第2話 入学式 (後編)

 入学式の会場となる千人を軽く収容できる講堂は、新入生でにぎわっている。皆がそれぞれ初めて顔を合わせる人であるはずだが、彼らは以前から知り合いだったかのように笑顔で会話をしている。少なくとも、周りに人がいない場所に席をとった吉岡勝輝にはそう見えた。


「聞いてはいたが、多いな。」


 勝輝はぽつりとつぶやく。講堂の2階に当たるテラス席に座っていた彼は、講堂の全体が見渡せた。講堂に用意された席はそのほとんどが埋まり、赤い座席などほとんど見えない。さすがに彼からは真下の席は見えなかったが、今やこの2階にも新入生が着席し始めていることから、おそらく下はほぼ満席になっているのだろうと彼は推測する。勝輝が座る席の隣に、同じ新入生が座るのは時間の問題である。そう思うと、勝輝は途端に体が重くなるのを感じた。


「困ったな」


彼は隣の席を一瞥してつぶやく。


できれば誰も座ってほしくはない。


 彼自身不可能だとわかってはいたが、それでもできるだけ大学生活では人とかかわらないようにしたいと考えていた。そのために、彼はわざわざ列の端、しかもステージの見にくい一番奥の席に座ったのだった。この席に座ったことの意味が何なのか、きっとこの大学に進学した者であれば見ただけで分かるはずだと、彼は思っていた。

 勝輝は目を細め、持ち前の鋭い眼光を十二分に発揮して座っている。整った顔立ちだけであればおそらくそこまで話にくい人物とは思われなかっただろう。が、眼光の鋭さがすらりとした長身と漆黒のスーツと相まって、まるで軍人のような威圧感を醸し出していた。たとえ周りが彼を気になっていたとしても、普通の人間なら声を掛けようとは思わないだろう。実際周りの人間はそう思っていたし、彼自身そうなる様な振る舞いをしているつもりだった。

 だから彼は、左隣から声がするまで、人が座ったことに気づいていなかった。


「やっぱ困るよな」

「!?」


 突然の声に驚いた勝輝は思わず目を見開き、声の主を見やる。

 スーツを着ていても分かる鍛え上げた肉体。がっしりした顎をもつまさに男らしい顔つきをした男だ。だが、青いネクタイをゆるく締めたその姿からは、不思議と威圧感を感じない。彼は勝輝が驚いた顔をしているのを見ると一瞬眉をひそめた。が、それから「ああ、分かった」といってごそごそと鞄を開けて何かを引っ張り出している。


「これだよ、これ。」


勝輝の隣に座った熊のような男は、紙の束を勝輝に見せる。


「部活のチラシ……ですか……?」

「そう!まさか講堂に案内されるまでの間で、こんなにたくさんの部活・サークルのチラシを押し付けられるとは思わなかったぜ。そんなにたくさん持ったら荷物増えるっての。」


声は低めだが、明るい口調で彼はいう。大げさに肩をすくめて見せる彼は、どうやら本当に困った様子ではないらしい。どちらかというと、楽しんでいる、といった方が正解なのだろうと、勝輝は感じた。


「随分と……たくさんもらったんですね。」

「だろ?なんかよくわかんないが、ラグビーやら相撲部やら体育会系のチラシをやたらもらってよ。中には3枚も同じやつがある。」

「……」


彼は同じチラシを右手と左手に持って見比べるようにわざとらしく首を動かす。どうも勝輝に話題を振っているようだ。勝輝は一瞬目を泳がせたが、すぐに目を細めて言う。


「それは、随分と将来を有望視されている、ということなのではないですか?」

「そうかぁ?適当だと思うぜ?何しろ、ほら、、手芸部や調理部のチラシなんか配っているとこもあるんだぜ。もし本気で勧誘を狙っているんだったら、ちょーっと渡す相手選んだ方がいいんじゃないか。」


勝輝の顔の前に出されたチラシには、絵本に出てくるような熊のぬいぐるみが描かれていた。


「随分と……可愛らしい……ですね。」


 それを聞いて彼は少し微笑んでから、ようやく本題に入ったと言わんばかりに、元気よくがっしりとした腕を勝輝に差し出した。


「俺は高木勇人だ。よろしくな。」

「あ、ああ。俺は……吉岡勝輝……です。」


歯切れの悪い返事に高木は二カッと白い歯を見せて笑い、ぶんぶんと大振りに勝輝の腕を振る。


「ははは。いや、そんなに硬くならなくていいぜ。気軽に話してくれ。そうだ、勝輝ってよんでもいいか?」


 高木の態度を見て、勝輝は内心困惑していた。誰も座ってほしくないと思っていたのに、よりによって人懐こいタイプが隣に座ってしまったと。こういうタイプはなかなか離れてはくれないと勝輝は感じた。しかも、高木は勝輝の隣を座ってきたようだった。周囲にも一人で座る新入生はいるのに、高木はわざわざ近寄りがたい勝輝の隣に座ってきている。明らかにわざとである。こういう状況はどうしたらよいか、勝輝には分からなかった。しかもそこに悪意が見えないことが、なおさら勝輝にとって対応を困難にさせていた。


