飛び込んできたのは、窓の近くで座り込んでいた碧だ。


「ちょっと、大丈夫!?」


 一見して具合が悪いとわかるほどに顔が青い。吐き気を堪えているのか、ぎゅう、と口元に片手を押し当てている。反対の手はパーカーの裾を握っていた。


「気持ち悪いの? どっか痛い?」


 答える代わりなのか、碧の手に力がこもって関節が白く浮かび上がる。男は碧を抱え上げるとベッドに座らせた。自分もその隣に腰かけて背中をさすってやる。チビとベリルも碧に寄り添うようにベッドに上がって身体を擦り付けている。


 しばらくして落ち着いたのか、碧は蚊の鳴くような声ですいません、と呟いた。男は小さく笑って碧の頭を撫でる。


「いいよ、でも突然どうしたの?」


「自分でもよく、わからなくて……」


 碧は額に滲み出ていた汗を拭った。まだ、全身に鳥肌が立ったままだ。


「あの、剣を見ると……なんて言うか、その、すごく不安になるんです」


「不安……?」


 うまく説明できないんですが、と前置きして碧はゆっくりと口を開いた。


「その、存在が気持ち悪いって言うか……すごく嫌なものに感じるんです」


 そう言えばチビもかなりの嫌悪感を見せていたな、と男は碧の膝に乗り上げて伏せているチビの方に視線をやった。こちらの視線に気付いたらしく、チビも見つめ返して来る。碧に同意するように大きく頷いていた。


「これ、持ってきた人はどうだった?」


 この場にいる2人と2匹の内、平気なのは男だけだ。自分の感覚がおかしいのかとそう尋ねれば、碧はゆるく首を横に振った。


「……嬉しそうでした」


「そう……」


 そりゃそうだろうな、とは流石に言えなかった。となれば、碧が例外だと見ていいのだろう。何せ碧は明確に他のヒューマーとは違うのだから。エドワードが言っていた遺伝子への擦り込み云々が頭の中をよぎる。


「知らなかったとはいえ、ごめんね……チビとベリルも」


 男は眉を下げた。碧は慌てて両手を振る。ベリルは一回だけ男のことを翼でぺちりと叩いた。チビは気にしていない様子で欠伸をしている。3者3様の反応に男は笑った。


「やっぱり明日返して来るよ。あ、でもその前にエディに見てもらおうかな」


「ありがとう、ございます」


「ま、おっさんも魔物殺しの武器なんか持っときたくないしさ」


 男はそう言うと碧の肩をそっと押してベッドに横たわらせた。きょとんとしている碧を他所に立ち上がると大きく伸びをする。


「じゃ、おっさんは晩御飯の支度してくるから」


 布団を掛け、くしゃくしゃと碧の髪を撫でると男は部屋を出ていこうとする。


「あのっ、手伝いますよ」


 慌てて起き上がろうとした碧を制したのはベリルだった。碧の肩にのしかかり、再びベッドに沈めてしまう。


「わ、ちょ」


「ベリルも寝てろってさ。何か消化に良いもの作るからそれまでゆっくりしててよ」


「……はい、すみません」


 ベリルが得意げに男の方を向いたのを見て男は苦笑する。『俺がいるから大丈夫だぞ』とでも言いたげだ。群れを率いるボスだけあって面倒見は良い方らしい。


「じゃ、何かあったら呼んでね」


 男はそう言い残してドアを閉め、階段を下りていった。ローテーブルの上に放置していたモリオンの剣を木箱に収め直し、蓋をきっちりと閉めて適当な布で包む。


「……リゾットでも作ろうかなー」


 1人呟いた男の足元にふわふわの毛並みが触れる。見下ろすとチビだった。てっきり碧についているものだと思っていたが、男を追いかけて降りてきたらしい。


「……どうした?」


 チビはきゅんきゅんと小さく鳴いて男に頭を擦りつけてくる。あぁ、と男は息をこぼして膝を折る。


「怖かったよな……ごめんな」


 ぎゅ、と抱き締めてやると肩口に鼻面が乗せられる。ベリルと違ってチビは子供だ。碧を慰めている間も我慢していたのだろう。ぴすぴすと鼻を鳴らして男に擦り寄って来る。


「今日はちょっと奮発して熟成肉でも焼こうか」


 ぴんと立った尻尾が勢いよく振られる。男は笑うと立ち上がってキッチンへと向かった。チビもそれを追いかけていった。


 一方、1人ベッドに横たわっていた碧はゆっくりと身体を起こした。ベリルがしきりに顔を覗き込んでくるのでベッドからは降りず、ベッドヘッドに背中を預けて座り直す。心配してか擦り寄ってきたベリルを撫でながら、今日の出来事を思い返していた。


 異世界にはそれなりに馴染んできたと思っていた。男やエドワードのお陰で一般教養も大方身についたと思う。


――それでも、自分は違う人間なのだと思い知らされた。


「……何でなんだろうね」


 嘴の下辺りを掻いてやれば、ベリルは気持ち良さそうに目を細めた。懐いてくれているからかわいく思えるのだろうか。懐いてくれなければ、自分も同じように彼らを恐れたのだろうか。


