第一話 7

 扉の前に立った時から嫌な予感が隙間から噴き出していた。 あたりに漂う空気は澱んでいるようにも見えたし、まるで水中でも歩いているような歩きにくさを感じていた。

 いつも以上に重い扉を開けた先に明かりは異様なほどに少なかった。 窓一つもないために日光すら射さず、光源といえば間隔をあけて設置してある燭台が数個立ってあるだけだった。

「前へ」

 その一言で、自分の命は声を発した人物に握られたと直感した。 あまりにも平坦で抑揚もなく、冷たい声だった。 明かりが小さすぎてわからないが、目の前に薄らと見える玉座のような席に主は座っているのだろうと思った。

「先日の報告を聴いた」

「っ、はっ!」

「幼子に諭され、連れの旅人に灸を据えられたと。 間違いはないな」

「い、いえ、我々は――」

「間違いはないな」

 近くにあった蝋燭の火が消えた。 彼から用意された答えを何度も口にして、矮小なプライドを守ろうとした自分を打ち消した。

「申し訳ございませんでしたッ! 二度と、二度と今回のような失態は――」

「やかましい」

 ゴトリ、と重さのある塊が床に落ちる音が聞こえた。 続けてそれを引きずり回すような、床を引っかき回すような不快な音がゆっくりと距離を詰めてきた。

「なぜ我々がいるだけで外敵はおろか、中でも悪が育たぬのか」

 今すぐここから逃げなければならないと脳がそう思考した。 背中を見せて泣きじゃくり、扉に向かって一目散に駆け抜けろと。

 ガリガリ、音が近づく。

「誰も刃向かえぬからだ。 対抗できると思うから剣を握る。 倒すことができると思うから智略を巡らせる」

 けれど違う。 それを行った瞬間に俺は死ぬ。 文字通り一歩一歩、目の間に迫る恐怖を味わいながら身体を固めることこそが一番安全なのだと、そう感じた。

「芽吹く前に摘むのではない、種すら蒔かせないように管理せねばなるまい」

 一番近くの火が揺らめいた。 風も水すらもないのに、消えてしまいそうに揺らめいた。「貴様が冒した罪は重い。 管理者の力を持つ者が負ける、その光景に悪の心を持つ者は反逆の意志を宿す」

「……しを。 ……ぉ許しを」

 届いているのか、それ以前に声として発せられているのかすらわからないほどの必死の懇願を絞り出す。 ただ生きていたい、という単純な思いだけが胸を満たしては溢れている。

「『負けぬ街を。 誰にも侵されぬ日々を』。かつての勇者、オサ=グロウリー様のお言葉なり」

 瞬間、視界も通らない暗闇のこの部屋で初めて彼の姿を見た。 身の丈以上のハルバードを大きく振りかぶり、今まさに俺へと降り下ろさんとしている初老の男性。 何十年も変わらぬ使命に燃える狂気の瞳は小さな火でも煌々と輝いていた。

 自分の真横に武器が振り下ろされ、派手な音をたてて地面が割れた。 外したわけではない、それがわざとであることは明白だった。

「バレスティアに潜む悪の種を今夜、我が前に差し出せ。 手段は問わぬ」

 武器が地面から抜かれると同時に、あんなにも殺気と存在感に溢れていた姿が認識できなくなっていた。 衣擦れの音も、武器を担ぐ音も、小さな呼吸すらも眼前の闇に呑まれてしまったかのように思った。

「り、りりりり了解いたしましたッ!」

 気がつくと、すでに俺は外に立っていて太陽の光の下にいた。 近くの兵から話を聞くと目を腫らしながら扉を開け、誰の声も聴かずに扉をしめていたという。

 俺は改めてそこに立ち、掲げられた部屋のプレートを見つめた。

『バレスティア自警団 団長室』

 近くには歴代団長の姿をと額縁がかけられている。 けれど、この団が設立されてからというもの、たったの一人しか飾られていない。

『初代団長 ダンガー・ワンド』

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