08 おっさんと碧のそれぞれ
男はドーレのギルドを後にして真っ直ぐにキファの町へと向かった。目的地は『魔法使いの弟子』だ。大通りを抜け、ジャケットの形の看板を目指して進む。丁度看板を裏返そうとしていたエドワードが遠目に見えた。昼休憩に入るところらしい。こちらに気づいてひらひらと手を振っている。
「よぉ、どうした?」
「ちょっと中で話せる?」
エドワードは微かに眉を上げた。珍しく焦っている、というより、感情を御しきれていないというのだろうか。凪いだ湖面のような瞳に微かな波が見える。
「良いぜ、丁度昼メシにしようと思ってたしな。お前も食うだろ?」
凝ったもんは作れねぇぞ、とエドワードが言うと、男は無言で頷いた。男を店内に招き入れ、エドワードは風の結界で店全体を包む。
「何かあったか?」
「まだ、聞いただけ」
男は椅子に深く腰掛けると長く長く息を吐いた。エドワードはキッチンから水のボトルを持ってくると男に投げ渡す。
「メシできるまでそれ飲んでゆっくりしてろ……今お前ちょっとヤバいぞ」
うそ、と男が小さく呟いた。マジで、とエドワードも簡単な言葉で返す。
「何かに噛みつきそうな顔してるぜ」
「……なんか人が避けてくなーとは思ってた」
男は両手で顔を覆って俯いた。珍しい。エドワードはそう思うのと同時に少し安心もする。この男は感情をむき出しにするということを滅多にしないのだ。ノリはいいし、話していて楽しいのは確かだ。
しかし、男の感情そのものはいつだってぼんやりしていた。表情が無いのかと言われればそんなことはない。人並みに笑うし、落ち込んでいるところもしばしば見かける。
だと言うのに、感情がはっきりとは見えない。何と言ったらいいのかはわからないが、こう、すりガラス越しに透けて見えているような、そんな感じなのだ。
だが、そんな男にもはっきりと目に見える感情が1つだけあった。
あぁ、いやそう言えば。とエドワードは数日前の事を思い返す。アオイを取り戻した後の男もあぁだった。暫く1人(2人?)にしておいたら自然と落ち着いていたが、今回はどれくらいかかることだろうか。エドワードは昼食準備にかけるべき時間と手持ちの食材を照らし合わせた。
エドワードは長考の末、今晩食べようと思っていたリゾットを温めることにした。今朝作って中身が入ったままの鍋を弱火にかける。2人分には足りないので隣のコンロでガーリックトーストも焼き始めた。数分も経たないうちにキッチン中にチーズとトマト、ガーリックの匂いが充満する。すきっ腹には堪える匂いだ。トーストに焦げ目がつく頃にはリゾットも仕上がった。適当な器に盛り、両手に持ってリビングへの扉を蹴り開ける。
男は部屋を出ていった時と全く同じ姿勢で両手に顔をうずめていた。少し大きめの音を立ててテーブルに皿を置くと、緩慢な動作で顔を上げる。その顔にははっきりと感情が浮き出ていた。
「さっさと食えよ、冷めちまう」
「……ん」
それをエドワードが受け止めてやるにはもう少し時間が必要だった。
2人がもくもくと食事を取る部屋にカトラリーが立てる音が微かに響く、両者ともに何も言わないが、気まずいという感覚はなかった。
無言のままの昼食を終え、エドワードが食器を洗っていた時のことだ。開け放していたリビングに通じるドアから声が飛んでくる。
「近く、魔物狩りが行われると、聞いた」
「……そう言えばそんな話聞いたな。アイツらも懲りねぇよなぁ」
エドワードは背を向けたまま男に応える。魔物狩りの話はキファでも噂になっていた。ノア王国は定期的に魔物狩りを行なうことがある。それなりに長いノアの歴史上、全て人間側の大敗北に終わっているが。それでも狩りの度に国民は熱狂する。いつか勝利の日が来るのだと信じているのだろう。どうしてそんな風に信じ続けていられるのかは常々不思議でならないが。
ただの人に魔物を殺せるはずもない。魔法使いなら可能かもしれないが、それほどの強力な魔法を使えるヒューマーはミズガルドにはいなかった。デミヒューマーは言わずもがな。そんな訳でエドワードは今回も問題にすらならない些末なことだと思っていたのだ。
「教団が魔物狩りの武器を開発しているらしい」
「あ?」
思わず力が入ってしまった手から、割られるのはごめんだとでもいうように皿が逃げていった。シンクに落ちた皿がやかましい音を立てる。
「……ちょっと待ってろ」
エドワードはそう言うと皿が割れていないのを確認して水切り台に置く。そうして静かに目を閉じた。エドワードの周りで空気が渦を巻き、束ねた髪を踊らせる。風が、エドワードの耳に音を運んでくる。やがてエドワードは眉間にしわを寄せた。