 もしもの話は考えだしたらキリがない。それでも思考回路は動くのをやめなかった。男に階下から呼ばれるまでの間ずっと、碧はずぶずぶと際限なく思考のぬかるみにはまっていった。



◆◆◆◆◆



 次の日、男は朝早くからモリオンの大剣を持って『魔法使いの弟子』に向かった。始業前についてしまったが構わず閉まっている扉を叩く。ややあってエドワードが顔を覗かせた。男の顔を見るや否や眉間にしわを寄せる。


「……やっぱりお前かよ。昨日の今日でどうした?」


 何かあったのかと重ねて聞くエドワードを店内に押し込み、男は扉を閉めた。エドワードは戸惑っている様子だったが、特に言葉は挟まず男についてリビングへと向かう。


「……コーヒー飲むか?」


 男が風呂敷包みをテーブルの上に置いた辺りでエドワードはそう聞いた。が、男は首を横に振る。そうして包みを開いて木箱を取り出した。


「何だそれ?」


「魔物殺しの武器だって」


 エドワードの目がゆっくりと見開かれる。男に視線を移せば、昨日ほどではないにせよ激情が瞳の奥で揺れ始めている。


「何で、お前んとこに?」


「まだ数が作れないから取り敢えず手練れに配ってるっぽい」


「あー……」


 またピンポイントで地雷を踏み抜いたな、とエドワードは言葉もなかった。そうこうしている内に男が木箱の蓋を開く。


「……へぇ」


 エドワードが短い息を吐いた。手を伸ばしながら男の方を見やれば、男は小さく頷いた。そのまま手を触れる。男が触れた時と同じように、刀身が光を帯びて火花を散らし始めた。


「……あ~、うん、なるほどね。いてッ」


 エドワードは顔をしかめると手を離す。それでも消えなかった火花がエドワードの指先を叩いた。


「魔力への変換もそうだが、ブースト効果がすげぇな」


 赤くなった指を振りながらエドワードが苦々し気に呟く。意図して力を籠めれば、信じられないほどの高威力になるだろう。想像して寒気がした。


「魔力そのものへのブースト効果はねぇな……何でできてんだこれ?」


「モリオンって鉱物らしいよ」


 エドワードは手近にあった布で柄を包んで持ち上げた。刀身の方も布を挟んで支え、まじまじと見つめる。


「合成物質、じゃあねぇな……天然の鉱物か」


「一回思いっきり斬りつけてみたんだけどね、びくともしなかったよ」


 エドワードの眉が跳ねあがる。再び刀身に視線を落とすが、傷らしき傷は見当たらない。


「……何で、どうやって加工してんだ?」


 エドワードが浮かべた疑問に男も眉をひそめた。男の腕で傷1つつかないのなら、割ったり削ったりはほぼ不可能と言っていいだろう。


「モリオンで……とか?」


「宝石のカッティングとは訳が違うだろ……魔法の痕跡もねぇな」


 エドワードは剣を目線の高さまで持ち上げ、目を細めている。が、やがてゆるゆると首を横に振り、剣を木箱に戻した。


「ダメだ、よくわかんねぇ……これちょっと預かってもいいか? 色々と調べてぇ」


「んん……まぁ、いいかな」


 男の曖昧な返答にエドワードは訝し気に視線を向ける。


「いや、これ返す予定だったからさ」


「あぁ……まぁ、お前はそうするだろうな」


 自分の立場が危うくなる可能性なんかは考えていないのだろうか。エドワードはそんなことを思いながら男の瞳を覗き見る。


 隠しきれない嫌悪と、燻る怒り。アクアマリンのように澄んだ瞳を塗り替えかねない勢いで滲みだすそれらに、エドワードは隠れて息を飲んだ。


「……2,3日くらいなら大丈夫だろ」


「そうだね。じゃあ……お願いしようかな。3日後に取りに来るよ」


 おう、と答えたエドワードにあ、と男が小さく声を上げた。


「今更だけど、エディは気持ち悪くなったりしないんだね」


「何の話だ?」


 木箱の蓋を閉めながらエドワードが問う。男は昨日の碧と2匹の様子をかい摘まんで話した。エドワードは木箱を眺めながら首を傾げる。


「魔物のチビやベリルが怖がるのはまだわかるが、アオイもか」


「そー、なんだよね……何ならあの子が一番怖がってたくらいだから」


 男は昨日碧が見せた青い顔を思い出していた。


「思ったよりもなんか、こう……ヤバい物質だったりするのかねぇ?」


 エドワードは正直そうあって欲しいとすら思っていた。もしも何か人に害を為すものであるのならば、そうだと証明ができたなら、これからも使おうとは思わないだろう……と、信じたい。


 そうすれば、魔物とヒューマーの正面衝突は避けられるかもしれない。ヒューマーは変わらず魔物に戦いを挑み続けるだろうが。とは言えモリオンの魔道具さえなければ、魔物の勝ちが揺らぐことはないだろう。被害もこれまで通り軽微で済むはずだ。


 エドワードが本当に避けたいのは、魔物とヒューマーの衝突なんてものではない。が、それでも通過点には違いないし、魔物の事は助けたい。


「いっちょ頑張りますかね」


 エドワードの呟きに振り返った男には何でもないとだけ返しておいた。

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