第一話 12
「ぐあっ!」
脇腹に一撃加え、身体をくの字に折り曲げたところに膝蹴りをかましてやる。 ぐしゃりと鼻骨が砕ける感触と生暖かい血があたりに撒き散らし、仰向けで吹っ飛んだそいつはそれ以降、ピクリとも動かなくなったことを確認して奥の扉に手をかける。
「この部屋も違うか……」
乱暴に扉を閉め、その部屋を後にする。 これで西の建物にある部屋は全て見て回った。 あるとしたらさっき通り過ぎた如何にも敵の頭が居座っていそうなあの装飾に凝った扉だけだろう。
「結局全部の部屋を回ることになったのか……。 運がなさすぎだろ全く」
チラリと今まで通ってきた通路を見てみると伸びた兵士がそこら中に倒れていて、まだ目を覚まして再び襲いかかってくる輩はいなさそうに見える。 それよりも気になったのは。
(途中から増援の数が少なくなってきたことか)
門を突破し、東の建物に入ったところまでは、それはもう文字通りうじゃうじゃと敵がなだれ込んできていた。 幸い、通路が狭かったので走り回ったり周りにあった物品を利用して正面に数人だけ立たせるようにし、それを何度か繰り返すことでやり過ごしてきたわけだ。 しかし途中から増援が少なくなり、血気盛んそうな兵士だけがこちらに襲いかかってくるだけになってきていた。
ただ単にほとんどを返り討ちにしている俺を見て勝てないと判断し、逃げ帰ったのか。 あるいは雑兵では意味がないと誰かが判断を下して送らないでいたのか。
とそんなことを考えている間に、例の扉の前に立っていた。 どちらにせよ無駄に体力を消耗せずにいれたのは好都合ではある。 ふと見上げると、歴代団長と銘打ったスペースに幾つかの額縁が飾られていたが、初代の額縁にしか肖像が飾られていないところをみると設立から今までずっと頭を張り続けてきたということだろう。
(さすがにこの扉を開けた瞬間に全員飛び出してくるとか……ないよな?)
扉に手を当て、そこに意識を集中させる。
(息づかい、呼吸が深い、体格は平均よりでかそうだ。 距離も遠い、だいぶ広い部屋か? 男一人、待ち伏せはないか)
そこまでの情報が手に入れば十分だ。 空いた手を扉に当て、グッと力を込めて扉を開ける。
ギギギ、と耳障りな音を響かせながら扉は開け放たれ、月光がその内部を淡く照らした。
想像していた以上に内部が広かったことに、少し驚いた。 真ん中に赤いカーペットが敷いてあり、それが中央の玉座に向けて伸びている。 仰々しい扉の装飾であったのに、その玉座は対照的に宝石や金銀といったもので彩られている様子は一切なく、ただ無骨な鉄で出来た椅子だ。 そしてそこに座っている鎧の男が自警団を取り纏めているボスといったところだろう。
「……」
距離にして十メートルあるかないか。 お互いに得物の射程で届くわけもなく、魔法を唱えたとしても余裕を持って躱される中途半端な距離だ。
なのに身体は、剣を交わることもなく直感で告げていた。
強い。
鎧で体格がより一層威圧感が高まっているということもあるが、一番の原因は彼が右手で握っている剣だ。 大の男二人分の大きさはあるかもしれない。 扱いきれるのだろうかという疑問は、その大剣に付着した乾ききっていない血液を見れば答えは明白だった。
「お前が、ルー・ストックか」
「まだこの街に来て一日だというのに……。 この街のリーダー……ダンガーさんに既に名前を知られているとはな」
一歩踏み出した瞬間、相手の圧が高まる。 理想であれば相手が余裕で対処できると思っている位置から一気に加速して昏倒させてしまいたかったのだが、それを許してくれる相手ではないらしい。 もう一歩踏み出してしまえば相手も立ち上がりそうな雰囲気だ。
「できればカルミア……ついさっき逮捕された二人の子供を解放してくれるのであれば穏便に進むと思うんだが」
沈黙。
「あー……。 別に楯突く気はない。 あんたのやり方に口を出す気もないし、というか明日にはこの街を出て行くつもりだ」
再び沈黙。
「もしかして釈放に幾らか必要か? 足りないかもしれないが、その時は手形とるなりしてもらえると助かるん――」
「両名とも、明朝に処刑する」
黙ったのは俺の方だった。 今さっき言われたことに脳の処理が追いついていないし、どういう反応をすればいいのかすらわからなかった。
