第一話 10

「痛ったたた……。 すみません、こんな情けない姿をお見せしてしまい……」

「いいえ、誰しも通る道ですし」

 本当にこんな時はどういう反応をしたらいいかが非常に悩ましい。 まあ元はといえば年甲斐もなくはしゃいでしまった自分の自業自得というやつだ。 変に取り繕うとすればより一層みっともない姿を晒してしまうのだから大人しくしておくべきだろう。

 亭主が冷やしたタオルを持って入室してくる。 一度、桶でそれを絞ってからゆっくりと俺の腰にそれを載せる。 ヒンヤリとした感触があまりにも心地よくて、つい息が漏れてしまう。

「私も何度もなってね。 家内がこうしてやってくれた冷たいタオルが一番効いたよ」

「これは……うおぉ……。 なかなかいいですね、覚えておきます」

「覚えておいて損はないですよ。 それにしても、また随分ご無理をなさっていた方のようだ」

 主人が感心しながら溢した言葉は俺の体中に隙間なく刻まれた古傷を見てそう言ったようだった。

刺傷はもちろん、擦過傷や火傷、打撲といったものから始まり、果てには魔法を受けた時につけられた傷や人を丸呑みしてしまうほどに大きい魔物と争ってつけられた傷もある。

 別段、隠していたわけでもないが、かといって自慢するほど自惚れているわけでもない。 ……とは言うものの、こんな傷だらけの身体なんてそうそう見るものではないだろうし、多くの場合は距離を置かれることが常なのだが。

「年齢の割に引き締まっていますし、過去は軍役でもしていたかのような徹底的ぶりですな。 なんというか無駄がない」

「そう言われただけでも光栄です」

 あまり気にしない人で助かったと内心思う。 自警団のこともあるだろうし、そういう戦闘職の人間に機嫌を損ねる人も少なからずいるだろう。

「先日の夕食の時にも色々お話ししましたが、ストックさんは様々な土地を巡っていたようで」

「そんな大それたことはしていませんよ。 世界中を冒険なんて聞こえはいいかもしれませんが、中身は我が儘にまみれた自己満足の旅です」

「はは、謙遜も上手いようで」

 主人は作業の手を止めると俺との話に身を乗り出して会話を続けた。

「私事ではあるのですが、一度もこの街から出たことがなくてね」

「ほう」

 考えてみれば単純な話で、主人が働き盛りの頃にちょうど魔王だなんだと世間がざわついていた時だ。 加えてバレスティアの過去の治安の悪さも相成って街を出ること自体がまず大きな決断になる。 平和になったあとも今後の袖の振り方を考えなければいけなくておいそれと出ることは出来なかったのだろう。

「もう年齢や体力的に辛いものがあって外にでることはないのでしょうが、もっと色々な景色を見てみたかったものです」

 海という塩辛い水でできた湖とはまた別の一面の水面。 山の奥地にある見ているだけで煩悩が消えていくと謳われた滝。 空にある雲が眼下へと広がる空中都市。 次から次へとでてくる憧憬は羨望と妄想の入り交じった、それでいて無垢な少年が語る夢のようだった。

 一度でいい、この目に焼き付けたい。 見たことがないのに嬉しそうに語る主人の話を聞いていると一つの疑問が浮かんできた。

「ご主人は……」

「うん?」

「後悔は……ないのですか?」

 時代の流れに翻弄され、今でも瞼の裏に浮かぶ景色に。 ここを離れる決断だってあっただろう、人に唆されたこともあっただろう。 けれど彼はそれらを全て断ち切って今、俺の目の前で腰を下ろしている。

「そりゃ、あるに決まってるさ。 老いたと感じることは日に日に増えていくし、できると思っていたことがいつの間にかできなくなっていることだってある。 こんなことなら街の外に出るべきだったって考えた夜は数え切れん」

 ただな、と言葉を続ける。

「ここにいたからこそ得たものだってあった。 この宿も家内もアーロンも、そしてこの街も。 あの時外に出る決断をしていたなら永劫手にすることはなかった掛け替えのないものばかりだ」

 主人は快活に笑うと、改めて俺の顔をじっとみつめた。

「過去が間違っているかなんて誰にもわかりゃしない。 だったら目一杯、今できることをやった方が気も楽になるってもんだ」

「なるほど……勉強になりました」

 そういうと照れたように頬をぽりぽりと掻いた。

「つまらない身の上話に付き合わせてしまい申し訳ないですよ。 それよりも私はストックさんとカルミアちゃんのお話をお聞きしたくて」

「あぁそういえば昨日は中途半端なところで話が途切れてしまってましたね」

「えぇ。 血縁もなにもないとお話しされたところでアーロンが」

「あぁそうでしたね。 カルミアとは血縁がないというところまで話しましたっけ。 なんというか、旅の成り行きというか……彼女に救われて――」

 そのとき、扉が勢いよく開け放たれると息をきらした女将が部屋へと飛び込んできた。

「どうした!?」

 主人が駆け寄って肩を貸すと深呼吸をし、しばらく息を整えると主人の両肩を掴み、目に涙を浮かべて早口で伝えた。

「アーロンが! アーロンが!!」

「アーロン? どうかしたのか?」

「自警団に!!」

 言葉を言い終えるか否か、身体を既に起こしていて誰に言われる訳でもなく服を着ていた。 アーロンが捕まったということはおそらくカルミアも……。 悪い予想はしていたものの、陽が落ちる前ということもあって大丈夫だろうと軽視していた。

「すまない、俺のせいだ。 昨日の騒動の報復ってところだろう」

「そんな! だからってこんな……」

 俺は立てかけてあった刀を乱暴に差すと立ち上がった。 ジンジンとした不愉快な痛みが腰に纏わり付いているけれど、それは道中の治癒魔法で誤魔化すことができる。

「いけません! 連れて行かれた場所は本部なんです! いくらストックさんが自分の腕に自信があったとしても、何十人ものの武装集団のど真ん中に単身突っ込んで行くなんて、死ににいくようなものです!」

「奥さん、これは俺が蒔いてしまった種です。 それにご子息を巻き込んでしまった。 それに世界中を歩いてた時にも似たようなことはありました。 なんとかしてみますよ」

 なるべく心配させにようににっこりと微笑みつつ、簡単な魔法式を展開する。

「なので教えてください、本部はどこにあるのか」

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