第22話少しゆっくりと悪魔

「……ゆっくり、ですか」


取り敢えずおうむ返しで、言葉のボールを投げ返す。

もはや彼女にとっては壁打ちなのだが。


「おいおい、このタイミングで怖気付くとは、とんだ童貞野郎だな」


ひらひらと、舞い踊るように姿見せるは、いつものあいつだ。

僕が悩み、悶え苦しんでいるときに現れる、あいつ。


黒い触覚をひょこひょこさせて、

虫歯菌の擬人化みたいな、槍のような武器を片手に、

僕の声、

僕の顔をした、

謎の生命体。


「彼女はさっき何と言った?『少しゆっくりしていきたい』、そう言ったんだ。何故だか分かるか?」


僕の周りを旋回するように、飛び回る。

耳元で囁くように呟く。


「お前ともっと一緒にいたいからだよ。お前に惚れてんだよ、この女は」


僕の声で、

僕の都合のいいことを呟く。


たしかに、彼女は僕のことを嫌ってはいないのだろう。

嫌いだったら、そもそも会わない。

4回もわざわざ休日に時間をとってご飯に行くわけがない。

併せて、先の『少しゆっくりしよう』という言葉。

嫌いならば、一刻も早くこの場を去りたいはず。

僕ならそう思うし、そうする。

じゃ、これでと踵を開始全速力の早歩きで帰路に足を向ける。


しかし、彼女はそうしない。

どこか紅潮した顔で僕を見つめ、

僕の言葉と行動を待っている。


「ここまでアピールしているんだ、お前自身は彼女のことは嫌いではないのだろう?」


もちろんである。

嫌いだったら4回も会わないし、

ご飯も奢っていない。

無駄なコストは省く主義だし。


「なら、迷わずgoだ、ここは。今必要なのは一歩踏み出す勇気であって、紳士さや優しさじゃあない。そんなものは、床下収納にでも閉まっておけ。そしてそのまま放置しておけ」


たしかに、床下収納に入れたものは忘れがちだけど。

一度入れたら二度と回収することはないのがほとんどだけど。

それで幾つの非常食を無駄にしたことか。

ーーって、今はそれは関係ない。

今考えるべきは、僕がどうすべきか、だ。

どんな言葉をかけ、

どんな行動に移すか。


「おいおいおい、何をかまととぶってんだ?分かってるだろ?自分の心に嘘をつくなよ!お前はこいつに何を目的にして会い来たのか、日々のメールを交わしてきたのか忘れたのか?」


それは、忘れていない。

彼女と恋仲になるためだ。


「もっと正直になれよ。欲望をさらけ出せよ。男だろ?雄なんだろ?それなら、生命の欲求に、人の三大欲求に従えよ」


いや、それは。

僕のキャラクター的にちょっと。


「睡眠は日々満たされた。食欲も今満ちた。ならば、残りは一つ。一つだけ。性欲、性欲を満たせ!」


落ち着け、

僕の顔と声でそんな性欲とか言わないでくれ。


「お前が言わないから俺が言ってんだろうが!さあ、抱け。言葉に出せ。お前が欲しいと、お前の全部が欲しいと!」


冷静になれ、

クールになれよ。

だが、こいつは僕の言葉など無視して暴走を続ける。

僕の周りを狂ったように飛び回り、欲望のままに言葉を吐き続ける。

あぁ、こんな時、あの方がいたならーー

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