第一話 1
控えめに言って馬車の乗り心地は劣悪を極めていた。 その原因は騎手か、馬か、馬車か、道か、あるいはそれらを全部複合した結果なのか。 俺を含めたこの災難の箱に詰められた九割の人間は、既に文句を言うことを諦め、ただただ一秒でも早く目的地に着いてくれることを願っていた。
「ストックおじさんあれ! あれ見て! 今まで見た中で一番おっきいと思う牛がいる!」
「あぁ……そう。 さっきもいったけど気分悪いから静かにしてくれるか、カルミア」
残りの一割、といっても彼女だけがこの馬車の中で唯一ピンピンして走り回っている。 同じ人間であるのにどうしてこうも差が出るのだろうか、と疑問を抱いてしまうほどに所狭しと駆け回る姿は、猫の俊敏さと犬の好奇心を掛け合わせたように見える。 実際車内では飽き足らず、騎手の隣まで回り込んで話していたり、飛び降りて気になる物を確認し、距離が開いたら走って戻ってくるという。 そんな動きをしてもまだ跳ね回っているのだからワンアクション毎に付き合っていられるわけがない。 中にはカルミア持ち前の愛嬌と純真無垢さに刺激されて付き合った御仁もいたが……まぁ言うまでもない。
「おぅいお客さん方、起きてください」
寝たくても寝れんわ、その場の全員の心の声が聞こえた。
「目的地の”バレスティア”が見えてきたんでな、荷物をまとめくだされ」
「本当!? 見るー!」
カルミアは再び騎手の元へと移動し、今日一番の感嘆の声を上げていた。
一方、車内は低い笑い声、というよりも地の底から響くうめき声に包まれ、お互いのこれまでの健闘を讃え合うのだった。
バレスティア。 王都からの旅人が一番最初に訪れる街、王都に訪れる際の最後の街ともいわれ、バレスティアを通らぬ者は旅人と名乗るべからず、というのが人々の間でよく聞く決まり文句だ。
「ほあぁぁぁぁぁ……」
カルミアは興味を抑えられないといったように右へ左へ、上へ下へと視線を一カ所にとどまらせることをできずにいた。
「これが……街……」
もうこの場に立っていられることが我慢ならないといったように目をキラキラさせながら私の顔をジッと見つめてくる。
「まずは飯と宿探しだ。 観光したい気持ちもわかるが、街まできて野宿はしたくないだろ」
「おぉ確かに! お腹すいたし荷物置きたい!」
よいしょ、とカルミアは自分のリュックを背負うと、小走りで俺の後をついてきた。
「おじはこの街に来たことあるの?」
「んー若いときにな。 三十年以上も前かな」
「三十年!? 私二人分じゃん!」
驚く彼女に相づちを打ちながら、自然と過去の風景と目の前の風景を重ねていた。
魔王と呼ばれた災厄が倒されてると、当然のように世の中もその姿を大きく変えていった。 平和が世界を訪れると、新たに世の中に生まれたり発展したり、逆に消えたり需要が減っていったりと様々な変化が起こった。
バレスティアも代表的な街としてその一つにあげられる。 三十年も前、バレスティアは主に冒険者や旅人によって住人の生計を支えていた。 武器や防具、魔導書や傷薬に保存食。 時には遠征から帰ってきた行商人から買える稀少な素材や怪しげな品物。 そういった品々がボロボロの露店や古ぼけたお店で売買されていた。 しかし魔王が倒されると冒険者や旅人の数は徐々にその数を減らし、現在ではそういった人間はかなりの少数となった。 そこでバレスティアはターゲットを観光者に変えることで時代の変化に適応していったのだ。
(露店や行商人は見当たらないし、汚い店もない。 あの頃とは大違いだ)
ほとんどがちゃんとした店を構え、当時ではありえない宝飾店や値の張りそうなレストランといったものまでもが視界に映る。 街ゆく人々の身なりも清潔感のある服装がほとんどで、サイズの合わないぼろぼろの服を着ている人や上裸で筋肉質な鍛冶屋の姿はどこにも見えない。
「いらっしゃい! 今朝獲れたての魚だよ!」
「こっちも見てって! めったに出回らない肉が入荷だ!」
「ただいまからセールとなります! 新作の服もありますのでそちら是非!」
ただ根っからの商人ばかりというのはしっかりと受け継がれているようだ。
「ねぇおじ、ご飯と宿はどっち先にするの?」
袖を引っ張ってきたカルミアの問いに答えながら俺は空を見上げる。
「先に飯だな。 陽はまだ高いから食べてからでも余裕はあるだろ。 なんか食べたいものあるか?」
「なんでもいい!」
元気よく答えたカルミアに街ゆく何人かの視線が注がれるが、当の本人はこれからの出来事にいっぱいで気づいてすらいないようだった。
「そうか、まぁ歩きながら考えるか」
「りょうかぐえっ」
駆け出そうとしたカルミアの襟をひっつかんで街道へと繰り出した。
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