第零話 新硫黄島にてⅢ
坂の上にある小さな壕に、20名の人影がある。1人の男に対し、19名の男女が2列に並んで背筋を伸ばしている。
「今回の作戦は突撃部隊が安藤隊長の第5隊と大島隊長の第10隊の2隊。バックアップが草薙隊長の第3隊、長嶋隊長の第6隊、そしてわれら第7隊である。吉野隊長の第8隊は海上にて投降した者への尋問と、敵の援軍に備えることとなり、現在進行形で任務に当たっている。突撃部隊の2隊が突撃後、第6隊と我ら第7隊は敵中央施設の周囲を取り囲み、敵の逃走を阻止する。第3隊はさらに後方にて指示を出しつつ遠距離支援する。作戦開始は0時ちょうどであり、作戦は制圧が完了するまで行われる。以上が作戦のおおまかな内容である。
次に、配置を指示する。」
宗次は隊員一人ひとりの顔を見ながら、その人物に指示を出した。その声は聞くだけで身が引き締まるほどの力強さを持っていた。隊員の誰しもが、支持を出されるたびに電流が走ったかのように一層背筋を伸ばし、敬礼を行った。
宗次は伝え終わると隊員全員の顔を一通り見つめ、そして檄を飛ばす。
「今回の戦闘、誰も欠けることがなかったことを幸運に思い、またそれこそが、我が隊の結束力の証であるとし、誇りに思う。みなよくやってくれた。感謝する。
そして今回のこの作戦が、おそらく最後の作戦となるだろう。敵にダイバーズが現れていないのが不気味だ。何が起こるか分からない。だが俺たちの強みはチームワークだ。例え何があったとしても、俺たちの結束力にかなうものはない。今まで通り、いつも通り落ち着いて連携を保て!そして最後に、全員、生きて作戦を遂行せよ!」
隊長の命令に隊員たちは再び一斉に敬礼を行う。彼らの威勢の良い姿を見た宗次は穏やかな顔に戻り、一言付け加える。
「とはいえ出撃するとしても後30分ある。出撃の準備は整えつつ、少しは休んでいてくれ」
◇
宗次は小さな岩の上に腰を下ろしていた。海のそよ風が、彼の短い髪をさらさらと撫でている。彼の視線の先には部下たちが束の間の休息をとる姿があり、彼は自分の部下の姿を一人一人、じっと確かめるように見つめている。
そんな彼の隣に、支給された水を持参した板橋が腰を下ろした。
「お疲れ様です。」
「ああ、ありがとう。」
水を受け取ると宗次は一気にそれを飲み干す。そして空になったコップを彼女に渡した。
「ありがとう」
「いえ……」
板橋は、宗次のいつもと違う雰囲気から、今回の任務がいかに危険なものかを感じ取っていた。それは彼女が山田宗次という男を、ようやく理解できて来たからでもあった。
この時代では18歳になれば軍隊に入隊することが出来、現に18歳で入隊すること自体は珍しくもなかった。だが、それでも人を殺すことに一切の躊躇いのない青少年など、そうそういるものではない。故に、21歳にして特殊部隊隊長に任命されるような“業績”を成した彼の部隊に配属が決まった時、板橋は恐ろしい隊に入ってしまったと思った。
だからこそ、予想を裏切る能天気さに彼女は困惑し、理解できなかった。冷酷無慈悲な殺戮者かと思ったが、昼休憩で近くの公園に出向いて昼寝をするような男だったのだ。任務中でも今日のようにその能天気さのままに仕事をこなし、甘い顔をして見せては板橋を振り回していた。
板橋美穂は彼の下で働いて3年、彼がどういう人間なのか、ようやく分かるようになってきていた。その能天気さは、隊員に日常を忘れさせないようにするものだった。人を殺すという異常な生活の中で日々を過ごす特殊部隊のメンバーは、普通の日常の生活を忘れてしまいがちになる。だが、彼のその能天気さは、張りつめた血なまぐさい世界の中で、そんな普通の日々を思い起こすものになっていた。だからこそ、彼の元で働く者は皆、まだ他の隊と比べると人間的な感性があった。何のために戦うか、何故命を奪うのか、その感情を、意味を、忘れることはなかった。
だが、戦闘が終盤に差し掛かかかり、敵兵の装備を見てから、その能天気さは消えている。いつもの甘い顔はそこにはなく、彼の表情は死地となる戦場に挑もうとする強く険しい兵士の顔をしている。宗次のこういう顔を見る時は、決まって相当な危険が待ち構えている時だと、板橋はわかってきていた。
「やあ、少しいいかい?」
