第1部 影を纏う者
第1章 思惑だらけの新生活
第1話 入学式 (前編)
――2091年 4月4日 日本 筑波――
「お前みたいな化け物、友達なんかじゃない」
冷たい声が、脳に響く。
周りには何もない、誰もいない。
あるのは闇。
床も、天井も壁もない。底なしの闇の海。
上も下もないこの空間で、男はただそこにいる。
自分の意志で体を動かそうとしても体は動かない。声を出そうとしても声はでない。
そんな男に、ただその冷たい言葉だけが降り注いでくる。
「お前みたいな――」
◇
「足が重いな……」
1人の男が桜並木の下を歩いている。黒いスーツに身を包んだ長身の青年。少し細めの顎に整った顔立ちをした彼は、とても春の陽気には似つかわしくない険しい表情を浮かべている。彼は桜の花びらを踏みつける自身の足の重さについて、胸のうちで考察していたのだ。
マンションの5階から1階まで階段を使ったからだろうか。それともこの緩やかな上り坂が、想像以上の負担になっているのだろうか。朝起きてからすでに2時間が経過しているのに、まだ眠気が取り切れていないことも、一つの原因なのかもしれない。彼はそんなことを一通り考えてから、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
(――いや、理由なんて分かっている。
いや、あの夢は毎日見る夢だから、別段特別な夢というわけじゃない。
そう、特別普段と違うのは“今日”という日の日程だ。毎日見る夢とその特別な今日という日が重なってしまっただけのことだ。)
これから先にある日常には、何か自分にとって良くない物がある、そんな気がするから足が重くなるのだと、彼は自身に言うのであった。
青年はふと周囲に気を配る。この緩やかな桜の坂道を、同じようなスーツ姿で上る若い男女が何人もいる。新品のスーツを身にまとい、おそらく何分間も鏡の前に座っていたのであろう今時らしい髪型をした青年。履き慣れないヒールで足元を注意しながら歩く女性。
この青年には、この桜の坂にいる誰もが顔を輝かせているように見えた。この坂を上り切った先にある自分の未来が、希望に満ちたものであると信じて疑わない顔だと、彼は思った。
その青年には、彼らはその声も輝いているように聞こえた。彼らも基本的には青年と同じ、周りの人間は赤の他人のはずなのに、不思議と気軽に話しかけていたからだ。
「どこから来たの?」
「私福島県だよ~あなたは?」
「いやあ、ここ来るまでに迷っちゃいましたよ。」
「僕もですよ。ここ、駅から遠いから。」
「え、君歴史学科なの!?俺も俺も!」
「あ、そうなの!え、ちょっと連絡先交換しようよ!」
青年はポケットから端末を取り出し、イヤホンを耳に差し込んだ。
(あんなのは、幻想だ。)
青年は坂を上りながら自身に問う。
(彼らはお互いのことを何も知らない。それなのに自分からわざわざ話しかけに行く理由は何か。)
青年はそれに答える。
(それは、“友達”を作ろうと思っているからだろう。新しい生活、新しい環境。そういった世界に飛び込んでいくうえで頼れる仲間や“友人”がいるのは、彼らにとって輝かしいことなのだろう。)
彼は、特段コミュニケーションが取れないというわけではなかった。話しかけられれば人並みに会話くらいできる人間である。だが、それを彼はあえて避けていた。必要以上の会話はするべきではないと、そう考えていた。何故なら、会話をするという行為は、お互いのことを知ってしまっても問題がないと、心のどこかで思っている人間ができることなのだと、彼は考えていたからだ。
――だが、俺は違う。
彼は自分に言い聞かせる。自分には、知られてはならない秘密があるのだと。決して話すことのできない秘密があるのだと。この体について、知られる事だけは、避けねばならないと。それがある限り、自分はもう二度と輝く彼らと同じことはできないのだと。
