06.5 碧と日常のようなそうでないような
①男のお仕事
「そう言えば、アクアさんはお仕事何されてるんですか?」
初めてのお出掛けの翌日、ふと思い立って男に尋ねる。すると男は少しだけ渋い顔をした。何か不味かったかと言葉を探していると近づいてきた男が碧の額を軽く弾いた。
「アオイちゃんはおじさんって呼んでて」
一瞬何を言われたのか分からず、額を押さえて男を見上げる。彼の表情を形用する言葉を碧は見つけられない。
「ね、お願い」
「あ……はい」
碧がそう返事をすると、男は自分で小突いた額を優しく撫でて離れていった。呆然とそれを見ていれば、あ、と小さく唇が開く。
「俺ね、ギルドのフリークエストで稼いでんだわ」
少し間を開けてそれが自分の質問への答えだと気づいた。何となくわかるようなわからないような耳慣れない単語が2つ。
「ノア王国には幾つかギルド――まぁ、いわゆる組合みたいなものがあるんだよ。クエストってのはそこで受けられる依頼で、簡単な雑用から国からの依頼みたいな大きなものもある」
何となく想像していた通りの説明だった。ゲームやアニメでよく聞くものと大枠同じらしい。男は続けて自身を指差した。
「で、おっさんはどこのギルドにも所属してない」
めんどくさいからね。あっけらかんと言う男にそれが良いことなのか悪いことなのか判断がつかない。
「ギルドにも格って言うのかな? そう言うのがあってね、それに応じて国からそれぞれクエストが割り振られるんだわ」
有名で実力者の多いギルドには難易度の高い討伐依頼、出来立ての新米ギルドには簡単な採取依頼などなど。国から割り振られたクエストはそのギルドの所属者にしか受けられない。
「それとは別で誰でも受けられるクエストって言うのが、おっさんがいつも受けてるフリークエストね」
男は指を2本立てた。
「フリークエストにも2種類あるんだ。1つが数が必要で誰にでも出来るような簡っ単なクエスト。これは基本的にど初心者向けかな」
下積みって大事だよね、何て言いながら指を折る。
「もう1つは難易度が高すぎで誰もやんないようなクエスト……何年も前から放置されてるのとかもあったなぁ。これがおっさんが良くやるクエストなんだわ」
危険度に見合った高い報酬。その上ギルドを通さないので上前をはねられることもない。その代わりにギルドによる補助や保証はない。
「……危なくないんですか?」
「危ないよー。でもま、その辺はちゃんと見極めてるからね」
男は簡単にそう言った。
「今はそこそこ蓄えあるし、そんな急いで受けなきゃいけない理由もないし……しばらくはゆっくりしようと思ってさ」
にこりと笑う男に、碧はそれが自分の為であることを悟る。見知らぬ世界で独りきりにならないように気を遣ってくれているのだろう。悟られたことを悟ったのか、男は碧の頭を優しく撫でた。
「家事も早めに覚えて欲しいしね。色々勝手が違うでしょ?」
「……そうですね。頑張ります」
この世界に電気製品などは当然ない。洗濯や食器洗いはもちろん手動だ。食器洗いについては流石にしたことがあるが、手作業での洗濯などしたことはない。今朝がたに近くの川で男が洗濯をするのを見学していたが、昔話みたいだ、と言って笑われた。川での洗濯なので洗剤は使わず、こすり洗いだけだ。派手な染みでもない限りはそれで充分らしい。
ゆっくりでもいいから、役に立てるようになりたい。碧はひっそりと意気込むが、男はしっかり気付いて微笑ましく見守ってくれていた。
◆◆◆◆◆
②エドワードとお勉強
その日は珍しく男が出掛けていた。どうしても受けて欲しいクエストの打診が伝書鳩で届いたらしい。男は碧に謝り倒し、自分がいない間の注意事項を唱えながら出ていった。碧としてはチビもベリルも居たので男が思うほど心細くはなかったのだが。
食器洗いを終え、碧はリビングのソファに腰かけた。本棚から適当な本を抜き出して開く。チビは碧の足元で丸くなって眠る構えに入っていた。不意にベリルが大きく羽ばたいて鳴き声を上げる。
「どうしたの? え、ちょっと!」
碧は思わず問いかけたが、ベリルはもう一声鳴いて空いていた窓から飛び出していった。碧は慌てて後を追う。玄関を開けた途端、強い風が吹き抜けた。反射的に両腕で顔をかばえば、突風は直ぐに弱まった。
「悪ぃ、大丈夫か?」
「……エディさん?」
