第8話 夢にまでみた恋

幸奈は夢を見ていた。

 正確には、自分ではない誰かの夢を見ていた。

夢特有の、自我のない自分が、知らない誰かの視点でその人になっているかのような夢だった。

 これを俯瞰とでも言うのだろうか

その人は女性で、布団で寝ていた。年は十七、八ぐらいだろうか。まだ幼さを残しつつも、大人らしい凛々しさを持ち合わせていた。

ふと、目を覚まし、上半身を起こすと、布団の横に置いてあった刀を手に取り立ち上がった。

長い髪がふわりとなびく。白い寝巻きは細い身体を薄くまとい、身体の線が浮き出ていた。

華奢な体つきだったが、躍動感があり、細く白い腕は、太い刀の鞘をスラリと抜いて長い剣を両手で構えた。

 艶やかな長い黒髪、 鋭い眼光、白く整った顔立ち、しなやかで細いが力を感じる四肢。

 女性は美しかった。

女性は剣を構え、寝室を出ると、廊下を静かに走り、奥にある広間へと出た。

そこには誰かがいた。白い麻の服の上に甲冑を着ていた。腰には長い剣を携えていた。

 背を向けていたから顔は見えながったが、明らかに男性だった。

女性は剣を構え、その男に声をかけた。

「誰じゃ。この神聖な場所をおかすものは、ただでは済まさぬぞ」

男は振り返り、女性と目を合わせた。

女性は驚いた。知っている男性だったからだ。それも自分がよく知る男だ。

「殿? なぜここに…… いつ戻られたのじゃ。使いの者はこなかったぞよ」

男性は女性に微笑んで、申し訳なさそうに話し始めた。

「すまん、媛。少し用事ができて戻ってきた。起こしてすまなかった」

男はまだ若く二十歳前だろうか、まだ若いと言っても、その体つきは立派な漢で、たくましさと勇猛さを備えていた。顔付きもさることなく、幾つもの修羅場をくぐってきたのだろう、威風堂々と端正な顔つきをしていた。

それは、凛々しさと優しさを備えており、女性の前では朗らかな人柄を表していた。

「殿、用事とは一体何なのです。私めがいるというのに、どうして起こしてくださらなかったのです。一人スヤスヤと眠っていては、それこそ妻として恥というもの。何故にですか」

「そうだな。すまん、私が悪かった。こんな時間に媛を起こしてしまったことと、起こそうとしなかったことを詫びる。許せ」

「殿の優しさに、私は感激して甘えてしまいそうです。でも、気遣いは無用です。私はあなた様の妻なのですから、何なりと申し付けください。この命は殿の物なのですから」

「すまぬな。私の身勝手な願い、どうか聞き届けてくれぬか、媛よ」

「何なりとおっしゃってください。我が君よ」

殿と呼ばれたたくましい青年の前には、光り輝く剣が台座の上に祀られていた。

この広間は神殿だった。まるで神社の拝殿の奥にあるような本殿がこの部屋の中にはあり、その中には光の長剣が収められていた。

それは不思議な剣だった。両手で握られる剣は刃渡り三尺ほどだろうか、九十センチ程の両刃の剣は白く光っていた。

この広間には特に明かりはなかったが、不思議と剣を中心に明るく光を灯していた。

 眩しくない優しい明かりは、男を神々しく照らしていた。

「媛よ。この剣は私だ。私だと思ってこれからも守ってくれ。叔母から預かった物だが、これは私自身だ。そして妻よ、私はお前の物だ。わかるな」

「殿のおっしゃることはわかります。この剣も、殿のことも一生お守り通してみせます。何を今更言われるのです。私はあなた様に嫁いだ時からその覚悟でございますよ」

「媛よ。もう一つの願いだ。子を産め」

「はい。天から授かれば、いつでも産んであげましょう」

「よし、頼んだぞ。それにしても媛よ、寝巻き姿にその剣は、なかなか似合っているぞ。多少の賊なら、返り討ちにできそうだな。これは愉快だ。今からでも私と手合いをするか? 媛はこの神剣、私は媛が持っている十拳剣で手合わせしようと思うが、どうだ?」

