第3話 新入生は能力者(1) 初日の授業前

 座席の一番後ろの左端、窓際の最後列という孤高の特等席に、その青年は座っている。窓を開ければ快適な春のそよ風が吹くはずなのだが、彼は窓を開けるどころかカーテンすら閉めて周囲に夜を創り出している。その暗闇の中で静かに目を閉じて座すその姿は、まるで瞑想しているかのようだ。

 が。


「こんなに天気がいいんだから、開けちまおうぜ」


何の前触れもなく彼の瞑想は破られた。勝輝は心底迷惑だと言わんばかりに顔をしかめる。


「いや、そんな眩しくないだろう。春の朝日だぜ?」


高木は苦笑いしながら勝輝の隣の席にどっかりと腰を下ろす。


「朝日は――苦手なんだ。」

「そうなのか?ま、朝は俺も苦手だが!ははっ!」


高木は笑い、わざとらしくあくびをして見せる。そして、勝輝の服に視線を移すと不思議そうな顔をした。


「にしても、その格好……暑くないのか?」

「そうか?割と通気性がいいから涼しいんだが。」


 黒のジーンズに、襟もとが青色で縁取られた黒い長そでのシャツ。全身黒ずくめの勝輝は、素材がどうのの以前に冬を思わせる格好だった。


「俺から見れば、高木君こそ季節感がおかしい気がするんだが。」

「ん?いやぁ?ちょうどいい感じだぜ?」


 勝輝の言葉に、高木は着ていた服を確認する。まだ春が始まったばかりだというのに、高木は半袖の赤いTシャツを着ている。その筋骨隆々の体格でも目立つわけなのだが、彼の真夏の格好は明らかに周囲から浮いていた。


「まぁ、確かに俺の格好は、春っぽくはないな。春っぽい服というのは俺にはどうにも合わなくてなぁ。だが、勝輝、お前ならいけるだろ。いい顔してるしな!」


高木はそういうとちらちらとあたりを見渡して、ある人物に目が留まった。そして彼はその人物を指さしながら言う。


「そう、あの扉の前にいる、ああいう感じの服とか似合うんじゃないか?」

「?」


 指をさされた先にいたのは、小顔の少女だった。白い綿毛を思わせる柔らかなスカートに、黄色のブラウスを羽織った小柄な少女は、頭に手の平サイズの“狐の耳”があった。彼女の頭髪からのぞいている“狐の耳”は、勝輝たちの存在に気が付いたのか、ピンと天井を向く。そしてそれは折りたたむように髪の毛の中に消えていき、代わりに少女の顔に笑顔が宿る。


「なんの話してるの~」


 二人の席の前に、少女は座る。


「おう。春っぽい服の話だ。爽やかでいい色合いだなと思ってよ。」

「そうか、よかった。俺はてっきり女装しろと言われているのかと思ったよ。」


雲のような挨拶をする少女に、二人は何気ない挨拶を交わす。その時の高木はにこやかな笑顔を見せていたが、一方で勝輝はすべてをあきらめたような顔をしていた。そして勝輝は、何故またも会話をするような真似をしてしまっているのだと、自分の言動について小さく後悔していた。

 

「いや、しっかし昨日の自己紹介の時もそうだったが、随分と眠そうだな、陽子さん。」

「うーん。春だからねぇ。春は眠くなる季節だよ~。足立陽子は眠いのです~」


 足立は高木にそう答えながら、今にも瞼が閉じそうな顔を机にあてる。


「うーん、そんなに机があったかくないなぁ。」

「いや、寝るつもりなのかよ。授業初日の1講義目だぜ?」

「眠いものは眠いんだよぉ、おっきな人たち。ほら、寝る子は育つって言うじゃない?もうちょっと私、身長ほしいんだよねぇ。」

「あー、でももう成長期は終わっていると思うんだが……」


高木のその言葉に、彼女は先ほどの狐耳をぴょいと頭から覗かせる。


「あー、だめだよぉ、おっきな人~。脱150cmライフの夢を、そんな簡単につぶすようなことを言うのは~。」

「ひゃ、150cmライフ?」


高木は身を乗り出してくる足立に、少しのけ反りながら苦笑する。


「そう、150cmライフって大変なんだよ~?高いところに手は届かないし、前に人がいると前方は見えないし、友達と待ち合わせしていても見つからないって言われるし~」

「いや、背が高いのも考えもんだぜ?都合のいいようにあれとってだの、これとってだの言われるし。あと扉とかに頭がぶつかるのが痛い。」

「うーん、そんなに大きくなくていいんだよ。」


そういうと彼女は周囲を見渡す。


「そうだなぁ、ほら、あの人くらいの身長があるといいんだよなぁ」


 足立の見えているのかいないのか分からない視線の先には、長くて黒いつややかな髪を持った少女がいる。彼女のその姿は凛と咲く白百合のようで、教室の中でもひときわ強い存在感を放っていた。

 周りの人間は彼女に気付くと足を止め、映画女優が出てきたかのようなざわつきを見せる。


「すげ、大原典子だ。」

「自己紹介の時にも言っていたけど、まさかあの『アマテラス』の孫娘と一緒の学科とは」

「すごいわ、本物の『特秘能力者』と一緒の学年なんて。」


 大原と呼ばれていた彼女は、ざわついた周囲の空間を見て一瞬唇をかむような表情を見せた。が、すぐに雪のように白い顔に平常心を取り戻し、周囲を無視して自分が座れそうな席を探し始める。

 そして彼女は、高木が手をあげてをしていることに気づいた。彼女は共に歩いてきた桜色のブラウスを着た女性と顔を見合わせる。その相手の女性は八重歯を見せて笑うと、大原の手を取って勝輝たちの元に歩み寄ってきた。


