第一話 ~幕間その2~
目が覚めると、雨は止んでいた。 葉っぱの先から露が垂れ、地面に落ちて跳ねた。
相変わらず傷は痛むし身体も怠い。 意識を手放す前と変わらないと思っていたが。
(水? 喉が……)
焼け付くような強烈な渇きは既に消え、なぜか喉は潤っていた。
「あ、目が覚めた?」
声のした方に視線を向けると、朦朧とした意識の中で出会ったあの少女がこちらを覗き込んでいた。
「よかった! おみずっていってたから」
そう言いながら彼女は両手で抱えた水筒を自分の顔の横に持ち上げ、自慢げに笑った。
「まだのむ?」
チャプチャプと中から聞こえる音と重さからして汲んできたばかりだろう。 何も言わずに一口飲む。 こんなにも美味い水を飲んだのは初めてだ、そんなことを胃に流れ落ちていく水を感じながら思う。
あっという間に空になり、飲み口から滴が垂れ始めた時には喉の調子は回復していて会話もできるようになっていた。
「ありがとう……救われた……」
「おじさん、しゃべれたんだね」
その返しに小さく笑い、木に体重をかけながら立ち上がる。 まだ足下はふらつくが歩けはする。
「おじさん、なまえは?」
「名前? あー、オサ=グロウリーっていうんだが」
「しらない。 へんななまえだね」
その言葉に身体が動きを止めた。 自分を殺して他人の敷設したレールに沿って救った世界。 気づいたときには大罪を背負わされ、何もを捨ててここまで逃げ延びてきた。 そんな俺を知らないと少女は無垢に答える。
「……聞いたこともないか?」
「うん、ない」
そうか、と答えると同時に足の力がスルスルと抜けてきた。 そのまま寄りかかるように再びへたり込んだ。
「もしかして、まだぐあいわるい?」
「いいや、ちょっとホッとしただけだ。 ……名前、聞いてもいいか?」
「わたし? むらのみんなからは“ニエ”ってよばれてた」
「“ニエ”……“贄”か、なるほど。 神様に会いにか?」
少女は大きく見開いて、「どうしてわかったの!?」と興奮気味に俺に詰め寄ってきた。「かみさまにはニエがひつようなんだって。 だからニエがいくの。 それにねそれにね! わたしそとにでるのはじめてで、すごいわくわくしてる!」
でも……、といって不安そうな顔色を浮かべ、言葉を続ける。
「かみさま、どこにいるかわかんない。 あるいてたらおじさんとあったの。 おじさん、かみさまがどこにいるかしってる?」
「さぁな。 俺も会ったことないからわかんないな」
そう答えると、少女は顔を落として後ろ手を組んだ。
見ていればわかるが、彼女は自分がどういう存在なのか理解していないのだろう。 平和になったとはいえ、生け贄と称して人間を供物として魔物に捧げたり崖から突き落としたりする風習が残る村があることは知っていた。
こうなった以上、彼女に帰るという選択肢はない。 飢えて死ぬか、賊に襲われ売られるかいずれにせよ惨憺たる道を歩むしかない。
俺はなんとなく、ボロボロの腕で悩ましそうに俯く彼女の頭を撫でた。 一瞬、驚いて顔を上げて俺の顔をまじまじと見つめ、しばらくしてからにへらと笑った。
「なぁ、一緒に旅をしないか?」
「たび?」
「あぁ、ここだけが外じゃない。 世界中をまわるんだ」
「わぁ! おもしろそう! あ、でも……」
「もしかしたら神様も旅の途中で会うかもしれないぞ」
「! おじさん、あたまいい!」
結局のところただの自己満足にすぎないのかもしれない。 帰る場所がない二人が、人の都合で人生を歩んでいた二人が同じ道を、違う目的でなぞっていく。
死者は己の行いが世界にどう影響を及ぼしたのかの巡礼の旅。
生者は未だ見ぬ自ら長い旅路の第一歩として。
「せっかくだ、お互いに新しい名前を決めよう」
「? ほんとうのなまえじゃないの?」
「実は有名な人の名前を借りただけ、見栄を張りたかったんだ」
そういうと彼女は楽しそうに笑った。 つられて俺も笑みがこぼれる。
「そうだな……じゃあ名前は――」
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