06 おっさんと友達


 男と碧は帰る前に『魔法使いの弟子』へと立ち寄った。エドワードは店の外に立っていた。煙草を吸っていたらしい。2人の姿を見るとくわえていた細身の煙草が持ち上がった。


「よぉ、楽しんだか?」


 ぴこぴこと煙草を揺らしながら楽しそうに問う。


「うん、お土産も買えたしね」


「あ? あぁ、チビにか。アイツ今どのぐらいだ? そんなんで足りんのか?」


 エドワードは碧が持っていたジャーキーの袋を顎で指した。一抱えほどある袋だ。店員さんに何匹飼っているのかと聞かれたほどの量だったが。


「前見たときはこんくらいだったよな。まだ子供だったか?」


 エドワードが軽く両手を広げる。碧が首を傾げた。


「エディさん、チビにあったことあるんですか?」


 エドワードと男は同時に碧に顔を向けた。次いで2人で視線を合わせ、エドワードが小さく頷く。


「おぅ、チビだった時代は知らねぇけどな」


 そうなんですか、と碧は呟いた。魔物を恐れない人もいるのかと内心驚いていた。もしくはチビと仲のいい男と知り合いだからかもしれない。


「まだ撫でさせてもらったことねぇんだよな……近いうちにリベンジしに行くわ」


「煙草の臭いするからじゃないの、アオイちゃんには懐いてたよ」


「何で!?」


 思わず大声を出したエドワードに碧がびくりと肩を揺らした。


「やっぱり若いのがいいのか……?」


「それね、俺も今朝思った」


 そしてちょっとへこんだ。男はそう言いながら遠い目をする。碧はそんな2人を見比べて首を傾げた。


「でも、エディさん結構お若いですよね?」


「あー……うん、見た目はね」


 エドワードが言葉を選んでいるように感じ、碧は疑問符を浮かべた。エドワードが男をちらりと盗み見る。男は少しだけ視線を迷わせ、微かに頷いた。


「俺な、アクアよか年上」


「え」


 碧はエドワードを見上げる。さらさらと流れる細い金髪に大きな緑の瞳。肌はシミ、シワの1つもなくきめ細やかだ。パステルカラーのリップとワンピースがよく似合っていた。身長と肩幅に目をつぶればだが。


「100歳超えのじじいだよ、俺は」


 ぽかん、と碧の口が開く。エドワードがくつくつと喉で笑う。そうして、碧の前にしゃがみこむと顔の横に垂らしていた髪を少しだけかき上げた。人のそれと違い、尖った耳が露になる。


「エディはエルフとヒューマーのハーフなんだ。エルフは寿命が長いから、人よりずっと老いが緩やかなんだよ」


 男がそう言うとエドワードは頷いて耳を隠す。次いで人差し指を艶やかな唇の前に立てた。


「内緒にしててくれよ、ミズガルズはエルフだと生き辛いんだわ」


 へにゃりと眉を下げて笑う。諦めたような、悲しそうな表情だった。碧はただ頷く。エドワードは碧の頭を撫でて、立ち上がった。


「お礼にアオイが異世界人だってのも内緒にしとくぜ」


 え、とまた意味のない音が漏れた。反射的に男の方へ視線を向ける。


「アクアから聞いた。何かあったら俺にも頼れよ……拠り所は幾つかつくっといた方がいいからな」


「勝手に話してごめんね。でもエディなら大丈夫だから」


「い、いえ、それは大丈夫ですけど……っ」


 碧は慌てて周りを見渡した。エドワードの店は大通りからは少し外れているが、人通りが全くないわけではない。誰かに聞かれたら……と不安に駆られる碧の頭をぽんぽんと叩いて男はエドワードを指差した。


「エディが風で結界張ってくれてるから大丈夫だよ」


 事も無げにそう言った男の言葉を理解するのは難しかった。混乱する碧をエドワードが笑い、吸っていた煙草の煙を吐き出す。紫煙は自然現象に逆らって下へと流れていった。微かに吹いた風が碧の髪を揺らす。