自室のあるマンションから歩いて30分、ようやく青年は坂の上にある目的地についた。無駄に大きく描かれた「入学おめでとう」の白看板が、門の脇にあるにもかかわらず神々しい光を放っている。何人かの新入生と、そしておそらくその親なのだろう。彼らは太陽光で白く光る看板を中心に、満面の笑みを浮かべて写真を撮っている。青年はそれを一瞥し、緑のゼッケンを来た誘導係の指示に従って歩みを進めた。
その門をくぐると、そこからはまばらに歩くだけだった青少年たちも3列ほどにまとまって歩くことになる。そして数十歩もたてば桜並木は終わり、その瞬間には必ずみな一様に声をあげた。なぜなら、今までいた空間とは明らかに異なる世界が、眼前に広がっているからだ。
最低でも5階立てにはなっているのであろう、一面ガラス張りの建物が複数。そのデザインはすべて異なり、近未来を感じさせる幾何学的な構造をとっている。開けた巨大な一本道の奥には、銀色に輝くドーム状の巨大な建造物。その道とドームの上を、大小さまざまなモニター付きのドローンが飛んでいる。ここに来れば、きっと誰でも“未来”というものを感じる、そういう景色だった。
明らかに今まで歩いていた空間とは違う、緊張と高揚の中間といったところの空気が、そこにはあった。今までおしゃべりに夢中に成っていた新入生たちも、この光景を見てからは少しばかり歩みを早め、口数が少なくなっていく。青年はそれをぼんやりと眺めながら、ゆっくりと足を進める。
青年が石畳の道を歩いていると、ドローンから澄んだ女性の声が聞こえてきた。
≪ようこそ、日本能力者総合大学へ!ここは日本で初めて作られた、超能力を学ぶことが出来る能力者専用の国立大学です。全ての人類に貢献する革新的な技術と人材を育成し、よりよい世界の構築へ貢献する。それがわが校の教育理念であり、私達が目指す未来でもあります。私達は志をともにする皆さんを歓迎します。ともに頑張りましょう。≫
そのドローンの言葉を聞いて、青年は再び鼻で笑うようなしぐさを見せ、ポケットに両手を突っ込んで歩みを進める。
能力者、別名『ダイバーズ』。ある程度の物理現象・生理現象を自らの意志によって自由に発現できる人間を指す言葉。この時代ではごく当たり前の存在で特別な響きではなかったのだが、それでも“超能力”という言葉は、少なからず彼に異質さを想起させていた。
ダイバーズは現在世界人口の約4割。ダイバーズもそうでない人間も、手を取り合って平和に生きている。ダイバーズの中でも、軍隊のような一部の場所では能力の実力がものを言うが、それ以外の環境下では、能力の種類やその力の差で差別が起きるようなことはほとんどない。しかし、4割という数字は、それは裏を返せば能力を持たない
(そう、
しばらく歩くと、青年はドームの前にいくつか机が置かれている場所にたどり着いた。数名の若い男女が新入生を相手に何か一言二言いいながら、手持ちのボードにチェックを入れている。ここでどうやら受付をしているようだった。彼らがチェックしているのは学科と名前で、それを見た青年は、ここでついに自分の名前を名乗らなければならないということを察した。
彼は小さくため息をつき、三度自嘲する。ここに来るまでに名乗らなくて済んだことは彼にとって気楽だった。だが、初めて名乗るタイミングとしてはあまりにも味気なかった。どう考えても主人公が自己紹介をする場などではない。入学の受付で初めて名前が分かるキャラクターなぞ、小説でいうなればモブキャラに等しいポジションだと彼は感じた。なんのインパクトもありはしないと。
(だが、それでいい。
俺はこの大学生活で物語の主人公になどなるつもりがない。誰かの脇役ですらなくていい。
何故なら、俺は――)
大学の先輩と思しき女性が丁寧な口調で青年に訪ねる。
「では、学科とお名前を教えてください」
青年は彼女に目もくれず、淡々とした口調で答えた。
「――応用能力学科の、吉岡
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