「ご冗談を。私がこの神剣を取る資格はありませんよ。タケル様だから持つことが許されるのです」

「それはどうかな、ミヤヅ媛よ。媛だって血を引いているのだよ。それこそ媛が持った方がお似合いだよ」

「まあ、ご冗談がうまいことで。それより殿はお疲れでしょうに。湯を沸かしますから、休んでくださいまし」

「そうだな。戦いに明け暮れてようやくつかんだ休息の地なのに、申し訳ないと思っているよ。寂しい思いをさせてすまないな」

「あら、今日の殿はえらくお優しいことで。お疲れのあまり気でもおかしくなったのですか? 私めのような女には日頃のうっぷんをぶつけていいのですよ。それが妻の役目なのですから」

「媛は優しいな。私はこんな可愛くて素晴らしい妻を摂れて幸せ者だよ」

「今日の殿は本当におかしいですね。私に優しいのは知っていますけれど、今日は一段とお優しいのですね。私は嬉しゅうございます」

「媛よ、本当にありがとう。それから、この剣を頼む。この剣はただの剣ではない。人の思いを具現化したような代物だ。元は多くの生贄になった娘たちの魂の思いだ。偉大なる大王がこと剣を取り国を治めた。そして、これからはこの国を剣が守ってくれるだろう。偉大なる大王の魂も、私の魂もこの剣に宿っている。ミヤヅ媛よ、この剣を私だと思ってくれ。叔母にはその旨伝えておく」

「はい。殿のおもむくままにどうぞ。私はあなた様の部下であり奴隷であるのですから」

「我が妻よ。愛しておるぞ」

「タケル様。私の愛はあなた様だけにあります。どうぞ我が身を委ねさせてください」

「すまぬな、我が妻よ」

男はそういうと、忽然と姿を消した。その後には、光り輝き続ける神剣がそこにあるだけだった。

「殿? どこへ行かれました? 殿?」

姫は広間のいたるところに目を通したが、男の姿はどこにもなかった。

女性は胸騒ぎを覚えた。悪い予感がしたのだ。

まさか、これは……

不安にかられながらも、女性は別の部屋も片っ端から男を探した。

しかし、男を見つけることはついにできなかった。

女性が悲しんでいると、ふとどこからともなく声が聞こえた。

 それは、先ほどの男の声だった。

「愛する我が妻よ。さらばだ。困った時は星を頼れ。きっと助けてくれるだろう。もう一つの願いを忘れるな。子を産め。血を絶やすな。よいな。我が妻よ。愛しておるぞ。達者でな」

女性は、ミヤヅ媛は悟った。これは自分に別れを告げに来たのだ。そして、神剣に自分の魂の分霊を入れに来たのだと。

きっと遠い遠征の地で傷つき、倒れ、最後の力を振り絞って御霊だけでやって来たのだ。

そして、ついに力尽きて消えてしまったのだ。

「そんな、そんな、嘘です。タケル様が死ぬなんて、きっと嘘です。これは夢? 夢に違いない。タケル様を思いすぎてきっと夢に出て来たのだわ。ああ、タケル様。私のために夢にまで出て来てくれたなんて、なんて優しいお方なの。私はそれだけでも十分嬉しゅうございます。お早いおかえりをお待ちして来ます。どうぞお体にはお気をつけて。どうぞ、ご武運をお祈りいたします」

女性、ミヤヅ媛は不安を振り切った。悪い予感を否定した。

 そして、祈った。祈り続けた。

 そうでもしていないと、気がおかしくなりそうだったのだ。

 少しでも気を緩めると不安が押し寄せてきそうだった。

 わずかな不安は一気に膨れ上がり、ミヤヅ媛を恐怖させた。

 だから祈った。それこそ死ぬ気で祈りを続けた。

自分の祈りがあれば殿は生ける。

自分の祈りが殿の命を繋げる。

自分の祈りがあれば戦場で活躍される。

殿は、タケル様は戦っている。だったら私だって一緒に戦う。

タケル様が帰ってくるまで、自分は祈り続ける!

もしもタケル様が死ぬようなことがあれば、それは自分の祈りが足らなかったせいだ。

妻として愛情が足らなかったせいだ。

ミヤヅ媛は涙をこらえて祈りを続けた。

やがて日は昇り、光輝く静寂な朝はやって来たが、この気が狂ったように祈りを続けるミヤヅ媛を見た侍女や家臣達はことの重大さを知り、ミヤヅ媛の父である尾張国造に、この旨を報告した。

そして国中の神官、巫女たちが集まり、ミヤヅ媛の夫であるタケル尊の無事祈願が尾張国を挙げて行われた。

それは三日三晩休むことなく続けられた。

ミヤヅ媛はほとんど食も取らず、水だけで祈祷を続けた。

今こうしている間も、タケル様は苦しんでおられる。こんな自分の苦しさなど比ではない!