「魔法使い……」


 正解、とエドワードが指を鳴らした。蛇のようにうねった煙は手のひらの形になって音の出ない拍手をした後、上へと昇っていった。


「俺はシルフィード――風の精霊の加護を受けた。風を自在に操れる」


 音は空気の振動によって伝わる。エドワードは3人の周りに停滞した空気の層を作り上げ、遮音していたのだ。


「……不思議ですね」


 碧は辺りを見渡しながら呟いた。言われてみれば3人の声以外に音が聞こえない。遠くの市場の喧騒も、道を歩く人たちのおしゃべりもこちら側には届いていなかった。


「不思議、か」


 エドワードが碧の言葉をなぞる。どこか感慨深げだ。


「魔法について知りたきゃ俺に聞けよ。アクアはからっきしだからな」


 どこか嬉しそうな表情でエドワードはまた碧の頭を撫でた。そして服を取りに店の奥へと引っ込んでいった。


「……あの」


「ん?」


 碧が迷いながらも口を開く。男はその反応を予想していたようで、碧に向き直って頭を掻いた。


「……ヒューマーとデミヒューマーは仲良くはないよ」


 やっぱり。碧は口の中で呟いた。男はかなりソフトな表現をしてくれたのだろう。それでも眉間にしわが寄っている。ややあってエドワードが箱を抱えて戻ってきて首を傾げた。


「どうした?」


「ん、いやちょっと……ね」


 男の視線が俯いていた碧に向けられる。あぁ、とエドワードが小さく唸った。


「優しいコだよ、ほんと」


 そう言った男にエドワードも頷いた。そうして男に箱を押し付けようとして顔をしかめる。


「持てるか?」


「ちょーっと厳しいかも……」


 あはは、と男がから笑いし、エドワードが溜息を吐いた。市場で色々と買い込んだ結果、男は両手に4つほど袋を下げていた。重量的には余裕だが、如何せんかさばる。碧はジャーキーの袋だけで手一杯だ。


「ウチは宅配やってねぇって言っただろ」


 呆れるエドワードに男は返す言葉もなかった。が、不意にぽんと手を叩く。


「エディ、今夜ヒマ?」


「あ? あー……晩飯カレーなら暇だ」


「ん、わかったカレーね……碧ちゃんも手伝ってくれる?」


「ふふ、はい」


 こうして3人は男の家へと帰ることとなった。



◆◆◆◆◆



 男の家が見えてきたころにはチビの声も3人の耳に届いていた。やがてすりガラス越しにぶんぶんと尻尾を振っているのも見え、碧は思わず笑みを漏らしていた。男が苦笑しながら鍵を開ける。途端にドアが跳ねるように開き、チビが飛び出してきた。


「わ、ちょ、っと……」


 男の傍を通り過ぎ、一目散に碧の足元へと突進したチビ。脚にまとわりつかれ、碧は転びそうになったが、エドワードが支えてくれた。


「ただいま、チビ」


 取り敢えずそう声をかければ、チビは嬉しそうに碧の周りをくるくると回った。体勢を立て直した碧が歩き出すとそれに合わせてちょこちょこと歩く。エドワードには目もくれていない。