突然の声に2人は虚を突かれ、驚いて立ち上がった。
「吉野隊長!?」
板橋が敬礼をすると、吉野は構わないと一言いって宗次と向かい合う。
宗次は驚いた様子で吉野に尋ねた。
「吉野隊長、何故こちらに?確か今は船上にて尋問中では?」
「ははは。もちろんしているよ。ただ、一言君に謝っておきたくてね。一時的に尋問を部下に任せてここに来たんだ。」
彼はそういうと、言いにくそうにしながら話し始める。
「その……すまなかったね。僕なんかのためにわざわざ策を考慮してくれて。そもそもこの作戦は特殊部隊の全戦力、10隊で行うはずの大規模作戦だった。第1隊長の指示でそれがかなわなかった今、戦力の減少そのもの自体を避けたいという大島隊長の言葉は正論だ。本来なら全軍で施設を制圧するのが最短かつ最善なのに……」
「いえ、そんなことはありません。尋問をすることこそが最善の策だと、そう思っただけですよ。草薙さんもそうおっしゃっていましたし、気にすることはないと思います。」
彼らの話すやり取りを見て、板橋は宗次が何故その若さで隊長となったのか、その一端を見た気がした。
「僕は――本当は自分が尋問官としては適役ではないと思っているんだ。発案した者が何を言っているんだと思うかもしれないけれど、ええと、僕は人の気持ちを汲み取ったりすることは難しいし、普通の会話ならできるんだけど、尋問とか何を話せばよいのかわからなくてね。」
「いえ、吉野隊長は我々能力者特殊部隊10隊長の中でも、最も人の気持ちを汲み取ることが上手であり、交渉術に長けた方だと思っておりますよ。それに、あなたは『精神干渉能力』をお持ちです。その気になれば、自白させることもできるでしょう。」
宗次は不思議そうに吉野の顔色を窺う。すると吉野は苦笑しながら言った。
「
「確かに、『人の心を読み取れる能力』はこの世界にはありません。でもだからこそ、あなたは能力に頼らず、心優しく人の気持ちに接することができる。あなたはこれまで“交渉術”によって、血を流さずに事件を解決してきたのです。
私のように能力に頼って、誰かの血を流さねば守ることが出来ない者とは、比べ物にならないくらい良いことだと思いますよ。」
「……ああ、ありがとう。その言葉は僕にとって、この上ない励みになるよ。」
宗次には、そう言った吉野は何かを言おうとしてその言葉を飲み込んだように見えた。それが何か確かめる間もなく、吉野は哀しそうな顔をして宗次に言う。
「ああ、だがすまない。私は君より15も年上なのに、私は君のように、そして他の隊長達ほど強くはなれないのだ。
「い、いえ。そんなことはありませんが……?」
吉野の余りの愁然ぶりに、宗次は一歩引きさがる。彼が戦い自体をそもそも好きではないことは知っていたが、それでも軍人である。ある程度の覚悟は持っているはずだった。それに、作戦本部にいた時とですら別人のように見える吉野に、宗次は少し不気味さを覚えてしまっていた。
「本当にすまない。そして宗次君、君は決してこの戦いで死んではいけない。必ず、仲間と生き残るんだ。私は、それを船の上で祈っているよ。」
彼はそう言い、そして足早に去っていった。
吉野が去っていく姿を見ながら、板橋は宗次に尋ねる。
「あの、いったい何があったのでしょうか。」
宗次にもそれは分からなかった。だが、宗次には吉野が見せたあの顔を、どこかで見た気がしていた。
かつて遠い昔に見た、幼いころの記憶が、宗次の脳裏によぎる。
「――いや。なんでもないよ。」
宗次のその言葉は、板橋への返答というよりも、自分に言い聞かせているようだった。
「死んではいけない、か。」
彼はぽつりとつぶやく。板橋は彼の視線の先に隊員たちがいることに気付き、彼が何を考えているのかを察した。彼女は彼の見る視線の先を見つめながら、静かに言う。
「大丈夫ですよ。私達、死にませんから。」
◇
作戦開始直前、宗次らはこれまで以上の緊張感をまとっていた。尋問がうまくいかず、突撃までに相手の情報が引き出せなかったこともその一つの要因だったが、最後の戦いというその重みが、彼らに大きな重圧をかけていた。かすかな音にも敏感に反応し、なんの音であったのかを逐一確認する。
そんな状況の中、宗次は暗視ゴーグルで突撃部隊が今まさに突撃しようとしているところを見ていた。