聞こえた声に名前を呼べば、こっちこっちと頭上から声が降って来る。見上げると2~3mほど斜め上にエドワードが浮いていた。周りに風が渦を巻いているらしく、彼を取り巻くように木の葉が舞っている。この前に見たワンピースではなく、シャツにスリムタイプのジーンズと薄手のコートを羽織っていた。不意に木の葉が動きを止め、エドワードと共に地面に舞い降りる。とん、と軽い音と共に小さく砂煙が上がる。
「アクアから連絡あってよ、今日1人だから様子見てきてくれってさ」
過保護だよな、と呟くエドワードに碧は苦笑するしかない。
「そんな小さい子に見えるんですかね……」
男と比べれば碧は小さく幼く見えるのかもしれないが、世間一般的に16歳は立派な青年のはずだ。少なくとも1人でお留守番ぐらいは出来る。異世界で、となると多少ハードルは上がるのかもしれないが。
「あ~、まぁアイツあれで気にしぃだしなぁ……」
過保護な理由は別に幾つかあるのだが、それを碧に告げる気はない。エドワードは言葉を濁すと腕を軽く上げた。そこにベリルが舞い降りる。
「まぁ、そんなワケだから入っていい?」
「あ、はい。どうぞ」
碧はエドワードを招き入れるとお茶を入れに簡易キッチンへと向かった。チビもそちらへとついていったのでエドワードは悲しそうにベリルの羽毛に顔をうずめていた。ベリルはエドワードの心境など気にせずくすぐったそうに鳴いている。
ややあって碧が買ったばかりのティーセットを手に戻ってきた。お盆をソファ前のローテーブルに置くと湯気の立つ紅茶を注ぐ。ふわりと花の匂いが広がった。チビがテーブルに鼻先を近づけてふんふんと動かす。カップに鼻を突っ込みかねない距離だったので碧はジャーキーをちらつかせてチビを足元に座らせた。自分はエドワードの隣に腰かける。
「ひょっとしておベンキョー中だった?」
ローテーブルの傍らに置かれたままだった本をエドワードがぱらぱらとめくる。碧はこくりと頷いた。子供向けなのか、簡単な説明しか載っていない図鑑だが初心者には充分だ。
「……そう言や、アオイは文字読めるのか?」
「えっと……はい」
「何だ、歯切れ悪ぃな」
エドワードが見下ろしてくる。碧は少しだけ眉を寄せてエドワードから本を受け取った。
「読める、というか……文法とかは理解できないですし、多分書けないです。でも何が書いてあるのかはわかります」
「……へぇ」
よくわかんねぇな、とエドワードが言った通りだった。取り敢えず便利だからと気に留めないようにしていたが、改めて指摘されれば気にかかる。とは言え考えたところでわからないものはわからない。
「ま、読めるんなら練習すりゃ書けるだろ」
エドワードはあっけらかんとそう言うと、考えこんでいた碧の手から本を抜き取ってテーブルに置いた。そうして紅茶を啜る。
「せっかく来たんだし、アクアがわからねぇ話してやるよ」
くい、と人差し指を動かす。テーブルに置かれていた本のページが勝手にめくられていく。カップから立ち上る湯気が不自然に流れていった。
「改めて、これが魔法だ」
開かれたページには4つのマークが描かれていた。火と水、土と風それぞれを模したマークだ。エドワードはその内風を模したマークをとんとんと叩いた。
「前も言ったと思うが、俺はシルフィード――風の精霊の加護を受けて産まれてきた。魔法使いか否かは産まれたその瞬間に決まってる。魔物もそうだ、基本的には精霊の眷属で魔力を持つ動物だ」
「じゃあ、チビやベリルも魔法が使えるんですか?」
「いや、『魔法』として使えるのはヒューマーとデミヒューマーだけだ」
エドワードはテーブルに降りていたベリルを指先で撫でた。碧も何となく足元のチビを撫でる。
「魔法ってのは精霊によって強制的に引き起こされる自然現象みたいなモンだ。それを操るには理解が必要になる。魔物も動物よりは賢いが、自然現象を学術的に理解するのは流石に無理だな」
確かにチビやベリルはこちらの言葉を理解しているようだが、行動は幼い子供のそれに近い。
「……もしかしたら使えるヤツもいるのかもしれねぇけどな。少なくとも俺は見たことねぇ」
エドワードがページをめくる。先のページの4つのマークの上にそれぞれ不思議な姿が描かれていた。エドワードは1つ1つを指しながら解説していく。
火の精霊、サラマンダー。下半身に炎を纏った雄々しい男の姿を持つ。
水の精霊、ウンディーネ。下半身が魚の美しい少女の姿をしている。
土の精霊、ノーム。とんがり帽子を被った愛らしい小人。
風の精霊、シルフィード。カゲロウのような羽を持つ妖精のような姿。
「ちなみにフェンリルはノーム、ヴェズルはシルフィードの眷属だ。同じ精霊の加護の元にいるヤツらは基本的に波長が合うんだわ」