「ちょ……っと、へこむわ」


「俺もだよ」


 男2人がぼそぼそと会話を交わす。同時に溜息を吐くと、1人と1匹を追って家に入っていった。簡単に荷物を片付けると男は碧にべったりのチビを手招く。


「麓の荷物も取りに行かなきゃね……チビ、手伝ってくれる?」


 ワン! と元気な声が返り、チビは男の元へと駆け寄った。男はちょっとの間チビを抱き締めていた。


「俺も手伝うか?」


「じゃあ、頼んだ。アオイちゃんは野菜の下ごしらえとかしといてもらえる?」


「わかりました。あの、お願いします」


「誰も来ないとは思うけど、ドアとか開けちゃダメだからね?」


 子供に言い聞かせるような言い方に碧は苦笑した。2人と1匹を見送ると、キッチンへと向き直る。そうしてしばし動きを止めた。



◆◆◆◆◆



「今更なんだけどよぉ」


 麓の小屋への道すがら、エドワードが口を開く。


「1人にしてよかったのか?」


「ここに人は来ないし、優秀なボディーガードもついてるからね」


 エドワードがチビの方へと訝しげな視線を向けた。が、男は首を横に振る。


「ヴェズルだよ。キファでもアオイちゃん探すの手伝ってもらったんだ」


「お前相変わらず妙に好かれるよな」


 そうだね、と男が頷く。エドワードは眉間にしわを寄せていた。


「バハムーンやディアボロスでもここまで魔物に好かれるヤツはいねぇぞ……お前ほんとにヒューマーなのか?」


 俺みたいな混血児じゃなくて? と。そんな問いに男は首を横に振った。


「多分ヒューマーだと思うんだけどねぇ」


「そういやお前、自分の親のこともよく分かんねぇって言ってたな」


 エドワードは眉間のしわを更に深くする。が、男はぼんやりと同じ台詞を繰り返すだけだ。


「でも、俺はヒューマーだと思うよ」


「……そうかよ。ま、実際何だっていいんだけどな」


 一旦諦めたらしく、エドワードは肩をすくめる。そうして白い歯を見せてにかりと笑った。


「種族が何だって良いヤツだよ、お前は」


 男が目を丸くした。ひひっ、とエドワードは悪戯が成功した時のように楽しそうに笑う。


「どったの、急に」


「イヤ、アオイのこと見てるとやっぱりって貴重だって思ってよ」


 あぁ、と男が小さく唸った。表情にほんの少しだけ影が差す。


「理解を求めるつもりはねぇと思ってたんだけどな。あぁいう反応って普通に嬉しいわ」


 震えが混じる声を誤魔化すようにエドワードが欠伸をする。ぱちんと指を鳴らせばつむじ風が湧き起こって2人と1匹の背を押した。


「とっとと荷物持って帰ろうぜ」


「そうだね、お腹空いてきた」


 男は追い風に合わせて力強く地を蹴る。チビも楽しそうに大地を駆け抜ける。エドワードは笑って、宙を舞った。



◆◆◆◆◆



「ただい――っうわ!」


 銘々に荷物を担いで玄関を開けると目の前に大きな影が舞い降りた。男は素早く飛び退く。同時に慌てた足音が駆けて来た。


「す、すいません! 大丈夫ですか?」


「や、だいじょぶ、だいじょぶ。どうしたの?」


「それが……」


 ぴぃい! と聞き覚えのある鳴き声が碧の言葉より早く、男の鼓膜を震わせた。視線を下げればお行儀よく羽を畳んだヴェズルがちょこんと立っている。


「空いてた窓から入って来ちゃって。さっきまで大人しくしてたんですけど急に玄関の方に……」


「あぁ。いや、迎えに来てくれただけみたい。おっさん、この仔とは友達だからさ」


 男は荷物を脇によけるとヴェズルに腕を差し出した。途端にヴェズルは床を蹴って舞い上がる。そうして男の腕にゆっくりと舞い下り、甘えるように頭を擦りつけた。


「人懐っこいですね」


「そうだね。チビより甘えたかも」


 男はヴェズルを軽く撫でるとコート掛けの天辺に留まらせた。遅れて入って来たエドワードがヴェズルを見て目を丸くする。


「随分若いボスだな」


「ボス?」


 あぁ、とエドワードが小さく答え、ヴェズルの胸元の羽を軽く掻き分けた。黒に近い茶色の羽に混じって真っ白な羽が生えているのが見える。これがボスの証らしい。ヴェズルは基本群れで行動し、ボスには絶対服従の魔物なのだ。


「若い……んですか、この仔」


 羽を広げれば碧の背丈ほどありそうだ。普通の鷹を見たことがないので何とも言えないが、相当大きいように思うのだが。


「子供ってほどでもねぇがな。それでも結構若い方だぜ」


 手を伸ばして嘴の下を掻きながらエドワードが答えた。ヴェズルは気持ちよさそうに赤い目を細めている。


「ジャーキー多めに買っといて正解だったね」


 くすりと男が笑う。チビがジャーキーと言う言葉に反応したのか、ぶんぶんと尻尾を振り始めた。男がチビの頭を撫でると一層速度が上がる。


「ん、ご飯の後でね」


 わん! と元気な声が答えた。男は腕まくりするとキッチンへと向かう。碧も後を追った。


 やがてカレーがテーブルに、ステーキと穀物の盛り合わせがテーブルの傍らに置かれ、全員が席に着く。人がカトラリーを配るのを、2匹はお行儀良く待っていた。1匹は涎までは我慢できなかったようだったが。


「じゃ、いただきます」


「いただきます」


「いただくぜー」


 家主の号令に2人が倣う。チビとヴェズルも一声鳴いてから食事を始めた。


「そういや、あのヴェズルどうすんだ? 飼うのか?」


 スプーンでヴェズルを指しながらエドワードが尋ねる。そうだねぇ……と男は考え込んだ。


「飼うにしてもチビみてぇな安直な名前はつけるなよ?」


 ぐ、と男がカレーを喉に詰まらせた。エドワードがけらけらと笑う。そうして碧の方へと視線を移した。


「アオイが名付けてやったらどうだ? その方がいいだろ」


 男とエドワードの視線が碧の視界の外で交わる。男は小さく頷くと、碧に向き直った。


「そうだね、おっさんセンス皆無だからなんかカッコいい名前つけてやってよ」


 男がそう勧めると碧は眉を寄せた。いつの間にかヴェズルが食べるのを止めてこちらを見上げている。赤い赤い目がきらきらと期待に輝いていた。


「ベリル……でどうでしょうか」


 碧が口にしたのは赤い宝石の名前だった。レッドベリルという深い赤色の希少な宝石だ。


「ベリルか……いいな、アクアよかよっぽどセンスあるぜ」


 ヴェズルもどこか嬉しそうにぴぃ、と鳴いて羽をばたつかせている。


「気に入ったみたいだな――これで」


 契約完了、だな。後半の言葉が碧に届くことは無い。こうして男の家に新しい家族が迎えられることとなった。

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