「……バーデン教団がなんかごちゃごちゃやってんな」
流石に遠方ともなると正確な音は拾えない。が、その辺りがざわついているのはわかる。
「ただの神の子のファンクラブだと思ってたが……ガチなのかよ」
バーデン教団は20年ほど前、1人目の異世界人が落ちてきたのと同じころに設立された教団だった。『神の子』『天使様』と、そんな呼び方をし出したのもこの教団だ。異様なほどに神の子に熱狂し、祭り上げ――死地に追いやった。現在は本部をノア王国の首都に構えている。神の子の意志を継ぐと謳い、魔物の撲滅を掲げ、魔物狩りの音頭を取っている。
「流石に武器の詳細については探れねぇな。いや、もっと近づけばいけるか……?」
「エディ」
風が、止んだ。驚くほどの冷たい声音にそれが自分に向けられたものでないとわかっていても震え出しそうになる。エドワードは男に向き直り、息を呑んだ。
「俺、そろそろ、限界かもしれない」
組んだ手に力が入っているのか、男の指の間接がやけに白く見える。ぽつり、幾筋か伝っていた汗が顎で合流し、カーペットに滴った。
「……そうか」
エドワードは思索の末、絞り出すようにそれだけ言った。天井を仰ぐように顎を上向ける。
「まぁ、俺もそろそろ潮時だしなぁ……」
キファに店を構えて20年と少し。最近エドワードを見る目に違和感を滲ませるヒューマーが現れ始めていた。エルフは老いが緩やかであるがためにヒューマーと同じ時間軸に住むことは出来ない。エドワードだけがいつまでもそこで止まっていた。違和感が『気味が悪い』に変わるのも時間の問題だろう。
「……どうして、こちら側が逃げ回らないといけないんだろうな」
不意に男が呟いた。おっとこれは不味いとエドワードは言葉を探す。
「……そりゃこっちにはねじ伏せる以外の方法がねぇからだろ。それこそ根絶やしにでもしねぇ限り同じことの繰り返しだ」
無論不毛なのは現状もそうだなのだが。
「まぁでも、正直異常だとは思うぜ。あんだけ大々的に失敗しまくってんのに、冷静になるヤツは1人もいねぇ……ヒューマーの遺伝子にでも刻み込まれてんのかねぇ」
「……魔物は絶対悪って?」
いや、と短く返したエドワードが小さく笑った。
「ヒューマーだけが正義って感じじゃねぇの?」
「……」
エドワードとしては冗談のつもりだったのだが、男は何か思うところがあったのだろう。そうか、と小さく小さく呟いて強張っていた身体を解いた。
「壊すべきはそっちか」
何とか軌道修正は出来たらしい。エドワードはこっそりと胸を撫で下ろした。ノアが血と肉片の海になるのは避けられそうだ。
正直なところ、そうなったところで別にエドワードの心が痛むことはない。あーまぁしょうがねぇわな自業自得だ、とそんなことを思うだけだ。ほんのちょっとだけほくそ笑んだりもするかもしれない。
ただ、誰がそうするのかについては大いにもの申したい。少なくとも男にそうなって欲しくはない。男はエドワードをエルフと認識したうえで親しくしてくれる稀有な友人なのだ。心地よい居場所であって欲しい。
「可能な限り手は貸すぜ」
笑って、そう言ったエドワードに男も笑みを返した。激情はひとまず瞳の奥に沈んでいったようだった。
「いつもあんがとね、エディ」
「そう思うんなら皿拭いてくれや」
アイアイ、と男が冗談めかして額に手を当てる。それを今度は鼻で笑って、エドワードは蛇口を捻った。
◆◆◆◆◆
「ただい――うわっ!」
自宅に帰った男は大いに驚いた。ローテーブル上の大きな木箱にも驚いたのだが、それ以上に目を引くのはソファの上の碧だった。膝を抱え込み、体育座りしている。どんよりとしたオーラが漂い、わかりやすく落ち込んでいるのが見て取れた。
男が帰ってきたのにも気づいていないようでその体勢のままぴくりとも動かない。両脇にはチビとベリルがそれぞれもたれかかっていた。こちらは単純に眠っているようだ。
「どうしたの? なんかあった?」
男はチビを抱え上げ、自分がソファに腰かけてチビは膝の上に乗せる。そうしてようやく碧は顔を上げた。目元が赤い。
「……どうしたの?」
ワントーン低くなった声が同じ質問を繰り返した。碧は何度か瞬きをしてやっと、目の前にいる男に気づいたらしい。少し驚いたような顔で鼻をすすった。
「おじさん宛に荷物とお手紙を預かったんです」