エドワードはベリルと視線を合わせながらトントンと自分の肩を叩いた。答えるように一声鳴いたベリルはエドワードの肩に飛び乗る。続けてチビを手招いたが、チビは欠伸を返しただけだ。
「まぁ、こんな具合にだな」
ちょっとだけ気落ちしたエドワードはベリルを撫でた。
「魔力を持たない人に魔物が近寄ることは基本無い。ましてやここまで懐くなんて聞いたこともねぇな」
「そうなんですか……っわ」
エドワードが軽く手を振れば、ベリルは彼から離れて碧の肩にとまった。見た目通りずしりと重く、傾いてしまいそうになるのを何とか堪える。ベリルは碧の首筋に頭を擦りつけて甘えている。
「不思議だなぁ……」
そんな光景を見ながらエドワードは再度チビに手を伸ばした。……尻尾で弾かれて悲しい思いをするのは数秒後の話だ。
◆◆◆◆◆
③チビとベリルとお友達
エドワードの来訪から数日経った頃。碧は洗濯をしに川へと出掛けていた。洗濯物の籠を背負ったチビと、洗濯板の入った桶をぶら下げたベリルが一緒だ。
洗濯は男と何度かしているので特に問題はない。この辺りの道もしっかり覚えた。そんな訳で今回は1人(と2匹)でのお出掛けだ。男は最初少し渋っていたが、チビとベリルが任せておけとばかりに胸を張ったので折れた。2匹が近くにいれば魔物もちょっかいは出してこないだろう。人に見られた場合が一番厄介だが、ここにくる人間はいない。
そんな男の内心などは知らず、碧は2匹がついて来ているのを確認しつつ歩いていた。時折木漏れ日を追いかけてベリルがあらぬ方向へと飛んで行ってしまいそうになる。が、名前を呼べば直ぐにこちらへ戻って来るので途中からは好きにさせた。
そうこうしている内に川へとたどり着く。チビとベリルが流れに飛び込んだのを見届けて、碧は2匹が川岸に置いていった洗濯物と道具を手に取った。何を言うでもなく下流の方で2匹が遊んでいるのを確認して、洗濯を始める。2匹が上流にいると毛や羽がまとわりついてしまうのだ。ついでに飛ばしてしまったり流してしまった洗濯物も取ってもらえる。
桶に水を汲み、洗濯物を板に適度な力で擦り付ける。最初はかなりてこずったのだが、もう慣れたものだ。2人分なので量もさほど多くはない。汚れの取れた洗濯物を軽く絞って籠に入れ、道具を片すと碧は大きく伸びをした。それなりの時間、同じ体勢でいたせいで腰の辺りからばき、と音がした。
「チビ、ベリル、帰ろう」
いつの間にやらなかなか遠くへと言ってしまっていた2匹に声をかける。ベリルが水しぶきを撒き散らしながら空へと舞い上がった。チビは流れに逆らってこちらへと泳いでくる。上がって来たら拭いてあげないと、と。そんなことを考えて待っていた碧は不意に目を細めた。……チビの後ろに何かがいる。
それが何かを認識する間もないまま、チビは碧から少し離れたところで岸に上がり、大きく身体を振った。大方の水を自力で飛ばすと、碧の元に駆け寄って来る。後ろにいた何かも一緒に。
「……魔物、だよね」
チビと同じようにぶるぶると身体を振って水滴を飛ばしたのは馬だった。見事なまでに黒い馬だ。藻のような鬣が風を受けてしっとりとなびき、ゆらゆらと揺れる尻尾は魚の尾のような形をしている。
この魔物はケルピーといい、水の精霊ウンディーネの眷属だ。この大河に住む魔物で、チビやベリルが楽しそうにしているのを見て遊びに混ざっただけだ。
碧が広げていたタオルにチビが飛び込み、碧はケルピーに向けていた視線を外した。敵意はないようだし、チビとも仲がよさそうだったから大丈夫だろう。そんな風に考え、じゃれついてきたチビを拭いてやる。ケルピーは少し離れた位置で大人しく立っていた。
「はい、終わったよ」
碧がそう言ってチビの頭をぽん、と叩く。そうしてケルピーの方を振り返った。とてとてと向こうから近寄って来る。
「えっと……また来るね。チビやベリルと遊んでくれてありがとう」
そう言ってしっとりと濡れた頭を撫でる。ケルピーは気持ちよさそうに目を細めた。その頭にベリルが舞い下りる。そのままずい、と頭を突き出してきたので碧は笑いながらベリルの頭も撫でてやった。するとチビがぐいぐいと碧の足に鼻先を押し付けてくる。
3匹の無言の『撫でろ』というおねだりから脱することが出来たのはあまりにも遅いと様子を見に来た男も捕まってから、30分後の出来事だった。……洗濯物はしわになってしまった。
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