「ここ、空いてる?」

「ん?おう、空いてるぞ。」

「お!!典子、ここ、座ろう!」


 高木は桜色のブラウスを着た女性に穏やかな笑顔を向ける。彼女は空いていることを確かめると、大原の背中を両手で押して足立の前に立たせる。大原は少し戸惑っていたようだったが、相手に申し訳ないとでも思ったのか、すぐに相手の顔をしっかりと見据え、湧き水を思わせる澄んだ声で尋ねた。


「ごきげんよう。その、隣、いいかしら?」

「いいよ~。典子さん?と、えーと、うーんと?」

「あたしは、山田優華。優華でいいよ、足立さん。」


 大原の後ろから顔をのぞかせ、山田はぱっちりとした目をウインクさせる。それを見た足立はその狐耳を左右に小刻みに揺らしながら、子猫が母猫を見つけた時のような声で応じる。


「わーい。ありがとう。覚えていてくれていたんだ~。私も陽子でいいよ~。優華ちゃん。」

「そう?じゃぁ、よろしくね、陽子!」


 山田は自分の紹介が済むと大原の方に目配せする。勝輝には、大原はそれで少し肩の力が抜けたように見えていた。


「私も、典子で構わないわ。ええと、確かあなたたちは――」

「高木勇人だ。勇人でかまわないぜ。」

「あ、勇人君ていうんだ~。」

「ええっ?陽子、あんまりにも自然と話すから、名前覚えているのかと思ってたぜ……」

「ううん。ぜんぜん。“おっきな人2号”って思ってた~」

「いや誰だよ、“おっきな人2号”って……」


高木は苦笑しながらチラリと勝輝を見る。勝輝は高木の視線に気づくと、視線を窓の外にやりながら彼らに名前を告げる。


「吉岡勝輝だ。勝輝で、いい。」


 少し低めの声で勝輝はそう言うと、ボタンを占めている訳でもないのに、首回りがきついというように襟をいじる。勝輝にとってこの状況は遠からず訪れるだろうと思っていたものの、その胸の内に焦りと不安を抱かずにはいられなかった。

 山田はどうやら勝輝を恥ずかしがり屋かなにかだと思ったのか、彼の仕草をみると少し口元を緩ませた。そして足立の方を向きながら、わざと少し大きめの声で言った。


「ふふ、かわいいわね~」

「いわゆる、不思議ちゃんってやつだな?」


 高木が足立を見てニヤッと笑いながら頬杖をつく。


「違うよ~。不思議ちゃんじゃないよ~。ちょっとマイペースだねって言われるけど。」

「それを世間では不思議ちゃんというそうよ。」

「ええっそうなの、典子ちゃん。」


足立は灰色の毛が逆立った狐耳をピンと立てる。その狐耳は見るからに綿のように柔らかで、日差しを浴びて穏やかに照っていた。


「ふふ。かわいらしい耳ね。触れてもいいかしら。」


 大原は足立から許可を得ると、小動物に触れる時のような穏やかな目をして狐耳に触れる。足立は少し顔を赤らめ、典子が触り易いように頭を下げた。狐耳が小刻みに左右に振れ、彼女が嫌がっている訳ではないことは、誰の目にも明らかだった。


「へへへ。久しぶりにモフモフされたのです~。」

「そういえば、自己紹介の時にも言っていたけど、あなたの能力は確か――」

「うんうん。そうなの~。私の能力『獣耳』は体の一部が変質・変性する『身体変化』の能力の1つで、能力なんだ~。

具体的には、そうだなあ~150メートル先で針を落としても、その音を聞き分けられるよ~。」

「え?まじで?それ同じ獣耳系能力だったら、平均の倍近い距離じゃん。すごいじゃない。」


山田が驚きの声をあげると、足立は得意げに腰に手を当てる。


「いやあ、それほどでも~!」

「へえ、そんなにすごいのか。」


感心する高木に、山田は言う。


「『獣耳』って一言に言っても、能力はいろいろあるらしいわ。人間には聞こえない超音波が聞ける能力とか、ある一種類の音だけなら300メートル離れていても聞こえる、とかね。で、遠方の音を聞く能力って、"針を落とす音がどれだけ離れたら聞こえなくなるのか"で判定するのだけど、せいぜい5、60メートルが限界らしいのよ。」

「ほー!それを聞くと150メートルはすげえな。だって、針の音を聞き分けるのが、だろ?人間の会話とかならもっと範囲広いだろ?」

「うん、まあね!――まあ、ただ……」


足立は少し肩を落とし、諦めたように微笑む。


「……ただね、私のこの能力は、意識的に出すだけじゃなくて、出てきちゃったりすることもあるんだぁ。あと感情の起伏に依る?みたいなとこもあるんだよね~」

「だから、さっきから耳が出たり入ったりしているわけか。」


彼女の耳はピコピコと音のする方を向き、なるほど、確かにその通りなのだなと高木は納得する。そして同じく納得したように、高木の声に続けて勝輝がぽつりとつぶやいた。



「だから、なのか。」

「ん?どういうことだ?」


 勝輝の突然の発言に、高木がよくわからないと眉を顰める。


「ああ、――それはたぶん、脳の処理能力の問題だと思うわ。」

「処理能力?」

「ええ。能力は――」


彼の疑問に答えようとした大原だったが、その言葉は一人の男の声によって遮られた。


「はいはーい。皆さん、講義を始めますよ~。」


 いつの間にか教壇に立っているその男は、手を2回軽快にたたいて全員の注目を集めた。

 騒がしい教室は静まり、高揚と緊張が入り混じる。

ついに、彼らの人生最初の講義が、始まろうとしていた。

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