「主な罪状は自警団に危害を加えたこと。 逮捕時、逃走を謀ったことも含めて加味した結果、死罪だ」
男はゆっくりと立ち上がって、大剣を肩に担いだ。
「正義に歯向かった、つまりは悪だ。 悪は伝播し増殖する。 ならば早急にその種を滅ぼすことが正義である。 異議があるなら申し立てよ―」
鎧の奥の双眸の瞳が薄く、俺を睨み付けた。
「あるならば死刑だ」
瞬間、黒い砲弾が目の前に一気に距離を詰めてきて、その勢いに乗せて両断しようと振りかぶる。 すぐさま柄へと手を伸ばし、刀身を抜く。 鉄を薄く延ばしたような片刃の剣、刀と呼ばれたそれで何倍もの大きさの大剣の軌道を変え、半身になりながら斜め後方へと跳ぶ。
今まで立っていた地面がいとも簡単に砕かれ、大理石が隆起する。 まともに喰らったらなんて、考えるだけ時間の無駄だというのが今のでわかった。
「ただの子供だぞ!? どうしてそんな突拍子もない結論になるんだ!」
「大人になった時に自分の子に悪事を教えるかもしれん。 あるいは友人にそれを伝えてしまうかもしれん。 それを防ぐためだ!」
振り下ろした剣を抜きがてらに大理石の破片を散弾のように飛ばして追撃をしかける。
なんとかそれを弾き飛ばし、着地と同時にバネを作り、一気に相手の懐へと駆ける。
「そんな暴論が通るとでも思っているのか!?」
剣の持ち手の関節を狙った一撃だったが、相手が肘をわざと突き出したことでただ火花を散らすだけとなった。 ならば別の箇所をと刀を手元に戻して二撃目を構えるが。
「ふん!」
そうはさせまいと相手はその場でコマのように回転し、諦めざるをえなくなったことで上を飛び越し、玉座まで距離を稼いだ。
(見た目以上に素早い動きと小回りのきく技。 加えて状況判断も的確で無駄がなく、それでいて一撃がアレか……)
もう一つ付け加えるのならば、こちらの攻撃が通る箇所が限られていることもあげられる。 ならば関節部の隙間や柔らかい部分を狙うしかないのだが、相手もそこを狙ってくることは承知しているので対処されてしまう。 手数で攻めるしかないのだがその戦法を封じられているので後手に回ることが前提となり、決定打に欠けている。
魔法を使うことも考えたが、このレベルの相手を目の前に悠長に詠唱していては肉塊になってしまうだろう。
(リーチは相手が若干有利。 武器の重さ、耐久は言わずもがな。 真正面の斬り合いも同様。 防御面もこっちは場所を考えなければだが、ダンガーは俺に一回でもまともに当てさえすれば終了)
整理すればするほど、自分がどれだけ不利な状況下にいることがわかってくるので飽き飽きしてくる。
腰を落とし、右足と刀を後ろに引いてカウンターの姿勢をとって息を吐く。 その時、切っ先が玉座に触れる感触が伝わって、一瞬だけそこを見る。
(あれは……)
好機と判断したのか、再び剣を振りかぶって雄叫びを上げながら襲いかかってくる。
柄を握る力を込め直し、充分な距離になるまでじっと待つ。
風切り音が聞こえ始めた瞬間、右足と刀を連動させてその一撃を躱してすぐに振り返り、背中に一太刀入れる。 重厚な金属音と火花が散るが、中身に届くことはなかった。
また破片を飛ばしてくるのかと思いきや、予想に反してくることはなかった。 振り下ろそうとした大剣を空中で押しとどめ、ゆっくりとこちらへと振り向いた。 もしあのまま振り下ろせば玉座が破壊されていた。 玉座が壊されると困ることがあるかと思ったがその線はすぐに否定する。 一瞬だけ見た玉座に刻まれた文字。
「勇者のか」
明らかに男の動きが止まった。 刻まれた言葉の詳細は不明であったが、文末には見覚えのある名前が刻まれていた。
『勇者 オサ=グロウリー』
「勇者は死んだ。 もうこの世にはいない」
「黙れ」
「お前だって知っているだろう。 あいつは罪を犯し、晒し首にされていた。 お前が嫌いな悪人となって処された」
「黙れと言っているだろう!!」
ダンガーは声を荒げ、玉座に傷をつけない位置に剣を突き立てた。 俺はその激情をさらに煽るために言葉を続ける。
「この自警団の設立に勇者が関わっていたことは知っている。 表の額縁を見る限りダンガー、お前が初代団長であることもな」
「うるさい!」