「ああ、構わないが……」


 勝輝はそれだけ言って振り回された腕をひっこめた。これ以上会話を続ければ、確実に大学生活でこの男と関わることになると考えたからだ。それゆえ勝輝はステージに視線を戻そうとする。すると、高木がまた勝輝に話しかけてきた。


「そいや、勝輝ってよ、どこの学科なんだ?俺は応用能力学科なんだが・・・」

「え?」


高木の言葉に思わず反応してしまったことに、勝輝は後悔した。


(これでは自分から会話を続けるようなものじゃないか)


「ん?てことは勝輝も……?」

「あ、ああ、応用能力学科だ……」

「まじかぁ。こいつはすごい!いやー、入学初日に同じ学科のやつと知り合えるとは思わなかった!何しろ1学年1000人はいる大学だからな。同じ学科に巡り会えるなんて奇跡に近い!」

「いや、まあ応用能力学科は中でも一番数の多い40人だから、割と出会う確率は高いと思うのだが……」

「ん?そうか?ええーと、1000分の40だから・・・25分の1か!ははっ。なるほど、そう聞くと割と大したことがないように聞こえるな。わはははは」


 豪快に笑う彼を見て、勝輝はささやかな苛立ちと焦りを感じていた。大学生活で最初に関わった相手が人懐こく、しかも同じ学科だと言うのである。彼はどうせなら、もっと大人しいタイプの人間の方がよかったと、内心思っていた。加えて、何故か勝輝自身からその相手に会話を続けてしまうことに、勝輝は納得がいかなかった。


「まぁ、学科が一緒ってことは、これから長い付き合いになるのだろうね。」


 何かがのどに引っかかったかのような低い声で、勝輝は言った。それは勝輝自身へ言った発言であったのだが、その発言は、他人が聞いたらきっと人を突き放す言葉になったに違いなかった。彼はそれを言った後で気が付いたが、嫌みとしてとらえてくれるのであれば、それはそれでよいと考えた。それでこの高木という男が、自分から離れてくれればよいと思った。そして勝輝は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやく。

自分は、これでいいのだと。

 だが、現実は違った。


「おうとも!大学生活、一緒に楽しもうぜ!」

「!?」


高木は陽気に答えると、右手の親指を立ててニカッとまた歯を見せて笑う。

 勝輝はその姿を見て直感的に理解してしまった。これが、この男の本懐だと。


(この男は、きっと自分が言ったことが何を意味するのか理解している訳ではないだろう。

――いや、ちがう。

この男は理解している。

理解しているはずだ。

こんな人を避けている俺の隣に、わざわざ座ってきたのだ。

理解していないはずがない。

高木勇人が何故自分に話しかけてきたのかは分からない。

だが、だが――そのうえで、この男は今の発言を、なんのためらいもなく言ったのだ。)


 たとえ、高木が何か裏があって自分に近づいてきたのだとしても、彼の今の発言は、建前でも何でもないと、勝輝は感じた。これが彼の本心なのだと。少なくとも、この男の発言には裏表がない純粋な気持ちしか込められていない。そう感じるに足る十分な明るさが、陽気さが、その声には込められていた。

 勝輝は、観念したように少し口元を緩めた。


(――ああ。自分は、それを知っている。

なんのためらいもなく、己の本心を、ただ純粋に口にする存在を――)


 高木は返事をしない勝輝を不思議に思ったのか、気恥ずかしそうに頭を掻く。


「ん?俺、なんだか変なことを言ったのかな??」

「いや、なんでもないよ。」


 こんなどっかの小説の主人公みたいな性格の持ち主が大学にいるとは、勝輝は夢にも思っていなかった。勝輝の発言は普通なら意気消沈してしまうような発言だったに違いないのに、それを意にも介さずに「一緒に楽しもう」などと言ってくるのだ。



――おまえみたいな化け物、友達なんかじゃない――



脳裏の奥で、あの言葉が響く。


 勝輝は思う。高木はきっと自分に今後も積極的に絡んでくる存在になるのだろうと。そして、彼の周りには多くの人が集まってくるのだろうと。

 それが吉と出るか凶と出るか、今も人とかかわることを恐れているはずの勝輝にとって、それはまさしく“凶”であるはずなのに、その時の彼は判断がつかなかった。


「お、入学式、はじまるみたいだぜ」


 高木が暗くなった講堂をちらちらと見わたす。気が付けば、あれほどうるさかった会場のざわめきも、次第に静かになってきている。そして大きなサイレンとともに、赤い幕が上がり始めた。


「――そうだな。」


黒スーツの男は、光があふれてくるステージを、どこか遠い処を見るように眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る