第2話「ピラミッド」

「やっぱり千羽鶴って、折る目的がないとダメなんだね。疲れるだけだ」


 そんなわかりきったことを三日も折り続けて完成させてから言い出す美咲は、相変わらずの不思議ぶりで、次なる奇行の準備をしていた。

 初秋のよく晴れた気持ちのいいキャンパスの一角で、オレたちは空き缶を積んでいた。


「そこ、もうちょっと詰めて。バランスが」

「こうか?」


 ゴミ箱やらから勝手に拝借した空き缶約七百本をアスファルトの地面に転がして、木の板を敷いて水平にした土台に空き缶を十二×十二で並べて底辺を作り、その上にピラミッド型にオレたちは空き缶を積んでいった。


「う…ん、風が、揺れる」


 遠くに囲む奇異の目を美咲はまったく気にせずに、作業に邪魔な長い黒髪を後ろに結い上げ、空き缶を一つずつ丁寧に積んでいった。まあ、大学というのは大概変人の巣窟で、この手のパフォーマンスくずれの行為は構内のあちこちでちらほら見られることなので、オレも気にせず空き缶を積んでいく。


「やっぱ、屋外ってのは難しくないか? ……あっ」


 ガランガラン。

 澄んだ空気にそよ吹く風は空き缶ピラミッドの大敵だった。

 四段目で崩れた空き缶が空っぽの音を立てて転がった。


「やっぱ、難しいって」

「エジプト人は偉大だね」


 そのピラミッドとは無関係というかむしろ失礼だろうと、このカラフル過ぎて汚く不細工な空き缶の集合体を拾い集めて、オレたちはまた積み直す。


「日が暮れちゃうな」

「秀雄くん、授業いいの?」

「いいんじゃないの?」

「ならいいや」


 よくはないが途中で投げ出すのもよろしくないと、オレは空き缶を積んでいった。


「接着かなんかした方がいいんじゃないか?」

「接着剤?」

「セロハンテープとか」

「それはやだな」

「なんで?」

「崩れなくなる」


 それが目的やんけと思ったが、美咲は頑なに受け入れないので、オレはひたすら空き缶を積む。

 集中力。

 指先に伝わる神経。

 微細な振動に耐える空き缶。

 それは徐々に形になる。

 ピラミッド。


「できた」


 日暮れの斜陽に赤く燃え、それは銀色の姿を現した。

 ピラミッド。

 座って下からそれを眺める。

 ピラミッド。

 人の背丈ほどもあるそれは、脆く弱く繊細で、それでいて強く雄々しく逞しく、みすぼらしい姿を赤々と晒していた。


「それでどうすんの?」


 オレは訊いた。

 結った髪を解いた美咲は、重そうにボストンバックを運んできた。

 そこからボウリングの球が出てきた。

 美咲は構え、空き缶ピラミッドを見据える。

 オレが止める間もなく、美咲は投げた。

 転がさないで投げた。

 黒髪のたなびき。

 放物線を描いた球は斜め上四十五度からピラミッドに直撃し、全部を崩して叩き壊した。

 グワシャアァッ

 ガランガラン

 ゴスン。

 派手に高く鳴った金属音にボウリング球の鈍い音が低く鳴る。それは何事かが起こった音で、何事かが終わった音だった。

 耳目集中。

 散乱する空き缶の前に美咲だけが立っていた。

 夕方の閑静なキャンパスに人のざわめきの連なりが起こり、それがオレたちに集中する。

 オレは美咲の顔を見た。

 不満気だった。


「あ、ヤバイ、職員が来た――って美咲!」


 騒ぎにやって来た大学の職員を見て、美咲は脱兎の如くに逃げ出した。それを見て職員たちも駆け出した。


「ちょっ、置いてくなっ!」

「待てっ!」


 追われれば逃げる。逃げれば追う。これは人間心理の絶対である。

 けれど一動作遅れて逃げたオレは早々に捕まって、美咲もそんなに足が速くないので結構簡単に捕まり、それでオレたちはこってりしっかり絞られて、深夜遅くに解放された。


「先に逃げるってヒドくないか?」

「だって、顔が怖かったんだもん」


 郊外型キャンパスといえば聞こえはいいが、終電も早ければ周りにも畑と林ぐらいしかない大学に深夜に解放されたオレたちは、行くあてどなくさもしく小さな駅前をフラフラと歩いていた。


「朝までどうする?」


 秋の夜は冷たく静かで、虫の声だけが鳴っている。


「焚き火をしよう」


 駅の前に一軒だけのコンビニでライターと新聞と酒とつまみを購入し、廃材置き場に風除けになりそうなトタン壁を見つけると、新聞を火種にしてそこらから集めた落ち葉やら廃材なんかに火をつけた。

