07 碧と世界のズレ

 碧が異世界に来てから数日が経った。男と、時折訪れるエドワードに世界の常識を教えてもらいながら穏やかな日々を過ごしていた。男の家にエドワード以外の人が来ることはない。代わりにと言っては何だが、時折魔物が姿を現わしては碧や男と戯れて帰っていった。


 初日に見た蛇のように細長いドラゴンはリンドヴルム。前足が翼と一体化しているドラゴンがワイバーン。川に住んでいた黒馬はケルピー。半鳥半馬がグリフォン。緑の肌の小人がゴブリンetc...


 魔物の住処が近いだけあり、種々様々な魔物が男の家を訪れた。どの魔物も人懐っこく、たまたま家を訪れていたケルピーと鉢合わせた時はエドワードも驚いていた。が、それが数日続くと彼も慣れたもので撫でようとチャレンジしてはすげなくあしらわれていた。そうして振られてはベリルの羽に顔をうずめて落ち込んでいる。


 碧も最初こそ爬虫類系や虫系の魔物を少し怖がっていた。が、彼らがお腹を見せて寝転がったり、怖がらせないようにと遠くからこちらを伺っているのを見る内に慣れていった。遠慮がちな態度がどうにも可愛らしく見えてしまったのだ。


 男は最初の数日こそ家にこもり切りだったが、碧が生活に慣れるに従って仕事で家を空けることも多くなっていった。魔物が遊びに来ない日でも、チビやベリルがいるので碧が1人になることはない。特に名付けられてからのベリルは碧にべったりだった。


 今日も今日とて仕事へ出かけていった男を見送り、家の中へと引っ込む。朝からいい天気だったのでシーツも洗ってしまおう。そんなことを考えながら洗濯物を回収し、チビが背負う籠に入れていく。そうしていつもの川に向かった。ベリルも洗濯板の入った桶を咥えて碧に続いた。



◆◆◆◆◆



 男はノア王国の端、ドーレの村の小さなギルドを訪れていた。例によってフードを被って顔を隠している。ギルドと言うのは所属冒険者の待機場にもなっている。設置されたテーブルには数名がたむろして銘々に食事をし、酒を飲んで話に花を咲かせていた。男はいつも通りフリークエストの掲示板に向かった。貼られているクエストを吟味し、その内の1枚を引っぺがしてカウンターへと持っていく。今日は賞金首の討伐クエストだ。


「これ受けたいんだけど」


「はい、こちらフリークエストとなっております。どんなことがあっても当ギルドでは一切の責任を負えませんが、よろしいですか?」


 受付嬢が笑顔で制約を述べる。男も慣れた様子で頷いた。クエストに『受領中』と大きな赤い判子が押され、男に返された。男はそれを鞄にしまいながら、ギルドを出ていこうとする。その歩みが不意に止まった。


「魔物狩りィ?」


 語尾を跳ね上げた年配の男は大分出来上がっているらしく、顔が赤い。その対面に座っている若い冒険者は興奮しているようだ。


「王国で強者を募ってるんだそうです。こんな片田舎のギルドには声なんてかからないでしょうけどね」


「まーた未開発地域に乗り込もうってか? ただの自殺志望じゃねぇか、声がかかろうが何だろうが俺はゴメンだね」


 鼻で笑った男がジョッキを飲み干し、テーブルに叩きつけるように置く。大きな音に一瞬ひるんだ若い男はそれでも言葉を続ける。


「でもグラン様も参加されるんですよ? 王国も相当本気なんじゃないですかね」


 グランと言えば、王国の騎士団長の名だったか。鉄をも切り裂く希代の大剣士と名高い。そんなことを思いながら男は踵を返してカウンターで酒を1本買った。そうして話し込む2人のテーブルに近づいた。こん、と軽い音を立てて2人の間に酒瓶を置く。


「なぁ、その話詳しく聞かせてくれないかな?」


 突然割って入って来た男に彼らは面食らっていたようだが、男が酒瓶のコルクを抜くと年配の男の方が椅子を勧めてくれた。酒が人間関係の潤滑油とはよく言ったものだ。


「何だ兄ちゃん、アンタも参加する気か?」


「いやまさか。ただの興味本位だよ」


 男は笑いながらそう返した。若い男も小さく笑ってソフトドリンクに口を付ける。


「まぁ、参加にはテストを受けなきゃいけませんからね。難しいと思いますよ」


「……いつにも増して本気だねぇ。何か勝算でもあるのかな?」


 純粋に疑問を投げれば、若い男はよくぞ聞いてくれました! と言わんばかりに身を乗り出す。


「それが、対魔物用の武器があるんだそうです!」


「魔物用の……武器?」


「はい、何でも教団が開発したものだとか何とか」


 魔物は精霊の加護を受け、魔力を持って産まれている。魔法使いと違い魔法が使えない代わりに、攻撃に反応して防壁を張るという特性を持っている。それゆえに通常の武器での攻撃は魔力によってほとんど弾かれてしまうのだ。その上身体が頑丈で自己再生力も高い。余程の腕利きでもない限りはひるませることすら出来ないほどに。それが魔物が人に恐れられる所以でもある。