そしてその晩、遠征先からの使者がやって来た。

「騒がしいぞ! ここは神聖なる場所ぞ! 祈りを邪魔する奴はいかなる者でも許さんぞ!」

ミヤヅ媛は怒りを露わにした。日頃温厚で優しい媛が、こんな姿を見せたことはなかった。

そこに宮司がやって来た。ミヤヅ媛はこの神殿の巫女であり、主でもあったが、神聖なるこの場所では、宮司は上位者になる存在だ。

たとえこの国の媛であろうとそれは同じだ。

「媛よ、よく聞け。タケル尊殿は御崩御された。伊吹山で裏切りに合い、毒を盛られたそうだ。治療を受けるため伊勢に行く途中で亡くなられた」

ミヤヅ媛は聞きたくないものを聞いた。

聞きたくなかったことを聞いてしまった。

聞いた途端に身体に力を失い、泣き崩れてしまった。

拝殿で一緒に祈祷をしていた巫女たちもことを知り、一斉に涙した。

若き煌びやかなミヤヅ媛と、若き勇猛果敢なタケル尊は、国中羨望の的だった。

憧れの媛であり、崇拝する王子であった。

その二人が夫婦になり、国中か湧いていた矢先の出来事だった。

国民は悲しみ、女性達は泣き続けた。

三日三晩祈り続けたミヤヅ媛は、その後三ヶ月あまり泣き続けた。

泣いて泣いて泣き続けた。止まらない涙を止める術は、ことのときは一つしかなかった。

しかしそれは、タケル尊の存在であり、魂の存在だった。

ある日、泣き続けるミヤヅ媛の元に白鳥が降り立った。

その白鳥はこともあろうか、ミヤヅ媛の頭を激しく小突いたのだった。

最初は、悲しみのあまり無気力だったせいもあり、無視していたミヤヅ媛も、次第に頭を小突く白鳥に苛立ちを覚え、最後には顔を上げて怒鳴り散らしたのである。

「このクソ白鳥め! 人がおとなしくしてりゃいい気になりやがって! 首を落として串焼きにしてやろうぞ! 覚悟しろ!」

ミヤヅ媛がそう言うと、白鳥はその罵倒を楽しむかのように踊り出した。

「貴様! 妾を愚弄する気か? 良い覚悟だ。そこになおれ!」

ミヤヅ媛は傍に置いてあった剣を取ると鞘を抜いた。

白刃の両刃が現れ、鈍く光る。

それを見た白鳥はピョンと跳び、ミヤヅ媛の頭の上で踊った。足のかぎ爪で、長い黒髪がどんどん乱れていく。

たまらず剣を振るうが、白鳥は軽くかわして、奥の本殿へ飛んで行った。

怒り狂ったミヤヅ媛はその白鳥を追い、本殿の奥にあった剣の上で止まっている白鳥を見た。

「本気で死にたいようだな、今度は殿を笑う気か。許さんぞ!」

剣を振り上げ、間合いを詰めたそのときだった。

白鳥が止まっていた神剣が光り出したのだ。

柔らかい、朝日に似た光だった。

暖かく包むように怒り狂ったミヤヅ媛を照らした。

そして見た。

剣の前には、すらりとした男が立っていたのだ。

ミヤヅ媛は、その男をよく知っていた。誰よりも良く知っていた。

そして、誰よりも愛していた。

「……タケル様。タケル様っ!」

ミヤヅ媛は握っていた剣を落として、目の前に現れた男に歩みよった。

「すまんなミヤヅ姫。私があのときしっかり伝えていればこんなに苦しい思いをさせなくても済んだのに…… 本当にすまない。優柔不断な我を許してくれ」

ミヤヅ媛は、目の前に現れたタケル尊に手を伸ばし触れてみた。

不思議と実体と温もりが伝わってきた。

ミヤヅ媛は涙を流しながら。いたずらっぽく笑って言った。

「いいえ。許しません。こんなひどいタケル様を許すわけがありません。お詫びをしてもらいます」

「困ったな。お詫びとは、何をすれば良いのだ」

「ここにいてください。そして、もう、どこにもいかないでください。たまには私のわがままを聞いてくださってもよろしいでしょう?」

「媛よ、困ったことを言うな。でも我は帰ってきた、でも、もう行かないといけない」

「殿、それではこまりまする。私にこの先も死ぬまで泣き続けるとおっしゃるか? ひどい殿じゃ」

「媛よ、わかってくれ。そして。私がここに帰ってきたことを理解してくれ。私の魂はここにもある。もう、媛の泣いている姿を見たくない。それから、私の願いを思い出してくれ。媛はこの国の主になる方だ。だから、血を残せ」