「あれは……?」
彼は突撃の瞬間、突撃部隊のメンバーの中に、一人だけ奇妙な人物がいることに気が付いた。
明らかに、若い。
顔が見えたわけではないが、動きが軍人のプロではなく、最近入隊した者に見られる特徴的な歩き方だった。まだ戦場での歩き方に慣れていないからか、他のメンバーとの歩調が若干ずれている。彼がそれを奇妙だと感じたのは、突撃部隊のメンバーは例え若くても、最低でも5年は経験を積んでいるプロばかりのはずだったからだ。そうであれば、あのような歩調の乱れなどないはずだった。
「何か気になることでも?」
隣にいた板橋が隊長の一言を聞き逃さず、確認する。宗次は暗視ゴーグルで突撃の様子を見ながらその問いに返答した。
「いや、たいしたことじゃない。作戦通りこのまま警戒を続けよう。」
◇
聞こえる銃声が増すたびに緊張感も増していく。だが、それ以上に先ほど目撃した人物が、宗次の思考を占領していた。彼は、奇妙だという感覚から次第に強い不信感を抱くようになっていた。今日新たに配属された新人など、聞いた覚えがなかったからだ。もし作戦メンバーを入れ替えていたり、欠席する場合は事前に報告があるはずだが、それもなかった。それなのに、何故突撃部隊のメンバーの中に、今まで見たこともない新人のような人物が入っているのか、宗次にはそれが気がかりでならなかったのだ。
だから、宗次は異常に気付くのに、一歩遅れた。
「あ――」
板橋の声がした瞬間、宗次は猛烈な爆風とともに数メートル後方へ吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
彼はすぐに状況を把握する。どうやら敵の潜伏している施設がその周囲の地面ごと爆発した様だった。灼熱の炎が天高く上り、地面はえぐれて異臭を放ち、建物の形は既にない。
補助に回っていた宗次たちは、施設のすぐ近くにいたために爆発の影響をもろに受けていた。宗次は隊員たちの無事を確認すると、態勢を立て直して命令を下す。
「総員、救助に向かうぞ!」
交戦の音は聞こえていたため、敵の自爆かあるいは交戦に依る事故かだろうと宗次は推測した。だが、どちらにせよ生存者の可能性は絶望的な状況だった。
それでも彼は、自分の部下に救出を命じた。わずかに生き残っている突撃部隊の仲間がいることを信じて――
「た、隊長、アレを!」
板橋が轟々と燃え盛る炎の中を指さす。
その先を見て、宗次達は言葉を失った。
揺らめく炎の光と熱気ではっきりとは確認できなかったが、そこには確かに何かがいた。人の形をとってはいるが、
数本の人の腕を持つ異形の存在。それは膝をつき、地の底から響くような咆哮を上げていた。
「あれはいったい――」
大きな衝撃が、宗次の全身を打った。
再び宙に投げ出され、そして強く地面にたたきつけられる。何が起きたかを考える間もなく激痛が体をむしばむ。
以前にも味わったことのある命の危険を知らせる痛みだ。
痛みに意識を持っていかれれば命が終わる。彼は意識が飛ばぬように、何が起きたのかを思考を巡らせようとした。
だが、その思考を停止させ、そしてその痛みですら忘れてしまう光景が、目に飛び込んできた。
「――は?」
いくつもの巨大なくぼみ、立ち込める噴煙、火薬の臭い。そして、そのくぼみは島の中央に向かって平たく伸びた形状をしている。
これは、砲撃の後。
敵の援軍か――
宗次はそう思ったが、敵の船はどこにも見えない。見えるのは、味方の戦艦。日本自衛軍の駆逐艦と砲艦である。
つまり――
山田宗次は見た。
自分がこの島にやってくるために乗っていた戦艦の砲台が、自分たちの方角に向けられているのを。
山田宗次は見た。
味方の戦艦から放たれる砲弾を。
山田宗次は見た。
その砲弾が、自分の部下の上に降り注ぐのを――
「隊長!」
彼が最後に見たのは、数メートル先で自分を叫ぶ後輩の姿。片腕を失いながらも、残った右腕をこちらに差し出して走ってくる。
そこまでだった。
そこでまた爆音とともに、大きな衝撃が彼の全身を打った。
そして、視界が、真っ暗になった。
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