 かわいい、安全である。そう思うのは、それをどうにか出来る力があるからだ。人の手ではどうにもならないものを、人は恐れる。


「へぇ。それは……」


「凄いでしょう!? 神の子の御加護ですね! これで魔物を滅ぼせるかもしれないんですよ!」


「そうだねぇ、俺らには縁の無い話だけど」


 あはは、と乾いた笑いが上がる。男も一緒になって笑うと、おもむろに席を立った。


「俺はもういくよ、残りはどうぞ」


 酒の残りを瓶ごと年配の男の方へと押しやり、男は踵を返した。若人が手を振ってくれるのに軽く会釈してギルドを出ていく。と、ニコニコと男を見送っていた若い男を年配の男か突然ひっ叩いた。


「いったぁ! 何するんですか、師匠!」


 涙目で頭を押さえる若い男に、年配の男は鼻を鳴らした。


「おめぇもまだまだ目が鈍いな」


「何がですかぁ……」


「……本当に、気づかなかったのか?」


 何がですか、と重ねて訊く若い男。年配の男は男が出ていった方を見ながら、いつの間にか滴っていた汗を拭った。


 一瞬だ。一瞬だった。それでも息が出来なくなるほどの。身体が燃えたのではないかと錯覚するほどの。


「怒りだよ」


「え?」


「奴さん、おめぇのことを睨んでた。感じたこともねぇほどの激しい怒りだ」


 え、と同じ音を吐いた唇が細かく震える。遅れてきた恐怖が身体中にじっとりと汗をにじませる。


「え、で、でも、俺っ、別に気を悪くするようなことなんか……っ」


「見も知らねぇ男の逆鱗なんざ誰にもわからねぇさ……ま、せいぜい夜道に気をつけるこったな」


「そ、そんなぁ……!」


 まぁそういうことをするタイプには見えなかったが。その見立てだけは酒と一緒に呑み込んでおいた。成長のためには緊張感と目利きの腕は大事なものだ。



◆◆◆◆◆



 男がギルドを後にしたのと同じころ。碧は洗濯を終え、家へと帰る途中だった。行きよりも重くなった籠を背負って先を走っていたチビが不意に方向を変えて碧に駆け寄って来る。甘えているのかと撫でてやれば、身体が震えているのに気付いた。


「チビ? どうしたの?」


 言葉はわからないが、そう尋ねずにはいられなかった。きゅんきゅんと鼻を鳴らしたチビが碧の後ろへと回る。尻尾が股の間に収まっていた。いつの間にか、ベリルも碧の背後に舞い降りていた。碧の足にぴったりくっついて羽を縮こませている。家はもうすぐなのにその場から動こうとしない。碧が首を傾げたその時だった。


「失礼します、アクア様はおられますか!」


 朗々とした声は玄関からだ。続いた大きなノック音に碧は思わずびくっと身体をすくませる。言うまでも無く知らない声だ。


「チビとベリルは隠れてて」


 しびれを切らせて周りを探しに来られてはまずい。碧は2匹を隠すと家の裏手を回って玄関に顔を出した。


 来訪者は1人ではなかった。5、6人ほどの鎧に身を包んだ屈強な男たちが玄関に広がっていた。同じ数の馬が近くの木に繋がれている。ドアをノックしたと思しき若い男が碧を見て驚いたように眉を上げた。


「おじ、……アクアさんは不在ですが、何か御用ですか?」


 努めて丁寧にそう訊けば、男は碧に一歩だけ近づいて腰を折った。燃えるような赤い短髪が木漏れ日を反射してきらきらと輝く。真摯な光を宿す瞳は鮮やかな木々を写した色をしていた。


「失礼、お初にお目にかかります。私は王国騎士団分隊長のバイパーと申します」


 王国騎士。思わず繰り返した碧にバイパーははい、と小さく応えた。言われてみれば男たちが身に着けている鎧には舟を模したマーク――ノア王国の国章が刻まれていた。


「それで君は? ここはアクア様のお宅のはずですが……」


「あ、えっと、碧です。少し前からこちらでお世話になってます」


 バイパーが少しだけ眉を寄せる。疑われているのだろうか。碧はひとまず愛想笑いを浮かべてバイパーの言葉を待った。


「失礼ながらアクア様とはどのようなご関係で……?」


 疑っているというよりは純粋な疑問のようだ。確かに男と碧が知り合いだと言われて信じる人は少ないのかもしれない。親子にも到底見えないだろう。碧はこっそりと溜息を吐いた。そうして口を開く。