「わかっております。でも妾は殿の血を引く子しか産む気はありませぬ。だから、それは叶わぬ願いであります。でも、もう泣くのは疲れました。殿にもう泣く顔を見せたくありませんから……」

ミヤヅ媛は止まらない涙をなんとかこらえて、笑顔を作ってみせた。

「媛の巡りめく表情に、私は本当に救われたよ。今は酷い顔だ。でも、とても愛おしい」

泣き続けたその顔と髪はひどいことになっていたが、タケル尊はその笑顔に顔を寄せて、唇を重ねた。

反論する前に口を塞がれたミヤヅ媛は、それを諦め、静かに目を閉じた。

暖かい温もりが伝わり、本当にここに本人がいるのを実感した。これは夢ではないかとも疑ったが、夢なら夢でそれは良いではないかとミヤヅは思った。どちらにしても、それは本物なのには違いなのだから。

タケル尊は優しくミヤヅ媛を抱きしめ、さらに熱い抱擁を交わした。

口づけはミヤヅ媛をさらなる夢の世界に誘った。

閉じていた瞼の向こう側から光が見え、まぶたをゆっくり開けると、そこは一面に花々が生い茂る草原だった。

日が高い場所から優しく大地を照らし、たまに吹く風は、少し冷気を帯び心地良く肌を撫でていった。

唇が離れていく。目の前にはタケル尊の優しい笑顔が広がっていた。

「ミヤヅ媛。ここは今、私の住んでいる世界だよ。高天原と言うそうだ。ここからミヤヅ媛をいつも見ていた」

「え? いつもですか…… 嫌だわ、お恥ずかしい…… タケル様はもう、天界の方なのですね……」

「そうだよ。だからいつも媛を見守ってあげることができる。だから、もう泣かないでほしい。私はここにいる。そして私の魂はあの神剣にも宿っている。だから 淋しがらないでほしい」

「タケル様は意地悪な方です。淋しがるな、なんて言われても、そんなことは無理でございます」

「困った姫様だな。私がいった願いを姫は覚えているかい?」

「もちろん覚えていますとも。でもそれも無理ですわ。だって私の旦那様はタケル様しかいないのですから。もう子はできません」

「本当に困った媛さんだ。でもミヤヅ媛ならそう言うだろうな。そう思って今日はここに招待したのだよ。私の魂の一部をミヤヅ媛に植える。その魂が生を受けたとき、私の御子となるだろう。媛は血を絶やしてはいけない。民の為に血を繋いでいかなければならない。それが国の主人というものだよ」

「おっしゃっていることがわかりません。もっと分かりやすく言ってくだいまし」

「そうだな、我妻よ」

そう言って、タケル尊は自分の口を、ミヤヅ媛の口に重ね、左手で媛の着物を脱がした。

優しく着物の上に媛を寝かせると、自分も着物を脱いで、媛あらわになった白い肌に、自分の体を重ねた。

「媛、愛しています」

「はい、タケル様。私も愛してございます」

二人は、一面に花が咲き乱れるお花畑で、二人の愛を確認しあった。

熱い抱擁、とろける口づけ、身体の芯まで震わす甘美な刺激。

ミヤヅ媛は、天界の天のもとで、それこそ天に昇る感覚を知った。

頭が真っ白になり、身体はそれこそ痺れるように震えた。

熱い。熱い何かが身体を満たしていく。身体がどうにかなりそう! 頭の中が光で焼かれていくようだわ!

その光り輝く何かは、タケル尊の魂の一部だった。

ああ! 自分の中に、タケル様の御霊の一部かはいってくる!