ぽつりと碧が答える。男の視線が木箱の方へ向けられる。よく見れば箱の上にはノア王国の紋章の封蝋がされた封筒が乗せられている。
「……何でここにアオイちゃんがいるのか、問い詰められたりした?」
ふるふると力なく首が横に振られる。未だぐずつく鼻をもう一度すすり、碧は口を開く。
「おじさん、宛に…………魔物殺し、の、武器を預かりました」
瞬間的に男の顔色が変わった。封筒を取り上げると木箱の蓋を荒々しく開く。
光を一切反射しない黒々とした刀身。鈍い銀細工の柄が刀身の闇をより一層際立てている。男が抱え上げた際に目を覚ましていたチビは、跳ねるように男の手から逃れてソファの裏へと隠れた。男は慌てて叩きつけるように蓋を閉じる。
「モリオン? だとかいう素材で出来ているそうです。どんなエネルギーも魔力に変換して放出できると……」
「これが例の……でも何でおっさんのところに……?」
言いながら、ひょっこりとソファの後ろから顔を出したチビの頭を撫でてやる。
「……効果を、試してほしいと」
「そう……」
暗い声が小さな相槌を打った。男はおもむろに封筒を開け、中の手紙を目線だけ動かして読み始める。視線が下へ下へと動くごとに眉間と手紙によったしわはどんどん深くなっていく。
一通り読み終えると男はそれをくしゃりと丸めて部屋の隅のゴミ箱に放った。チビが遊びと勘違いしたのか、それを追いかけて走っていく。そうしてゴミ箱に激突して中身を盛大にまき散らしてしまった。
「……ねぇ、これおっさんが悪いと思う?」
「ふふっ」
チビが紙屑まみれでしょんぼりしたままこちらへトボトボ歩いてくる。男も笑って立ち上がり、チビの毛並みに埋もれた紙屑を取ってやった。
「いやでも、これどうしようかな」
チビの毛づくろいを終え、男は仁王立ちして木箱を見下ろす。眉間のしわは復活していた。
「おっさん使えないしってか使いたくないし……明日にでも返しに行こうかな」
「……大丈夫なんですか?」
「まぁ、適当に言い訳しとくよ。大丈夫、大丈夫」
男は木箱を適当な布で包み、玄関先に立てかけておいた。碧の方に向き直り顔を覗き込む。碧は首を傾げた。
「他には?」
「……え」
男の優しい問いに、碧は瞳を丸めた。どういう意味なのだろうか。考えあぐねていると男はへにゃ、と眉を下げた。
「まだ辛そうな顔してる」
思わず自分の頬に手を当てる。涙はとっくに乾いていた。不思議そうに男を見上げれば、ゆるく首を振るのが見えた。
「言っていいよ、おっさんは何言われたって傷つかないから」
はく、と碧の口が動いた。が、音は出てこない。ぐるぐると瞳が回り出したのを見て、男は目を細めた。
何が原因かはわからないが、根強い問題らしい。遠慮がちで自信がなさそうなのも同じ原因なのだろうか。
「いつになってもいいよ。言いたくないなら言わなくてもいい……けど、言いたいんだよね?」
こくりと頷く。じわりと目に膜が張って揺れる。碧が腕で顔を隠すようにして拭ったその時だった。
「おわ、ちょっ、違う。違う!」
男の悲鳴が聞こえ、碧は顔を上げた。同時にいつの間にか膝の上の体温が消えていることに気付く。
「ちっがうってば! いじめてない! おっさんがいじめたんじゃないから!」
必死で弁明する男の声をかき消すようにびぃびぃとベリルが棘のある声で鳴いていた。男の頭の周りを飛び回っては時折急降下して男の髪やら腕やらに特攻している。
碧が呆気に取られているとベリルは満足したのか何なのか、すいーっと碧の膝の上に戻って来た。そうして甘えるように碧の手のひらに頭を擦り付けてくる。ねだられるままに撫でていると男の溜息が降って来た。
「目が覚めてアオイちゃんが泣いてたから、おっさんがいじめたんだと思われたみたい」
崩れたオールバックを下ろしてしまいながら男はそう説明してくれた。ベリルに目を落とすとどこか誇らしげに胸を張ってみせる。
「ベリルはどんなことがあってもアオイちゃんの味方だよ」
もちろん、おっさんも。碧はぎこちない動きで、顔を上げる。男は笑っていた。
「誰でもいいし、いつでもいいよ。ゆっくり話そう……おっさんもまだ話してないこといっぱいあるしね」
永遠に話せないこともいくつかあるけどそれ以外なら。そんなことを思いながら、男は言葉を続ける。
「自分のペースでいいよ」
どこまでも優しい言葉に碧は膝の上に斑模様を作りながら頷いた。……そんな碧を見てベリルが再び男に特攻を仕掛けたのはその直ぐ後の話だ。
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