「遠い親戚だと聞いています……自分ではよくわからないんですが」


「……わからない、ですか?」


 その疑問はもっともだろう。そうして碧は用意しておいた嘘を吐く。


「はい。その……実は、ここ数日より前の事を覚えていなくて……」


 え、とバイパーが小さく呟く。その反応も大方予想通りだ。


「ここには療養のために預けられたんだそうです。アクアさんと一緒ならここでも安全だからって」


「そうなのですか……すみません、話しにくいことを聞いてしまいましたね」


 深々と頭を下げるバイパーに碧は慌てて手を振る。青く、いい人だ。そこまで恐縮されてしまうと嘘を吐いている身としては少々辛い。


「そ、それでその、何の御用でしょうか?」


 少し無理矢理にだが話題を変える。バイパーははっとしたように顔を上げ、後ろに控えていた騎士の1人を呼び寄せた。彼は大きな木箱を抱えている。


「この、モリオン製の大剣をお渡ししたくてですね」


「モリオン?」


 碧が首を傾げるとバイパーは笑って木箱の蓋をずらした。箱に敷かれた赤いビロードの上に、は静かに横たわっていた。


「えぇ、この刀身部分の黒い鉱物がモリオンです」


「そう、ですか……」


 光を際限なく吸い込む幅広の黒い刀身。銀色の柄も黒を映して光が鈍い。どこか自慢げに見せてくるバイパーとは対称的に、碧は言いようのない不安を感じてしまった。それに気づいていないのだろう、バイパーは誇らしげに言葉を続ける。


「これは、魔力を持たない人間でも扱える魔道具なんです」


「魔道具?」


 曰く、モリオンはあらゆるエネルギーを増幅した上で魔力へと変換する鉱石なのだそうだ。それを加工し、扱いやすくした物が魔道具と呼ばれる。魔法使いのように魔法が使えるようになるわけではないが、魔力を放出することは出来るようになるのだとか。


「まだ量も採れませんし、加工も時間がかかるので一般に出回るのは相当先になるかと思います。ですので、『番人』と名高いアクア様に先駆けて効果を実感していただければと」


「効果、ですか……?」


 バイパーは笑顔で蓋を閉じた。碧は内心ほっとして息を吐く。が、続いたバイパーの言葉に吸い込んだ息が微かな音を立てた。


「えぇ、何せこの武器でなら魔物を簡単に殺すことが出来るのですから」


 喉に引っかかった空気がひゅ、と音を零した。同時に脳の冷静な一部分がチビとベリルの怯えの理由を理解する。不思議そうに見下ろしてくるバイパーに碧は曖昧に笑う。


「それは……そうなのですか」


「はい。まだ量産には至りませんが、腕の立つ方々であれば少数でも魔物を滅ぼせることでしょう」


 碧は振り返りそうになるのを堪えた。チビやベリルはこの話を聞いているのだろうかと不安に駆られる。だが怪しまれて向こうに行かれてしまっては元も子もない。


 そうして、思い出した。この世界では魔物は害悪でしかない。自分や男の感覚こそが異質なのだと。バイパーの言葉こそ、反応こそが普通なのだと。


「…………」


 碧は言葉を失って俯いた。バイパーや他の騎士たちは不思議そうだ。


「お加減でも悪いのですか?」


「……はい、少し。すみません、お見苦しいところを」


「いえ、とんでもない。突然やってきたのは私どもの方ですから」


 優しい人だ。こちらを気遣ってくれる、いい人だ。でもそれは碧がなのだろう。


「しかし、アクア様がご不在とは……残念です、直接お逢いしたかったのに」


 碧は曖昧に笑った。殊更に大きな溜息を吐いて、バイパーは懐から封筒を取り出した。ノア王国の紋章の封蝋がされている封筒だった。


「申し訳ありませんが、こちらをアクア様にお渡しいただけますか? 魔道具も預けさせていただきたいのですが」


「えぇ、わかりました……あの、多分持てないと思うので中に運んでいただけますか?」


 碧は封筒だけ受け取ると玄関を開けた。バイパーが一礼してモリオンの大剣を家の中に運び込む。物珍しそうにきょろきょろと周りを見渡していた。なかなかミーハーのようで、嬉しそうだ。


「では、私どもはこれで。アクア様によろしくお願いいたします」


「はい、お気をつけてお帰り下さい」


 見送りの際に果たして笑えていただろうか。恐らく引き攣っていたのだろうが、その理由を彼らが知ることはないのだろう。


 魔物と仲の良い人間が存在する、などと。彼らはそんなことを、考えつくことすらないのだから。


 騎士たちがすっかり見えなくなってから、碧はふらふらと家の中に入った。ソファ前のローテーブルの上に置かれた、大きな木箱。妙に存在感のあるそれを視界に入れたくなくて、碧は足早に勝手口から家の裏手へと出ていった。


「チビ、ベリル……」


 力なく2匹を呼び寄せれば、草むらからひょこりと顔を出す。先の怯えが嘘のように、碧に擦り寄ってきた。そんな2匹を碧はぎゅ、と抱きしめる。嬉しそうに尻尾がぶんぶんと振られる。


「ごめんね」


 ぽつりと落ちたのは、懺悔。抱きしめる腕に力を込めて、温かくて柔らかい毛並みに顔をうずめる。


「何にも、言えなかったよ……」


 思えばいつも、そうだった。


 慰めるように伸びてきた湿った体温が頬を滑り、流れ落ちた後悔を拭っていった。

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