ミヤヅ媛は、あまりにもの感動で心と身体を震わせた。

さらに甘美で感動的な刺激は、ミヤヅ媛の魂を真っ白にそめた。



 ふと、目を覚まし、はっと飛び起きた。

そこは、神剣が祀られていた本殿だった。目の前の台座には、淡く輝く神剣が置かれていた。

「……夢? いえ、ちがう。夢だけれどあれは本物のタケル様だった……」

改めて周りを見渡した。誰もいないし、誰かがやってきた気配もなかった。

確か白鳥がやってきて、自分の頭を小突き、頭にきた自分は剣を抜いて切りかかったのだった。

「タケル様は、私に会いにきたのか……」

ふと、お腹のあたりが熱いことに気が付いた。身体も火照っているし、唇に柔らかい感触がのこっていた。

途端にミヤヅ媛の目からは涙が溢れ出てきた。

「お優しいタケル様。私はうれしゅうございます。もう、泣きません。もう、悲しみません。私はこの国の主としてすべてを捧げます。本来ならタケル様が治めるこの国は、私めがしかと治めてみせましょう」

泣かないと言ったミヤヅ媛だったが、この日はあまりのも感動に涙が止まることはなかった。

この国の空は、晴れる日はあったが、国を覆う悲しみに覆われ、暗い空気に包まれていたが、民の前にようやく現れたミヤヅ媛をみて、国中にようやく笑顔と明るい光が戻ったのであった。

「タケル様。私がんばります!」

遠くで飛んでいた白い鳥は、ミヤヅ媛の決意を知ってか知らぬか、一際高い声で鳴いた。




幸奈は目を覚ました。

自分は泣いていた。前回と同様、枕が湿るぐらいの涙を流していた。

前回はどうして泣いていたのかわからなかった。夢を見ていたのは、なんとなくわかっていたが、その内容は全く記憶になかった。

しかし、今回ははっきりと夢の内容を覚えていた。

そして、涙はまだ止まっていなかった。心は震えていた。

悲しみと、苦しさ、そして、感動と喜びで心は熱く震えていた。

眩しい日差しが飛び込んで、しっかりとまぶたを開けることができない。

目覚まし時計を見た。まだ五時前で、起きる時間には、まだまだ十分な時間があった。

幸奈は、とりあえず夢の内容を忘れる前にメモに書き留めた。

今回の夢ははっきりと覚えていたが、このような記憶は、時間と共にすぐに消えていくものだ。

だから、書き留めておくようにと、紗央厘に教えられていたのだった。

それにしても、タケルとか、ミヤヅとか言っていたな。一体誰なのだ? そんな人知らないし、服装からして結構昔の人だぞ。

幸奈はそう思い、記憶をたどっていくと、タケルとか言っていた男としたキスを思い出した。

 そして、そのあと二人は……

うわっ! なんだか凄いリアルな夢だったぞ。唇の感触も残っているし、下に入ってきたときの感触もちゃんとあるぞ……

改めて、男の顔を思い出した。整った顔立ちで、勇ましさと優しさを持ち合わせていた。たくましい身体に太い腕、そして太い……

幸奈は胸がドキドキしていることに気が付いた。夢だとわかっていたが、これは何も知らない幸奈には刺激的だった。

自分にとっては、初めてのキッス。はじめての……

いやいや、これは夢だから、カウントされないぞ。それに私は処女だ。だから、あんなに簡単には入らないぞ。

夢の中の行為を思い出すと、身体は正直らしく、しっかりと反応をしてくれた。

ぅわ…… 百合名の言う、濡れ濡れとは、コレのことか……

幸奈は、一夜にして体験した、夢の世界での初体験に感動していた。

いやいや、肝心なのはそこではない。自分が夢で涙したのは、最愛の人を失ったからだ。

あのときの悲しみは、本当に尋常ではないものがあった。自分も死んでしまいたい、死んで後を追いたいと本気で思ってしまった。

それができれば、どんなに楽なことだったことだろう。

それができないゆえに、どんなに苦しんだのか……

実際思ったのは、夢の中の人物であるミヤヅ媛であるが、その人の感情は間違いなく自分の感情と同じであった。

これはどういうことなのだ? 夢に出てきた人物は私の別の姿なのか? それとも、心がシンクロしてしまったのか?

どちらにしても、幸奈は深い悲しみを知り、深い愛を知ることができたのだ。

そして、今の自分はとても心がドキドキしていた。

こんな胸の高鳴りは、幸奈にとって初めてのことだった。

後になってわかったことだが、これが恋の始まりだったのだ。

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