「お前は自警団のきっかけともなった勇者を尊敬していた。 だが勇者討伐の報せが耳に届いた時、正義の象徴たる勇者が罪を犯したことが許せなかった」
「黙れええええええええ!!!!!」
ダンガーは片手で柄を掴むと、感情にまかせるように大きく振りかぶった。 間一髪、剣の側面を切り上げて軌道をずらすが、連続して切りつけられる。 上下左右、さらに時折跳んでくる蹴りや拳、まさに烈火の如しだ。
「くっ」
感情にまかせた攻撃の軌道は読みやすいものの、こうも間髪を入れずに攻撃を加えられたのならば悠長に反撃を挟む余裕もない。
しかも攻撃を受け流すのにだって限度はある。 片や人をぺしゃんこに出来てしまう破壊力を持つものを、自身の腕と同等かそれ以下の延べ板で凌いでいるのだ。 そう遠くない未来に限界はくる。
一瞬の隙を突き、なんとか鍔迫り合いへと持ち込んで全体重を刀にかける。 小休止且つ戦況の膠着を狙う。 その状態になったことでようやく均衡がとれ、お互いに顔を見つめることとなった。 フルフェイスの隙間から聞こえる荒く、猛々しい息づかいからは未だ尽きぬ闘志と怒りが漏れ出している。
「お前に一体、何がわかる! あの時代、世界を渡り歩いていたお前に!」
今度は相手の方から押し潰されてしまいそうな圧力がかけられ、競り合いではなく俺を逃がさないように力を込められているのだと察する。
「生まれ育った街を捨てたお前が! 街を守るために己をかけた私の所業を理解するなど、口が裂けてでも言うものではない!」
動きを止めるためであったが失策だった。 片膝をつき、両腕で刀を支えている状況になった今になって背筋に汗が流れる。
すると当然、ダンガーの足が跳ね上がって顔面へと炸裂する。 ぐちゃりとした水音と顔中に広がる激痛に不快感を感じながら後ろに吹っ飛ばされる。
ズキズキと痛みが主張してくる。 生暖かいものが唇に垂れ、口内へと侵入するのを味覚で知る。 けれどそんなことはどうでもよかった。
あいつは言った。 己をかけた所業なのだと。 つまりは、結局は簡単なことだ。 未だに理解されていないのだ。
人生をかけた他人への奉仕、聞いているだけなら美しいものだがそれを行うとなった場合、想像を絶するほどの苦難の道のりだ。
ただそれでも目の前の男は歩き続けた。 誰にも理解されないから後継者が現れることなく、他人のためにと蓄えた力は逆に守るべき人たちから恐怖を抱かれた。 きっとあの鎧の中は見るに堪えないくらい傷だらけで、それでも最前線に立たなければいけない。
「馬鹿野郎が」
上体を起こしてこびり付いた血を拭う。 身体が動く、武器がある、そしてなにより理由がある。
誰もこいつの孤独は理解できない、出来ないほど前に進んでしまっている。 ずっと一人ぼっちの寂しい奴だ。
だから追いついてやらなければならない。 あの日、道を示した者として。 その道を走ってこの世を去った者として。
「喋りすぎた。 もう終わらせる」
ダンガーが剣を俺に向かって勢いよく投げつける。 見た目が派手で印象深い技だが、狙いはそこではないことを知っている。
膝に力を入れ、俺も立ち上がる。 迫り来る大剣を見つめながら、一度刀を鞘に収め、目をつむってから大きく息を吐く。
腰をきりながら抜刀し、迫り来る大剣を切り上げる。 そして大剣の後ろに追従するように走ってきていたダンガーに対して刃を向ける。
「なに!?」
慌ててガードの姿勢をとるがもう遅い。 切り上げた状態から刃を返し、峰の部分で首元へと振り下ろす。 肉を叩く音と触感、そしてくぐもった声をダンガーがあげたことで狙い通り首元の柔らかい素材でできた部分に当てたことを確信する。 思わぬ反撃に追撃の手を緩め、二、三歩後ろによろめいてから片膝をつく。
「大剣を横に投げつつ、自分はその後ろにひっそりと追従する。 敵が避けるか逸らすかしたところに渾身の一撃を加える。 初見殺しの技だな」
「貴様……どうして?」
俺は髪をかき上げ、納刀する。
「ルー・ストックは偽名だ。 俺の本当の名は――」
月明かりが俺とダンガーを照らす。 まるで過去の再演を誰かが望んだかのような、奇妙な縁を感じた。
「俺は、オサ=グロウリー。 勇者だ」
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