 焚き火。

 ゆらゆら。


「焚き火なんて初めて」

「こんな近くで炎を見るのは、キャンプファイヤー以来だな」


 中学の林間学校でキャンプファイヤーを囲んで、フォークダンスをして、「燃えろよ燃えろ」を合唱したことを思い出す。


  もーえろよ、もえろーよー♪ ほのおよもーえーろー♪

  ひーのこをまきあーげー、てーんまでこがせー♪


 焚き火の揺らぎ。

 ガスコンロの火とは違う赤く揺れる熱い炎は、オレたちの顔を舐めるように自由自在に手足を伸ばし、じりじりと肌を焦がす。

 赤い影に映る美咲の顔。

 美咲は焚き火をじっと見ていた。

 オレは新聞の残りを焚き付ける。

 新聞が燃えると、それは新聞ではないものに変わっていき、最後に新聞だった何ものかのカスになる。

 文字が燃えて焦げる瞬間。

 読めなくなる。

 火の粉。

 昇る。

 炎。

 じっと見る。

 昇る。

 炎。


「今日はこのまま野宿?」


 オレの声に焚き火から顔を上げた美咲は、かわいらしく首を傾げる。


「飲も」


 美咲はとりあえずそう言って缶ビールを開けたので、オレも缶ビールを開けて二人で小さく乾杯した。

 ポテトチップスとイカジャッキー。

 ビール。

 炙るイカのイカ臭さ。

 ビール。

 オレは訊いた。


「今日のアレって、なんだったんだ?」


 丸一日あんな空き缶積みを手伝っておいて、今さらこんな質問をするオレもマヌケだが、それに答える美咲の返事もなかなかにマヌケなものだった。


「なんだろう?」


 真顔で言う美咲にオレは脱力した。


「おいおい」

「うーん、そうだねぇ~」


 美咲は本当に困った顔をして考え込んでしまった。


「アレって、最初からぶっ壊すつもりだったの?」

「うん」


 即答だった。


「だって、壊さないと片付けられないし」


 美咲は子供のブロック遊びを引き合いに出す。ブロックで立派なお城とか作っても最後にはお母さんに分解されて片付けられちゃうじゃない。それはそうだが、なんというか甲斐のないことにオレは少しげんなりした。

 あの空き缶、洗うのだって相当苦労したのに。


「じゃあ、あのボウリングの球は?」

「叩き壊した方が気持ちいい」


 美咲は笑顔でそう言った。

 単純明快。

 だから空き缶を固定するのに反対だったのか。


「なんというか無意味な」

「そうだった?」


 オレがぼやくと美咲は眉を寄せて訊いてきた。


「だって、壊すために作ったんだろう?」

「うん」

「意味ないじゃん」

「でも、みんな騒いだよ。怒られたし」

「そりゃ、あんだけデカイ音を立ててればなぁ」

「千羽鶴は?」

「あれも無意味だったなぁ」

「でも、千羽鶴は残ってるよ」

「ううん?」


 オレは美咲が何を言いたいのかよくわからなかったが、何かを言いたいという顔をしていることだけはなんとなくわかった。それは美咲にもよくわかっていないことなのか、言葉を探す美咲の表情は、まとまらないでバラバラに動き回った。


「千羽鶴を折ったとき、折る目的がないとダメだって言ってたじゃん。目的のない千羽鶴ってのは無駄だったんじゃないのか?」

「うん。無駄だよ。無駄なんだけど……でも、無意味にはならなかったって言うか、意味があるってわけでもなくて、無駄なんだけど、でも無意味にはならなくて、もっとなんか、こう……なんかね、なんかなの」

「なんだよ」


 美咲は黙ってしまった。

 焚き火。

 オレは廃材を焚き付ける。

 爆ぜる音の熱の勢い。

 美咲はまた焚き火を見つめる。

 火の揺れに瞳を揺らす美咲の顔の揺らめきは、火影の中に浮かんで沈み、また浮かぶ。炎の動きはどうしようもなくバラバラで、定まらないで固まらないでゆらりゆらりと姿を変える。それは踊っているようにも見え、踊らされているようにも見え、楽しそうにも見え、苦しそうにも見え、暴れているようにも見え、悶えているようにも見える。

 あの空き缶ピラミッドをぶち壊したとき、美咲は物足りない顔をした。

 あれがなんかなんだろうな。

 ビールを飲み干す。

 空き缶。

 からっぽだ。

 風が吹き込んだ。


「さむっ」


 炎は風に身を竦め、たなびき耐えて、また燃える。

 顔の熱気と背中の冷気。


「本気で野宿?」


 美咲がちょっと目を上げる。


「だって、帰れないじゃん」

「近くに住んでる奴に泊めてもらおうぜ」

「誰かいたっけ?」

「木島」

「――ああ」


 美咲はそういえばそんな奴もいたねといった感じにうなずいた。

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